1.朴裕河『和解のために』と『帝国の慰安婦』 朴裕河の日本軍「慰安婦」をめぐる主張については、前著の朴裕河(佐藤久訳)『和解のために 教科書・慰安婦・靖国・独島』(平凡社、2006年、後に平凡社ライブラリー、2011年、以下、『和解』)が刊行された際にいくつかの決定的な批判がなされた。もちろん、朴は批判を一切無視したわけではなく何度かにわたり『和解』批判への「反論」を試みたが、それらはいずれも説得力を欠く弁明に終始した。このため『帝国の慰安婦』はこの際に指摘された問題をほぼすべて継承することになる。おそらく今後なされるであろう『帝国の慰安婦』批判に対しても、朴は同様の弁明を反復するものと思われる。不毛なやりとりの反復を極力回避するためにも、この機会に『和解』をめぐる「論争」について整理し、コメントを付しておきたい。 検討に先立ち、『和解のために』刊行の当時に発表された批判を紹介しておこう(煩瑣なため初出は省略した)。幸いいくつかはweb上で読むことができる。これらについてはあわせてリンクを貼っておく。
これらの批判に対する朴裕河の反論としては、私の知る限り以下の二つの論考がある。
2.金富子の批判と反批判 まず、金富子による『和解』批判を取り上げよう(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義――歴史修正主義的な「和解」への抵抗」、金富子・中野敏男編『歴史と責任 「慰安婦」問題と一九九〇年代』青弓社、2008年。初出は『インパクション』158号[2007年]、引用は『歴史と責任』より)。金富子の批判は、当時発表された『和解』批判のなかでは最も体系的なものであった。朴裕河の日本軍「慰安婦」や補償問題理解への全面的な反論といってよいだろう。金は『和解』は先行研究をご都合主義的に引用して朝鮮人元「慰安婦」被害者への強制性や証言の信頼性に否定的な右派の議論を踏襲しており、1990年代の「慰安婦」制度の研究成果を無化・誤読・誤用していると指摘する(102-106頁)。『帝国の慰安婦』に通じる問題といえよう。 一方、朴裕河は金の批判について次のように反論した。
「いちいち指摘できないほどの誤読と曲解に満ちた論」というのだから、ほぼ全面的な否定といってよい。金の批判は本当に「誤読と曲解に満ちた論」なのだろうか。以下に検証してみよう。 ①連行の強制性について 第一の論点は連行の強制性に関する吉見義明の研究の歪曲である。金は「日本の右派は公文書中心主義の立場に立って被害者証言の信頼性を否定し、日本の責任を否定する詐術を使っているが、問題は朴裕河もこの同じ土俵上で議論を展開している」(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義」、103頁)と指摘したうえで、朴裕河が吉見義明の研究を主張の核心とは「真逆の引用をおこなっている」と批判する。『和解』が「慰安婦」問題を否認」するつくる会の主張(=「慰安婦」は世間一般の「売春婦」と変わらない)を紹介したことに続けて、李栄薫の主張を紹介し、さらに吉見義明が「「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない」(吉見義明・川田文子、一九九七、二四頁)と述べている。」(『和解』、62-63頁)と記したことについて、金は次のように批判する。
これに対し、朴裕河は次のように反論する(強調は引用者。以下特に断りの無い限り同じ。)。
すなわち、自身は吉見の「意図」は理解しているが、他方で「「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない」と記したこと自体は間違いではないのだから、「ファクト」の引用としては不適切ではない、というのである。だがここには金の批判への無理解があるようだ。改めて問題となった『和解』の該当個所を引用しよう(強調は引用者)。
この段落を素直に読めば、「吉見義明もまた」「「強制性」についての異議」を唱えている論者であると読者は考えるであろう。朴はあくまで吉見の指摘した「ファクト」を紹介したに留まると反論しているが、この弁解は成り立たない。明らかに「「強制性」についての異議」の例示として(「吉見義明もまた」)、吉見の指摘が紹介されているからだ。吉見の主張の核心が、「強制性」を「官憲による奴隷狩りのような連行」に矮小化する主張への反駁である以上、これを「「強制性」についての異議」の例示として用いることは金富子のいうとおり「真逆の引用」といわざるをえない。 朴裕河はこうして強制をめぐる議論の表層をすくい取るに留まり、日本軍の問題を問うことをやめてしまう。そして、売春が女性本人の自由意志なのかどうか、慰安所が「合法」だったのかどうか、というそれまでの議論とは無関係な論点へと移る。「てっきり軍の部隊で掃除や洗濯でもするものと思って「みずから願い出た」少女であろうと、「売春」をするとわかっていながら赴いた女性であろうと、当時の日本が軍隊のための組織を発案したという点からみれば、その構造的な強制性は決して弱まりはしない。」(64頁)という文からもわかるように、慰安所への徴集は「自発的に」行った例だけが言及され、「構造的な強制性」という言葉でもって、総督府の女性徴集における関わりや、甘言・騙しによる連行といった問題を検討することは回避されるのである。 ②慰安所設置の目的について 第二の論点は、慰安所設置の目的に関する吉見の研究の誤読である。この箇所は、朴の立論の混乱が如実にあらわれている個所である。 朴裕河は吉見の研究を援用して、「戦地における「慰安婦」とは、直接的には一般女性の「強姦」を抑止するために考案された存在だった(吉見、一九九八、二七頁)。そのような意味では、「容認された強姦」の性格を帯びた売春は、一般人女性を保護するためのものでもあった。いわば「慰安婦」とは、構造的には一般女性のための生贄の羊でもあったのである」(『和解』、87頁)と書いた。これに対し、金富子は、「「慰安婦」制度は一般女性を強かんから”保護”する目的で考案されたのではなく、吉見によれば、日本軍による強かんが地元の住民の怒りを買ったために治安維持上、作戦上支障をきたしのでそのための対策(吉見『従軍慰安婦』三〇ページ)として実行されたのであり、あくまで日本軍のためだった。」(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義」、105-106頁)と批判した。 これに対する朴裕河の反論は以下の通りである。
『和解』において朴は「戦地における「慰安婦」とは、直接的には一般女性の「強姦」を抑止するために考案された存在だった」と書いた。ここでの「一般女性」が、占領地や戦場における日本の「敵国」の女性を指すことは明らかだ。朴裕河は中国人女性等への「強姦」を抑止するために「慰安婦」は考案された、と書き、金富子はそれはあまりに主・従を転倒した見方だと批判した。あくまで日本軍の作戦遂行上の必要が主であって、「敵国」女性の保護など眼中に無いからである。 こうした理解を前提に改めて上の反論を読むとその異様さが際立つ。この反論では「「女性」もまた「慰安婦」という存在の責任から自由でない」という。明らかにここでいう「女性」「一般女性」は戦地の「敵国」女性を指すのであるから、例えば日本軍に「強姦」される可能性のあった中国人女性が、「「慰安婦」という存在の責任から自由でない」ということを朴裕河は主張していることになる。女性への「強姦」を抑止するために慰安所は作られたのだから、「強姦」されるかもしれなかった女性は「慰安所」という存在の責任から自由ではない、と。恐るべき「責任」論である。 朴裕河は本気で、戦地の「敵国」女性たちは「「慰安所」という存在の責任から自由ではない」と考えているのだろうか。この箇所が朴の理解力・筆力不足から生じた誤記であることを願うが、少なくともテキストを素直に読む限り、この理解以外は成り立たない。 あるいは朴裕河はこう反論するかもしれない。自分は日本軍を免罪したいわけではない。事実、「日本の責任」について論じているではないか、と。だが、上のような責任論は表面上の「日本の責任」への言及をその根底において否定しさるものだ。朴の立論が成り立つためには、日本軍の暴力は所与のものと想定する、すなわち「自然化」する詐術を用いざるをえない。兵士の強姦が許されざる暴力であるという認識に立つ以上、どうあっても「強姦」されるかもしれなかった女性たちの「責任」など問いえないからだ。逆に、兵士の強姦を「自然化」し所与・不可避の現象とみなせば、問題はその所与の暴力をどこに割り振るかへと矮小化される。 こうした意味では、金富子による『和解』の慰安所設置目的理解への批判がいかに核心を突くものであったかがわかる。設置目的を「女性の保護」とみなしたがゆえに、「保護」される女性の側にも、慰安所設置の何らかの「責任」がある、という倒錯した主張が生み出されるに至ったのだ。 朴裕河の倒錯した「責任」論は『和解』の他の箇所にも見て取れる。「生贄の羊」云々に続けて、次のように記す。
これは「「容認された強姦」の性格を帯びた売春は、一般人女性を保護するためのものでもあった。いわば「慰安婦」とは、構造的には一般女性のための生贄の羊でもあったのである」という記述に続く個所である。「一般の女性」という言葉で一括りにされているが、そこで具体的に想定される対象は、戦地の「敵国」女性から「一般の女性」、そして挺対協の女性たちへとめまぐるしく移り変わる。そのうえ、「当時「慰安婦」として~」に続く個所では、もはや「女性」の話ですらなくなり、読者は煙に巻かれてしまう。 そもそも、充分に抵抗できなかった/傍観した責任と、連行した責任が、全く次元の違う「責任」であることは自明であろう。しかも、『和解』において朴は植民地での強制連行を事実上否定しているにもかかわらず、「それでもいかなる反発や抵抗もなかったとするなら、そうした状況をただ眺めていた、傍観していた人々に責任はないのか」と問うわけである。もはや議論ですらなく、単なるあてこすりといわざるをえない。 朴裕河は金富子への反論を次のように結んでいる。
あまりに不当な決め付けといわざるをえない。朴裕河が反論した箇所に限定しても(反論していない箇所もある)、金富子による批判が「誤読」とはいえないことは明らかだろう。『帝国の慰安婦』の第一部などを読むと、筆者が「日本文学研究者」であることを疑いたくなるが、少なくとも金富子の批判は朴に何らかのオリジナルな史料操作や分析を求めたわけではない。むしろ、文献からの引用を適切にせよ、先行研究を理解せよ、と求めたにすぎない。これは当該テーマについて著作を刊行する者に求められる最低限の要求である。それをクリアしていないのだ。朴は「批判自体よりも批判のほとんどを覆う憶測や警戒や不信を憂慮せざるをえない」と述べているが、かような水準の著作が流通するのであるから、人々が本書の内容のみならずその政治的背景に関心を注がざるをえないのは当然であろう。 上に見たような朴裕河の議論は、「責任」という語を定義せずにマジックワードとして用いることにより可能になる。これまで『帝国の慰安婦』批判において、繰り返しこうした概念定義の曖昧さを指摘してきたのは、何も学術書の作法を指南したいがためではない。「責任」「補償」「帝国」「動員」「和解」といった極めて重要かつ論争的な概念を定義しないことが、本書の極めて核心的な「方法」だからだ。人々は朴裕河の叙述に各自の幻想を投影し、「理解」した気になる。矛盾や疑問を指摘されても、朴裕河は無限に「真意」を語り続けることにより「知識人」としての命脈を保ち続ける。こうした知的詐術に惑わされないためにも、「方法」への批判は極めて重要な意味を持つのである。 (鄭栄桓)
Tags:#朴裕河『帝国の慰安婦』批判
by kscykscy | 2015-04-05 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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