がん対策推進基本計画で政治主導が反転㊤
政治主導。2009年9月の民主党政権発足と同時に象徴的にもてはやされた言葉だ。1年を経ずして鳩山由紀夫首相が退陣。政権運営に困難さが増すにつれて、徐々に手垢にまみれていった。今では活字として見掛けることさえ極端に減っている。ここへ来て、その言葉を反転させる事態が起こった。
いったん5月17日まで時間をさかのぼってみる。この日、厚生労働省12階専用第15・16会議室では第33回がん対策推進協議会が行われた。3月以来の開催。今年度は初だ。
推進官不在のお披露目
室から昇格し、新たに発足したがん対策・健康増進課。同課がん対策推進官となった鷲見学氏の姿が、そのデビュー当日にもかかわらず見られない。役所の慣例からすると、異例の事態だった。
取材で会場を訪れていた大手紙記者たちはこんなことを口走った。
「小西議員がひどいらしい。がん対策推進基本計画は本当に通るんですか」「鷲見さん、毎日呼び出されているらしいですよ」──。
厚労省健康局長・外山千也氏の言動も今にして思えば奇妙だった。
「今後のスケジュールは党のご意見も伺った上で決めたい」
出し抜けにそう言いのけた。何か事件が起きている。傍聴席には卵巣がん体験者の会スマイリーの片木美穂代表の姿があった。独自の嗅覚でかぎつけた彼女は旧知の記者に確認することで行動を開始している。
本誌の取材によれば、この前後に起こっていたことはこうだ。民主党厚労部門会議には医療・介護ワーキングチーム(柚木道義座長)がある。そのまた下に医療計画小委員会(大塚耕平委員長/小西洋之事務局長)が設置された。初会合は5月18日。小委員会の設置は4月2日、党厚労部門コアメンバー会議の了承を受けている。コア会議は厚労政策に影響力を持つ議員による非公式の会合である。
医療計画小委は18日、「がん対策推進基本計画(変更案)」を議題とすることを決めていた。ちなみに変更案は協議会での取りまとめを終え、3月には小宮山洋子厚労相に答申している。6月の上旬には閣議決定の予定で進んでいた。
これらの動きについて協議会の場では特に報告はなされていない。どうやら厚労省はやりたくないようだ。協議会での報告もなしに修正を加えるのか。すでに様相から相当きな臭い案件であることがうかがえた。
その5月18日、メディファックスが〈医療計画小委きょう初開催、まずは「がん計画」〉と打った。片木氏はこの記事を引用する形で文書を作成。ファクスで公明党の有力議員に連絡した。
公明党を選んだのは、小委は変更案の小児がん対策のくだりに手を入れるといわれていたからだ。同党は小児がんに熱心に取り組んできた実績を持っている。公明党は民主党に抗議を申し入れた。
この日の小委には国立がん研究センターの医師と患者が呼ばれている。メディアによる頭撮りが禁止される異例の事態。何か後ろめたいところでもあったのだろうか。
週が明けて5月21日、片木氏は民主党の仙谷由人、足立信也、梅村聡議員らに同様の文面をファクス。「動きます」との返答を得ている。
この日、民主党有力議員の政策秘書はこんなことを口にしている。
「何で今さら手を入れなければならないのか。よく分からない」
「こんなことしたらまずい」
確かに政治の文法からいえば、修文はあり得ない。これが永田町や霞が関のプロフェッショナルに共通した認識。ところが、それがくつがえされてしまったことに、この案件の異常さがある。政権がまともな状態でないことだけは確かなようだ。足立氏はファクスを見て、問題点を察知した。すぐに長妻昭・厚労部門会議座長に面会を求めている。
「協議会を大事にせず、こんなことをしていたら、まずいでしょう」
21日夜、コア会議が召集された。無論、メディアにはもれていない。柚木氏が席上、小西氏から預かった小委の意見を代読した。ここである出席者から否定する声が出た。
「それは取りまとめの終わった小委の案なのか。それとも提言書か。単なる小西の意見じゃないのか」
一小委員会の事務局長がコア会議に自分の意見を上程するな──これが出席者の言い分だった。
「あいつ(小西氏)に議員としての作法を教えろ」と柚木議員にかみついた議員もいた。会議は徐々に柚木議員つるし上げ集会の様相。
現職の厚労政務三役、津田弥太郎・厚労政務官や辻泰弘・同副大臣も激高していた。小西氏は取りまとめ後に手を入れる手法で障害者基本法の「抜本改正」を手掛けている。所管の健康局疾病対策課に小西氏も受講した東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム(HSP)の同窓生が在籍。改正を受け、合意形成に汗をかいた一部の障害者団体は憤りで文字通り震えた。
津田氏は完全に激高していた。
「あんなひどいことをされたのに、がんでももう一回やるのか。バカじゃないのか」
辻氏は片木氏のファクスを手にしながら言葉を継いでいった。
「私は協議会に何回も出て、委員の皆さまと言葉を交わし合ってきました。6月5日には必ず通します」
小委がたしなみを踏まえ、全会一致でまとめ、柚木WTに上げた上でそこでも一致して部門会議まで行くのであれば、何の問題もない。それこそ本来の意思決定の形である。
だが、今回ばかりは6月5日というゴールがすでに設定してある。今からでは間に合うまい。コア会議メンバーはそう考えた。小西氏の提案については「なしにする」。今後、小西氏には「がん対策に触れさせない」ことを確認して散会となった。
これを受け、22日、柚木WTが開催された。席上、柚木氏からコア会議の意向を伝えられると、小西氏は声を荒げてこう言い放った。
「患者の声を聞き、患者のためになると思ってやってるんだ」
やりとりを聞いていた小委委員長である大塚氏。さすがにたしなめた。
「それはお前の意見だろう。患者の意見じゃない」
こうしてWTは終了。その後の記者へのぶら下がりでも柚木氏は特にがんの話題に触れていない。
この時点で小西氏による修正はほぼなくなったものと関係者は一様に考えた。だが、このころ、政治の動きと並行して小西氏は事務方と折衝を重ねていたのだ。局長や課長、推進官がしばしば呼び出しを受け、長時間留め置かれている。
「鷲見氏は最長で12時間の拘束を受けたそうです」(専門紙記者)
23日には厚労部門会議が開かれる。朝から始まった会議がなかなか終わらない。4時間が経過。ようやく正午前に散会となった。会場から出てきた議員の一人の言葉だ。
「やられたよ。個人の意見として言いやがった。部会に所属する一議員として、『がん対策はおかしい』『修正しなきゃいけない』と。『一人の参加者として修正案を書いて持ってきている』と騒いだんだ」
この日の部門会議は小西の提案をめぐって紛糾。最終的に長妻座長に一任との結論で何とか収めた。
ここでさらに一転。小西氏による修正の可能性が出てきた。永田町用語の「一任」とは文字通り紙を誰かに預け、任せること。すべてが反映されることはないにしても、ゼロ回答もあり得ない。「入れられるところは入れてやってくれ」という含意がある。政治は貸しりで出来上がっている世界でもあるのだ。
ここまで来ると、巻き返しを図るのは非常に困難な作業だ。長妻氏を止めることは恐らくできないし、合理的ともいえない。事務方がどこまで小西提案を削れるか。変更案の命運はこの一点にかかっていた。
当事者以外にできることはほぼない。厚労省がどう動くか。回答を待つしかないのだ。
このへんで本誌の見解を明らかにしておこう。変更案が至高の内容とはまったく考えていない。むしろ、穴だらけの代物といっていい。具体的な検討はすでに本誌5月号で行っている。参照いただきたい。
小西氏の修正案とはどのようなものだったのだろうか。大きくは二つある。一つはPDCAサイクルの導入。PDCA自体は他分野でも使われており、何ら新鮮みのない内容。もう一つは「小児がん」を後退させ、「肉腫および希少がん(小児がん)」という表記に改めろというもの。ちなみに肉腫の患者数は数百人。膵臓がんは希少がんには違いないが、2万4000人も患者がいる。
「変更案は赤字による修正で真っ赤になっていました。とても微修正では済まない内容。協議会の決定を党の一存でひっくり返すとなれば、大問題です。協議会で再度確認を取らなければならないほどの分量でした。ただ、それは日程的にもう無理。とにかく削るしかない。非常事態ですね(苦笑)」(厚労省関係者)
後日、修正後の文書は門田・天野両氏だけに送られ了解を取る。事務方は少数の協議会委員や一部患者団体とも連携を取りながら、削除の作業を進めていった。
削除作業は当然、コア会議メンバーにも伝わるところとなった。不快感は隠しようもなかったが、やむを得ない。削除の作業に側面からエールを送るくらいしかなかった。
ぎりぎりの作業。中途半端なものを提示すれば、小西氏はまた暴れるだろう。閣議決定のためには、内閣府の審議事項として登録する期限が引かれている。そこに間に合わなければ、責任問題に発展する。
事務方の「軟禁」が話題に
一方でこのころ、変更案の目玉であったたばこに関する関係者の打ち込みも相当激化していた。下手をすれば、変更案の議論が再び蒸し返され、計画そのものが大きく性格を変えてしまうことにもなりかねない。
協議会委員も最終的には苦渋の決断を迫られることになった。事務方らとも相当な議論を重ねている。
だが、この修正自体、協議会の正統なプロセスではない。変更案は通すことが前提である。
「最悪に近い結論。とにかく通さないといけないんで。最終的には『これでいってくれ』と涙を飲んだそうです」(医療政策プランナー)
この間も記者の間では「軟禁」が連日話題になっていた。
「『書き換えるまではこの部屋を出さない』と言われているらしい」
「あの日、〇時間拘束だったって」
長妻氏への一任を取り付けた後であっても、小西氏は手を緩めなかった。これをどう評価すればいいのか。
事務方の懸念は大きく二つあった。一つは大きな修正が入ると、省庁間協議や省内協議をまた設定しなければならないこと。もう一つは変更案でごたごたしているのを野党にでも知られれば、野田政権の金看板である「社会保障と税の一体改革」にも悪影響が及んでしまいかねないこと。政権与党の求心力低下と揶揄される事態は何としても避けなければならない。「できるだけ穏便に済ませたい」が本音。万が一、変更案がつぶれるような事態になれば、局長級の首が飛びかねない。
結局、6月5日の閣議決定は消えた。首相が内閣改造に踏み切り、5人が交代したからだ。これでは閣議は事実上困難。8日に延期された。
5日にはもう一つ予定があった。党厚労部門会議で「閣議決定がなされた」と報告がなされる運びだったのだ。これも「蒸し返されては元も子もない」と中止になっている。
閣議決定までの1週間、たばこ関連各方面からの「数値目標を削れ」に始まる圧力は圧倒的だった。
いよいよ結末である。ぎりぎりのところで何とか閣議決定にはこぎ着けた。だが、事務方や一部委員の消耗は激しい。もともとする必要のない作業に駆り立てられた。しかも、中身はまったく創造性に欠ける。
事務方の「軟禁」が話題に
今回の「修正」は何だったのか。複雑化・多様化した社会における政策決定に絶対正しい答えはない。説得を重ねながら合意形成を図り、「最適解」「最良解」を探るしかないのではないか。ご本人に聞いた。
取材に際し、小西氏は「社会的に意義のある報道」や自分の発言以外の原稿確認を要望。検閲はお断りし、小西氏の談話のみ修正に応じた。筆致が粗いことがご不満だったらしく、「法的問題が生じた場合は断固法的措置を取る」と明言された。
──協議会の議事録はすべて読まれたそうですね。
小西 厚労省との議論の事前には、膨大な時間を掛けて1年以上にわたる協議会での議事録やそこに提出された資料や11年度に行われたがん対策基本計画の中間評価にも目を通し、更には、患者や医師、行政官などがん政策の関係者に内々のヒアリングも行いました(例えば、政策プロセスへの患者参画は昨年の夏の協議会で、各都道府県の現状について調査資料も提出されているのに答申案の中では実現されていませんでした)。
──協議会の決定を後から政治家が変更することをどう考えますか。
小西 2点ある。まず、手続き論でいえば、法律上は、基本計画をつくる法律の責任者は厚労相、協議会は意見を聴取の対象となっている。しかし、患者参画というがん対策基本法の趣旨をより適切に実現するために、単なる意見聴取ではなく、諮問─答申という手続きが取られている。いずれにしても、議院内閣制の下に私たち政権与党は首相を選び、厚労相を立て行政を展開させている。もともと国会には行政監視の機能がある。三権分立の一つとして。厚労相がつくっている基本計画に足りないところがあるのであれば、それを直すのは政権与党の当然の役割。さらにいえば、国会議員には国民の生命と健康を守る使命がある。私は議事録を読んで、委員が奮闘していることを把握した。しかし、残念ながら願いがかなっていない。そこで政治力を発揮して、厚労省を指導するのは議員として当然の役割。それをしなければ、存在意義がない。もう一つ、実質論としては協議会の意見を基につくった計画を一言一句後退させるような変更はしていない。削ってもいないし、言葉を換えてもいない。足しただけ。今あるものをより良くすることしかしていない。
医療のみならず、多くの政策分野で「金字塔」(本人談)を打ち立ててきた小西氏。次号でも発言を引きながら、政治の役割について考える。
2012年7月13日 16:30 | 医療・医療政策・厚生労働省・政治