お光の作法について 1


明主様御垂示 「お光は常に首にかけるべし」 (昭和23年7月8日)

「いかなる場合でも御守りを外してはいけませんよ。」




明主様御垂示 「お光は常に首にかけるべし」 (昭和25年4月3日)

信者の質問
「御浄霊をいただくときに御守り様をいただいたままでよろしいでしょうか。

明主様御垂示
「御浄霊を受ける受けないに関係なく、御守り様を外しちゃいけませんよ。

御守りは湯に入るときだけ外して、あとは一分も外しちゃいけません。」


信者の質問
「御守り様を忘れて御浄霊いたしますことは御無礼でしょうか。」

明主様御垂示
「勿論、御無礼にもなるし、第一そんな心掛けじゃいけませんね。

だいたい、御守りを忘れるなんてのは魂が抜けてる証拠ですよ。(笑声)」




明主様御垂示 「観音力時代にお光を外した理由」 (昭和23年11月4日)

信者の質問
「以前は御守様を夜は御納めして寝み、産婦は安静期間中御納めしたのですが、今日では二六時中戴いておりますが、この違いはどういう訳なので御座いましょうか。」


明主様御垂示
「以前は観音力と書いた大きい御守だったので、ふだん掛けると挙動に差支えるためにそうした。

そして寝る時は小さいのを掛けるようにしたが、それを工夫して小さくした。

そして手数もかかり面白くないので始終吊るようにした。

産婦の事は私も知らぬ。産婦に掛けさしても汚れるような事はない。外してはいけない。

昔から神様に対する認識が非常に違っている。

大本にいた時は獣肉も食ってはいけなかった。

そうすると西洋人を救う事は出来ぬと私だけは肉を食った。

参拝の車中、私だけはサンドウイッチを食った。

電車などは邪神の作ったものだといって乗らなかった。

産婦の場合、よけいに御守護頂かなければならぬ筈である。」




明主様御垂示 「被浄霊時のお光」

信者の質問
「浄霊を受ける場合、御守様を持っていてもよろしゅう御座居ましょうか。」


明主様御垂示
「差支えない。御守様を持っていた方がよい。」




明主様御垂示 「裸でお光をしてもよい」 (昭和23年9月18日)

信者の質問
「観音様の御力が御守りから紐を伝わり体に入りそして手から出ると考えてもよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「そうではない。

御守り自体へ霊線を通って光が行き、それが御守りに入り、それから手から出るのです。

紐は金属でもいいのですよ。

むしろ首にかけることに意味があるので、

戦争中軍隊などでは首にかけていると裸になったとき取り上げられるので腹巻に入れるようにしていたが、

これはやむを得ない事情があるからで、事情がなにのに勝手にやってはいけない。

夏は裸になるから斜めに脇の下にかけてもよい。




明主様御垂示 「お光をしたまま性交しても差し支えない」 (昭和24年2月18日)

信者の質問
「こういう席上でおそれ入りますが、夫婦がやすみます場合、御守り様をかけたままでよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「ええ、かまいません。」




明主様御垂示 「水泳の際におけるお光の取り扱い」 (昭和24年7月19日)

信者の質問
「子供が近くの海や川へ泳ぎに行きます場合、また、電車で遠くの海へ出掛けます場合、御守様はいかが致したらよろしゅう御座いましょうか。」


明主様御垂示
「泳ぐ所のどこかへ掛けかえればよい。家へ置くのはいけない。

電車事故等の頻繁な今は特にそうである。」




明主様御垂示 「水泳の際におけるお光の取り扱い」 (昭和24年2月10日)

信者の質問
「水泳の時の御守はいかが致したらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「水泳に行く場所によるが、釘掛けのある場所ならお掛けする。

海など行く時は、家へ置いてお断りする。

人間が誠意を以て出来るだけの事をする。」




明主様御垂示 「海水浴の際におけるお光の取り扱い」 (昭和27年9月1日)

信者の質問
「信者が海水浴に行きます場合に御守様は家にお預けして行ってよろしいものでしょうか」


明主様御垂示
「自分の家にですか、それは感心しません。

更衣場があるでしょう。その上に釘でもあるでしょうから、そのところに掛けて置けば良い。

そういう場合は釘が一番良いです。

あるいは掛茶屋かどこかに行って、釘のある所を探して、御守だからお粗末になると困るからと言って掛けるようにすると良い。」




明主様御垂示 「出漁時のお光」 (昭和24年3月4日)

信者の質問
「漁師の信者、仕事の関係上濡れてはとの考えから御守様を戴かずに出漁致しますが、沖で御浄霊させて戴けません。

このような場合、いかが致しましたら宜しゅう御座居ますでしょうか。」


明主様御垂示
「これは間違っている。油紙で蔽えばよい。これはゴム引でもよい。出漁の時こそ肝腎である。」




明主様御垂示 「お光の袋口を縫ってもよい」 (昭和24年4月21日)

信者の質問
「他の会の方に聞きましたが、観音力の御守様をセロファン紙等にて包み、

また、被いの御袋に入れさせていただく折、上の口を決して閉じてはいけないと云うことで、

すっかり開けておられるそうで御座居ますが、

これはどう致すのが正しいので御座居ましょうか。

御伺い申し上げます。口が開いておりますと、飛び出したり中に埃が入ったりして不都合のようで御座居ます。

なお、スナップで止めておきました所、未だわからない家族の者が入浴中に中を開いて出して見たという実例もありまして、

最近は私共の方では大抵上をすっかり縫うように致しておりますが、これでよろしゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「縫って宜しい。

観音力の名称は不可、「御光」というべし。」




明主様御垂示 「お光を油紙、パラフィンで包んでよい」 (昭和24年8月28日)

信者の質問
「私の妹が田植の際大雨にて御光を濡らしてしまいました。

臨時祭の時平良先生に調べて頂きましたら、染が入っておりましたので、大先生に御伺いしてみなさい、と言われましたが、いかに致しましたら宜敷いでしょうか。御教示を御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「普段、油紙とかパラフィンのようなもので包んでおく。

一般へのそういう御注意である。差支えないから包むとよい。」




明主様御垂示 「お光を防水油紙で包んでよい場合」 (昭和24年11月2日)

信者の質問
「長崎県の海底炭鉱に働く者で御座いますが、坑内は泥水が雨の降るように落下して、働く者は全身泥まみれになります。

今度有難い御光を戴くことになっておりますが、働く時に坑内で御守様に失礼があってはと心痛致しております。

このような場合はいかようにさして戴いたら宜しゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「御守は防水油紙などで包むとよい。」




明主様御垂示 「お光の紐は鎖でもよい」 (昭和25年4月18日)

信者の質問
「夏暑いときなど洋装の婦人が御守り様の紐の代わりに鎖を使わせていただくことは、

殊に装飾にもなりよろしいかと存じますがいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「ええ、鎖でもいいですよ。」




明主様御垂示 「お光の紐は金の鎖でもよい」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「お守の袋と紐は絹でなければいけないのでしょうか、金の鎖ではいけないでしょうか」


明主様御垂示
「紐はいいでしょう。

袋は絹でなければいけないですね。

絹がなければしかたがないが、あればそれでしなければならない。

紐も、絹がなければしかたがないが、あるのにしないのはいけないですね。

なければ差し支えないですね。」




明主様御垂示 「お光の外袋の材質が絹から金襴に」 (昭和28年10月1日)

信者の質問
「今度御守様の金欄の袋ができまして、今まで金欄でなかったので取り替えていただくことになりましたが私達の会では、

支部で各自の名前を書いて集めておき、会長が来たときに取り替えていただくという通知がございましたが、

そういたしますと、その間御守様なしということになりますが、よろしいものでございましょうか」


(註 金襴・・・綾地または繻子地(しゅすじ)に金糸で文様を織り出した織物。袈裟(けさ)・能装束・帯地・袋物・表装などに用いる。 一般神社のお守りの派手な袋に使用されている布)


明主様御垂示
「それはおかしいです。

今までどおり御守様を持っていて、会長が来たときに金欄をもらえばよいでしょう。

その間金欄の袋がなかったら御守を下げていけないということはありません。

どうしてそういうことになったのですか。

通知というのは本部からですか。」


信者の発言
「メシヤ教本部からはそのようなことはもうしておりません」

明主様御垂示
「なにしろ御守なしということはいけません。

金欄のために御守をぜんぜんかけないということはいけません。

こうすればよいでしょう。

金欄は御守を持っている人が勝手に作ればよいです。

会長が渡そうと、誰が渡そうとよいです。

金欄ということに重きをおくことはありません。

たかが布ではないですか。

しかし別に悪いことではないが、それほどにしなくてもよい、というように考えてもよいです。

ですから金欄は自分で作ってもよいです。

これは御神体と同じで、神様のお召し物になるから、今までの白絹だけではお粗末だから、もっと立派なお召し物を着ていただくということです。

だから一定しなければいけないということはありません。

むしろ会長が持ってくる物より、もっと立派な物なら、なおよいです。

今までのは白絹だけだから、人間が着ているものよりお粗末になります。

神主でも、白だけを着ているのは一番下の者です。

上の者はみんな模様があるものを着ています。」


信者の質問
「金欄の地色はどの色でもよろしいのでございましょうか」

明主様御垂示
「よいです。だいたい金欄となればみんなよい色です。」


信者の質問
「先ほど色の御教えがございましたので、ちょっと気になりました」

明主様御垂示
「あんまり狭くとってはいけません。」


信者の質問
「金欄にも準金と本金とありますが。どちらがよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「それは本金がよいです。あなたはその区別が分からないのですか。

あなたは本物と、ダイヤのイミテーションとはどっちがよいですか。」


信者の質問
「準金でもよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「貧乏で本金を買う力がない者はそれでよいです。」


(サイト管理人の説明・・・明主様は、昭和28年10月頃より、お光の外袋を金襴にするよう定められた。つまり、明主様は、お光の外袋として、白絹の使用を禁止された。理由は白絹の外袋は、神様のお召し物として粗末だからである。ところが、金襴が肌にふれると、こすれて痛いので、その後、信者らがこの明主様の教えを無視して、現在の秀明会のように、白絹を外袋に使用するようになってしまった。)




明主様御垂示 「お光を開けても差し支えない」 (昭和24年7月25日)

信者の質問
「迂闊に御光を開けて見た後で、勿体ない事をしたと驚き分会長先生に御浄めをして戴きましたが、未だ気になります。

今後どのようにしたらよいのでしょうか。御教示願います。」


明主様御垂示
「開けてもいい。(そのため額にしてある)ただ丁寧にする。(懐へ入れれば御守になる)

(月経女を部屋に入れないのがあるが、構わぬ。

死んだ人は神様から遠ざけるが、私の方では近寄った方がよい。

光明如来様に近づけ、お光によって浄める。

神様は生米や塩はお嫌いで、これは龍神が好む)」




明主様御垂示 「お光を小さくたたんでよいか」 (昭和26年8月8日)

信者の質問
「今度いただいたお守様をもう一つ小さくたたんでお掛けしてもよろしいでしょうか」


明主様御垂示
「先に子供やなんかに大き過ぎるので、小さくして良いかというので、そういうわけなら良いと言ったことがあるが、普通の人で小さくしなくても良い人はそのままが良い。」




明主様御垂示 「幼児のお光拝受は六歳位から」 (昭和24年8月23日)

信者の質問
「乳児(一歳)教修をいただきましたが、御光りを小さく折りたたんでかけてもよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「そんなことをしちゃいけませんよ。

教修を受けるのはまあ、五つすぎですね。

こういうのは親が御守りをいただけばいいんです。

小さな子供は御守りに小便を引っかけたりするからかえってもったいないですよ。」


信者の質問
「もういただいてしまったんですが・・・」

明主様御垂示
「いただいたのはしかたがないから、大きくなるまでしまっておくんですね。ま、六つくらいからでしょうね。」




明主様御垂示 「幼児のお光拝受」

信者の質問
「五歳の子供が御守様を戴きたいと申しますが、どうしたもので御座いましょうか。」


明主様御垂示
「差支えない。御守を出来るだけ小さく作ってやるとよい。」




明主様御垂示 「重病人がお光の下付を受けてもよい」 (昭和24年7月16日)

信者の質問
「重病人が必死に御守を戴きたがる場合は授けても勿体ない事はないでしょうか。」


明主様御垂示
「授けないのが勿体ない。

病人だったらなるべく大光明如来様の前へ寝かす方がよい。

月経時の御給仕はいけないなど、いろいろ昔の間違った習慣がある。」




明主様御垂示 「本妻よりも先に妾がお光の下付を受けてよいとされた事例」

夢の中で明主様よりお光を頂いた事例

信者の質問
「去る二月十八日御伺い申し上げましたその後の経過を御報告申し上げます。

明主様御言葉通りに本妻に御守様を頂き主人を浄霊するよう申しましたが聞入れません。

現在浄霊しております妾は本妻より早く夫婦になられたそうです。

家の都合上現在のようになりました。

本妻は病気にて寝たり起きたりしております。

三月三日夢にて、明主様が自動車にて御出でになり、浄霊をして頂きました。

その時、妾の側に稲荷様がおり、明主様に叱られました。

T先生外二名の先生に御命じになり、稲荷さんを焼き払いました。

その時、明主様より患者は大変立派な御守様を頂きました。

翌朝は大変気分よく、咽喉部も痛みはなく、食事も水も頂けました。

ただ今、本人は死んでも良いから大浄力の御守様を頂き度いと毎日申しております。

妾も頂いて浄霊して上げたいと申しております。いかが致しましたら宜しいでしょうか。」


明主様御垂示
「大浄力はいけない。浄力ならよろしい。

妾が浄力を受けてよい。」




明主様御垂示 「結婚記念にお光を下付するのは大間違い」 (昭和24年9月17日)

信者の質問
「私の娘(二十六歳)は昭和二十一年一月十六日に私と一緒に入信させて頂きました。当時娘は教員をしておりました。

そして昭和二十二年三月二十八日他家へ嫁ぎました。

その結婚当日、相手にも記念として御光を拝受させて頂きました。

その当時は喜んでおりましたが、その年、娘が浄化のため家に帰り四ケ月程静養中、留守の間に心変りして御光を持たなくなりました。

その後娘が色々の浄化を頂きましたが、その都度夫は「お前が今息を引取ると云っても御光は絶対に持たない」と言っております。

また、先方では家族の者皆全然この道に理解がありません。

ために娘は常に不安に思っているようで御座居ますが、そのような所に娘を置いてはいかがでしょうか。

心配で堪りませんので御伺いいたします。」


明主様御垂示
「結婚記念に御光を授けるごときは大いに間違っている。

神様を侮辱している。光明如来様を贈り物にしている。

信仰は止むに止まれずするのが本当で、無理にするのはいけない。

暫く実家へ帰り、先方で要請されたら行けばよい。

でなければ離縁した方がよい。」




明主様御垂示 「お返しされたお光を掛けることの是非」 (昭和24年7月28日)

信者の質問
「私は本年二月十八日に御光を戴きましてより数々の御利益を頂きました。

私の友人が私の話を聞いて、その恩人の子供の小児麻痺を救って戴けたらと云うので自分と共に入信させて戴きました。

しかるに友人は伏見稲荷の信者にて、自分には何も不幸な事もない身の上で単に恩人の子供を救えたらという希望だったので、中途で反対論となり、

入信後二ケ月余にて御光を掛けなくなり、私に「もう掛けないからあなたの御母さんにでも差上げたい」と言いますので、

私が「あなたが戴いたのだからそうしておいて、また掛けたくなったら掛けなさい」と言うと「あなたが持っていかないなら焼いてしまう」と言いました。

私は焼いてはと思い、上の先生に御教え願った上取計ろうと思っていましたところ、

母が掛けたいと言うので、一時掛けさせてみたら大変御利益を戴いて悦んでおりますが、いかがなものでしょうか。御教示を御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「稲荷がそうしたのである。御守が怖いのである。狐は非常に怖いのである。

(以前、癲癇で、掛けると苦しい人があった)

御守そのものは何でもないから、誰が掛けてもよい。

但し一時は許すが長くはいけない。

但し、教修は一日も早く受けなければいけない。」




明主様御垂示 「お光の転授の是非」 (昭和25年5月18日)

信者の質問
「私儀教導師補の時に「浄力」の御守様を拝受させていただきました。

この度教師を拝命、「大浄力」の御守様を拝受致しましたが、前の「浄力」の御守様を家族の者に拝用させていただいてよろしゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「いけない。その人が御守護頂いたのだからとっておくべきだ。御神体は構わない。」




明主様御垂示 「夫婦でお光取替る」 (昭和24年6月26日)

信者の質問
「三十五歳の女、気狂いです。夫婦共に入信して、妻君は大分良くなりましたが、最近主人が入湯中自分のと主人のと両方共御守の袋を開き、出してしまいました。

いずれの方とも分らなくなりました。いかがしたら宜しいでしょうか。」


明主様御垂示
「開いてみても夫婦で取替っても差支えない。

夫婦は一体だから変ってもよい。それで、額になっている。」




明主様御垂示 「漁船にお光は不要」 (昭和24年1月19日)

信者の質問
「機械付漁船ですが、人と同じように講習を受けてお光を頂くべきか、船主の私が受けております故それで宜敷いでしょうか。」


明主様御垂示
「持主なり、支配者なり、その人の自由になるべきものは、その人間さえ教修を受けて信仰に入ればよく、人間の信仰の強弱による。

御守護の点からいえば人間本位にすべきものである。」




明主様御垂示 「お光の下付基準」 (昭和24年6月13日)

信者の質問
「一般信者の方でも、大光明如来様をお祀りさせていただいてよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「大光明如来様は一般の人でもいいですよ。

しかし、御神体はね、家によって祀るべきで、大きな立派な家には、大光明如来様をお祀りし、田舎なんかの小ちゃな家には、光明如来様をお祀りすればいいんです。」


信者の質問
「一般の方でもよろしいのでしょうか。」

明主様御垂示
「ええ、いいですよ。御守りの「大光明」のほうは資格者だけですがね。」


信者の質問
「「大光明」の御守りは教導師補の方でもよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「師補でもいいですよ。ただ、一般の人はいけませんがね・・・」




明主様御垂示 「お光の霊格と浄霊の順序」 (昭和23年7月8日)

信者の質問
「弟子が先生を、またふつうの御守りの人が「大光明」の御守りの人を御浄めしてもよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「差し支えありません。されるほうが霊的に変わってしまう。御浄めするほうが御守護が上になるのです。

それからいかなる場合でも御守りを外してはいけませんよ。」




明主様御垂示 「お光の変更の手続き」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「新しいお守をお取り換えいただき、前のお守にはどういう手続きを・・・」

明主様御垂示
「別にいりません。」


信者の質問
「お礼を申し上げるだけでよろしいのでしょうか」

明主様御垂示
「それでよいです。」




明主様御垂示 「転会した場合におけるお光変更の要否」 (昭和23年7月28日)

信者の質問
「御指導を仰ぐ先生が代わられたとき御守りをいただき直すことは・・・?」


明主様御垂示
「事情によっては御守りも代えてよい。

しかし今度出ているのは代えてはいけない。

以前のは治療として書いたが、今度のは宗教的に書いているから、前のはしまっておくか表装して額にしたらよい。」




明主様御垂示 「転会した場合におけるお光変更の要否」 (昭和23年)

「神経衰弱等で元気のない場合、受講さしてよい。

再講習は御守を取替えなくてはいけないような事はない。

但し、本人の希望ならよろしい。

今度の御守「御光」は取替えてはいけない。」




明主様御垂示 「転会した場合にお光の再下付は不要」 (昭和24年8月3日)

信者の質問
「他の分会より転入会した人の御守りを受けさせかえる分会がございますが、これはいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「こりゃあ、間違いですよ、とんでもない。

御光りはどの分会だって違いありませんよ。

これじゃ、まるで各分会で違ってるようですね。」




明主様御垂示 「移動時、カバンの中にお屏風観音様、お光を入れてよい場合」

信者の質問
「御教修、布教等に出張の際、御守、御屏風、その他の御書体等をお持ちさして頂くのに鞄に入れるのはいけないと思いますが、

汽車等の混雑甚だしく、鞄にお納めした方が安全な場合、鞄に入れさして頂いてもよろしいで御座居ましょうか。右、御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「鞄は差支えないが、その上へ何か載せぬ事である。」




明主様御垂示 「お光を郵送することも正当な理由があれば許される」 (昭和29年3月1日)

信者の質問
「田舎の信者で、御額の表装に出したいが、遠方であるために、列車には空いたときしか持込めず、歩いてというわけにもゆきません。

損わないようにして貨物で送るというお許しはいただけないものでございましょうか」


明主様御垂示
「それはよいです。

これは心得ておかなければならないのは、神様は、できることをやらないのはその人の罪になり、それから、そうしなければどうしてもやれないというのはお許しになります。

例えてみれば、そこの家の人が、お天気を見るとか火事を見るとか言って、神様を祀ってある上に行くと罪になります。

ところが屋根がいたんで雨が漏るので、屋根屋を呼んで、屋根屋が屋根に上るのは、それはそうしなければ直せないから、よいので、罪にはならないのです。

チャンと理屈が成立っていればよいのです。

だからいつか言ったとおり、理屈に合って合理的のものならなんでも差し支えないというのは、そういうわけです。

そうしなくてもよいことをそうすると、それは人間のほうが怠慢になる、というよりか、神様に御無礼になるのです。

汽車で送らなければ他に方法がないという場合は、それでよいわけです。

ですから私のほうで、アメリカに御守を始終送ってますが、それより方法がないのですから、そういうのは決してお咎めはないわけです。」