なお現在、劇場版の『新編・反逆の物語』が公開中ですが、それはまだ観ていません。以下はテレビ版を再編集した前・後編をDVDであらためて視聴した感想です。
さて。
まず第一の注目点は、主人公・鹿目まどかの造形。これは見事でした。
小説でもそうですが、エンタメ・ストーリーの主人公は、どこか特別な存在である方が視聴者(読者)に満足感をあたえやすいものです。しかし、これが中々むずかしいのですね。
最初からハイレベルすぎる主人公は、視聴者に共感されにくいからです。なので、スーパーヒーロー型の主人公には、何かしら憎めない欠点を用意するのが一つの常道となっています。
また、主人公をストーリーの開始時点では平凡なキャラクターに設定しておいて、物語の流れと共に成長させるという手法もよくあるやり方です。ただ、この方法では日常系の物語なら何とかなるのですが、派手な立ち回りを盛り込んだSFや本格ファンタジーの場合は壁にぶつかってしまいます。主人公を普通のレベルの成長ではなく、どこかで大きく飛躍させる必要があるからです。
伏線のない飛躍は、ご都合主義になってしまいます。
そこで、よく採用される方法は、主人公が実は本人も知らない巨大な力を秘めていたとする設定。「実は伝説のナントカの血を引いていた」というようなパターンです。そしてクライマックスの直前に、何かのキッカケで「覚醒」し、大爆発という段取りです。
ただこの手法は、さんざん使い古るされて手垢がついてしまっている感が無きにしも非ずです。
アニメだったらまだしも、BGMや映像表現の助けを借りて強引に盛り上げてしまうことも可能なのかもしれません。でも、テキスト一本で勝負しなければならない小説の場合はきびしいですね。下手に使うと陳腐のそしりをまぬがれないでしょう。
ま、アニメの場合でも、陳腐は陳腐ということになってしまうでしょう。
まどマギでは、そこをどうクリアしているか?
正直、感心しました。
このアニメでは、主人公・鹿目まどかの主人公らしい属性としては、母親のセリフを通じて、
「いい子に育ってくれた。ウソもつかない。悪いこともしない」
というキーワードを提示しています。
実際そういう少女として描かれていますし、主人公にふさわしい爽やかな属性だと思います。ただ、ラストで世界をひっくり返すほどの大きなパワーを発揮させるためには、心が真っ直ぐというだけでは無理です。
かと言って、「彼女は実は伝説のナントカの血を引いていた」という手法が使えないとしたら?
まどマギでは、この難題を解決するもう一つの駒として、暁美ほむらという少女が配置されています。
一応ネタバレを避けるために具体的には書きませんが、ほむらがまどかを死と絶望から救うためにとったある行動が、まどかを強力な存在に高めたという設定が施されているのです。
簡単にまとめると、次のような構造です。
まず物語の基本線としては。
主人公・鹿目まどかは、「けして強くはないけれども真っ直ぐな性格の少女」として、まず提示されます。強くはないけれど、弱くもない。時に芯の強さを垣間見せる演出が周到です。
そんな普通の少女まどかが過酷な経験により成長し、最終話の少し手前で「運命に抗おうとする強い意志」を示します。
ここまでの流れは、ストーリー作りのテクニックによって自然に描かれています。この作品のストーリー構造上の本筋は、このラインにあると言えます。
しかし、これだけでは「日常レベル」を超えることができません。
そこに、飛躍をうながす起爆剤が外から追加されるのです。
それが、暁美ほむらの「もう一つの物語」です。
ほむらの物語は、このアニメの本筋ではありません。サイドストーリーです。ただし、きわめて重要なサイドストーリー。暁美ほむらこそこの作品の「真の主人公」と解釈することもできるほど、本筋に緊密に絡んだ大きくて魅力的なサイドストーリーなんですね。
このサイドストーリーを付加することによって、クライマックスで超新星のように大爆発する主人公の光芒に説得力を与えているのです。
本筋である鹿目まどかの物語に、暁美ほむらのサイドストーリーを巧みに絡め、伏線を施していくテクニックは見事でした。
そして。
キュゥべい=インキュベイダーという特異なキャラクターが、そのための仕掛けてとして実に上手く使われているのです。
インキュベイダーという存在は、このアニメのもう一つの重要なポイントだと思います。
この不可解なエイリアンの言葉を通し、「非情な現実」「不都合な真実」が淡々と語られるシーンがストーリーの後半ではしだいに増えていきます。その迫力は中々のもの。
作品の本当のメッセージ。「当然だよね」と冷酷な爽やかさで言い放つインキュベイダーの言葉に、私はこの稀有なアニメがただの娯楽作品にとどまらず、視聴者の心に強く突き刺さる何かを持ち得た源泉を見出すのです。