がん対策推進基本計画で政治主導が反転㊦
電光石火の早業だった。がん対策推進基本計画改定において閣議決定前に民主党参議院議員・小西洋之氏が介入。刊行と前後して、小西氏は精力的に動いていった。
サイトに自ら記事を寄稿
〈医療・介護従事者の転職・求人サイト〉『キャリアブレイン』に6月末、小西氏の「インタビュー」がアップされた。Q&A形式の記事。「会員限定」のため、過度な引用は差し控えるが、こんな注がある。
〈読者の方々の理解に資するよう、これまで受けた主な問い合わせ事項に答える形で記させて頂きます〉
小西氏の自己宣伝と見まがう記事は依頼に応じた寄稿だった。インタビューと混同されないために注を付けたのだ。内容については論じない。新聞記者の評を紹介しておく。
「読むことすら困難な記事。役人らしさ満載ですね。読む人の立場を考えられない小西氏らしい文章」
続いて医療業界紙の記者クラブ「厚生日比谷クラブ」加盟社記者。
「(小西氏の「金字塔」である)医療計画のくだりに関しても相当問題のある記載が見られる様子。小西氏について厚生労働省医政局に尋ねると、『まぁねー』と深いため息をつかれた。完全にあきらめ顔です」
小西氏は同記事を厚労省がん対策健康増進課をはじめ、関係部局にも送信。送信票には多忙な中、協力してくれたことへの謝辞と修正は「みんなで一緒に考えてやった」ことがつづられていた。ある厚労官僚は「親に叱られる子供が『口裏を合わせてくれよ』と言い訳しているようにしか思えない」と吐き捨てた。
がん対策推進協議会の患者委員にも同様のファクスが届いている。携帯電話には見る見るうちに恐ろしいほどの着信記録が連なっていた。
小西氏は何に対しそれほど焦っていたのだろうか。それは後ほど考えるとして、この誠に得難い医療政策通議員の来歴を振り返ってみる。
1973年徳島県生まれ。90年徳島大学医学部入学。〈父親の完全介護の施設への転居にともない父親と家族に背中を押され、 当初から一番好きだった文系の世界への道を目指して医学部を中退〉(小西氏ウェブサイトより)。東京大学に再入学。98年同大教養学部教養学科卒業。同年郵政省に入省。08年、省庁の仕事のかたわら通った東大医療政策人材養成講座を修了。10年には民主党千葉県連の候補者公募に合格。総務省情報流通行政局衛星・地域放送課課長補佐を最後に退職している。
敏腕で鳴らす小西氏のこと、本誌への対応も忘れてはいない。前号締切直前には電子メールで〈法的問題が生じた場合は断固法的措置を取ります〉と言い切った直後、電話で掲載誌刊行後の面談を求めてきた。
7月6日、午後8時。人影もまばらな参議院議員会館を訪れる。受付まで秘書が出迎えに降りてきた。事務室ではなく第4会議室へと案内。
秘書2人と待つ部屋に小西氏は10分ほど遅れて入ってきた。遅刻を詫びながら、A4判2枚の紙を取り出す。〈貴社の記事中で事実関係が誤っている主な点〉と題されている。
赤字で強調されたのは以下の点。〈17日までに修文作業は終了しており、22日のWT終了後に厚労省と長時間議論した事実はない〉〈23日の厚労部門における「一任」後の修正は1時間余りで終わっており、その後閣議決定まで厚労省とは接触しておらず、こうした事実は存在しない〉〈(「小児がん」を後退させ、「肉腫および希少がん(小児がん)」という表記に改めろとの)修正案を提示した事実はまったく存在しない〉
文書の引用について小西氏の事務所に連絡を取ると、以下の返信。
〈7月6日にお渡しした貴誌7月号の内容が事実無根であることを証する事実関係を示す文書(※「貴社の記事中で事実関係が誤っている主な点」)の核心である「物的証拠の存在」等が記載されておらず(※厚労省との電子メールについては、片田様に直接ご覧頂き詳細に内容をご説明申し上げましたところです)、また、予定されている記事の中での「引用」の位置付けや形式がどのようなものか不明であり、こうした対応には問題があると考えております。弁護士事務所と相談の上、ご連絡をさせて頂きますのでその旨ご承知下さい〉。また検閲要求と脅迫だ。
小西氏は別の面談も手掛けている。まずは7月4日、複数の医系国会議員を訪ね、謝罪。党内ではこの間の小西議員の言動を問題視する声が小さくない。基本計画改定の過程で党や関係者に迷惑が及んだことについて説明し、詫びたものとみられる。
7月6日にはがん対策情報課の鷲見学推進官も議員会館に呼び出されている。面談の内容は不明。だが、呼び出し自体は7月中旬まで継続している。「相当締め上げられている様子です」(厚労省ウォッチャー)。
冒頭で紹介した記事公開後、がん患者の間には疑問と不安の声が広がっていった。がん対策基本法に基づき、政治や医療界、患者が知恵を出し合って修正したとばかり思っていた基本計画。だが、記事にはあたかも小西氏の意向を反映させた修正がなされたかのような記述がある。
さらに小西氏はブログで自身が〈真の政治主導によって実行して〉いる〈仕事〉として、〈がん対策(推進、編集部注)基本計画の改正〉を明記。自らの手柄とする構えだ。
民主党コアメンバー会議では「小西氏にがん対策は触らせない」ことをすでに確認している。政調理事として動き回る小西氏。止められない政権与党。どっちもどっちだ。
埴岡健一氏の影響は全否定
修正の内容についても触れておく。日本医療政策機構がこれまで提唱してきたものと酷似した項目が目立つ。同機構理事の埴岡健一氏は前述の東大講座を通じて小西氏とは昵懇の間柄。4月15日にも「患者の声を医療政策に反映させるあり方協議会」第18回勉強会で司会、プレゼンターとして同席している。小西氏に修文と機構、埴岡氏との関係を尋ねたところ、色をなして全否定した。
埴岡氏の得意分野であり、小西氏が医療政策にねじ込んできた施策。例えば、「PDCAサイクル」が今後どのような波紋を描いていくのか。引き続き監視が必要だろう。
がん対策健康増進課の鷲見学推進官にも取材を申し入れた。
「協議会でいったん答申が出たものを変えるのは非常に重いことです。今回はあくまで一人の先生がおっしゃったこととしては反映していません。民主党部門会議の判断で変更した。そういう整理で動いた」
──本当に一議員の意見ではなく、党の意思になっていたのか。
「それはなりました」
──「してもらった」のではない?
「えっと......そこは私たちからは『なりました』と(いうしかない)」
修正作業の中で小西氏はあまたいる利害関係者の合意を得る努力をしたのだろうか。3月の大臣答申まで時間をさかのぼれるとしたら、小西氏は果たして今回同様の手順で修文を実行するのか。以上2点について本誌は面談の席上でただした。
小西氏は回答した。ただし、「オフレコ」が条件。ここで紹介することができないのは痛恨の極みだ。
2012年8月 1日 09:30 | 医療政策・政治