よく小さな親切大きなお世話という言葉があります。
これは有り難迷惑と類義語なのは有名でしょう。
私の場合、小さな親切ではなく
「身勝手な親切巨大なお世話」です。

これはよく同棲した人や、普段から気を使える人間なら分かるんじゃないかな?
または結婚生活が上手く言っている人はこういうコミュ力がついているから分かるはず。
私も同棲した事が何度もあるので、よく分かります。
同棲版)
・洗濯をしなければなりません。
でも、その人にはその人の洗い方ややり方があります。
または、お互いに順番など様々。
A子さんは、彼のために手間を掛けさせまいとして一式全部洗濯をしてあげました。
しかしB男さんからすれば余計なお世話にも程がありました。
何故かと言うと、B男さんは最初から洗濯するつもりはなく、今日着ていくものをただそこに置いていただけなのです。
それをA子さんが洗濯するものだと勝手に思い込み、勝手に洗濯してしまったため、
B男さんは今から着ていく予定の服がなくなり喧嘩になってしまいました。

すんごい分かりづらい例えですがこういうことですね。
この場合、A子さんは一緒に暮らしていてすぐ側にB男さんがいるのだから確認を取れば良かったのです。
別に家が離れている訳でもなく、電話も使える上、同じ家なのだから一言声を掛ければ良かったのです。
「一緒に洗ってもいい?」と。
こういう確認を取らずに、サプライズ的で「よく洗ってくれた、サンキュー」などと褒められると
「勝手に思い込んで」行動したためです。これが喧嘩の元となりました。
確かに誕生日プレゼントなどはこういうサプライズなどの方が良いでしょうけれど、
日常生活で人の物を触るということは、こういうリスクがあるのです。
私も同棲していた頃は特にそういうのに気を使いましたし、相手も気を使ってくれました。
洗濯、買い物、掃除、朝御飯、昼御飯、夕飯、デートなど様々。
同棲生活をすると1人ではなく、相手の生活の事も考えて気遣いをしないといけないので、
自分勝手な行動を取る人はよく破局になったり
「この人とは合わない」「暮らしてみたら最低」などになり、
ルームシェアなどを解消されてしまう事が多いです。
なので私の知人もそうですが、ルームシェアをしていてお互いの生活を考える人は
やはり自然とそういう気遣いが出来るようになりますね。
逆に何でもかんでもやって貰ったり、面倒臭がりはこういう所で素行が出る。
ネット生活だと特にそれが顕著になるでしょうね。

知人でルームシェアをしていた男女で一番多かった問題がこれ。「身勝手な親切」
一言声を掛けて確認を取ればいいのに、褒められると思い勝手にやってしまい逆に怒られるパターン
やはりお互いにそういう「身勝手」をやっていてトラブルになってくると、
流石に自然と学習するのでしょうね。数ヶ月後には夫婦のように過ごすようになる人が多いです。
だから、パターンとしては
「いざ暮らしてみるとまるでダメ」「暮らしてみるとなんだかんだいってOK」の2パターンがかなり多い。
ダメな場合は前者ですぐに解消の声が多かったですね。
そういう事もあり「身勝手な親切巨大なお世話」とはこういう事なのです。
私が前にあった事だと、私が頼んだ訳でもないのに、勝手に〇〇のデバッグを何時間かけてやりました!と
報告を貰ったのですが、別に大幅な更新があり仕様自体がまるで変化して無駄になったということ。
本人はかなり怒っていましたね。
「だったら前以て言ってくれ!」と、言ってきました。
これの答えを聞いて以上の事をしっかりと理解しているまともな人なら分かるでしょう。

①私は頼んでなく、本人が
「勝手」にやった
②本人が私にあらかじめ
「了解」をとっていない
③別に仕事仲間でも共同作業をする関係でもないので一々報告する
「義務」がない
この2点。やる前に私に一言「〇〇のデバッグをしたいと思っているんですが大丈夫ですか?」
とでも連絡をくれればこんな事は起きなかったのです。
で、勝手に本人時間と労力が無駄になって怒っていると。
中には確認を取って「ダメ」って言ったのにも関わらず、
人の言う事を無視して敢行して更には逆切れするカスとかいますけどね。最近の事だけれど。
お前は人の車のキーを不法に盗んで、それで自動車で人を轢いてしまったら逆切れする人間なのか?と人間性を疑う。
まあそういう人って本当に自分がそこまで悪い事をした自覚がないから、
「盗まれるお前が悪い!」とか言うんでしょうけどね。

確かに人に言われる前に自分で手を加えて褒められたい、
面倒だからやってしまいたいなどという感情があるのは当然のことです。
でもそれは本人の「エゴ」にしか過ぎません。日本語の三文字で表すと「自己中」。
これが酷くなり理解できなくなると「コミュ障」になります。
それで却って相手から反感を買ったりする事があります。
まず「他人に何かをしてあげたい」と思った場合、
相手の事を「本当の意味でよく知らない場合」しっかりと確認する事が大事です。
それを間違ってしまうと
「相手のために何かをしてあげたい」ではなく
「自分がやりたいから実行する」になってしまいます。
これが「気が利く」と「余計なお世話」との境界線ですね。
無論、余りにも何でも聞くと相手からうざがれますね。
こういうのを気にして日常生活を送る事により「コミュ力」というものが磨かれます
怒られてから・問題を起こしてから真相をよく考える用では重度のコミュ障
そういうのが年月を重ねていくと「真性のコミュ障」になり、人間関係のトラブルを引き起こすのです。

それが嫌な人は、普段から
「軽率な行動・深く考える前に行動をしてしまう」というのを治す事から始めるのが良いです。
だからコミュ力が高い人は色んな人から好かれやすく、一番なのは「問題を起こしません」
そういう情報管理能力が高いからこそ、人生ある程度上手くやれたり嫌な事を回避できたりするのです。
一言でまとめてしまうと「身勝手な親切」というのは、
そういう相手の事情を読み取れなかったというコミュニティー障害が原因なのです。
中にはやる事なす事計算してるのか運なのか相手が気を使っているだけなのか、
身勝手な親切が悉く上手くいく人もいますけどね。