お光の作法について 2


明主様御垂示 「お光の額装について」 (昭和24年9月5日)

信者の質問
「去る御面会の節、御守開封の件に付き御質問を致しました方が御座居ました時、

「時が来たら額に出来るようになっている」との御解答が御座居ましたが、

私事昨年七月大光明の御守を戴き、本年春、初めに戴きました光明の御守を、不注意にも先生方にも伺わず、しまい置いては勿体ないと存じまして、玄関の間(八畳)に御額にして御掛け致して御座居ます。

前述の、時が来たらとの御解答により大変な間違いを致してしまいました事に気付き、謹んで御詫び申し上げます。

なお、この後いかが致しましたら宜敷う御座居ましょうか。謹んで御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「時が来たら、などと言った事はない。

こんな心配は要らぬ。間違いではない。

額であるからそれでよい。」




明主様御垂示 「お光の額装について」 (昭和25年3月28日)

信者の質問
「御守の御取替えをした場合、旧い御守を子供が御教修を頂くまでかけさせて戴いてもよろしいでしょうか。右、御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「いけない。しまっておいて額にするといい。一年位経ってから額にする。」




明主様御垂示 「お光の額装について」 (昭和25年10月15日発行)

信者の質問
「御守りの「浄力」を授かりました場合、いままでいただいておりました御光り様は、どのようにいたしましたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「御光りの御守りは額になるようになっておるのだから額にするのが一番よい。」

(註 昭和20年代前半の光・光明・大光明のお光には明主様の落款(サイン)があったが、昭和20年代後半のものからは落款が省略された。)




明主様御垂示 「お光の額装について」 (昭和26年8月1日)

信者の質問
「今度、お守様をお取り替えいただけますことになりましたそうでございますが」

明主様御垂示
「ええ・・・ええ。今日言おうと思ったが、今までお守は額の形式になっている。

というのは、先に、玉川にいる時分に、よくお守りを調べるんです。

そこで考えた。記念にやったところが、それをたたんで、ふところに入れると・・・というような。

お守りはやかましかったからね。渋井さんが考えたんだね。

それが今日まできた。今日としては、それは嘘になる。

今日は純粋のお守りにするんですね。

浄を一度やって、清まったから、今度は本当のお守りにしなければならないというので、神様から、そう言われたから、今度、純粋のお守りにした。

この間、浄をやって、すぐに言うのはあんまりだから、任意で良いんだか、この間のとき言ったんですがね。今日も言うつもりだったが忘れた。」


信者の質問
「私共は、かねがねたくさんいただきものをしておりますが、前のは記念として・・・」

明主様御垂示
「そうです。将来、額にすれば良い。

そういう意味で、記念にとっておくといいですね。」


(註 昭和二十年代中頃に、お光が「光・光明・大光明」の扁額形式から、「浄・浄力・大浄力」の扁額形式に変更され、続いて、「光・光明・大光明」のお守り形式(経書・落款なし)に変更された。「浄・浄力・大浄力」の扁額形式が短命に終わったのは、浄霊が効きすぎて、死亡者が出る事件が多発したためであると言われている。)




明主様御垂示 「経のお光は額にすべきではない」 (昭和27年5月1日)

信者の質問
「以前の緯(よこ)の御守様はお額にいたしまして、階下によろしいでしょうか」

明主様御垂示
「構いません。御神体じゃないからね。御神体だけはいけないですがね。」


信者の質問
「経(たて)の御守様を上のをいただきました場合に、前のは・・・」

明主様御垂示
「しまっておけば良い。」


信者の質問
「お額にすることは・・・」

明主様御垂示
「いけないです。なぜならば私の署名が・・・落款(らっかん)が入ってないでしょう。だからいけないです。

前のは落款が入っているから良いです。目的が違うからね。」




明主様御垂示 「経のお光を額にしてよいとした事例」 (昭和29年2月1日)

信者の質問
「経(たて)の御守様はお額には・・・」

明主様御垂示
「よいです。

掛物でもよいです。掛物のほうが巻いてしまっておけるから、よいです。

それで何かのときに掛けるようにすればよいです。」




明主様御垂示 「お光変遷の意義」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「最近、大光明様のお守様をいただき、大浄光を額にします場合の順序ですが、地上天国とかありますが、順位の点はどのようにしましたら・・・」

明主様御垂示
「大浄光を一番良い所に掛ける。」


信者の質問
「最近お守がよく変りますが、信者から、変ることを聞かれましたら、なんと言えば良いでしょうか」

明主様御垂示
「神様が必要あってそうさせるんです。

それで、神様の思し召しは、大浄光の額を掛けさせるというのが、神様の思し召しですよ。

そうして霊界を浄めるんです。だいたいそれだけですね。

まだ説明すればいくらもあるが、そうすると、神様のやり方は、どうもおかしい、納得ができないということになると、人間のほうが、上になるから、あんまり説明したくない。

とにかく神様のほうで、そういう意味があってなさるんで、それで良いんだ。

そのほうが、なんか良い・・・というように思うのが本当ですね。」




明主様御垂示 「返上されたお守りの処分方法」 (昭和24年1月18日)

信者の質問
「会員中には脱会の際、御守りを返上する方がありますが、かかる返上された御守りはいかがいたしたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「一番いいのは焼くことですね、・・・御軸の場合はしまっておいて他の人に上げたらいいです。」




明主様御垂示 「返上されたお守りの処分方法」

信者の質問
「講習生が御守を粗相し、御浄めに御預りしたもの三体、兄の生前中よりございますが、どうさせて戴いたらよろしいでしょうか。

三体共名前がついておりますが、分りません。

内一名は御主人反対のため戻されたものであります。」


明主様御垂示
「額にするとよい。

しまっておけば、また入用の時が来る。」




明主様御垂示 「返上されたお守りの処分方法」 (昭和24年6月25日)

信者の質問
「入信後御光を返却して参りました場合、その御光はいかにすれば宜しいですか。

この御光を浄めて戴いて他の者に戴かせる事が出来ますか。」


明主様御垂示
「御光は汚してあるから、一旦お手許へ返す。

そして浄めて上げる。そして入れ直す。それからがいい。」




明主様御垂示 「死者のお光の取り扱い」

信者の質問
「入信者死亡の場合の御守様の御処置・・・」


明主様御垂示
「焼けばよろしい。」




明主様御垂示 「死者のお光の取り扱い」

信者の質問
「亡くなられた方の戴いた御守はそのまま棺に納めて焼却させてよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「礼を言って焼くのが普通である。

棺に入れてもいい。

霊界へ行っても特別扱いされる。

霊界へ行くと大変な違いである。」




明主様御垂示 「死者のお光の取り扱い」 (昭和24年6月25日)

信者の質問
「入信者死亡の時、家族が過って死者の御光に対し左記のごとき取扱いをなした場合、いかなる処置をすれば宜しいか。

一、死者に持たせて火葬した場合、

二、死者に持たせて土葬した場合、

三、河川に流した場合、

四、神社、寺院にて焼却して貰った場合。」


明主様御垂示
「どれでも構わぬが、霊だけの御守護で、そのまま掛けてやるのが一番よい。

霊界で素晴しい待遇になる。

河川に流したりするのはあまりよくない。

神社で焼却するのはさして悪くないが・・・。

朝鮮で御光を戴いたために、霊界で良い所へ行けたと教師に泣いて感謝した霊があった。」




明主様御垂示 「お光をしたまま火葬してよい」 (昭和23年3月28日)

信者の質問
「受講者が死亡した場合、御守り(註 現在のお光のこと)はいかがいたしますか。」


明主様御垂示
「御守りをつけたまま火葬にすればよろしい。」




明主様御垂示 「土葬の場合にはお光を外したほうがいい」 (昭和25年1月20日発行)

信者の質問
「信者が死亡いたしました場合、御守りは死体と一緒に火葬にするようにとうけたまわりましたが、土葬の場合にはいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「これも遺族の希望によればいいんですがね。

しかし、まあ、土葬のときは一緒に埋めずに外しておいたほうがいいですね。」


信者の質問
「それを御額に表装してもよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「ええ、結構ですね。」




明主様御垂示 「死者のお光は焼くのが本当」 (昭和25年10月15日発行)

信者の質問
「田舎では土葬の際、昔葬った所を掘り返して、また新しく亡くなった人を葬るそうでございますが、このようにいたしますと、昔の骸骨が出てきたりすることもあるそうでございます。

このようなことはいたしてもよろしいものでございましょうか。

また土葬の際、御守り様はいかがいたしましたらよろしゅうございましょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「これは事情によるものである。

墓所が狭くて、他へ埋めることができない場合は、霊も承知するから差し支えない。

御守り様は焼くのが本当であるが、本人の希望なれば、そのまま掛けても差し支えない。」




明主様御垂示 「死者のお光と遺族の希望」 (昭和24年12月3日)

信者の質問
「何かの理由で御道から離れた場合、あるいは信者が死亡してその家族に信仰心のない場合等には、御写真、御神体、御書体等はどのようにさせて頂いたらよろしいでしょうか。

信者が死亡致しました場合、御守は一緒に火葬にするようにと御伺い致しましたが、土葬の場合、御守はいかが致すべきでしょうか。」


明主様御垂示
「遺族の希望通りでよい。」




明主様御垂示 「亡くなった信者のお光の処置は本人の意思に従う」 (昭和24年1月19日)

信者の質問
「教修者が亡くなりました場合、御守様をかけたまま葬るべきで御座いましょうか。

あるいは別に御処分御願いすべきで御座いましょうか。」


明主様御垂示
「どちらでもよい。本人の希望によった方がよい。」




明主様御垂示 「亡くなった信者のお光の処置は本人の意思に従う」 (昭和26年4月1日)

信者の質問
「信者が死んだ場合、そのときお守様は、亡骸と一緒につけて良いというお言葉でございましたが・・・」

明主様御垂示
「それは死ぬ人の希望です。それでなければ執着があるからね。」


信者の質問
「残った御守様はいかがいたしたらよろしゅうございましょうか」

明主様御垂示
「希望がない場合は、とっといたほうが良いですね・・・記念という意味でね。

きれいな箱に入れて・・・桐の箱かなにか作って、そこに書いて・・・何の何某(なにがし)と書いて・・・そうしてしまっておく。」




明主様御垂示 「亡くなった信者のお光の処置は本人の意思に従う」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「信者で亡くなった場合にお守を掛けて入棺させていただいて埋葬しても良いというふうにお伺いしておりましたが、

山形の信者さんから問い合せがあり、先生により、火葬の場合はお守りをつけて良いが、土葬の場合は、はずしてと言うのでございますが」

明主様御垂示
「それはその人の考えで言ったんです。

私はそんなこと言わない。

原則としては本人の希望なんです。

お守りを掛けて行きたいと言うなら行ってもよいんです。

希望がないならはずすんです。

はずして立派な包みにして、仏様に供げておくんですね。」


信者の質問
「仏壇にでございますか」

明主様御垂示
「そうです。」


信者の質問
「本人が意思表示ができない場合には、どのようにしましたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「意思表示のできない場合もたくさんありますが、はずして仏壇にね。

仏壇にも永久でなくても良い。

だいたい一年くらい預けて、あとはお礼を言ってしまって・・・額なら額にしても良い。」




明主様御垂示 「亡くなった信者のお光の処置は本人の意思に従う」 (昭和26年10月5日)

信者の質問
「亡くなった人のお守を教会に持ってきた場合は・・・」

明主様御垂示
「それは死ぬ人の気持ちに任せればよい。

そういう希望がなければ、そこの家で、紙に包んで粗末にならないところに取っておくとよい。」


信者の質問
「信仰を止めております」

明主様御垂示
「それじゃ、教会に持ってきてとっておきなさい。いずれ、先が詫びて来ますから、取っておくとよい。」




明主様御垂示 「位牌のそばにお光を置くべき場合」 (昭和27年3月1日)

信者の質問
「結核で死亡いたしました者でございますが、死ぬ前に信者の質問「光明」の御守様をいただきたいと言っておりましたが、

都合がつきませず、今度いただきまして位牌に掛けさせたいと申しますが、どういたしましたらよろしゅうございましょうか」


明主様御垂示
「やっぱり御守をいただいて、位牌の側に置きなさい。

それは一周忌までですね。一ヵ年ですね。

そうしてあげたら良いです。

つまり執着がありますからね。執着が取れますからね。」




明主様御垂示 「死にそうな未信者の首に家族のお光をかけた事例」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「信者の息子で未入信ですが、死ぬ寸前に、母親のお守を掛けさせてくれと言い、

十五日くらい掛けて非常に喜び、これで神様に救われたと言って死にましたが、

お守は穢れてはいないかと申しますが・・・」

明主様御垂示
「そんなことはない。」


信者の質問
「そのままお掛けしていてもよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「そのときお礼を申し上げるんです。それで良いです。」