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» 2015年04月07日 08時27分 UPDATE

「おお○○よ、死んでしまうとは何事だ」は「一種のギャグ」 ドラクエの生みの親・堀井雄二さんに聞く (1/3)

ドラクエシリーズ誕生からもうすぐ30周年。生みの親の堀井雄二さんに、初代ドラクエの開発の苦労や背景を聞いた。

[産経新聞]
産経新聞

 国内外で累計出荷6400万本を誇るテレビゲーム「ドラゴンクエスト」(ドラクエ)シリーズの生みの親として知られるゲームデザイナー、堀井雄二さん(61)。家庭用ゲーム機の創成期からゲーム界を牽(けん)引(いん)し、今春発売のシリーズ最新作「ドラゴンクエストヒーローズ 闇竜と世界樹の城」は品薄状態が続くなど、勢いは衰えることを知らない。創作意欲はどこからくるのか。半生を振り返ってゲームに対する思いをうかがった。(聞き手 三宅令)

――ドラゴンクエストを開発したきっかけは

画像 「ゲームデザイナーは皆に楽しさを与えるエンターテイナー」と語る堀井雄二さん=東京都新宿区

 堀井 昭和50年代の後半、家庭用のコンピューターで、RPG(ロールプレーイングゲーム)が流行していました。それを任天堂が発売したファミリーコンピュータ(ファミコン)で作りたいと思ったんです。RPGではキャラクターが成長し、プレーヤーが感情移入しやすいんです。一番の遊びは違う人生を体感すること。映画にしても主人公に感情移入して、なりきることもありますよね。

――昭和61年発売のドラクエ1作目には悪者を倒してお姫様を助けるというストーリーがあります

 堀井 漫画家志望だったので、RPGにお話を乗っければ面白いのでは、と思いました。もともとRPGはパソコンで楽しむもの。ファミコンソフトでは容量が少なかった。単純にキャラクターが強くなるだけでも面白いのですが、さらにストーリーが存在し、強くなる過程を楽しむようなゲームにしたかった。

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