反ワクチン論も、現代医学否定の一種としてポピュラーである。反ワクチン論が受け入れられるのは、ワクチン(予防接種)の効果は実感しにくいのに対し、その害はマスコミなどで報道されるためだろう。ワクチンのおかげで病気にならなかった多くの人のことはニュースにならないが、ワクチン接種後に健康被害が生じた場合は因果関係が不明でもニュースになる。
ワクチンは、さまざまな感染症を予防することで、人々の健康に貢献してきた。たとえば、致死率40%ともいわれた天然痘は、1977年以降は発生していない。WHOは、1980年に天然痘の根絶宣言を行った。天然痘を根絶できた理由はいくつかある。特徴的な皮膚症状を起こすために診断が容易で隔離しやすい、不顕性感染(症状はないが感染力はある状態)が少ない、人以外の動物に感染しない、そして何よりもワクチンの効果が高かったからだ。
日本では、1976年頃まで『種痘』という天然痘のワクチンが使われていた。40歳以上なら、腕に種痘の痕が残っている方もいるだろう。しかし、若い人はワクチン接種を行う必要がない。天然痘は根絶されたからだ。もしワクチンがなかったら、今でも天然痘による死亡者が出ていたはずである。しかし、人々は天然痘の恐ろしさを忘れ、ワクチンのおかげで天然痘の恐怖から解放されたという実感を持てない。反ワクチン論者は、そこを利用する。
反ワクチン論者は、ワクチンは万能ではなく欠点もあると主張する。その通りだが、他のあらゆる医療行為と同様である。メリットとデメリットを比較して、メリットのほうが大きければワクチンには価値がある。
たとえば、インフルエンザワクチンについて考えよう。ワクチンでインフルエンザを完全に予防することはできない。ワクチンを打っていても、インフルエンザにかかることがある。インフルエンザワクチンは流行するウイルスのタイプを予想して作られるが、予想が必ずしも当たるとは限らないからだ。さらにインフルエンザワクチンを打つことで、きわめて稀ながら副作用が生じるかもしれない。たとえば、100万回接種あたり1~2人はギラン・バレー症候群という筋力低下や麻痺、ときには死に至る神経の病気にかかる可能性があるとされている。
しかし、ワクチンを接種するかどうかは、メリットとデメリットをよく考えて判断するべきだ。私は、毎年インフルエンザワクチンを接種している。医師であるため、流行シーズンにはインフルエンザにかかった患者さんと接触するし、私自身が感染すると患者さんにうつす危険性だってあるからだ。完全にインフルエンザを防ぐことができなくても、感染したり重症化したりするリスクを減らすことができれば、十分にメリットがある。【次ページにつづく】