収録CD:ビクター「軍歌・戦時歌謡大全集」(戦前録音)
1. 燦たり、輝く ハーケン クロイツ ようこそ遥々、西なる盟友、 いざ今見えん、朝日に迎へて 我等ぞ東亜の青年日本。 万歳、ヒットラー・ユーゲント 万歳、ナチス。 |
2. 聴けわが歓呼を ハーケン クロイツ 響けよその旗 この風 この夏、 防共ひとたび 君我誓はば、 正大為すあり世紀の進展。 万歳、ヒットラー・ユーゲント 万歳、ナチス。 |
3. 感謝す 朗らに、 ハーケン クロイツ 交驩かくあり、固有の伝統、 相呼び応へて文化に尽くさん。 我らが選士も幸あれその旅。 万歳、ヒットラー・ユーゲント 万歳、ナチス。 |
4. 燦たり、輝く ハーケン クロイツ 勤労報国、亦わが精神、 いざ今究めよ、大和の山河を、 卿等ぞ栄あるゲルマン民族。 万歳、ヒットラー・ユーゲント 万歳ナチス。 |
<備考> |
当時はただの時局曲であったと思われるこの「万歳ヒットラーユーゲント」。しかしながら、現代ではその特異な歌詞ゆえに珍曲・奇曲として一部においては有名な曲となっています。今回、この曲について色々調べた結果、面白い情報が出てきたのでここに報告します。 - 【作詞・作曲】 1938年(昭和13)年、8月に親善の為に来朝するヒトラー・ユーゲントの隊員を歓迎する為に、大日本連合青年団が歓迎歌の製作を企画しました。作詞者として白羽の矢がたったのが、国策歌謡を多く手がけていた北原白秋でした。白秋は7月13日に詩を完成し、この詩に高階哲夫が曲をつけました。 【レコード化】 その後、正確な時期はわかりませんが藤原義江がレコードに吹き込み、同年10月にビクターより販売されています。今日、「軍歌・戦時歌謡大全集」などに収録され、一般に流布しているのはこの音源です。この音源では、3番が省略されています。 また、この曲はユーゲント来朝前後に東京放送局(AK、現代のNHK東京放送局)より国民歌謡として2週間にわたって放送されました。ここで放送された録音は、前述の藤原義江吹き込みのものではなく別録のものであったようです。 - 【白秋の不満】 白秋は藤原義江の吹き込みに関しては満足していたようですが、このAK放送の別録については相当不満を持っていたようです。それは歌詞の発音を不当に変更されたことに原因があったようで、この件について白秋は同年9月19日と20日にわたって「東京朝日新聞」に掲載した「詩語の問題 H・J歓迎歌について」において批判しています。 この記事によれば、 ハーケンクロイツ というカタカナの発音が、藤原義江は正確な日本語ではっきり発音したにもかかわらず、AK放送では合唱指導に当たった東京音楽学校教授・沢崎定之その他政府関連筋の見解で、ドイツ語の発音は正確にすべきだ、という事になり以下のような発音に変えられたとのこと。 ハーーケンクロ(イツ) つまり、白秋の表現を借りれば「あの妙なドイツ生粋とやらの巻舌」で発音をされたということです。 これに対し白秋は不満というよりも、次のような怒りを露にしています。 「志は平生にある。この日本において詩人はまた国士だ。不肖白秋は日本の詩人であり、又その国民詩人の一人である。この覚悟は、詩を以て祖国に忠誠を致し、凛冽たる国士の気概を以て、全国民に呼びかけねばならぬ。記紀万葉以来の伝統を正しく継承し、言霊の信奉者であるべき詩人の道とする処は素より一貫してゐる。私はヒツトラー・ユーゲントの歓迎歌において飽くまでも、皇国の大精神に立ち、日本の言葉を以て、日本の詩を国民歌謡とした。この日本の詩に、ドイツ生粋とやらでの巻舌などで横合から巻かれてなるものか。」(太字は引用者による) なかなか過激ですが、この記事は全編に渡ってこんな調子です。その後、日本人なら日本語の発音をせよ、外国に媚びるな、といった主張がなされ、後日予定されていた日独青年交驩会でこの曲を歌うことになっていた大日本青年団員に対して「正しく日本語の合唱で以て、彼のヒツトラー・ユーゲントを迎ふべきである」と閉めています。 ちなみにその後に、更に「ナチス」は侮蔑語だから「ドイツ」にでも代えてくれ、といった文句もきたようです。これに対し白秋は、「ドイツ」だって正確な発音ではないでしょう。「ドイツエ」にでもするつもりですか。そうすると曲自体がわかってしまいますよ、と皮肉をこめて批判しています。 - 以上のような悶着が白秋と官辺の間であったわけですが、何というか、今も昔も変わらないですね。白秋みたいな発想をする人がいることも、外国に阿諛追従する人が居ることも。 白秋にとっては喜ばしいことなのかもしれませんが、今日ではこのAKの録音は残っておらず、ビクター販売版のみが有名になっています。でも「ハーーケンクロ(イツ)」版がどんな録音だったのかはちょっと聴いてみたいですね。 なお、1941年に松岡外相がベルリンを訪れた際には、ゲッベルスの指示のもと、「愛国行進曲」が歓迎のため合唱されたといいます。この合唱のために、ドイツ人の歌手は徹夜での練習を強いられたのだとか[1]。盟邦同士、いろいろと歓迎には気をつかったようです。 [1] 倉田喜弘 『「はやり歌」の考古学―開国から戦後復興まで』 文芸春秋、2001年、208-209頁。 <関連ページ> - 2.歌詞の表記について 歌詞の表記について少々。 「ヒトラー・ユーゲント」という表現は、白秋生前の詩集『全貌』第七集では「ヒツトラ・ユーゲント」と表記されています。しかし先に述べた小論「詩語の問題 H・J歓迎歌について」においては「ヒットラー・ユーゲント」か「ヒツトラ・ユーゲント」)とされていますので、特に拘りはないようです。それ故、上に掲載した歌詞では普遍性を考えて「ヒットラー・ユーゲント」の方を採用しています。 なお、上掲の歌詞については先に述べた部分を除き、点の数や余白に至るまで、ほぼ完全に再現したものです。 - 3.音源入手方法 ビクターから発売された、藤原義江吹き込みの「万歳ヒトラー・ユーゲント」は1995年にビクターから出た軍歌・戦時歌謡大全集(評)に収録されています。 ただこの「大全集」、8枚セットで相当な値段がします。軍歌好きな方は投資して損のしない優良な軍歌集ですが、そうじゃなくて単にちょっと聴いてみたいだけの人には辛いかも知れません。そういった方は、ウェブ上に曲の一部を抽出してつくったフラッシュがありますので、それでお聴きになるのがよいでしょう。 - 4.参考文献 『白秋全集36』 岩波書店、1987年 皇紀2665年7月18日更新 |