以前、子供が生まれると書いていました。
その後、めでたく第一子が生まれました。うれしい。
生まれてから、父親である私も世話をしています。今は男性も育児に参加する時代です、いい時代になりました。
やることはシンプルだが、実施する環境が厳しすぎる乳幼児の世話
乳幼児の世話でやることって「おっぱいあげる」と「おむつ変える」と「沐浴(おふろ)」だけなんですわ。
生まれる前は、赤ちゃんの世話はやることいろいろあって大変だろうな〜、と思ってたんですが、実際にやってみたらこの3つでした。
赤ちゃんてほとんど寝てるんですよ。個人差もあると思いますが、3〜4時間起きに目覚めて泣いて、おむつ替えておっぱいあげるとまた寝ます。沐浴(おふろ)は一日一回します。
やること3つだけ(しかも単純作業)なんで「噂に聞くより全然大変じゃないな」と思ったんですが、赤ちゃんは朝晩関係ないので夜も3〜4時間起きに世話を要求して泣くんですよね、このことが赤ちゃんの世話が大変な理由でした。
親はまとまった睡眠を取れなくて、それが何ヶ月も休みなしに続く。これは非常に大変な仕事だなぁと思いました。あと赤ちゃんが強く吸うから乳首が痛くなるのも辛いようです。
最大の問題は、私のおっぱいが出ないことだ
それでですね、びっくりしたんですけど、赤ちゃんにおっぱいあげようとしたら、私おっぱい出ないんですよ。そのせいか私の乳首は全然痛くありません。これにはまいった。
先ほど、赤ちゃんの世話でやることは「おっぱい」「おむつ」「沐浴」の3つだと言ったんですが、その中で何が一番重要かって聞かれたら迷わず「おっぱい」ですよね。
赤ちゃんから「おっぱい」が欠落したら、死に直結することが容易に想像できます。
赤ちゃんが泣くんですよ。泣くから世話をするじゃないですか、「おむつ」を変えるんですよ、おしりを綺麗にして新しいおむつ履かせて。それでも泣き止まないんですよね。
赤ちゃんが何を要求しているかって考えると「おっぱい」なんですわ。口をぱくぱくしてるし、舌をぺろぺろしてるし。でも、お父さんはおっぱい出ないんだよ・・・。それが辛く悲しい・・・。お母さんがいないと世話が完結しないんだよ・・・。
生まれて間もない赤ちゃんに「お前はおっぱいが出ないから要らねーんだよ!!おっぱいを出す方の親に飯を食わせるために外で働いてろ!!」と言われているようで辛いです。
しかしまあ、赤ちゃんがそんなこと考えているはずもないので、私の被害妄想がいけない。「子供の世話は母親の仕事」という固定観念が私の奥底に存在して、被害妄想を生んでいるのでしょう。そんな自分に直面することもまた、いと悲し。
おっぱいが出ないのなら、市販のミルクで何ら問題無いんです。おっぱいがうまくでない母親もいると聞きますし。おっぱいが出ない親は市販のミルクを使えばいいんです。
とは言っても、おっぱいが出る親が隣にいるなら、わざわざ粉ミルク溶かして飲ませる必要などない。おっぱいのある親がおっぱいをあげればいいんですよ。でも私だって赤ちゃんにおっぱいあげたいんですよ。あげたいんですよ。
母親は父親の上位互換だと思い知らされる
「赤ちゃんの生命を維持するおっぱいという機能が備わっているか?」という点では、母親って父親の上位互換なんですよね。非常に残念なんですけど、父親はおっぱい出ないんですよ。赤ちゃんの生命を維持する機能が備わってないんですよ、父親には。
「おっぱいの出る親」と「おっぱいの出ない親」って並べると、「おっぱいの出る親」の方が強くて、それってどうしても母親なんですよね。
いやー、まいったまいった。おれも赤ちゃんにおっぱいあげたい。あげたいんですよ。