御神体の作法について


明主様御垂示 「神様の献餞具は白木」 (昭和23年6月8日)

信者の質問
「神様の三宝は塗り物でもよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「神様のは白木が本当です。

神様はごく古い時代人間の姿で現われ、霊界に行き、人間として生まれてこず、霊界で働いておられるんだから、その古い時代の生活のやり方をしておられる。

従って神代時代の器物を使ったほうがよい。

またそのほうが神より人間のほうで気持ちがいいですよ。

仏様には塗ったのでよい。

塗った三宝は大黒様によい。」




明主様御垂示 「三宝とクリ盆」 (昭和25年1月22日)

信者の質問
「お供え物を致しま時、神様には三宝を、仏様にはくり盆または足のついたくり盆のようなものを用いますが、

これにはどんな由来が御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「大した謂れはない。

仏様のはお膳を高くしたのであり、神様の方は、清いというので白木のままにした。

そして、角張っても具合がわるいから隅を丸くしたのである。」




明主様御垂示 「八足、三方、御簾の要否」 (昭和27年10月1日)

信者の質問
「各教会の月並祭のときに、八足(はっそく)、三方、それから御簾を使うところと使わない所とございますが・・・」


明主様御垂示
「どっちでも良いです。

それは、観音さんは融通無碍です。

神様であり仏様であるのですから・・・。

それで私はお三方は塗ったのを使っているのです。

あんなのは他の所ではどこにもありません。

あれは神と仏と両方やっているのです。

いずれそういうことも一定します。

熱海のメシヤ会館ができてからそういうことを決めます。

冠婚葬祭も新しい形式を作ります。

だから婚礼なんかもすべてあそこでやるようにします。」




明主様御垂示 「御神体作法の要項」 (昭和24年3月16日)

信者の質問
「左記御祭りの件について・・・

(一)床あるいは置床、または床なき場合を通じて八足台の必要の有無。

(二)生魚鳥、洗米、塩、あるいは水、お茶等供物の正しい扱方。

(三)平常の場合、月並祭、臨時祭等に光明如来、大光明如来、の御取替の正しき扱方。

(四)間数多く床が数ケ所ある場合、光明如来、大光明如来、御姿平常いかに御掛けしたらよいのでしょうか。

(五)御開眼を御願いした観音像あるいは大黒様像は光明如来、大光来様のいかなる位置に安置したらよいでしょうか。」


明主様御垂示
「(一)八足台は神道の祀り方。観音様の方はお粗末の恰好でないものなら塗ったものでも何でも差支えない。床の間などに合ったものならよい。何でもよい。(置床でもよい)

(二)神道からゆくと塩と水、お米と饌米等上げるが光明如来様はそういうものは要らぬ。

観音様は人間のお姿であるから人間の食べるものは何でもよい。

塩や生米等は龍神の食べるものである。

仏教の間は、神様は大抵龍神になっていた。

これから、こういう物を上げるのは(本当で?)ない。

魚などあっさり焼いたものがよく、牛や豚はやめた方がよい。

すべて煮たり焼いたりした物がよい。

お祭りの様式は新しいものを作る。それまでの間は適当のやり方で何でもよい。

(四)大光明如来様は一番の上座で、次は光明如来、次はお姿で文字は上座が本当である。お姿は次の順序になる。

(五)大黒様は前へ置く。御神体のちよっと向って右へおくとなおよい。それが本当である。臨機応変でよい。」




明主様御垂示 「八足台の必要性」 (昭和24年4月)

信者の質問
「御神体のお祀りについて、

(イ)床、あるいは床なき場合の「八足台」の必要の有無。」


明主様御垂示
「八足台ってのは神道で用いるんですが、光明如来様(註 御神体のこと)はなんでもかまいません。

まああんまりお粗末でなければなんでもいいですね。

なにもないときはあの花台ね、花いけの台でもいいんです。」




明主様御垂示 「御簾の作法」 (昭和23年8月8日)

信者の質問
「御軸の前に御簾を備えつけて朝は上げ夜は下ろしてもよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「結構ですが夜の礼拝や月例祭には御簾を上げるべきです。」




明主様御垂示 「御神体と屋根修理」 (昭和24年8月19日)

信者の質問
「御軸様を御祭りしてあります御部屋の屋根を修理または塗り変えのために登らなければなりません時は、御軸様はどう致しましたらよろしゅう御座いましょうか。」


明主様御垂示
「そのままで構わぬ。御無礼にならぬ。」




明主様御垂示 「御神体奉斎家屋の屋根修理は問題なし」 (昭和25年4月13日)

信者の質問
「雪国では屋根の雪を降ろす場合とか草屋根修理の場合などにしばしば屋根に登りますが、

光明如来様をお祀り申し上げてある家ではいったんおはずしいたすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「こんなのはかまいませんよ。

屋根を修理するためなんだから御無礼にはなりませんよ。

雨漏りなんかでも神様はお許しになりますよ。・・・

あのね、神様ってお方はよく判っておられますからね、

だから物事によって適当にすればいいんですよ。」


よく高い所に住んだ方がいいって言いますがね、これもその周囲に応じていい加減の所でいいんです。

低い所じゃいけませんがね。

若し高い所ってのを本当に守るとすれば富士山の上に家を建てねばならない。(笑声) 

私はこういう事は或程度だけ守る事にしてるんです。

箱根の神山荘の中の「鳥の家」ってのはそういう意味で名前をつけたんですよ。

あれは私の家より上でしょ、だから人間ではいけない、けど鳥なら構いませんからね。(笑声) 

神社だって鳥なら屋根に上がっても罰は当たりませんからね。

その時の事情によって言霊でやり直すってもいいんですよ。

屋根の修理の時も一応御断りしておけば尚いいですね。

行き届きますからね。

ただ、普段 御神体を下に祀ってて二階に人間が寝たりするのは極く悪いですがね。」




明主様御垂示 「屋根修理の際、御神体を移動するのは神様に対する侮辱」 (昭和28年8月1日)

信者の質問
「御神前のフスマを閉めようとして、無理に閉めたところ、大きな物音がし、

明主様の御写真が床の上に落ち、ガラスが割れ、お袴の裾に針の先で突いたほどの傷と、かすったほどの傷が二、三カ所つき、

御神体の表装の下のほうに三分くらいの切傷がガラスの破片でつき、お茶が少々かかりました。

表装をしなおし本日持参いたしました。お詫び申し上げます」

明主様御垂示
「見て差し支えなければ浄めてあげます。」


信者の質問
「そのことにつきましてこういうことがございました。

その以前に屋根の雨樋の修理のために職人が屋根に上がるので、御神体と御写真をお外ししたそうでございます」

明主様御垂示
「それが悪いのです。そのとき外したのがいけません。」


信者の質問
「屋根に人が乗りますので」

明主様御垂示
「乗るときは神様にお詫びすればよいのです。移動したのがいけません。」


信者の質問
「もったいないと思いましたので」

明主様御垂示
「そうではないのです。それは修繕するのだから、やむを得ないのです。

神様は許されます。

屋根に上がらねば修理できないので、樋が直らなければ被害をこうむりますから、神様としてもおとがめはありません。

神様は理屈が立てば決しておとがめはありません。

それを外したということは、神様を侮辱したわけです。

神様はずいぶん気がきかないというように見られたわけです。

ですから神様は気に入らないのです。」




明主様御垂示 「御神体が長すぎる場合、表装の下部を切るべき」 (昭和25年3月3日)

信者の質問
「床の間の天井が低い場合、御神体の上のほうをお巻きしてもよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「いけませんね、これは。

切ればいいでしょう、長ければ。

下のほうが引きずってるのはいけませんよ。

人間だって着物が引きずってたんじゃ気持ちが悪いでしょ。(笑声)」




明主様御垂示 「御神体が長すぎる場合、表装の下部を切るべき」 (昭和26年4月1日)

信者の質問
「中二階ですが、上が低いので、お軸の下をまくのと、ひきずるのとは、どちらにいたしましたらよろしいでしょうか」


明主様御垂示
「絶対にいけない。どっちもいけない。長ければ軸を切れば良い。

人間でも、足からひきずっていたらおかしい。」




明主様御垂示 「御神体が長すぎる場合に表装の下部を切るのは問題ない」 (昭和28年5月1日)

信者の質問
「支部を移りまして床の間が低いために、御神体を床の間に合せてお切りしまして、

本部にお持ちする留守の間は光明如来様を御奉斎させていただきましてよろしいでしょうか」


明主様御垂示
「表装はいくら切っても構いません。」




明主様御垂示 「丸まっている御神体の表装は早く直すべき」 (昭和27年7月1日)

信者の質問
「本部の御神体の縁が丸まって変な感じがいたしますが・・・」


明主様御垂示
「経師屋(きょうじや)が下手なんです。早く直したほうが良い。」




明主様御垂示 「御神体表装のお取替えの作法」 (昭和28年6月1日)

信者の質問
「御神体の表装を立派な物にしたいという場合はいたしましてもよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「たいていはよいですが、場所は前の所と同じですか。」


信者の発言
「さようでございます」

明主様御垂示
「前の表装は紙ですか布ですか。」


信者の発言
「紙でございます」

明主様御垂示
「それは布のに取り替えてよいです。

その場合によくお断りするのです。

「縁がお粗末で申し訳ないから、もっと上等なのに取り替えたいから」とお断りしてすればよいです。」


信者の質問
「その場合新しく御神体をいただくということはいかがでございましょうか」

明主様御垂示
「構いません。そうして前のは大事にしまっておいて、親戚で拝みたいのがあったときはお貸ししてもよいです。」




明主様御垂示 「支部の御神体の再表装について」 (昭和29年2月1日)

信者の質問
「支部に御奉斎の御神体の表装が粗末なので気にかかっておりますが」

明主様御垂示
「良くしたらよいです。」


信者の質問
「その間は他にいただいた御神体を御奉斎いたしてよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「よいです。」




明主様御垂示 「御神体が風でゆれる場合」 (昭和26年8月1日)

信者の質問
「御神体ですが、田舎では風の当たりの強いところがありますので、押さえますのに 風鎮がよろしうございましょうか。糸で・・・」


明主様御垂示
「それが良いです。両方に釘を打って、糸を張る。

あれが一番良い。風鎮は駄目です。

風が強いと風鎮では駄目です。」




明主様御垂示 「御神体が風でゆれる場合」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「夏になりますと戸を開けますが、風が強い場合には御神体が動きますので、下を白い糸でつけてよろしいでしょうか」


明主様御垂示
「よいです。その場合は糸を横に張ったほうが確かです。」




明主様御垂示 「御神体にススがついた場合の処置」 (昭和23年4月18日)

信者の質問
「薪を燃すため御軸(註 御神体のこと)が汚れた場合は・・・」


明主様御垂示
「そのままでよろしい。たいしたことはありません。

煤(すす)が下ったらハタキではたいたらいい。」




明主様御垂示 「御神体と薪のスス」 (昭和26年8月1日)

信者の質問
「田舎で薪をたくために煤けて黒くなり困っておりますので、ひどく汚れるときだけ、なにかおかけしてもよろしうございましょうか」


明主様御垂示
「白羽二重(はぶたえ)でも良いから、まいておいて、そういうときだけ、

さもなければ両方に釘を打って、釘も本当は竹釘が良いです。

そうして、羽二重の縁を縫って輪を作って、ふだんまいておき、そういうときだけかける。それが良いでしょう。」




明主様御垂示 「蜘蛛の巣があると御神体からは光が出ない」 (昭和26年9月8日)

「神様の光は蜘蛛の巣がかかったりしていると出ないんです。」




明主様御垂示 「病気の子供であれば二階の御神前で寝てよい」 (昭和27年12月25日発行)

信者の質問
「御教えに精神病、癲癇、その他霊憑りの者は御神前に休ませるとよいとのことでございましたが、

主人夫婦が階下に寝て、病人である子弟が二階の御神前に休ませていただいてもよろしいのでございましょうか。右謹んでお伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「ふつうの場合はいけないが、病人の場合は差し支えない。」




明主様御垂示 「御神体奉斎の階下に寝る事」

信者の質問
「二階に光明如来様を御祭りし、階下に寝起きしているのは宜しいでしょうか。」


明主様御垂示
「よろしい。」




明主様御垂示 「御神体の移動の禁止」 (昭和24年11・12月)

旅館での教修会に御神体をお祀りしてはならない

信者の質問
「教修会のとき、教導所がせまいため旅館などを借ります場合、一時、大光明如来様を旅館の床の間にお祀りして教修会を開いておりますが、これはよろしゅうございましょうか。」

明主様御垂示
「これはいけませんね。間違ってますよ、これは。・・・

そうですね、もし御軸をなにするんだったら、光明如来様じゃなくて、「光明」とか「真善美」とかいうのをかけたらいいでしょう。」


信者の質問
「それは旅館のときだけでしょうか。」

明主様御垂示
「いや、旅館に限らず御神体を動かすときにはいけませんよ。

御神体は一つの定めた場所へおかけしたらやたらに動かさないことですね。」


信者の質問
「御姿の場合はいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「御姿もいけませんね。」




明主様御垂示 「御神体の移動の禁止」 (昭和24年6月19日)

信者の質問
「初めての土地へ出張の教修の場合、御書体あるいは御姿の光明如来様の御軸の御供をして行って、教修が終りまた外して御供して帰って来ることは、御無礼にならないでしょうか。」


明主様御垂示
「持っていくのは嘘である。

大抵はその土地の信者が(教修生をよぶので)お軸の掛けてある所へ集まる。

御神体は持運びするのはいけない。

お掛けしてある所へ集まるのが本当だ。」




明主様御垂示 「遠隔布教の際には御神体はなくても差し支えない」

信者の質問
「教導師が布教に出る際、他人の光明如来様をある期間お借りして差支えありませんでしょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「大変な間違いである。

お掛けしたままにすべきである。

布教の際は、お軸がなくとも構わぬ。」




明主様御垂示 「御神体奉斎の部屋に額等をかけることは不可」 (昭和26年12月1日)

信者の質問
「中国の大同の石の観音さんを写真にして持っておりますが・・・」


明主様御垂示
「石仏にもたくさんありますがね。良い悪いがいろいろあります。

それは、額にしても、何にしても良いが、神様の部屋はいけませんよ。」




明主様御垂示 「御神体奉斎の部屋に明主様の写ってない写真をかけることは不可」 (昭和26年2月25日発行)

信者の質問
「(前半省略) 同じ室内に掲げてある渋井総斎先生の写られた御写真(昨年五六七大祭のときのもの)の中味だけが二十度くらい傾きました。

なにかのお知らせでございましょうか。」


明主様御垂示
「(前半省略) また写真については、私の写っていない写真は、絶対掲げてはいけないことになっているから、これも祖霊の戒告である。」




明主様御垂示 「御神前でそのままお通夜をしてよい」 (昭和28年5月1日)

信者の質問
「お通夜の場合に、祭壇は御神前でよろしいのでございましょうか」

明主様御垂示
「結構です。」


信者の質問
「その場合、御写真、御神体には何かおかけすべきものでしょうか」

明主様御垂示
「かけないで、そのままのほうがよいのです。やっぱり霊が救われます。」




明主様御垂示 「近所との交際でも御神体を外すべきではない」 (昭和24年4月23日発行)

信者の質問
「今度、私の家で近所との交際上、総供養の儀式をやってくれと頼まれております。

その式には、阿弥陀如来の掛軸をかけることになっておりますが、

光明如来様の御軸を一時外させていただいて式をしてもよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「光明如来様の前でやったほうが、供養されるほうも喜ぶんですがねえ。

光明如来様は日、阿弥陀如来様は月、日と月ほど違うんですからね、そこをよく説明して上げたらいい。

それでも判らなければ断ればいいですね。

掛け換えるのはおもしろくない。

断るよりほかにしかたがないですよ、道に外れますからね。

ちょうど、電灯を消して、蝋燭(ろうそく)をとぼすようなもんですよ。」




明主様御垂示 「地元住民の反感を回避するため御神体を一時外して良いとした事例」 (昭和27年3月10日発行)

信者の質問
「新潟から佐渡の方面では、亡くなった人がある場合に、床の間に仏教のお軸を掛けてお弔いたしますが、こちらではそれを許さなかったので、うるさくなっておりますが・・・」。


明主様御垂示
「そうしたら良いでしょう。やはり時期ですよ。

やはり、今はそこまでの時節に行ってないから、今までのしきたりのやり方で良いですよ。

そうして坊さんにも満足させてやったら良いでしょう。

そんなことは問題じゃないからね。」




明主様御垂示 「床の間に御神体と他宗教の御本尊の一時的並存を許された事例 葬式の阿弥陀様」 (昭和24年8月1日発行)

信者の質問
「富山県地方は、葬式の場合床の間に阿弥陀様のお軸をおかけして式をいたします。

習慣になっておりますが、この場合御神体はいかようにいたしましたらよろしゅうございましょうか。」


明主様御垂示
「御神体を外してはいけません。

その隣りに掛ければよろしい。」




明主様御垂示 「床の間に御神体と他宗教の御本尊の一時的並存を許された事例 婚礼の産土神」 (昭和26年5月1日)

信者の質問
「田舎の習慣で、婚礼のときは土地の産土神をお祀りすることになっていますが、

そのときだけ光明如来様をおはずしして、お祀りしてよろしゅうございましょうか」

明主様御垂示
「どういうように言っても、それはいけないですよ・・・絶対にいけないですよ。そんな習慣は破っちまえばいい。」


信者の質問
「横にでは・・・」

明主様御垂示
「それならいいです。一日なら一日とお願いしてやるといい。

信仰が徹底しなければ、なかなかできないものです。

神様というのは、理由がたてばお許しがあります。」




明主様御垂示 「一週に一度しか帰宅出来ぬ人の御神体」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「大光明如来様をお祀りしている家ですが、弟が亡くなり、お婆さん一人なので看護に行っているうちに、そこの商売をするようになり、

一週間に一回しか家に帰りませんので、大光明如来様に恐れ多いので、どうしたらというのでございますが・・・」

明主様御垂示
「現在ですがね。問題は・・・行ったり来たりですか。」


信者の説明
「一週間に一回帰って来ます」

明主様御垂示
「留守番は。」


信者の説明
「だれもおりません」

明主様御垂示
「しかたがないです。だってできないんだからね。神様はそんなことはない。

つまりそういう場合に・・・できる場合はやらないと、人間のほうが疎(おろそ)かになるが、できないのはしかたがない。

ですから、こういうわけで毎日はできないから、お許しを願いたいということを言って・・・そうすれば良いです。」




明主様御垂示 「旅行先で相当期間家を留守にする場合の心得」 (昭和24年5月13日)

信者の質問
「光明如来様と御屏風観音様を家にお祀りしてあって旅行などで長く家を空ける場合、

家族が信仰しておりませんと礼拝はおろか掃除もいたしませんが、

こんなときには御軸をお巻きして、しまっておいたほうがよろしいでしょうか。

また仏壇の位牌を旅行先に持って行って拝んでもよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「そんなことをしなくてもいいですよ、掛けたままでいいんです。

留守の者に信仰がなくてやらないんだから、これはやむを得ませんよ。

この人が旅行先で祝詞なり御讃歌なりあげればそれでいいですよ。

また位牌を持って行くなんてのもいけません。

そのままにしておいて家のほうへ向かって遠くから・・・これが遥拝ですね、遥拝をすればいいんです。

向こうは霊ですから、どんなに遠くともやって来ますよ。」




明主様御垂示 「開拓布教のため御祭出来ぬ」 (昭和25年2月17日)

信者の質問
「現在京都市に居住し光明如来様を御祭させて戴いておりますが、家族三名にて母と私は他府県に開発のため出張、妹は教導所の方に泊り込みで御奉仕させて戴いております。

そのため家族皆留守の事とて光明如来様の日々の御祭もさせて戴けません(月一回程帰ります)が、このような場合どうさせて頂いたら宜しゅう御座居ますか。御教示下さいませ。」


明主様御垂示
「開拓のために留守になるなら反ってお喜びになる。お断わりしておくとよい。」




明主様御垂示 「未信者が奉斎していた御神体の処置」 (昭和29年2月1日)

信者の質問
「六月に入信の信者でございますが、十月頃懇意にしている近所の酒屋に行きますと、

奥の部屋に“光明如来様”の御神体を祀ってあるので入信しているのですかと聞くと、入信はしてないというのでした。

しかし光明如来様を奉斎してあるではないかと言うと、あれは私が別に祀っているのでも何でもない。

どこかその近くの人らしいが、持って来て買ってくれないかというので譲り受けて掛けているということなので、

実はこれはこういうもったいない御神体だと話したところ、

それは家ではもったいないから持って行ってくれというわけで持ってまいりましたが、いかようにいたしたらよろしゅうございましょうか」


明主様御垂示
「それは浄めればよいです。」




明主様御垂示 「預った御神体」 (昭和24年12月3日)

信者の質問
「私宅にて御世話致しておりました五六七教会中京のある婦人教導師、去年の十二月表装付の光明如来様を二体置いて帰ったままで、その後再三おいで下さいと手紙を出しましたが一向に頂きに参りません。

この光明如来様は私宅にこのままお預りして置いてよいものでしょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「何か神様に御都合がある。」




明主様御垂示 「邪教に迷った教師の御神体の御取扱い」 (昭和26年12月6日)

信者の質問
「本教の教師をしており、大光明如来様と光明如来様をいただいており、

新しい宗教に迷い、大光明如来様を表装からはずし、今度もらってきた御神体を掛け、

その表具屋は本教信者で、そこの家に大光明、光明如来様はいらないからと言って置いて行き、

表具屋で預っておりますがどういう風にいたしましたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「取っておきなさい。」


信者の質問
「表具屋にでございますか」

明主様御垂示
「そうです。どうせ今に、その人はじたばたするから、そのときに返してやれば良い。」


信者の質問
「他の人で、いただきたいと言うのに・・・」

明主様御垂示
「それはいけません。今に謝ってきたら、先の通りにやってやったら良い。

どうせ・・・見ててごらんなさい。たいへんなことになる。

下手なことをすると、命をなくすることになる。

命をなくしないうちに気がつくと幸せだがね。

新宗教に悪く言われるんですよ。

いろいろね。それで迷っちゃう。

しかし、珍しい話ですね。邪神にやられたんですね。

しかし、そういうのは、あながち非難することはできないです。

というのは、他の宗教をやって見て、ひどい目に合って、それから目が覚めて熱心になるということもありますからね。

中途で止めるということもあながちそれっきりになることはないから、メシヤ教以上のものはないから、

いずれは目が覚めるに決まっているから、そういうのはうっちゃらかして時期を待つんです。

邪神は・・・どうも、いろんなことをやってますよ。

邪神といっても、邪神は誰に憑るかというと、信者に憑るんですね。

邪神としては、一番効果があるんですね。

未信者に憑っても大して効果はない。

メシヤ教が一番怖いんだからね。

邪神のほうで、腕のある奴はメシヤ教の信者にくっついていろいろやろうとする。

すごいものですよ。」




明主様御垂示 「邪教に迷った信徒の御神体のお取扱い」 (昭和28年12月1日)

信者の質問
「二十三年に入信の信者でございますが、二年ほどして神霊科学(亀井三郎の弟子)に迷い、

それがために夫婦離別をし、御奉斎いたしておりました光明如来様は、御無礼があっては申しわけないから引取ってもらいたいということで支部で引取り、献金も返してくれというので返しました」

明主様御垂示
「献金を返せというのはないです。貸した金を返せということはありますが・・・。」


信者の質問
「そうして最近支部長より中教会のほうに光明如来様をお返ししてまいりましたが、この御処置はいかがいたしましたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「そのまま大事にしまっておいたらよいです。」


信者の質問
「中教会のほうにでございましょうか」

明主様御垂示
「支部のほうで預ればよいです。

いずれ目が覚めてくることがあるだろうから、そのときまで預っておけばよいです。」




明主様御垂示 「離信または死亡の時の御神体の処置」

信者の質問
「何かの理由でお道から離れた場合、あるいは信者が死亡してその家族に信仰心のない場合等には、御写真、御神体、御書体等はどのようにさせて頂いたらよろしいでしょうか。

また信者が死亡した場合、土葬の場合御守りはどう致すべきでしょうか。」


明主様御垂示
「遺族の希望通りにすればよい。」