お光に対する粗相について
明主様御教え 「大いに注意すべき事」 (昭和27年5月14日発行)
「私のかいた文字を粗末にすると、必ず御気づけがあるから注意して貰いたい。
これは御守りに限らず、すべての文字がそうである。
というのはその上へ他の品物を載せると、霊的に大変な御無礼になるから必ず御気付けがある。
何となれば一字一字に神霊が宿られているからである。
そのくらいの偉力がなければ、万民を救う事ができるはずはないからで、つまり私の文字は生きているので、そのつもりで扱うべきである。
左の御蔭話はその事を神様がお示し下されたものである。」
体験談 祖霊の戒告 お守り様のお箱の上の位牌に立腹
大分県 如意輪中教会 KN(29・女性)
「私は昭和二十五年十二月に入信した者でございます。この度戴きました御守護の一端を御報告さして頂きます。
昭和二十六年二月二十二日家の例祭を済ませた翌朝の事でございました。
中教会からちょっとお寄り下さったI先生に、胸の辺りが苦しいので御浄霊を御願いし、十分程で汽車が来ましたので私も左程の事もありませず、すぐ御帰りになりました。
帰られまして三十分位すると突如吐気を催し、沢山の生つばのようなものが出ました。
それから全身がだるくなり、腹部が猛烈に痛くなり、居ても立ってもいられなくなりました。
五分か十分毎に出産の際の陣痛のような痛みがおそって来ました。
初めは食当りでもしたのではないかと軽々しく考えていましたが、翌日になっても依然として痛み続け、堪えられなくなりましたので、中教会へ自動車にて連れて行って貰い、M先生奥様より御浄霊を戴きました。
丁度長女H(五歳)も麻疹がはっきりせず、肺炎になりかけていましたので非常に苦しがり御浄霊を戴き楽にして頂きました。
四日目に会長先生の奥様が態々お出で下さいまして私の浄化につき
「何か霊的な事があるのでしょう、あなたが人工流産された水子の位牌をお造りなさい」とおっしゃられまして、
私もその日便所に行ってのかえり、廊下で急に頭から引張られるような感じがしてクラクラと目まいがして倒れ、意識不明となりましたので、
不図あの子供が知らしているのかも知れないと思っていた矢先でしたので、早速位牌を造る事を心に決めました。
すると不思議にも四日間痛み通した腹痛と全身のけだるさはスーッと軽くなり、四日目に初めて夕食を頂きました。
奥様より治子と共に御浄霊を戴きましてその晩はよく眠りましたが、翌日になりますと前にも増して痛み出し、
四、五分問おきに下腹をえぐるように痛み、全身がフラフラとしてだるく、今迄に味わった事のない苦しみでございました。
仰向いていると腹痛がひどく、うつ伏していると腰が痛く頭が重くて起きれないのでした。お産の時以上の苦しみでございました。
お見舞に来て下さる方々には何とかして医者に連れて行こうとして下さる方もあり「もしもの事があったら」と主人に忠告をして下さる方も沢山ありましたそうですが、
ただ光明如来様にお縋りする私達は最後迄お縋りすればきっとお守護頂ける事を信じていました。
毎日の激痛に心身共に疲れました。
丁度一週間目の二十八日中教会の奥様にお出で下さるようお隣りのAさんの奥様(信者)に電話をお願いしました。
その間主人が床を片付けるからと掃除をしている間別の部屋で座っていますと、何かしら気分がよくなり、
Aさんが帰って来て下さった時には笑声も立てて話せるようになり、奥様が来て下さいまして
「今来る途中何かしら胸が苦しくなり、何か霊的に知らせて来たのではないかと思います」とおっしゃって、
すぐ光明如来様に天津祝詞を奏げられてお願いして下さいました。
そして仏壇の方を御覧になり「ああこれで分りました。もう楽になりますよ」とおっしゃって下さり、吃驚しました。
それは仏壇のお位牌の下に、最初私が戴きましたお守様を桐箱に入れて置いてあったのでございます。
それから嘘のように元気になり、一週間痛み続けた腹痛もよくなり、食事も沢山頂け、本当に生れ変ったように元気にして頂きました。
後で分ったのですが、よくなる朝の二時頃に急に胸が苦しくなり、沢山の青いにがい薬のようなものを下腹からつき上げて吐きました。
それから下腹が楽になったようでございました。
奥様からお聞きして分らせて頂いたのですが、私の下腹にある薬毒に祖霊が憑って来たのだろうとの事でございました。
お隣りの奥様に電話をお願いすると同時に私の体が楽になったのでございました。
再度の祖霊の知らせにいかに霊の偉大なるかを分らせて頂きました。」
明主様御垂示 「お光の粗相に対するお咎め」 (昭和26年3月25日発行)
信者の質問
「本年一月七日、私の教会の新年祭をさせていただきましたが、
この日の午後二時ごろ隣村の信者IM氏(酒造業)宅で非常にこげ臭いので、あちこち探しましたところ、
次男が階下の衣桁へ御守りのかけてあるその上へ重ねてオーバーを掛けて二階へ上っていたのですが、
こげ臭いのはそのオーバーが燃えているためだったのでございます。
その衣桁の付近にはなんら火の気はなく、家族の者は非常に不思議がっていますが、
次男の申しますにはオーバーのポケットヘセルロイドのパス入れがあったが、
そこへ消したつもりで煙草の吸い残りを入れたのに、まだ火がついていてセルロイドへ引火したのではないかと思う、と言っていますが、
これも確実に記憶してはいない単なる推理にすぎないのであります。
あるいは右の出来事は尊い御守りの上へ、不敬にもオーバーを掛けてあったので、そのお咎めでしょうか、なにとぞ御垂示のほどお願い申し上げます。
なおオーバーは半分以上も焼けていたそうですが、「御守り」の袋はこげてもいず、大事に至らなかった点を非常に感謝申し上げています。」
明主様御垂示
「右は勿論お咎めであるから、よくお詫びして悔い改めないとふたたびお知らせがあるものである。
本教の御守りは生きているのであるから、大いに注意すべきである。
御守りばかりでなく、私の書いた文字の上へなにかを載せると必ずお知らせがある。
また御神書や本教の新聞雑誌などでもその上へふつうの印刷物など載せると、お咎めがあるものであるから、この点よく注意すべきである。」
明主様御垂示 「お光の粗相に対する祖霊の戒告」 (昭和26年11月8日)
信者の質問
「IT(二十六歳)七月入信。
八月終りに・・・仕事は材木を筏に組んで運搬しておりますが・・・
途中の川辺で休むときに、風呂に入る以外に、はずしてはいけないと言ってありますが、
お詫びして石の上に着物を置き、その上に置きましたが、
二、三十分して帰ってみると、御守りが焼けております。
近くでマッチを使用しているようには見えず、中の御守りは焼けておらず。ナイロンと、中の内袋まで焼け、その中は焼けておりません」
明主様御垂示
「それは、石の上にじかに・・・着物の上にね。それだからです。
着物の上に半紙か何か置いてすると良い。
扱いが違っているから、祖霊さんか何かが、それを示すため・・・注意するために、そうやったんですね。」
信者の質問
「縁は黒く焦げております。取り替えさせていただきましたら・・・」
明主様御垂示
「そうですね。
霊を入れ直して、新規に霊を入れて、袋を新しくすれば良いです。
こっちに持って来なさい。
私が霊を入れてあげますからね。そうしたら、それをしても良いです。」
明主様御垂示 「お光を雨で濡らした場合」 (昭和24年7月)
信者の質問
「畏れ多いことながら、夏などにわか雨、夕立などで、御光りを濡らすことがございますが、こんな場合いかにいたしたらよろしいでしょうか。
また濡れたりしますと、御光りの御力に違いがあるものでしょうか。」
明主様御垂示
「もし濡れたときには開けてみていいですよ。
開けてみて文字の紙にしみがついてなかったらそのままでいいです。
こんな人は油紙だとか、パラフィン紙だとか水の滲(し)みない紙や布があったらそれで包むといいですね。
こうすることは差し支えありませんからね。
またもし、字の書いてある紙にしみがついてたらいけません。
その理由を話してまた受けるといいですね。
天理教ではやかましくて、一生に絶対一つしか渡さないって言いますが、
しかし、それじゃ受けた人が恐れ戦(おのの)いて一種の恐怖症になりますからね、一つの罪ですよ。」
明主様御垂示 「お光を雨で濡らした場合」 (昭和24年8月28日)
信者の質問
「私の妹が田植の際大雨にて御光を濡らしてしまいました。
臨時祭の時平良先生に調べて頂きましたら、染が入っておりましたので、大先生に御伺いしてみなさい、と言われましたが、いかに致しましたら宜敷いでしょうか。御教示を御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「普段、油紙とかパラフィンのようなもので包んでおく。
一般へのそういう御注意である。差支えないから包むとよい。」
明主様御垂示 「お光の紐が切れた事例」 (昭和29年4月1日)
信者の発言
「資格者でございますが、昨年五月御神前掃除の最中、大光明様の御守の紐が切れているのに気づかず、
蒲団を叩いているときワイシャツの袖から屋根に落ち、大光明如来様を通じてお詫び申し上げました。
なお自分で気がつきました点としては、御守様に対する想念が徹底してなかったこと、また袋が汚れているのに取り替えなかったこと、
最近になって明主様に直接にお詫びしてない、ということが気になりましたそうです。
考えてみますと、御守様に御無礼があった頃から、布教のほうも行き詰って来ております。
お詫びと共に、今後いかがいたしましたらよろしゅうございましょうか」
明主様御垂示
「御守は浄めてあげます。」
明主様御垂示 「睡眠中にお光の紐を切った事例」 (昭和24年12月11日)
副守護神が人間の明主様信仰入信を悔しがった事例
信者の質問
「本年九月入信の三十八歳の未亡人で御座いますが、十一月二十一日午前三、四時頃、夢の中で何か細布を一生懸命噛んでおりました処、目が醒めて見ますと首に掛けているお光の紐を噛み切っておりました。
誠に申し訳のない事で御座いますが、何かの御知らせの印で御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「副守がくやしいのである。」
明主様御垂示 「鼠害の処置」
狐霊がネズミを使ってお光の紐を噛み切らせた事例
信者の質問
「光明如来様をお祀りして五ケ月程してから、夜御神前に置いたお守りの紐を噛み切られる事三回、その他、生花の花や蕾まで食べ、その他家具等噛み荒らされます。何か意味があるのでしょうか。」
明主様御垂示
「紐など鼠が切る。活花の蕾など、意味がありそうである。
何か気に入らぬ霊がある。
大体狐は鼠を使ってアダする事がある。やり方は狐のやり方である。
紙へ字を書いて鼠に対し禁ずる。
「いたずらをして人間に迷惑するような事をしてはいけない」と、字を書いて貼っておく。」
明主様御垂示 「お光をトイレに落とした場合」 (昭和26年10月5日)
信者の質問
「ある信者が、誤って、紐が切れていたか、袋がなかったのか、便所に落としましたが、いかがいたしましたらよろしいでしょうか」
明主様御垂示
「それはしようがない。無論新しくするんです。
信者の質問
「お焼きするのは、庭ではもったいないから、火鉢で・・・」
明主様御垂示
「いやいや、そんなことはない。庭といっても便所より上だからね。
明主様御垂示 「お光をトイレに落とした場合」 (昭和28年5月1日)
信者の質問
「御無礼な話でございますが、御守様を便所の中に落とした場合、その処置はいかがいたしましたらよろしいでしょうか」
明主様御垂示
「上げて焼くのが本当です。分かればそうすればよいが、しかし分からなくなったらしようがないからお詫びするのです。」
明主様御垂示 「お光が血だらけになった場合」 (昭和27年10月1日)
信者の質問
「信者でございますが、ダイナマイトで片腕がなくなり、
他の所にはかからずに御守り様が血だらけになったそうでございますが、
命は御守護いただきましたそうでございます。
明主様御垂示
「つまり大難を小難で御守護をいただいたのです。」
信者の質問
「血でベトベトになった御守り様はいかがいたしましたら。」
明主様御垂示
「記念に取っておくと良いです。
そうして新しくいただくと良いです。」
信者の質問
「大光明様でもよろしいでしょうか。」
明主様御垂示
「その人の資格によって決まっているでしょう。」
明主様御垂示 「お光の入ったシャツを洗濯した事例」 (昭和26年10月5日)
信者の質問
「主人がシャツに入れていたのを、奥さんが知らないで、お守が入っているまま水に入れてしまい、気が付いて申しわけないと持ってきましたが、
広げて乾かしても、乾かないのです。
いまもって・・・半年以上になるのですが、湿っぽいそうです」
明主様御垂示
「よくお詫びするんです。その人の心掛けが悪い。それをお知らせしたんです。
本当は首から掛けて洋服を着るというんです。
そうでなく、ポケットに入れていたんだから、よくお詫びして御神前に置くかすればよい。
それを、普通のものを掛けるようにしているからで、心掛けが悪い。」
明主様御垂示 「旅行先のお光を置き忘れた事例」 (昭和28年6月25日発行)
信者の質問
「謹みてお伺い申し上げます。
私は去年十二月、娘の大浄化を御守護いただき、入信させていただいた者でございます。
去る四月十日信州上山田戸倉温泉へ遊びに行き、お風呂場の脱衣場の釘に御守り様をかけたまま置き忘れて帰宅しましたので、
さっそく手紙にて問い合わせしましたところ、三日後に書留で郵送してまいりましたのです。
そのときは気づかずにおりましたが、後ほど御守り様を郵送してもらい、まことに御無礼をしたことに気がつき申し訳ございませんでした。
五月八日会長先生に御守り様の御浄霊をしていただき、現在その御守り様をおかけいたしておりますが、
このままでお許しいただけますでしょうか。なにとぞ御垂示のほどお願い申し上げます。」
明主様御垂示
「それは絶対いけない。いつでも私が浄めてあげるから持ってきなさい。会長にもその由伝えなさい。」
明主様御垂示 「落としたお光はすぐにお浄めしなければならない」 (昭和29年2月1日)
信者の発言
「二十五年二月入信の者でございますが、昨年十一月中旬畑にて作業中“光明”の御守を落とし、一時間後に気がつきましたそうです。
御守様には土がついておりまして、深くお詫びして現在掛けておりますが、気が咎めております。
いかようにいたしましたらよろしいでございましょうか。
ちなみに、本人は両眼失明中を御浄霊にてお救いいただき、現在新聞は読めませんが、歩行には支障ございません」
明主様御垂示
「そのときに聞けばよいのに・・・今まで掛けていたのですか。」
信者の発言
「さようでございます」
明主様御垂示
「そういうことは早くでなくてはいけないです。すぐでなければいけません。
そうして、このまま一旦掛けて、それから浄めるというのは実際変です。理屈が外れてます。
だから新しくいただくよりないです。
すぐならそれを浄めるということもあるが、今まで掛けていたということは・・・でたらめだったから・・・。
それを大事にしまっておいて、いずれは額にでもするがよいです。
それで御守としては新しくお受けしなくてはいけないです。
御守が切れるということは、紐が切れるというのでなくて、つけた所が取れるのではないですか。
紐は、そんなに古い紐ではないのだから、切れるようなことはないでしょう。」
信者の発言
「ナイロンの紐でございますが、固くなって折り切れたそうです」
明主様御垂示
「そうすると、つまりナイロンの紐は弱いのですか。
ではナイロンはよしたらよいです。
昔からの紐はそういうことはないです。
紐は吟味しなくてはいけません。」
信者の質問
「経(たて)の御守様はお額には・・・」
明主様御垂示
「よいです。掛物でもよいです。掛物のほうが巻いてしまっておけるから、よいです。それで何かのときに掛けるようにすればよいです。」
明主様御垂示 「お光から煙が出た事例」 (昭和27年1月25日発行)
信者の質問
「五十歳の女(二十六年三月入信)。
二十三年六月ごろより病床の人となり、いろいろと医薬に頼りたるも腎臓結石の診断を受け、
手術前夜にお道の話をしてひとまず手術を思い止めさせ、二週間で御利益をいただいた熱心な信者です。
ところが二十六年九月二十七日夕方、西南にある浅い井戸へ水くみに行くと煙がもうもうと立ちのぼり、
はっと驚き見ると本人の胸より煙の出ていることがわかり、あわててもみ消しました。
そしてみると御守り「御光様」のケースの下のほうが親指でおさえたほど焼けております。
これはなにかのお知らせでしょうか。また霊的でしょうか。お伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「これは別段気にするほどのことはないから、早く忘れてしまいなさい。」
明主様御垂示 「死者のお光を取り違えた事例」 (昭和28年1月25日発行)
信者の質問
「このたび妻の帰幽に際しまして、私の不注意から、私が以前いただきました大浄光の御守り様を、妻のいただいた緯の大光明の御守り様と思い違え、
棺の中へ入れて持たせてやってしまい、取り返しのつかぬことをいたしました。
なにとぞお許しをお願いいたします。
なお、いかがさせていただけばよろしゅうございますか。
御教示お願い申し上げます。
右不注意の段お詫び申し上げます。」
明主様御垂示
「すんだものなら致し方ないから、それでよろしい。心配するに及ばない。」
明主様御垂示 「夫婦でお光取替る」 (昭和24年6月26日)
信者の質問
「三十五歳の女、気狂いです。夫婦共に入信して、妻君は大分良くなりましたが、最近主人が入湯中自分のと主人のと両方共御守の袋を開き、出してしまいました。
いずれの方とも分らなくなりました。いかがしたら宜しいでしょうか。」
明主様御垂示
「開いてみても夫婦で取替っても差支えない。
夫婦は一体だから変ってもよい。それで、額になっている。」
明主様御垂示 「お光が連続して袋から脱けた事例」 (昭和25年1月11日)
信者の質問
「一昨年入信致しました会員で、日頃熱心に信仰を続けておりますが、
二月程前の夜、近所の家より帰宅して見ますと、御光が外袋より脱けて御座いません。
驚いて見に行くと、自宅の出口の所に落ちて少し水に濡れておりました。
御文字は濡れておりませんでした。
直ぐにお詫び申し上げて新しい外袋にお入れ致しましたが、
どんなにしっかりスナップで止めて置いても 必ずその外袋より脱けて出てしまいます。
いかなる訳で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「ない事はないが、二度までもという事はおかしい。一回見せてくれ。」
明主様御垂示 「睡眠中にお光を外した事例」 (昭和25年3月20日発行)
副霊がお光に苦しむ
信者の質問
「睡眠中に、無意識に御守り様をはずして、左手にしっかり握っていることが、夜中に目覚めて気がつきました。
驚いてお詫び申し上げましたが、なにか意味のあるものでしょうか。」
明主様御垂示
「これは御守りをかけてると、副霊が苦しいので外したいためにしたことだ。
しかし右は、手から御守りを放さなかったのは正守護神が放させぬようにされたからである。
こんなことはよくある。」
明主様御垂示 「睡眠中にお光を袋から出した事例」 (昭和25年5月18日)
副守護神がお光に苦しむ
信者の質問
「私儀四月初め頃より御神体にお参りの節、毎日瞬間的に神床に金色の大光明如来様が映ります。
五月十日朝起床致しますと、首にかけております御守様が中の袋共紛失致しており、首には空の袋だけがかかっておりました。
吃驚致し、探してみますと枕より一尺位離れた所に置いてありました。
これは私が無意識の中に引出した事と存じます。
早速御神前へ参り御無礼をお詫び申し上げました。
その後、腰と胃が一日三、四回位痛み、同時に上半身が電気に触れたような激痛を感じます。
肩は非常に張り首が回らなくなります。
御浄霊をいただきますと大変楽になりますが、またすぐ元のように痛みます。
いかなる御浄化で御座いましょうか。御伺い申し上げます。
なお、五月十一日、父(K・五十七歳)が茅ケ崎市よりの帰途、バスにて、列車との衝突事故のため負傷、当然生命の無きところを明主様の広大なる御守護を頂きまして軽傷にて済ませていただきました。
会長先生と岡田先生の御浄霊を頂きまして大変傷も良くなりました。
突発の事とて市立病院に入院しておりますが、退院次第御礼に参上させて頂きたく存じております。
本日は父に代り御礼に参上させて頂きました。謹んで御礼申し上げます。今後共御守護の程御願い申し上げます。
右は霊的にいかなる訳が御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「袋は無意識にやった。憑っている副守護神が苦しいからやった。
やはり浄化だから、気長に浄霊すれば治る。
災難は決っている。それが御守護によって軽くすむ。」
明主様御垂示 「お光を怖がる南方の狐霊」 (昭和26年9月21日)
信者の質問
「九月十四日入信の信者でございます。
昨年八月ごろより、急に一時的発作起り、妻だけを無意識のうちに叩いてしまい、
そのうち意識が回復し、馬鹿なことをしたと後悔いたします。
妻が八月十四日に入信させていただきましてより、発作が起ると妻の御守り様に手を掛け、なんとかしてはずそうと争います。
私が御守り様をいただいてより一度しか叩きませんが、その時は無意識に御守り様をはずして叩いてしまいました。
なお入信させていただきましてより、浄霊をさせていただきますと、身体中を動かし、手は見えなくなるほどに振ります。
私は南方に八年間軍籍にあり、デング熱病がありました。右御垂示をお願い申し上げます。」
明主様御垂示
「霊的ですね。この霊は御守りが恐いんです。
これは南方の狐らしいね。日本の狐とちょっと違う。
しかし、だんだん良くなります。
なるべく祝詞を奏げて聞かせてやる。
するとやっこさんは萎縮するか、逃げ出すかどっちかです。
浄霊はここ(額)です。ここにやっこさんがいるから、ここを主にしてやる。
自分でもやるんです。だんだん良くなります。」
明主様御垂示 「お光の余白を破いた場合」 (昭和24年11月18日)
信者の質問
「腫物にはるために御霊紙と間違えて御守様の御神体の余白の処を少し破った人がありますが、どうしたらいいでしょうか。」
明主様御垂示
「お詫びすればよい。」
明主様御垂示 「お光紛失の理由」 (昭和24年12月20日発行)
信者の質問
「首におかけしていました御守り様がときどきなくなったということを聞きますが、いかなるわけでしょうか。」
明主様御垂示
「これは不注意である。
そういうことはないとは言えぬが、御守りがなくなるとか汚すなどは心の置き所が徹底しないからである。
尊いという信念が薄いという意味もある。
良く反省してお詫びして心を入れ替えるようすべきである。
御守りは火素の塊りのようなもので、消えない火であるから水に浸しても濡れないのは不思議である。」
明主様御垂示 「お光紛失には理由がある」 (昭和25年4月17日)
信者の質問
「五歳の男の子がいつの間にか御光をなくして参りました。
本人に聞きましても知らないと申します。
誠に申し訳ない事を致しまして、深く御詫び申し上げます。
これは何かのお気付けで御座いましょうか。御教授願います。」
明主様御垂示
「お気付けとは限らぬ。外に理由のある事もある。
穿鑿(せんさく)は別として、お詫びして新規に戴く事である。」
明主様御垂示 「お光の紛失には深い理由がある」 (昭和27年12月1日)
信者の質問
「本年九月二十一日入信の五十五才の男でございますが、十月二十一日に御守様を失いました。
そのことにつきましてお詫びとお伺いをさせていただきます。
入信する一週間前に炭竃(すみがま)が焼け、その二、三日後に家の中にあったぜんぜん火の気がないストーブから火が出て、周囲に積んであった薪だけが燃え、家にはぜんぜん火がつきませんでした。
御守様をなくした当日は家のまわりで仕事をしており、お昼にはございましたそうですが、夕方に御浄霊を頼まれて気がつきましたそうでございます。
本人は外した覚えはぜんぜんないそうでございます。お詫び並びにお伺い申し上げます。
なお樺太よりの引揚げ者で、蛇を殺すのが好きで、当日もマムシ何匹かを背中を割って吊ってありましたそうです。
蛇を殺しておりますので、そのほうのことで何かあるものでございましょうか」
明主様御垂示
「蛇と火事は関係ありません。それからどうしました。」
信者の発言
「お詫びをいたしまして、もう一度いただくようにいたしております」
明主様御垂示
「それで良いです。火事は結構なのです。
さっき言った通り資格が足りなかったので、汚いものは焼いて、それだけ浄めたために入信できるというわけです。
それから御守様がなくなったのは、蛇とかということでなく他に意味があるのです。
それは今に分かります。
御守様がなくなるとか汚すとか、いろいろなことは深い理由があるのです。」
信者の発言
「御守様をいただきましてから今日まで十八年以上になりますが、その間二度ほど落とそうとしましたことがございますが、
そのことで考えさせていただきましたことは、かねがね御守様を物質扱いにしてないと、落ちなければならないときも奇跡的に落ちないということでございます。
一度はお風呂に入りますときにシャツと一緒にぬぎまして竹にかけ、風呂に入りましてから気がつき、見ますとシャツのボタンに紐がかかっておりました。
もう一度は、まだ箱の中におしまい申し上げました当時に、おしまいしようとするとき用事で立ちましたときに落としまして、思わず手ですくいましたら、下に落ちる前に紐が手にかかっておりました。
そのことから、常々想念を正しく持っていれば御守護をいただけるということでございます」
明主様御垂示
「そうですよ。今の人のも、そこに非常に曇があるのです。
むしろ御守様をなくしたということは、その曇を除ってくれたのです。御守様が背負ってくれたのです。
焼けたのもそうですが、それだけでは足りないのです。
罪にもいろいろ種類があり、罪穢れによって、先祖がいろいろ徳を積んだりしているので、その罪穢れを除って救われるとい因縁があるのです。
だから御守様がなくなったという意味は悪い意味に解釈できないのです。
むしろ良い意味に解釈して良いのです。」
明主様御垂示 「子供がお光を紛失した場合」 (昭和24年9月15日)
信者の質問
「先月左記第一項につき御伺い致しましたところ「余程大きな罪があるか、神様に対する何かの間違いがあるかも知れぬから今一度調べるように」との御指示で御座居ましたので、改めて御伺い申し上げます。
一、NK子と申します熱心な教導師ですが、その夫は、昨秋十月肺病で死去し、お道に熱心だった元気な長女が本年一月発病し、八月死去し、
その後、末の子供を二人他家にやるようになりましたところ、御光を二人ともどこかに紛失し、袋だけが戻って参りました。
右N家は、戦時中空襲で近所は殆ど助かりましたが、主人が一代で作りあげたその家と三軒だけが焼けました。
二、以上の件に付き、因縁を御伺い致しました者でありますが、右につき調べましたところ、
この家は神戸市にて、観音山と云う山の頂上にあり、西国を型どりまして、六百年前より麓より頂上にかけて、三十三相の観音様を石に刻み、お祭りし、常福寺という寺にて管理しております。
N家の宗旨は不明なので、夫人(NK子)の実家の宗旨(真宗)で夫と子供をお祭りしてあります。
また、空襲の際、爆弾落下のため弱った地盤がその後雨にてくずれ、下の天理教の教会が埋もれ、十七人生き埋めとなり、十二人が即死致しております。
以上のような次第で御座居ます。何卒よろしく御指示を御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「御守を紛失したのは変である。子供なら仕方ない。お咎めはない。
財産は怨みの財産で、これを潰さなければ救われぬ。」
明主様御垂示 「お光が焼ける理由」 (昭和24年8月28日)
信者の質問
「昭和二十二年に入信致しましたIN(女性・四十二歳)と云う信者で御座いますが、
(日頃あまり熱心にやっておりません)
先月外出先より帰って、御光を箪笥の横にちょっと掛けておきましたところ、風か鼠のために落ちました。
丁度その下に火鉢があって火が少々残っておりましたため、御光が焼けてしまいました。
改めて御光を受けさせて戴く考えで御座いますが、霊的に何か意味があるのでしょうか。御伺い致します。」
明主様御垂示
「大いに意味がある。大変意味がある。
御光を箪笥の横へ掛ける想念は全然判っていない。故に必要がない。
必要のないものを与える要はないというので神様が焼かれた。
御光を粗末にするとこういう事がよくある。
間違っている事をお詫びして再教修受けるか、その気持になれなければ信仰をやめるべきである。中途半端ではいけない。
信仰するならそのような行動をとるべきである。」
明主様御垂示 「父親がお光を焼いた事例」 (昭和26年4月1日)
狐霊が明主様信仰に反対する
信者の質問
「お道に熱心なために気が狂ったので、親父が御守様を焼いたのですが、また欲しがるのでございますが」
明主様御垂示
「結構です。やったら良いです。」
信者の質問
「娘は知らないのでございますが、娘には隠したほうが良いでしょうか」
明主様御垂示
「明さないほうがいいです。
親父こそお詫びするのが本当です。
熱心のあまり脱線するのがたまにあり、困りますね。
つまり狐ですね・・・狐が、メシヤ教に入られると自分のことができなくなるから狐の強い奴がなんとか邪魔しようとする。
親父に焼かせたり、本人を気違いにする。
やっぱり時期ですね。ある時期に行くと狐が弱るから、そうするとおとなしくなる。」
明主様御垂示 「原因不明のお光のシミ」 (昭和24年7月28日)
信者の質問
「三十四歳の男子、七月十三日山桃を取るため木に登りました。
その際知らぬ間に二粒程ポケットに入り、遂に御光様に染の付いたのに気がつき吃驚しました。
何か因縁があるので御座いますのでしょうか。
また、今後いかように致したら宜敷いでしょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「(御守様の内側は汚れる筈がない)
自分自身考えてみよ。何かある。こんな事はあるべき筈がない。本人が考えよ。
考えて判ったらお詫びして戴き治せばよい。」
明主様御垂示 「無理に入信させた妻がお光を破いた事例」 (昭和25年4月23日)
信者の質問
「私は昭和二十三年七月入信、十二月御神体をいただきましたがいずれも妻の諒解を得ずにいたしました。
約十月ほど遅れて妻も入信いたしましたが翌日御守りを外し、間もなく私が本部に泊めていただいたことに腹を立て翌日御守りに御無礼いたしました。
私は驚いて、大先生様の御写真、御神体にお詫び申し上げました。これは私の罪でございます。どうぞお許しくださいませ。」
明主様御垂示
「これはお詫びですね。」
信者の説明
「それが、御光りを破いてしまったのでございます。」
明主様御垂示
「破いた? だれが? この細君がですか。」
信者の説明
「さようでございます。御光りを破いて丸め、焚付けにしようとしたそうでございます。」
明主様御垂示
「ほう・・・なにか他の信者なんですか。」
信者の説明
「以前他の宗教をやったことがあるようでございます。」
明主様御垂示
「御光りに御無礼したってのはそういうことですね。」
信者の発言
「さようでございます。」
明主様御垂示
「で、奥さんが教修受けてからですね。」
信者の説明
「はい、前の晩主人が外に泊まったので嫉妬もあったようでございます。どうもその細君には狐霊がついているようでした。」
明主様御垂示
「その御亭主は前になにか信仰してたんですか。」
信者の説明
「なにか稲荷を信仰しておったようでした。」
明主様御垂示
「ま、神懸りじゃしかたがない。しかし、改心しなけりゃいけませんね。
けど、こういうのは細君がよく判らないうちに無理に教修を受けさせたんじゃないですか?」
信者の説明
「そうらしゅうございます。」
明主様御垂示
「そうでしょう、それがいけない。
破いて丸めるのはあたりまえだ、むしろ丸めるほうが本当ですよ。
決して無理に教修を受けさせちゃいけない、命令的に信仰させるのは絶対いけない。
いくら妻でも子供でも押しつけるのは絶対にいけません。
信仰ってものはその人自身の心に湧き起ったものであるべきなんです。
どうしても教修受けたい、やむにやまれず御光りをいただきたいっていうんでなけりゃ、受けさせてはいけません。
お義理や命令で教修を受けるのは、神様に対してたいへんな御無礼ですよ。
そういう人が御守りをかけると御守りが穢れますよ。
そんなのは御守りを非常に安ッポク扱ってるんです。
神様を安ッポクしてますよ。御無礼もはなはだしい。
そういう者に御守りを与えるなんてとんでもないことです。
まあ、これはこのままにしといて、この細君がたいへん悪いことをしたと心から覚って、
どうしても信仰に入れていただきたいと気がつくまではそのままにしといていいです。・・・
これは重大なことですからね、ちょっとした考え方で非常に違ってきますから、ここんとこによく気をつけなくちゃいけません。
間違った考え方と言えば、この間もある人が火事に向かって浄霊したら、風向きが変わって大難が小難ですんでしまった。
ところがその人は「これは焼くべきものを焼かずにすましてしまうんだから悪いんじゃないか」って言ってましたが、そうじゃない、非常にいいことなんです。
つまり、それが神の慈悲なんですよ。悪人も助けなくちゃいけないんです。
火事が起ったっていうのはそこが穢れているからそれを浄化するために焼かれるんですが、浄霊すれば曇りが消えて難を小さくしていただけるんです。
不仕合せはこの浄霊によって消滅するんです。
なにごとでも、人間の苦しみを減らすことは神の慈悲なんですから、
よけいなことはなにも考えないで、無意識に、ただかわいそうだからやってやる、それでいい。
無意識でいいんです。それがやむにやまれぬ慈悲なんですよ。
そして、そうすることがまた、神様の御旨にかなうんですよ。」
明主様御垂示 「お光を焼いた罪」 (昭和24年9月8日)
信者の質問
「昭和二十二年の暮娘が入信し、母親が理解出来ないで昨年九月に御光を焼きました。
その罪はいかなる罪になるでしょうか。
最近母親が入信致したいと改心しているのですが、いかが致したら宜しいでしょうか。御教示御願い致します。」
明主様御垂示
「改心すればそれでよい。(全然罪は消えるのではないが、十分の一位になる)ズーッと罪が減る。」
明主様御垂示 「お光を外して死亡した事例」 (昭和26年4月1日)
信者の質問
「炭坑の工夫で、御守様をはずして入り、坑木が当たり死んだ者がございます」
明主様御垂示
「はずすと言うのが間違いだな。そのままで良いですよ。それが希望なんだから・・・」
明主様御垂示 「龍神系とお光の中身は無関係」 (昭和24年6月3日)
信者の質問
「ある分会の先生で私のほうの教修生に「あなたは龍神系だから、私のほうで特に二体いただいてある「金龍」の御書を御光りの中に一緒に入れておけば病気はすぐ治る」と申しましたが、このようなことは事実でしょうか。」
明主様御垂示
「これは間違ってますよ、だれですかねえ。」
信者の質問
「私の地方の分会だそうでございます。」
明主様御垂示
「いけないですね、間違ってる。
よくそう言ってやってください、絶対にそういうことをしちゃいかんてね。
龍神系だとか、龍神系でないとかはぜんぜん御守りと関係ありませんよ。・・・
こういうのは自分で判断するんでしょうが、困りますね。」
明主様御垂示 「正守護神が紛失したお光の在り処を夢で教えた事例」 (昭和27年12月1日)
信者の発言
「七十才の男でございますが、御守様を無く致しましてそれが出てまいりましたということがございます。
二年ほど前のことでございますが、山に行きましてなくし、
その夜大光明如来様にお詫びいたしまして休みましたところが、
夢の中にはっきりと、茨の生い繁っている所にひっかかっている場面を見て、
朝になって行ってみますと、夢の通りにございましたそうで、
しかも前夜はどしゃ降りの雨でしたがぜんぜんぬれてなかったそうでございます。御礼を申し上げます」
明主様御垂示
「面白いですね。そういうときは正守護神が夢で知らせるのです。
これは大した意味はありません。不注意とかのそういった軽い意味です。」
明主様御教え 「注 意」 (昭和28年1月14日発行)
「別項座談会にもあるごとく、御守(註 現在のお光のこと)はじめ
その他の私のかいたものの値は一定しているにかかわらず、
少しでも多い金を得るとしたら、
その分だけは盗みの罪を犯す事になるから、
何程一生懸命信仰しても、それだけ御蔭は減る事になるからよく心得べきである。」