2015年03月22日
行ってきたよ
駐車場がないというので、心配だったけど
友人のお誘いで行ってきました。
一人じゃ心細いけど、二人ならね。
行ってよかった。
誘ってくれてありがとう。
会場は浜辺。

こんな入口をガサゴソ抜けて入っていったんだ。
なにやら不思議な気分だね。


おじい、おばあがいっぱい。
中高年が目立つ。(私もー)
海上やゲート前などの報告には頭の下がる想いなんだ。
寒い日も雨の日も波の荒い日だってそこでがんばってくれてる。
感謝だよ。ありがたい。
若者のスピーチがあったんだ。
内地の方も立っていたんだけど、泣いてた。
つい、私も泣けた。
声が飛ぶ。
『あなたは悪くないよ〜』とね。
会場は、そんな彼女のお母さんやお父さん、
またはおじい、おばあの世代がいっぱいだったんだ。
だから一生懸命しゃべろうとする我が子、孫を
やさしく包むような空気が流れた。
それがじんわり泣かせる。
みんな怒っているけど、
みんなやさしい。
ふるさと沖縄への熱い想いが集まっている。
私、思ったよ。
もっとこんな市民の声があってもいいなって。
しゃべることになれていないけど、
なにか言いたいって人がしゃべってもいい。
市民のための集会でもいい。
だってさ、集会に行くと、お隣さんに座っているおじいやおばあと
すぐ仲良くなる。
おじいたちがしゃべってくる。
誰かに言いたい気持ちがあふれてる。
で、誰かと共有したい気持ちもね。
だから、
『そうそう』って語り合っていいんじゃないかな。
みんな耳を傾けると思う。
そう、誰かのことじゃなくってみんなが感じてる
身近な想いなんだって伝わる。
そんな気がした。
集会が終わって海が見えるところまで行ってみた。
みんなが海上でがんばっている人たちに手を振り
ありがとうって叫んでいた。
そうなんだよね。
私も手を振った。
ありがとうだ。
集会が終わっても終わったわけではない。
そうなんだ。
長い時間をかけて訴え続ける。
力いっぱいだけでなくって
笑って手を振る余裕と
ウチナーンチュのテーファーな空気が必要だなって思う。
したたかに
ながーく
いこう。

友人のお誘いで行ってきました。
一人じゃ心細いけど、二人ならね。
行ってよかった。
誘ってくれてありがとう。
会場は浜辺。
こんな入口をガサゴソ抜けて入っていったんだ。
なにやら不思議な気分だね。
おじい、おばあがいっぱい。
中高年が目立つ。(私もー)
海上やゲート前などの報告には頭の下がる想いなんだ。
寒い日も雨の日も波の荒い日だってそこでがんばってくれてる。
感謝だよ。ありがたい。
若者のスピーチがあったんだ。
内地の方も立っていたんだけど、泣いてた。
つい、私も泣けた。
声が飛ぶ。
『あなたは悪くないよ〜』とね。
会場は、そんな彼女のお母さんやお父さん、
またはおじい、おばあの世代がいっぱいだったんだ。
だから一生懸命しゃべろうとする我が子、孫を
やさしく包むような空気が流れた。
それがじんわり泣かせる。
みんな怒っているけど、
みんなやさしい。
ふるさと沖縄への熱い想いが集まっている。
私、思ったよ。
もっとこんな市民の声があってもいいなって。
しゃべることになれていないけど、
なにか言いたいって人がしゃべってもいい。
市民のための集会でもいい。
だってさ、集会に行くと、お隣さんに座っているおじいやおばあと
すぐ仲良くなる。
おじいたちがしゃべってくる。
誰かに言いたい気持ちがあふれてる。
で、誰かと共有したい気持ちもね。
だから、
『そうそう』って語り合っていいんじゃないかな。
みんな耳を傾けると思う。
そう、誰かのことじゃなくってみんなが感じてる
身近な想いなんだって伝わる。
そんな気がした。
集会が終わって海が見えるところまで行ってみた。
みんなが海上でがんばっている人たちに手を振り
ありがとうって叫んでいた。
そうなんだよね。
私も手を振った。
ありがとうだ。
集会が終わっても終わったわけではない。
そうなんだ。
長い時間をかけて訴え続ける。
力いっぱいだけでなくって
笑って手を振る余裕と
ウチナーンチュのテーファーな空気が必要だなって思う。
したたかに
ながーく
いこう。
Posted by みゅー at 08:58│Comments(0)
│沖縄・平和について
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