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4月です

三椏4月です。なんということでしょう、忙しさに埋もれて3月一度も書き込まずに過ぎてしまいました。
申し訳ありません。その間に清水先生が東京歌会に出席されたという嬉しいニュースとこれが最後という寂しいお言葉を拝見してなお、反応する暇のなかったことが悔やまれます。でもまた清水先生はいらして下さる機会があるのではないかと希望を持っていたいと思います。
桜忙しい最中に私が感じたことのひとつは、忙しければ忙しいほど、歌会に出たくなるということ。やっと来た日曜は寝ていたいという気持ちを凌いで歌会に行かねば、と切望している自分がいました。忙しい日常のストレスから脱するのは歌の世界だったのです。歌の世界に居る方々との時間でした。そしてそれはとてもありがたいものでした。
今は5月の高松での歌会でまだお会いしたことのない会員の方にお会いできそうなことが私の今の心の拠り所といってもいいくらいです。
桜をちゃんと見る機会も無く桜の時季が過ぎようとしています。季節をもっと大事に生きねばもったいないと思いました。歌を通してそれができることは素晴らしいことだと再確認してもいます。(竹内敬子)

東京歌会 3月

清水房雄先生
昨年の7月以来おみえにならなかった清水房雄先生が、今回出席され、会員一同立ち上がり、拍手でお迎え致しました。着席されるや、「今日はみなさんにお別れを言いに来ました。」と言われましたが、最後まで一首一首今までと少しも変らずご批評をされ、そのご健康ぶりに思わず、また是非お出かけ下さいと声に出してお伝え致しました。出席者17名。司会、長田光枝さん。(以下敬称略)


帰り来る息子待ちつつ働くか母と言ふ名に国籍は無く  井深雅美
結句は違った表現があるか無いか。(古島重明)
気持ちは分かるが少しごたついているのではないか。下句は少し分かりにくい。作者の気持ちは何処にあるのか。(戸田)
「帰り来る息子」と下句の関連が良く分からない。(鈴木登代)
一首だけでは分からない。選者の考えとしてこの人はいつもと違うという気持ちが分かればそれを採る。(選者それぞれの考え方だが。)生活の内容はある。歌の勢い、気持ちを見る。分からせるように詠うと説明になる。(堀江)

。。ここで清水先生が到着される。。司会者、先生に随時自由にご発言をとお願いする。

餌台に雀はパンくずつつきをり米を啄み終へたりし後  伊藤章子
状況がピンと来ない。詠もうとしている動機が分からない。(鈴木)
雀の好みに注目か。(小久保)
雀の生命力を見ていたと思うがこれだけの表現では受け取れない。(高橋瑠璃)
内容、詠い方が軽いのではないか。(堀江)
上下の関係が散文的。論理的に生成されて変化が無い。
堀江さんの今度の歌集(続銀糸集)の歌は上句から下句へ行くときの転調の仕方は恐るべきもの。
意味は繋がらないが感情、或はリズム、何かで繋げている。
分かると分からないの境目が難しいところ。散文と違う。意味のつながりが順直すぎると散文になってしまう。茂吉は繋がらない。文明は繋がるところがくせもの。(清水)

曇り硝子を透すおぼろな黄の影の日々に色増す落葉積りて  伊東芳子
全体の印象として黄色い影が段々色を増してゆく、あまり見かけない所を捉えていて面白い歌。(籏野桂)
「落葉積りて」の結句はもっと早く出た方が良いのではないか。(嶋)
結句はひっかかった。無い方が良いのではないか。(古島)
美しい一枚の風景画のよう。(井深)
「おぼろな黄の影の日々に色増す」あたりはかなり作者の見方で面白い。
結句はマイナスに働いているのではないか。(堀江)
結句は削る。「日々に色増す」で切れると若干の疑問があるが、その程度の分からなさはあって良い。(清水)

菜園に霜きらきらと光りゐて下仁田葱の白き根太し  小久保基子 
結句は良く捉えている。(池田幸男)
「きらきらと」は無い方が良い。(伊東)
根ではなく茎ではないか。(籏野)・・暫時茎か根かの話し合い。
気持ちとしては分かる。(堀江)
「きらきらと光りゐて」は削る。上句が遊んでいる。作り方は順直でなくて良い。(清水)

誕生祝と石竹の種を賜りぬ十一月生れに五月咲く花  塚本佳世子
下句は事実であるのだろうが必要か。(伊藤章子)
下句に理屈が入って魅力を削いだ。(戸田)
下句をどう解釈するか。作者の気持ちが分かりにくい。上句を中心に。(堀江)
下句の幼稚な謎解きが煩わしい。下句を処理する。どこを生かすべきかを考える。(清水)

母住まず六月過ぎたる丘の家落ち葉踏みしめ帰り来にけり  藤井博子
気持ちがある歌。余計なことを言っていない。下句は良いと思った。(嶋)
「丘の上」は甘いかも。気持ちの良い歌。(高橋瑠璃)
「六月過ぎたる」は必要か。(伊東)
上句は説明。下句には感情があるが、一首としては難しい。内容が分からないと一首を受け取りきれない。(堀江)
「母住まず」と「帰り来にけり」の関係が分からなすぎる。作者が謎のごとく登場する。(この連作では)一首目があれば二首目はいらない。(清水)

目を閉ぢて幼き我に逢ひにゆくもみ殻煙る夕やけの道  重信則子
結句の描写が感じが良い。(池田)
作者の姿が見えてくる。「目を閉ぢて」は思い入れが強すぎる。もっと自然に詠んでも良いのではないか。(小久保)
気持ちが分かる良い歌。(籏野)
青南の中では分れる歌。作らないより作った方が良い。発想は幼いところがあるが、もみ殻で救われている。(堀江))
気持ちは分かるが、「幼き我に逢ひにゆく」は抽象的。「目を閉ぢて」に問題があるのか。もう一息というところ。下句をもう少し圧縮するという方法もある。(清水)

藤棚の写真撮りしに赤花の花房短く写りてをらず  池田幸男
一首説明的でぎくしゃくしている。赤花の短き花房などとしたらどうか。(戸田)
思いは良く分かる。これはこれで良いような気がする。(古島)
良く分かる良い歌。(塚本)
真面目に順直に言っているだけで分かったがどこか一ひねり無いと心を動かされる事は無い。(堀江)
分かっておしまい。印象が残らない。意味の続き具合が散文に近い。どうやってぶっ壊すか。調べで勝負するか。いじりまわすことをお勧めする。(清水)

低ぞらに漂ふ雲の切片を黄に染めし日の忽ち没りぬ  清水房雄
言葉の使い方が違う。「忽ち没りぬ」に作者の感情が籠っている。(小久保)
「切片」に心ひかれた。考えて使われたのだと思う。(嶋)
とても良い。「切片」は考える事も出来なかった良い言葉。(鈴木)
夕やけの歌は普通平凡になるが、瞬間を捉えて勢いがあり、勉強になった。(籏野)
今月の後の五首は清水房雄の歌。(材料そのものが)
一首目はずっと昔からあらゆる人が持つ体験。それをどう歌うかは非常に難しい。それをこう表現した。その人が出ている。普通の事をこの人が歌うとこうなる。歌を勉強する上で非常に参考になる。(堀江)

ババちゃんを燃やさないでと柩の前大泣きしたる童にてありき  鈴木登代
状況が強烈で目の前に見えるよう。純真な子供の気持ちが感じられ、内容が重く、とても良い歌。(藤井)
言い過ぎ。自分の事でなかったら歌としてあまり面白くない。(堀江)
「~にてありき」は誰もがよく使う納め方。他にうまい方法は無いかと思うが・・無いらしい。(清水)

桜紅葉散る図書館への遠まはり寺山修司の本返却にゆく  戸田紀子
作者にしては普通の歌。返却が固い。(伊東)
下句はどの程度効いているか。池田)
上句で色々言っているので、下句の寺山修司の意味が無いようになっている。肝心の所が整理されていない。(堀江)
頭が重い。「寺山修司の本」が問題。寺山修司歌集など、はっきりさせた方が良い。(清水)

排水溝の地下より伸びしノボロギク鉄の格子に触れて咲く見ゆ  籏野桂
人の見ない所に着眼。ノボロギクをもっと表現した方が良かったのではないか。(高橋)
材料は良い。歌い方が順序だっている。「見ゆ」が邪魔。(堀江)
「見ゆ」までは言い過ぎ。単純化を要する。(清水)

明るきにかざし刃に触れ確かむる鏡のごとく研ぎたる刀を  嶋冨佐子
作者の満足感は出ている。(高橋)
特異な感じの歌。上句だけで歌にする事は出来なかったか。重複感がある。(戸田)
これだけでは彫刻刀であることは分からない。連作として読めば分かるが、一首だけではまるで違う情景を想像する。(籏野)
気持ちは分かるが、「鏡のごとく」という作者の気持ちの強調が一寸邪魔。(鈴木)
これだけの事を歌っているからこれはこれで良いとは思うがくどい所がある。モチーフがモチーフだからなるべく単純にしたい。勿体ない。(堀江)
「明るきに」は分かったようで分からない。「鏡のごとく」は問題。(清水)

風を切る羽音鋭く飛び行きしカラスの止まる梢見て居り  長田光枝
上句は良いが結句で何となく拍子ぬけ。格好がつかない。(古島)
「梢にカラス止る見て居り」ならよいがこれでは梢を見ている事になる。(堀江)
「見て居り」は無駄。植物の名前を出して止まっただけで良い。(カラスが〇〇の梢に止った)(清水)

夕山の上に黒々ある雲の二つの竜はくちづけをする  高橋瑠璃
感じは分かるが下句で「二つの竜は」と限定して表現してしまった所が弱い
のではないか。感興を邪魔している。(鈴木)(籏野)
特殊な捉え方。「二つの竜は」が結句のイメージと繋がらない。(小久保)
くちづけするまでは言い過ぎ。(堀江)
結句は言い過ぎ。面白い所を掴んだが、結句を生かす為には上句で相当苦労しなくては。上が普通だ。(清水)

手術後の夢に老いたる母の来てなにか問ひたり聞きとれざりき  古島重明
気持ちが良く出ている良い歌。(籏野)
肉親に対する思いが素直に表れている良い歌。(小久保)
病気をした時の心情が良く表れている。(井深)
病気と旅行の歌は一首としてはなかなか生きない。並べても報告の中の一つになってしまう。(堀江)
整っているが常套的。次の歌は気持ちに動きがある。(清水)

普通にあれ普通であれといふ声す黄葉がちる日が寒くなる  堀江厚一
清水先生が言われた上句と下句のつながり(意味が繋がらないが何かで繋がっている)をこの一首でも見る事が出来ると思った。(伊東)
上句は自分に言い聞かせている。上句下句の転換。(嶋)
「日が寒くなる」で上句とのつながり具合が働いている。(清水)
歌評会にて
合間に・・・最近の言葉遣いについて。
写真を撮るの「撮る」は元来「つまむ」という意味。
「可能性」の可はcan 能もcan どちらもプラスであるが、現在は両方に使っている。
戦艦武蔵発見の事から・・・
海軍時代が抜けない。人生には階段があって、どこかでつかまってしまう。


今年の八月には100歳になられる清水房雄先生をお迎えしての東京歌評会でした。
心から感謝申し上げると同時にどうぞいつまでもお元気にと心からお祈り致します。(伊東芳子)


東京歌会 2月

雨にけぶる木の実
 
 いつもお天気に恵まれる歌評会ですが、珍しく冷たい小雨が降り出し、参加者の人数が危ぶまれましたが、11名出席、長田光枝さんの司会で無事に行われました。高松歌会に関して、伊藤和義さんより、申込みは2月25日締切、その後に案内を郵送、それから詠草をという連絡がありました。(以下敬称略)


子の過ごす北京は厚きスモッグにて霞めるビルがニュースに映る  出口祐子
全体の中から見ると歌としては一番平凡。子を案じている気持ちは出ているが、結句の表現が弱い。(鈴木登代)
「過ごす」が曖昧。(伊東芳子)
順番に並べている。結句の表現で説明的に読めてしまう。上句を中心に詠った方が良いと思う。「ニュースで見た街に子が過ごしている」など、詠い方で可成り変わる。(伊藤和義)
一連の中ではこれが最初に眼についた。軽いといえば軽いが、これだけしか言わなかった為に良い感じを受けた。(堀江厚一)

これが最後と義姉の作りしヘチマコロン残り少なくなりてしまひぬ  伊東芳子
生活感が出ているような気がした。(籏野桂)
残念な気持ち、義姉に対する気持ちが感じられる。(高橋瑠璃)
心のつながりが感じられ、良い歌。(戸田紀子)
「ヘチマ水」ではないか。(鈴木)
どこか何か足りないような気がする。下句の表現の問題か。(伊藤)
初句は相当強く働いていると思う。感じは受け取れる。(堀江)

病持つ友の語りは諦めにかすかな希望をにじませ続く  小久保基子
難しい所も無く、分かり易く、良い歌。(出口)
下句が良い。(池田幸男)
気持ちは良く分かるが「友の語り」は乱暴な言い方。(鈴木)
歌い出しの初句でイメージが限定されてしまう。「諦め」を削りもう少し具体的なものを入れたらどうか。(伊藤)
友達に対する「気持ち」が説明か理屈になっている。友達に対する素直な気持ちを出す。(堀江)

月に一度通りし田中角栄邸いつの時にも音一つなし  池田幸男
良く分かるそのままの歌。それ以上のものは出ていない。事実をそのまま言っただけ。(戸田)
「通りし」の過去形が気になる。(籏野)
下句が良いと思う。面白い。(出口)
下句、作者が捉えた所という意見には賛成。作者をもう少し出す作り方は無いか。「歌会に来る」など。(伊藤)
こういう歌はこれで良いのでは。これ以上の事はないが、以下でもない。「通りし」
の過去形を整えるべき。(堀江)

冬日さす白き障子は夢のなかコンクリートの部屋に起き臥す  鈴木登代
感じの良い歌。(池田)
共感する。(小久保)
作者がかつて過ごした「冬日さす白き障子の部屋」を懐かしむ気持ちは良く分かるが、「夢のなか」という表現は一寸気になる。(伊東)
コンクリートは大げさかなと思ったがこの場合はこれでイメージされる。上句好き。(高橋)
下句、そのままに表現されていて良い。上句は表現しきれていない感じ。「白き」「夢の中」はもう少し的確に表現出来るのではないか。(伊藤)
誰にも共感される、分かる歌という所が弱い。自分自身と密接な作者が出ていない。
作者が居るようで居ない。二首目などは面白い。欠点はあっても作者をありのままに出した方が良い。(堀江)

初冬の風蕭々と吹く恐山円通寺寂しくなりて山を下りきぬ  戸田紀子
「蕭々と」はどうか。「円通寺」は必要か。(伊東)
作者がどういう所を感じたか。感じ方が一般的。もう少し言い難い感じがあったのではないか。「寂しく」も一般的な表現なので作者の寂しさの内容が的確に表れていない。(伊藤)
調べの面で「円通寺」は不要。(作者は入れたかった。)
作者が急にどこかに行ってしまったような気がする。(堀江)

口のみが達者で歩けぬと嘆く友を支へ地下鉄の階段くだる  籏野桂
様子は良く分かるが上句は説明になっている。素材としては特別でない。一つ前の歌が良いと思う。(出口)
様子は良く分かるが上句は素材的にあまり賛成できない。(伊東)
上句の言い方が俗な感じ。(戸田)
「口のみが達者と嘆く友を支へ」の方が良く感じられる。「で歩けぬ」を入れたのがまずいのでは。(鈴木)
下句が長い。「支へ」は不要。上句は面白いと思う。(伊藤)
賛成の方だ。ある程度自分も同じという作者の気持ちを感じた。(堀江)

小気味よき響きに屋根を打ちながら幾度ともなく時雨過ぎたり  伊藤和義
好感を持った。(高橋)
初句は要らない。(戸田)
好きな歌。余計なものが一つもない。下句が一首を生かしている。(鈴木)
作者の気持ちがとおっている。(小久保)
上句の擬人的な表現が気になる。(伊東)
下句は出来上がっている。上句は気にする人は気にする。上句をどうするかという議論はエンドレス。自分の本質を発見しようと苦労している。(堀江)

ベランダに雀一羽が今日もまたガラス戸隔て共にひととき  長田光枝
気持ちは分かるが、歌としては結句「共にひととき」がこなれていない。(鈴木)
歌にしたいところだが、「今日もまた」「ひととき」は曖昧で省いても良い。雀の様子を見る。「ひととき共に」の方が良いか。(伊藤)
歌は単純化することで生きる。(堀江)

楽の音は駅の方よりきこえ来るちんどん屋なり思ひをさそふ  高橋瑠璃
良く分かるが「思ひをさそふ」が問題ではないか。省いて上だけで表現出来ないか。(籏野)
読者の共感を呼ぶ流れになっていないのではないか。結句は作者自身の独りよがりになってしまうのでは。(小久保)
言葉が多い。作者が言いたい事が分からなくなっている。(戸田)
結句はいらない。ちんどん屋の音が聞こえるだけで良い。「楽の音」はちんどん屋の印象と違う。具体的な音の様子を言ったらどうか。(出口)
作者の記憶と結びついているのなら結句はとれない。昔ながらのちんどん屋で懐かしいだけでは一般的になってしまう。(伊藤)
自分なら音楽の名前を入れる。(堀江)

繕ひし樋のあつむる水音のこころたのしくして今日の雨  堀江厚一
過不足なく説明されてつながりも気持ちが分かり、良い歌。(出口)
喜びが良く出ていて素直な歌。(戸田)
自分の気持ちがすごく素直に出ている。素直のお手本のような歌。とても感動した。(鈴木)
「こころたのしくして」に技巧が働いている。簡単に作った歌ではない。(伊藤)

tubaki.jpgまた来月の歌評会を楽しみに散会致しました。(伊東芳子)



2月です

水仙今年は当初暖冬の予測であったように思いますが、寒い日がずーっと続いていますね。
1月はあっといまに行き、逃げる2月となりました。気が付けば1週間経ってしまいました。寒がってじっと丸まっているとほんとうに逃げられてしまうかもしれません。
さて青南1、2月号掲載のように高松歌会が開催されます。5月16日(土)~17日(日)です。
地方での歌会、一昨年の京都、昨年の福島に続き今年は香川県です。近隣の中四国の方々をはじめたくさんの方にお会いできるのではないかと楽しみです。
ご希望の方は2月号67頁をご覧の上、2月25日(水)までに葉書で発行所宛てにお申込み下さい。(竹内敬子)

大寒ののち

山茶花・赤山茶花・白1月も後半となり、冬の真盛りと言っていいでしょうか。寒い日が続きますね。町の道辺は色が乏しく山茶花に会うとついうれしくなります。
今月は25日が日曜日なので早目に対応しなければ、と昨日詠草を投函いたしました。なかなかに苦しみました。毎月の事ですが…。何故こんなに苦しむのだろうと、何故こんなに積み重ねているつもりなのに同じようなことを繰り返し、ちっとも「うまく」ならない。惨めに近い気持ちになることさえあるのにやめることも考えられない…、そんな感慨。
12月号の清水房雄先生の「朽木吟(三)」・1月号「朽木吟(四)」より抜粋したいと思います。今年は100歳を迎えられます。師の存在自体が私たちの励みですね。

朽木吟 三
 きほふ心も無くなりし今顧みるひたすらなりし若き日のこと
 死にたいとも死にたくないとも思ふ無し衰へはてし吾が思考力
 今の吾が齢の頃の先生の思ひ給ひし事はなになに
 誰と誰と誰が生きて残るかと思へど便りする事もせず
 誰もみな慌しげに逝く友等つくもの齢の吾を残して

朽木吟 四
 読みちらす文庫本は概ね近現代史戦争体験忘れ難きに
 結社雑誌を会社組織にするなどと莫迦げた事を考へしは誰か
 法科経済科出身編集委員の誰一人会社化に反対せざりしは何故
 抑々の経緯を何も知らされず終刊の責負ひたる吾等
 様々に噂され来し終刊のいきさつは今も知り難きまま

東京歌会 1月

水仙
新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
ようやく日常の生活に戻った1月11日、今年初めての東京歌評会が行われました。幕開けとしては人数的には一寸寂しい11名でしたが、活発な意見交換が行われ充実した会になりました。司会は長田光枝さんでした。(以下敬称略)

食堂売店自販機もあり腹空けば子らは気軽にパンを頬ばる  出口祐子
「子ら」が少し曖昧であるが、現代の子供の様子が素直に出ている。(嶋)
現代の風景のひとこま。(高橋瑠璃)
ただ描写しているだけなので何を見て何を言いたいのか一寸物足りない。「子ら」は「生徒」とすればかなり分かる。(堀江)

新しく住み初めし人大きなる白き犬引き会釈して過ぐ  伊東芳子
見慣れた光景。ふっと心ひかれた作者の気持ちが出ている。作者のやさしさを感じた。(小久保)
「新しく」は少しおとなしい。「町内に来た人」など。(戸田)
その人に対する一寸した関心が面白く出ている。(籏野)
歌としては素直で感じが良い。(堀江)
何を言いたいのか分からない。(鈴木登代)

亡き母と内子町にて求めたる赤き和蝋燭灯し見てをり  小久保基子
材料としては良い。一寸軽い。結句で簡単に結論つけている。見てをりだけでは物足りない。(堀江)
「亡き」はいらないのでは。(嶋)
母を懐かしく思っているのは分かる。前の2首(注 出口、伊東作品)はアララギの作歌の基本を並べているのか。見たままを連ねてただけでは気持ちが出ない。出そうとする意欲が無い。自分の気持ちを出す事、打開する知恵を。内面の見方が足りない。この歌は結句がつまらなくしている。(鈴木)
見ているものだけ言っても自分の気持ちが出る。アララギの写生に反対しているのではない。写生の解釈の仕方である。(堀江)
心が動いた時、それをどう表現するかを学んで行きたい。(高橋)

松島の島の黒松無残なり津波の被害に大方枯れぬ  池田幸男
「無残」は作者の気持ちと思うが「無残」だけでは少し勿体ない。(戸田)
「無残なり」をもっと具体的に表現すれば良いのか。表現するには自分の感覚を磨く事は出来る。色々な事に関心を持って深く知ろうとすることが大切ではないか。(籏野)
「無残」が一首を壊した。そこに実際のものを置けば良い。(堀江)

朝食をしっかりとりて今日一日机の前に坐らむと思ふ  鈴木登代
作者の意気込みに圧倒される。(池田)
七首の中では一番単純で良い。他は何か一言多い感じがある。(堀江)
口語と文語の混淆の問題はどうか。「しっかりとりて」は普通の言葉として納まっているのではないか。(出口)
短歌自身は文語の方が締る。口語では歌いきれない。俵万智もこの頃文語で詠っている。(堀江)
「坐らむと思ふ」と「坐ろうと思う」では格調が違う。(籏野)

点取り虫といふ語もいつか死語となり大手予備校も消えてゆきたり 戸田紀子
社会事象を端的に捉えたという所は良いが短歌としては気持ちが伝わってこない。(鈴木)
軽いことは軽いなりに作者の歌になっている。軽いなりの面白さがある。(堀江)
上句と下句の結びつきに無理があるのではないか。(高橋)
言葉の移り変わりをうまく捉えた。(小久保)
あっさりとか、軽いというのは悪い意味なのだろうか。(戸田)

手づくりの李のジャムを瓶に分け今年の夏の過ぎゆき早し  籏野桂
上句丁寧に表現して良いと思う。下句は良く使われる表現で常套的な感じがする。(伊東)
日常を丁寧に過ごしている作者が偲ばれる。下句は平凡。(嶋)
大人しく冒険もなく、普通にうまく作っている。その感じは捨てられないがもう一つここから出ないか。(堀江)
上句だけで歌にしても良いのではないか。(戸田)

のろのろと吾が前をゆく若者ら時間無限に持てるがごとし  嶋冨佐子
年を取った者の感じる共通な思い。気持ちが良く表れている。よく分かる歌。(籏野)
同感。結句に対して初句が多少気になる。(小久保)
いつも見ている作者の歌と一寸感じが違った。感じ方に違和感は無かった。結句、「ごとく」の方が良いのではないか。(堀江)
或る感じを捉えているが、「無限」はいやだ。(鈴木)

稲架に置く稲に確かな重さあり乾きし藁の著き香の中  長田光枝
「稲に確かな重さ」を表現したところがこの一首の良さ。(嶋)
「稲架に置く」ではなく「稲架に掛ける」ではないか。(鈴木)
「確かな」が不要。強すぎる。言わない方が深く言っているかも知れない。(参考;稲には稲の重さあり)(堀江)

金木犀香れる街を歩むさへ昨日のわれはどこにも居ない  高橋瑠璃
問題になった「写生」的な歌からは趣を異にした意欲的な作品と思うが、「さへ」が分からない。(伊東)
流れてくるものがある。この歌はこれで良いが、「さへ」が目につく。気持ちを上手に表現して魅力的な歌。(戸田)
「歩むさへ」が目立ちすぎ。作者の歌。今の青南では反対する人が居るだろう。下句の表現は案外うまくいっている。(堀江)
下句に重点があるからこれが我々の中に落ちないと成功しない。下句を納得させる上句が必要。(鈴木)
「歩みゆく」ではどうか。(出口)

わづかなる隙も見のがさざる草に対へりそれだけの縁となりて  堀江厚一
連作の中の一首として気持ちが通って響いてくる。結句の「て」止めが逆に効いている。(小久保)
しみじみとした作者の感情が入っている。(高橋)
無常観を感じる。深い気持ちが込められている。(嶋)
上句に感動するが、写生が足りないのではないか。
(一般論として)実体を見る事をもう一つ見逃しているのではないか。(鈴木)
作者は草を尊敬している。感じのある面白い歌。(戸田)

冬の日
歌評会はこれで終わりましたが、少し余った時間でそれぞれの今年の抱負などを語り合って終了致しました。今回は写生についての意見など、幾つか問題点が提起され、自由に話し合う事が出来たのは、少人数の歌会の利点であったと思いました。今年も自由にご意見ご感想などお寄せ頂ければ嬉しいです。どうぞ宜しくお願い致します。(伊東芳子)

謹賀新年

門松2015表紙あけましておめでとうございます。
2015年、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
青南誌の表紙は昨年に引き続き丸木俊さんで「高い高い」から「どんぶらこっこ すっこっこ」へ。
見事な兎の跳躍に気持ちが上がります。
今年は10月の東京での特別歌会、5月の高松歌会がすでに開催が決まっています。
たくさんの会員の方々とまたお会いできますように。
もちろん全ての会員の方と誌上において一年恙なく共に歩めますよう、祈ります。
寒さの只中、どうぞみなさんお大事にお過ごしくださいませ。(竹内敬子)

東京歌会 12月

本館
今年最後の東京歌評会は和敬塾本館で行われ、出席者13名、司会は長田光枝さんでした。
司会の長田さんより、「基本的には提出された歌の歌評、出来たら自分で取り上げたかった歌の批評も」との提案がありました。(以下敬称略)


人気(ひとけ)なきヒンドゥー寺院に風吹きて風笛(ナスリ)風車(ピンジャカン)鳴り始めたり  伊東芳子
行った事の無い者にも様子が分かる。下句のルビは不要。(高橋瑠璃)
雰囲気の出た良い歌。ルビをふらない方が良かった。(小久保)
風が重なっている。「風吹きて」は止めて場所をはっきりさせては。(嶋)
これでバッチリ。ルビも異国情緒があり、イメージにぴったりする。(籏野)
「人気なきヒンドゥー寺院」は「谷間の」とか、「山上の」とか場所を表現したらどうか。(戸田)
ふりがなの問題。人気にはルビはいらない。さらっと詠っていて良い。
「風吹きて」は普通すぎる。どんな風か、ここが変れば歌の感じが変る。(伊藤和好)
連作の問題が出て来る。多分に他の歌に寄りかかっている部分がある。
一首一首とすれば作品の三首目、三首目が。(堀江)

前を行く子が呼ぶ声をかき消して奥入瀬川の瀬音の高し  出口祐子
素直に詠んでいる。どこかに引っかかるものがあった方が良いのではないか (嶋)
問題は感じない。良く分かる歌というだけ。(戸田)
下句と上句を逆にしたらどうか。(伊東)
「高し」を省く。(鈴木登代)
旅行の歌としては一寸でも作者の姿が出ている。(伊藤)
中心は上句だと思う。歌い方は素直で良いが、上下中心が曖昧。(堀江)

原っぱに降る雨のごと優しかり夕べひとりで聴く童謡は  小久保基子
珍しい感じ方で意表をつく感じはあるが、上句に共感出来なかった。(出口)
表現している事は分かる。「優しかり」は省く。「童謡」に違和感がある。(伊藤)
材料として「童謡」にどういう意味があるのか。浅いような気がする。
「原っぱに降る雨優しかり」にする方が良いと思う。(堀江)

美術館の園(その)に人々集まりて結婚式があけられてをり 塚本佳世子
読んですぐ分かるが、ただ情景が詠まれているだけで作者の思いは伝わってこない。単なる傍観者になっているところが物足りない。(小久保)
一寸した発見。一般的でない所を捉えた。(高橋)
珍しいという感じに心ひかれた。しかし、作者の感じた心の動きが出るような表現があるのではないか。(伊藤)
一口に言って面白い歌。「園」はいらない。どうしてこういう古い言葉が出て来るのか。「芝生」とかもっと普通の言葉を。色々言わず、そこだけしか詠わなかったからこの歌が成功している。(堀江)

朝夕に咳に苦しむ友やがて子きたりに引きとられ間なく逝きたり  池田幸男
作者の気持ちが感じられる情感があって良い歌。「間なく」は不用。(戸田)
良い歌と思うが、表現として順序を追っている所が気になった。(嶋)
肯定的に見た。事実だけで作者の気持ちが良く出ていて良いなと思った。(出口)
分かる歌だが、作者の気持ちを具体的に出したい。「友」はよそよそしい。薄壁を作っているように感じる。(伊藤)
材料が材料なので同情的に見るが、何もかも言い過ぎている。思い切って削った方が良いのではないか。全部説明になっている。(堀江)

ビル工事今日は休み日高空の二基のクレーン談らふごとし  鈴木登代
上句丁寧であるが、説明的か。(出口)
下句、一寸したユーモアがあって感じの良い歌。「高空」も晴れ晴れした感じが出ている。(戸田)
一寸面白いところ。上句はリズムを作っているのか、余計なものが入っているのか、単純化出来たら良いと思う。結句はこれで良いのか。素通りできない所がある。(伊藤)
この歌では結句がすべて。何か自分のものではないような気がする。前の歌の方が表現は普通かも知れないがずっと良い。(堀江)

久々に息子と語る夜の電話窓のやもりが聞いてをりたり (戸田)
感じがある歌。下句があるから作者の気持ちが分かるという事もあるが、言い過ぎかなという気がする。(鈴木)
下句、賛成。 (出口)
物語に触れたような気がした。下句はこれで良いと思う。「久々に」はどうか。(高橋)
やもりを出してきたのは作者らしい。下句が強く、目立つ。特徴のある歌だが、処理が難しい。(伊藤)
下句をどうとるかで決まる。慾を言えばもう一歩何とかならないか。(堀江)

ホログラム煌めく翅を背に結はへ幼は夏の夜の妖精 籏野桂
妖精と捉えた所に同感出来るか。下句の感じ方で良いのか。(伊藤)
これはこれで祭りだから良いと思う。「幼」という表現は個人的に好きではない。(堀江)

寺庭に散りしく合歓の花拾ひ頬に当つればまこと眉掃き  嶋冨佐子
意味は分かるが上句は説明。「合歓の花拾ひ頬に当つれば」どう感じたのか。(戸田)
珍しくて良いと思ったが一首としてはどうなのか。(鈴木)
「散りしく」「頬に当つれば」をうまく処理してもっと単純化して良いのでは。(伊藤)
歌集にするような場合、芭蕉の事を詞書かなにかに記せば生きるような歌。(堀江)
注;芭蕉が合歓の花を「眉掃き」と言ったとのこと。

嘆息し見てゐるだけの夕茜暗くなりたる窓辺に立ちて
  伊藤和好
何か魅力のある歌。初句に万感が籠っている。(戸田)
上句、すごく良い。下句、一寸惜しい感じがした。(出口)
「嘆息」が語感としてうまくいっているのか。(堀江)

鎌倉の異界をつなぐ石の橋渡れば蝉の声絶え絶えと  長田光枝
「異界」がうまく目立っている。(高橋)
良い題材。下句もっと何かないか。(籏野)
良く分かるが、「鎌倉の異界」の表現はもっと分かり易く。鎌倉でなくても良い。(鈴木)
初句、無くても良い。(伊藤)
「異界」は言葉が固い。普通の言葉で表現できれば。「鎌倉の」で歌を限定してしまった。限定した歌は余韻が残らない。歌は分からなくて良い。人の心はそう簡単に分からない。(堀江)
「人の世と異界をつなぐ石の橋」ではどうか。(鈴木)

目の前の今に心を注ぎゆかん齢を重ね重ね行くとも  高橋瑠璃
言いたい事は良く分かる。もっと素直に詠んでも良いのではないか。(嶋)
こういう表現も悪くはないが、自分の決意を表現している。少しかたいような気がする。(戸田)
意気込みがこの歌の支えになっている。(池田)
これはこのようになるより仕方がない。「重ね」が二つ。言葉としての工夫が欲しいと思った。(鈴木)
気持ちは分かるが、下句は全部削り、具体的な何かを持ってきた方が良いのではないか。表現としてはつつましい方が良い。(伊藤)
材料、表現とも固い。一方では教えを垂れているようだ。図書館の歌の方が面白い。(堀江)

下り来て谷ゆるやかな道に出るわれはいづくより壊れはじむる  堀江厚一
下句の内容が重い。上句は下句を引き出すのに良く詠われている。(小久保)
上句、丁寧に詠まれている。下句は強い表現でとても面白い歌。(出口)
上句、下句ともに実際の風景ではなく象徴ではないかと思った。下句は微妙な感情を巧みに表現している。(籏野)
下句はねらいすぎのようにも思えるがこれはこれで良いのか。(高橋)
「壊れる」という表現でどういう状態になる時を指しているのかが良く分かる。上句は実際の風景だと思うが削られている。(伊藤)

冬の光に今月も熱心な歌評会で、冒頭の提案にまで到るには時間が足りないほどでした。
もう1月号の発送の準備も整っているそうです。今年一年有難うございました。至らぬ報告であるいは片寄や、勘違いもあるかと思います。気が付かれた方は是非ご指摘頂きたいと思います。また来年も宜しくお願い致します。皆様ご健康に良い新年をお迎え下さい。(伊東芳子)

12月です

箕面の滝知恩院の紅葉ついに12月となりました。一年の過ぎゆきの早さを思います。案外に紅葉が長く続きまだ美しい景を撮ることができました。近郊の箕面の滝や京都の紅葉です。
最近はどの観光地も名所も海外の方が多いです。特に中国の方が多いようですね。二年坂産寧坂を着物を着て清水寺に行くというコースがあるようで、華やかな着物で中国語の団体がカメラ片手にどんどん行くのは壮観です。日本は好きですか?と聞いてみたいですね。日本のいいところを感じて帰ってもらえればいいなあと思いました。
さて今年も投稿できるのはあと一回だけと思うと、なんだか気持ちが押し迫ってきます。午年の有終をかざりたいです。(竹内敬子)

紅葉とき

クリスマス仕様2クリスマス仕様1今関西では紅葉が美しさのピークです。今日は朝から激しい雨が降ったので落葉してしまったところもあるでしょうね。残念です。一方で街のショーウインドーはすっかりクリスマス仕様。何となく暖かい気持ちになります。
今月の投稿を終え、そろそろ届くだろう12月号を待ちながら、11月号の清水房雄先生の「朽木吟(二)」よりいくつかご紹介いたしましょう。

   朽木吟(二) --抜粋   清水 房雄
 心こめて読みゐしつもりの文庫本何時しか文字を辿るのみなり
 忘却の彼方に遠くなりながら彼の戦争に保ち得し命
 閻魔王間もなく吾を呼び寄せむ事など思ひ疲れてゐたり
 日溜りの草生に屈みゐたりけり老耄歌二三首得むと思ひて
 半袖を着替へよと言ふ声がする卯月終りの寒き夕べに
 欲も希望もすべてものうく在り経つつ衰へはてし身が残りたり
 世間知らずの己顧みる事も無く過ぎ得たるかな長き戦後を

Appendix

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