米国:70年前ここで最初の原爆爆発 実験場跡地公開

毎日新聞 2015年04月05日 20時44分(最終更新 04月05日 21時47分)

原爆実験跡地「トリニティ・サイト」の記念碑の前で記念撮影をする参加者たち。中央奥には長崎に投下された原爆「ファットマン」の模型=米ニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル実験場で2015年4月4日、西田進一郎撮影
原爆実験跡地「トリニティ・サイト」の記念碑の前で記念撮影をする参加者たち。中央奥には長崎に投下された原爆「ファットマン」の模型=米ニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル実験場で2015年4月4日、西田進一郎撮影

 【ホワイトサンズ・ミサイル実験場(米ニューメキシコ州)西田進一郎】70年前に人類史上初めて原爆実験が行われた米ニューメキシコ州の原爆実験場跡地「トリニティ・サイト」が4日、一般公開された。爆心地を示す記念碑や長崎に投下された原爆「ファットマン」の模型を前に米国人の参加者は記念撮影をしていた。原爆投下の正当性を信じて疑わない参加者の声を聞き、戦後70年を経てもなお日米に横たわる認識の違いを改めて実感した。

 米国が第二次世界大戦時に進めた極秘の原爆開発計画「マンハッタンプロジェクト」の中核施設だった同州ロスアラモス研究所から南へ約250キロ。トリニティ・サイトは広大な米軍ホワイトサンズ・ミサイル実験場内の荒野の一角にある。4月と10月の年2回だけ一般公開をしているが、この日は過去最多の5534人が訪れた。

 爆心地「グラウンド・ゼロ」には「1945年7月16日に世界で最初の核兵器が爆発した地点」と記された記念碑が建つ。写真撮影の列ができ、ポーズをとる人たちでごった返す。列に並ぶ人たちと原爆投下の話をしていると、インディアナ州から来たリチャード・ゴーキーさん(70)が割り込んできた。「何百万人の日本人の命を救い、米本土を守るために原爆投下が必要だったんだ」

 降伏させるためだけなら使う必要がなかった原爆を、旧ソ連の対日参戦を見据え米軍が実験的に使ったとされる見方もあると伝えると「全くそうは思わない。原爆2発が投下されて、ようやく日本は降伏したんだ。これが我々の歴史だ」とまくし立てた。そして「私の父も妻の父も太平洋で戦ったんだ」と付け加えた。

 「(本土)上陸作戦は双方に大きな犠牲が出ると知っていたから原爆を使ったんだ」「北海道をソ連に取られなくて良かったじゃないか」。原爆投下が間違っていたと語る人には会わなかった。参加者向けのパンフレットには、原爆を広島、長崎に投下した事実は書かれているが、その後は「日本が降伏した」としているだけだ。被害の実態はどこにも記されていない。

 「ファットマン」の模型を前に写真を撮っていたサラ・リーさん(31)に、広島や長崎で計21万人に上る犠牲者数や、生存者や遺族の被爆の後遺症などを説明すると、「ひとつのボタンを押すだけで世界もろとも終わってしまう危険性がある。若い世代は過去に何が起こったのかを知り、同じことを繰り返さないことが重要だ」と語った。

最新写真特集