こんにちは!
最近は入社式などが目白押しで社長挨拶で社長が新入社員に向けてかける言葉が色々と話題となっています。
さすがにどの言葉も心に沁みる言葉ばかりで社員のやる気を掻き立てるものが多いと感じているところです。
その中でも特に印象に残ったのが「艱難汝を玉にす」です。
意味は険しい道を行けば、石ころは磨かれて玉になるが、平坦で楽な道を行けば磨かれるチャンスがない。
人は困難や苦労を乗り越えることによって初めて立派な人間に成長するということです。
つまり・・・若い時の苦労は買ってでもしろということ。
私も息子がこの度、社会人になり私も息子に対して何か心の支えになる言葉を探していましたが~この言葉に尽きますね。
社会情勢が流動的なこの世の中、社会人としての礼節を重んじ今できる努力を怠らない若者でいて欲しいと思う次第です。
そして自分もお手本となれるように頑張らねば!
こんにちは!
今日は観音寺で日本空手道一道会館の「第10回一道会ジュニア選手権大会」が開催されました。


私は審判員で参加。
実は初審判ということで大変緊張しておりました。
大会ではちびっこ拳士たちが日頃の練習の成果を十二分に発揮し、我々はその闘いぶりに元気をもらいました。


ジャッジにも熱が入り誤審などしないように努めました。
なんとか無事には終わりましたが、まだまだ反省点もありでこれから経験を重ね励んでいこうと思います。

入賞した選手たち!
よく頑張りました!
惜しくも入賞を逃した選手たち!
今回は残念でしたがよく闘いました。
次の試合に向けて練習頑張りましょう!

大会関係者の方々、大変お世話になりました!
次の大会でも、どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
今年も3月11日がやって来ましたね。
2011年3月11日に起こった「東日本大震災」
あの時はテレビの映像で信じられない事実を見せつけられたものでした。
被災地から大分遠い場所に住んでいる私は頭の中の想像でしか状況を判断できませんでした。
その震災も4年が経ち、それまでも慰霊祭では悲しい事実を耳にして心を痛めるくらいにしか自分はできなかったのです。
特に現在19歳の少女が15の時、被災してどうすることもできない状況の中、母を置き去りにしなければならなかったことを聞くにつれ、同情し震災の凄惨さを目の当たりにしたことをSNSで書き綴りました。
すると、SNSの友人から映画にもなったけど「遺体」という本を読んでみたらと伝授してくれました。

「遺体」
石井光太 著
どの部分も・・・読み返してしまう。
どの部分も・・・泣いてしまう。
この本は2011年10月に発刊されたそうです。
舞台は岩手県釜石市。
東日本大震災直後からの遺体安置所の状況を綴ったドキュメント。
発刊された事実は知ってはいたけど、その当時はこのような本も映画も見ることはできなかった。
生き延びた者は、膨大な死者を前に立ち止まることすら許されなかった。
遺体安置所をめぐる極限状態に迫る、壮絶なるドキュメント。
登場人物としては遺体安置所で遺体の管理に当たり遺族との面会に立ち会う老人や遺体の検案にあたった医師と歯科医師。
遺体を探索する自衛官や消防士、そして遺体の移動管理にあたった市の職員、消防団員などそれぞれの立場に立った苦悩が綴られていました。
そんな苦悩の中にでも携わった方は「もし自分が犠牲者だったら家族のもとに帰りたいと思うはずだろ。犠牲者だって死にたくて死んだわけじゃない。流されたくなかったし、瓦礫に押しつぶされたくもなかったはずだ。だからこそ、彼らが家族のもとに帰る手伝いをしてあげたい。少なくとも、僕はそのことに生きがいを感じている。」
そのような言葉で自分を奮い立たせ遺体を家族のもとへ帰すことに奔走したのでした。
運ばれてくるご遺体の数はどんどん増え、関わった方々が命の尊厳を守るために動いていく。
毎日の遺体の対面には親友や見知った顔のご遺体を見つけ「ああ、君もなのか」・・・と。
発見され遺体安置所に運ばれた遺体を火葬するか土葬するか。
市長をはじめ市の職員やその他の人も悩む日々が続きました。
というのも釜石市の火葬所は使用不能だったからです。
他県の火葬受け入れ先が見つかった時は本当に良かったと思いました。
3月11日に起こったことは本当に大惨事で想像を絶することであったけど本当に苦しいのは災害復旧しながら弔うことなんだなあと改めて思い知らされました。
釜石だけではなく他の被災地も同じく苦悩された方々がいることと思います。
この場をお借りして本当に「お疲れ様でした」と申し上げたい!
最後に映画ですが...今はやっばり観れない。
ただこの本は何回も読み返し平和ボケしている自分への戒めをしたいと思いました。
こんにちは!
昨夜この映画を観ました。

『42 世界を変えた男』
ブライアン・ヘルゲランド監督
黒人選手として初めてメジャーリーグでプレーしたジャッキー・ロビンソンの物語です。
1947年、第2次大戦後まもなく当時ブルックリンに本拠地を置いていたドジャースのGMブランチ・リッキーは前途有望な黒人青年ジャッキー・ロビンソンを迎え入れます。
その頃のメジャーリーグは白人以外には門戸を開いておらず、彼が入ったことにより大きな波紋が広がります。
当然、彼は他球団やチームメイト、マスコミや民衆からも激しいバッシングに遭います。
だけど、それにもめげずに自身の感情を抑え素晴らしい成績を上げていく彼の姿は次第に人々の気持ちを変えていきます。
彼の活躍によりメジャーへの黒人選手受け入れを早める役割を果たし、ハンク・アーロンやウィリー・メイズ、サチェル・ペイジのメジャーデビューの足掛かりとなります。
そしてメジャーリーグのみならず、まだまだ残る人種差別問題そのものへ与えた影響も非常に大きい。
彼の背番号42は彼の功績を讃えロビンソンのメジャーデビュー50年目にあたる1997年4月15日、全球団共通の永久欠番となったということです。
そして2004年より4月15日には「ジャッキー・ロビンソンデー」として全球団の全選手が「42」を着けてプレーするメジャーリーグの記念日になりました。
プロ野球のオープン戦も始まり、いよいよ球春到来!
この時期にこの映画を観て、ますます野球が好きになりました。
こんにちは!
昨夜は前から観たかった映画を観ました。

『たそがれ清兵衛』
山田洋次 監督
先日、「武士の一分」を観て作品の素晴らしさに触れ、ぜひ観たい映画でした。
この映画は幕末の庄内にある藩の下級武士の物語で妻を病気で亡くし、二人の娘と老母の3人を養っている。
生活は苦しく、下城の太鼓が鳴ると付き合いは断ってすぐ帰宅し、家事と内職に励む毎日。
そんな清兵衛を同僚たちは“たそがれ清兵衛”と陰で呼んでいた。
ある日、清兵衛は幼馴染みの朋江と再会する。
朋江は嫁いでいたが、夫の度重なる酒乱で最近離縁していた。
清兵衛は朋江に想いを寄せていたが、朋江との縁談を勧められても貧しさを理由に断ってしまった。
だが清兵衛は、ある時藩命が自分に下されたことによって、ひとつの決断を下す。
といったあらすじです。
藩命というのは藩の世継ぎ問題に巻き込まれた凄腕の藩士を討てというもの。
清兵衛も小太刀の使い手であることが知られ、狭い家の中での闘いに有効という理由によってでありました。
実はこの二人、剣の達人で家族を病気を喪うというよく似た境遇。
であるからか決闘前の二人が語らう場面が切々と涙を誘います。
相手の藩士は逃げようと思えば逃げれた状況ではあったにせよ、プライドが許せなくなったのか・・・とうとう決闘に。
壮絶に剣と剣を交えますが、狭い家屋の中で鴨居に藩士の刀が行方を阻まれたところを清兵衛が討ちます。
一つの大仕事を終えた男の顔というものは、なんとも神々しい。
その後、清兵衛は朋江と結ばれ幸せに暮らすことになりますが、その幸せも長続きはしません。
清兵衛は戊辰戦争にて官軍の鉄砲の弾に倒れ命を失います。
その後、明治維新。
朋江は清兵衛の娘を立派に育て嫁がせます。
朋江は娘によって清兵衛と同じ墓に。
幕末の下級武士のおかれた状況などをなんだか現代のサラリーマンと同じ感覚で見てしまうほど身近に感じたこの作品。
時代背景は違えどもプライドを持って慎ましく生きていきたいと思わせる作品でありました。