4月に入り、母校京大でもスーツに身を包んだ就活生を多く見るようになった。
手帳を開き、スマホで何やら情報収集などをしている姿を見ると「自分もこうだったんだなぁ」と少々可笑しくなってくるが、先の見えない不安と戦いながら将来模索する彼らには(皮肉などではなく本気で)希望を持って進んで欲しいと思う。
が、同時に昨今の企業と学生をめぐる就活の現状にはある種の違和感も覚えている。
今回は、僕自身の経験も踏まえて、現状よりもう少しまともな就活のあり方について書いてみようと思う。
著者:eml
京大理系院を3月で卒業。startup企業に飛び込むことを選んだアウトエリート。変人を地で行く。
攻略法をなぞるだけのクソゲーのような
ハイレベル層にとっての就活と現状
現状、ある程度高学歴でハイレベルな学生に「就活で上手くやろうとするなら最も重要視される要素は何か?」と聞けば、ほぼ間違いなく「情報収集」と答えるだろう。
だが、これは一般的な企業研究などで得られる情報ではない。
例えば「○○に入るなら誰に誰つながりで会い、▲▲な人材に見えるようトークを展開し、その人の好みに合うように何をするべきなのか?」といった具合の情報だ。
確かにこういった特殊でかつシークレットな情報にリーチできる…というのもハイレベル層の学生にとっての一つの特権と言えばそうなのだろう。
だが、各企業のOB訪問や面接の対応担当ごとに分析された、好みや手持ちの採用枠、どんな人材を演じれば受かるのか?などの情報をかき集めて、何がやりたいかも考えず「勝てそうなところを当たる就活」になんの意味があるのだろう?
僕はこの『勝ち方を誰もが知っているゲームの攻略』のような就活の現状にものすごい違和感を感じてしまうのだ。
悩める人事と無意味なコンセンサス
毎年数多くの企業が予算と時間をタップリつぎ込んで、「アピールポイント」や「ビジョン」、「理想の人材像」を描いてコンセンサスを得る作業を大量に、それはそれは大量にこなしている。
つまり「私たちが求めているのは、OOでXXで、将来YYになるあなたです」といった具体的で意味のないワードが一社につき何パターンも用意され、その枠ごとにキャラが揃えばめでたしめでたし…。となるよう多くの優秀な社員が頑張っているわけだ。
が、しかしちょっと待って欲しい。
その多大な労力をかけて集めようとした理想の人材は、実際その会社に集まっているのだろうか?
その人材像を演じる手法はすでに大学に流れ、その通りの姿を演じることのできる学生が来るだけなのではないだろうか?
内定は出したけど何か違った。
一緒に働いてみたらダメだった。
あるいは逆に「思っていたよりもずっと良かった」
新卒入社後の人事反省会でこんなことをボヤくのであれば、ものすごい人数が死ぬほど苦労して進めた採用活動とは一体なんだったのだろう?
彼らの掲げる『人物重視の採用戦略』というお題目が内包する、大きな大きな矛盾点がそこにある。
企業の無いモノねだりが不幸な就活を生む
ここからは完全に個人的な意見となるが、企業は欲しい人材や会社の未来など、過度な無いものねだりを学生に向ける行為そのものを止めてしまった方がいいと思う。
前段でも触れた通り「欲しいと言った人材像を上手いこと演じた学生」しか入ってこなくなるからだ。
それがベストであるかどうかは別として、誰にも到達できないような理想像を演じる学生に攻略されてしまうよりは「どうやれば優秀な人材を育てられるのか」に注力し、どっしり構えていればいいと思う。
学生にしてみてもそうだ。
攻略法が溢れかえってしまっている現状を疑わず、先輩やOBから得た攻略情報で「○○なら自分も受かりそう…!」などというミーハーな理由で就活ゲームを勝った気分になるのは辞めるべきなのだ。
もしもたまたま自分のやりたいことを叶えるために、ジョインすべき企業やチームがあり、そこに入るための攻略法が手に入ったなら何の問題もない。
が、そうで無いならブランドやステータスなどで企業を選ぶべきではないのだ。
演じる自身も、演じた姿を信じた企業も、どちらも不幸な結果となってしまうハズなのだから。
さいごに
あなたは企業が新卒学生に求める人物像/成長/キャリアプランを全うした誇るべき人材だろうか?
あなたは会社のパンフレットに描いてある理想像に将来到達できる程の人材だろうか?
上記に対する答えを無理やりYESに見せる必要などないのだ。
仕入れた攻略法を頼りに演じるくらいなら、いっそ要領悪く真面目に努力を重ねて欲しい。
攻略法は攻略法として上手く活用しつつ、目的と手段を両方備えること。それがあってこそようやくまっとうな就職が叶うのではないだろうか。
少し偉そうかも知れないが、本質を見極めず、目先の勝利を手に入れようとする就活生の姿を見るとそんな事を考えてしまうのだ。