御神体奉斎の時期について
明主様御垂示 「入信前における御神体奉斎は不可」 (昭和26年9月8日)
信者の質問
「遠い所の人で、教修を受ける前に、なにか拝みたいというときに御神体はいけないでしょうか」
明主様御垂示
「それはいけません。絶対に教修を受けてからです。屏風観音様はかまいませんがね。」
明主様御垂示 「入信してすぐに御神体を奉斎すべきではない」 (昭和24年10月25日発行)
「入信してすぐに光明如来様を祀らせたりせず、だんだん本人が判って信仰が進み、拝みたくなり、ぜひというときになってから祀るべきである。
すべて物事は漸次進んでゆくことがよくそれが順序である。」
明主様御垂示 「御奉斎すべき部屋がない場合には徳を積み時期を待つ」 (昭和24年3月17日)
信者の質問
「昭和二十一年に入信した者です。
ただ今は家がなくて、ある家の階下に間借りしております。
光明如来様を御祭りしたいのですが、階下では具合が悪いので困っております。
良い部屋が見つかる迄待つべきでしょうか。御教え願います。」
明主様御垂示
「階下へ祭ってはいけない。
一生懸命人を助けると、その徳により良い所が見つかる。
その時まで待てばよい。」
明主様御垂示 「曇りのため災難にあうまで御神体を奉斎できなかった事例」 (昭和25年4月3日)
信者の質問
「一会員、最近水害に遭い山が崩れて家が突き出されてしまいました。
しかも隣りの未信者の家は無事で、この信者の家だけ被害を受けました。
他に移転の場所を求めたくてもありませんが、そこに再建いたしてもよろしいでしょうか。
ただいま、光明如来様をいただく準備中です。」
明主様御垂示
「これは準備中でまだ祀ってないんですね。」
信者の説明
「はい。」
明主様御垂示
「そうでしょう、祀ってあればこんなことはありませんよ。やっぱり浄化ですよ、その家に対するね。ま、こうしなくちゃ光明如来様をお祀りできなかったんですね。」
信者の質問
「その場所に建て直してもよろしいでしょうか。」
明主様御垂示
「ええ、いいですとも。」
明主様御垂示 「発狂した父親が大本教の御神体を二度焼き捨てた前科がある事例」 (昭和27年1月27日)
信者の質問
「OK(未入信・四十一歳・男性)昭和十五年六月、左耳乳子突起病にて手術、十八年十月精神分裂症となり、
県立精神病院に入院。電気、注射療法により二カ月にて快方に向かいましたが、
二十五年八月再発、同年大本教に入信、御神体奉斎しましたが、
父が反対で御神体を焼き捨て、再度御神体を奉斎、またも先祖の位牌とともに焼き捨て、位牌はお寺で戒名をいただき祀りましたが、これも焼き捨て、
この時父は病院に入院、二カ月で退院、十一月発病、再入院。
二十六年五月退院後も経過悪しく、八月に入り御浄霊させていただいており、
十二月に奉仕隊に参加させていただきましてよりおとなしくなりました。
家には先祖代々の宝物として龍玉が二つありましたが、新家に一つ譲りました。
大きさは直径三寸五分くらいで、新家のは一まわり小さく、今は床の間の吊り棚に祀ってあります。
御屏風観音様をお迎えいたしたく思っておりますが、仏壇の方が下座になりますが、いかがいたしましたら、よろしいでしょうか。
また、この龍玉は二つ一緒に祀った方がよろしいでしょうか。
また父の病気は霊的関係がございましょうか。」
明主様御垂示
「(一部省略)
下座になります・・・これはかまわないですよ・・・下位になってもね。
一緒に・・・無論二つ一緒に祀った方が良いですね。
これは、夫婦の者ですからね。
一つ一つ別にすると、夫婦別れしているようなものだからね。
やはり人間と同じで、夫婦は一緒の方が良いですからね。
霊的関係もありませんがね。
まあ、すんだことはそれで良いですからね。
まだ光明如来様をお祀りしてないようですね。
これも、時日だから、急にやろうとしてもね。」
信者の発言
「なにかお祀りいたしますと、みな破きます。お家ではお祀りいたしたくおります」
明主様御垂示
「誰が信者になってますか。」
信者の発言
「息子が救われ、信者になっております」
明主様御垂示
「お母さんは。」
信者の発言
「まだでございますが、だんだんにいたしたいと申しております」
明主様御垂示
「急がない方が良いですよ。
息子さんが信仰していれば、それで良いですからね。
時節を待てば、神様も御祖霊さんも、良いようにしてくれますからね。
ちゃんと、無理がなく、お父さんが祀りたい、あるいはお父さんが信仰に入るという段取りになりますから、それまで待つよりないですね。
焼いたということも意味がありますよ。」
信者の質問
「出雲様に入るから御先祖はいらない。出雲様に入信してくれと言いますが、出雲になにか霊的関係がございましょうか」
明主様御垂示
「元、素盞嗚尊とか大国主命の家来の御魂ですよ。
その因縁で、なにか執着があるんですよ。
素盞嗚尊は、メシヤ教で働いてますからね。
だから、いずれ入りますよ。待つんですね。
そういうことは無理はいけませんからね。
神様にお任せしているというと、あんがい無理がなく信仰に入るものです。」
明主様御垂示 「発狂した弟に御神体を破られた事例」 (昭和28年5月25日発行)
信者の質問
「罪穢多き私たちにも日々御守護賜り、入信後は特に尊き御奉仕のお許しいただきまして、まことにありがたく厚く御礼申し上げます。
このたび畏れ多くもたいへんなことを起こしまして、なんとお詫び申し上げてよろしいやら、途方に暮れております。
明主様御写真に大光明如来様、御書体、五六七の御額に対し奉りまして申し訳なくも破損いたしましたことを深く深くお詫び申し上げます。
不祥事の原因を御報告申し上げます。
去る三月三日、十九時三十分ごろでございます。第十八号御教え集を拝読さしていただいていた時でございます。
妻の次兄が来まして、「お前たちは子供もない者が商売もせず、年老いてどうする。自分の家もない者が」と平常の小言でございますが、
酒気を帯びておりますので、妻と顔見あわせて黙っておりましたところ、
「生意気な光明さんがなんだ、他人の金をまきあげてみんな上げて自分たちはいつも文なしでいて薬は毒だ、注射は悪い、
なぞよくもそんな大それたことを言うて、他人にすむか、馬鹿者どもが、
光明さんがなんだ俺のほうがよほどありがたいんだ、拝みたいなら俺を拝め」など、
すごい顔をしてにらみながら大声に繰り返すので、たまりかねて「神様の悪口言うな」と一言やり返しますと、
「兄に向かって不都合なことを言うか、この家は俺の家だぞ、俺の言うことを聞かぬ奴は出て行け、たったいま出て行け」と、ますます狂い出したのでございます。
この家は私の買った家で当時満州に居住していました関係で、妻の長兄の名儀になっております。
妻の次兄には私たちが入信時の昭和二十二年ごろから、たびたびお道のお話しを伝えさしていただいておりますが、
理解ができませず、家族の病が御浄霊をいただいて癒されましても感謝の念もなく、
月日の経つに従い本教の信仰に反感を抱くようになり、本教の悪口を言いふらすので、布教の面にもたいへん都合が悪くなりました。
昨年一月には謀計をめぐらし、私の出張不在中に妻を悪口ずくで以前の住居から追い出したのでございますが、
妻の父の計らいで現在の家に住むようになったほどでございます。
それなのにまたも「出て行け」と無法な言葉に私も腹がたちましたので、
「なにを言うか」と言うたのに対して、いまにもつかみかかりそうな気配に、相手になることの大人気ないのを気づいたので、
妻のすすめもありましたので、戸外に出ようとしたとき大きな物音に振り返ると、
室の硝子戸を破って妻の上に馬のりになって、「貴様たちを殺してやる、殺してしまえば俺も楽になる。お前らの姿を見るのは胸糞が悪い」と言いながら、
髪の毛をつかんでたたいておりますので、室に引き返してみますと、御教え集第十八号はさんざんに破って散らしてありますので、
私も本当に怒って次兄を外に突き出しましたが、こんな者を相手にしていては御用ができなくなるとたいへんだと考えましたので、
近所の人に後を頼んで妻の父の家に行った後で、次兄は引き返してきたのでございます。
近所の人たちが来ましたとき、二階でバリバリ音がするので、上がってみると、
もったいなくも大光明如来様の御神体をはずし「明如」の御文字の間を横に引き破り、五、六、七の御額を落としてあり、
なお、手を伸ばして御写真に近づいたので、後から抱き止めたそうです。
ところがものすごい力ではね飛ばされ、障子につき当たってひるむ暇に畳の上に落として、御額縁をこわし、
畏れ多きことでございますが、明主様御写真の御衿の、おすその辺りに約一寸くらいの瑕(きず)を出かしましたことを深くお詫び申し上げます。
御写真の御額縁は新しいのを取り替えさしていただきました。
御写真はそのままでよろしゅうございましょうか。
大光明如来様、御書体は三月四日、中教会にお預けいたしております。
今後の御処置いかがいたしましたらよろしゅうございましょうか。
御垂示のほど、謹んでお願い申し上げます。
お詫びがかないまして再度御神体をお迎えさしていただけます日の、一日も速やからんことを御祈願申し上げます。」
明主様御垂示
「当分そのままにしていればよろしい。
万事神様にお任せしておけば、いずれ時が来るからそのときお祀りすればいい。
このような乱暴されるということは、深い理由があるのであって、いずれは必ず分かるから、それまで少しも心配せず待つことである。
ちなみに意外なことがある場合もあるが、必ず意味があるのであるから、
乱暴者を恨んだり憎んだりしてはいけない。
というのは、理由があって神様がそうさしたかもしれないからである。」
明主様御垂示 「上記事件のその後」 (昭和29年4月1日)
信者の質問
「昨年五月御垂示(地上天国四十八号)いただきましたSYでございますが、本人も感激して、反省し、その後御神業に努力してまいりました。
三ヵ月ほど前に兄さんのほうからお詫びして「たいへん申しわけないことをした、今までのことは許してくれ」と言ってきまして、
その後仲もよく、兄弟の努力の結果、当時より信者も倍になりました。
再び大光明如来様の御奉斎をお許しいただきたいと思います」
明主様御垂示
「よいです。もう、そうなれば・・・。そういうこともやっぱりわけがあるのです。
そういうような段取りにしなければならないわけがあるのです。
こういうことを知っておかなければならないです。
これは大本教のお筆先に「今度は二度目の天の岩戸開きであるから」ということがあるのです。
というのは、ずっと古い時代ですが、以前にもこれに似たようなことが世界にあったのです。
それで今度は私が出てから、岩戸開き、要するに昼間の世界になるということは二度目になるわけです。
すると、あらゆることが二度目になるのです。
これは信者の人にもそういうことがよくあります。
最初やったことがいけなくて、それからやり替えたりして、二度目の形をとるのです。
私などは始終そうです。
ほとんど例外はないと言ってよいくらいです。
だから今の御神体をそうするのも、二度目の型をとったわけでは そういう人はたくさんあるに違いないです。
二度目が本当だというわけです。
だから今度できたメシヤ会館にしても、前には下の今の美術館の所に造るつもりだったのですが、あのときの大風でくずれたのです。
今美術館の、上る道路を造っている所です。
そういうようで、せっかく造ったのにくずれたので、それで上に変えたのです。
そのときも「ああ、やはり二度目だな」と思ってやったのです。
だから何事にもそういうことがあります。」
信者の質問
「二度目になるのも決まっているわけでございますか」
明主様御垂示
「決まっているということもないが、二度目の型をとることが多いのです。」
信者の質問
「型をするのはお許しがいただけるわけでございますか」
明主様御垂示
「型をすると言っても、人間のほうでするということは間違ってます。
つまりそういうことがよくあるというわけです。一度目で済めば結構ですよ。」
明主様御垂示 「重病患者は回復するまで御神体を奉斎すべきではない」 (昭和26年10月8日)
信者の質問
「二ヵ月前から体が悪く、四人の医師にかけて病名は判らず、注射を打ち、
近くで浄霊のことを聞き、浄霊をいただいてより少し楽になり、
娘が八月二十三日に入信し一生懸命に御浄霊し、責任教師も毎日ではありませんが、浄霊しており、
一時良かったのですが、腹部が膨(は)って以来、反対する親戚の者が医師を連れて来て、診せたそうですが、
あとで水を取らなければならないが、取っても命は責任持てないと言ったそうです。
九月二十七日御神体御奉斎。その晩は喜んでおりましたが、二十九日の午後帰幽し、
医師が来て、御神体を焼かなければ診断書を書かないと言うので、申しわけないことですが、反対者が焼きました」
明主様御垂示
「神様をお祭りするのが早過ぎるんです。病気が治ってからお祀りするんです。
まだ、治るか治らないか判らないうちに、お祀りさせるのは、教会の先生が間違っている。
つまり、原則としては病気が治ってありがたい。
だから、今後病気にならないように、また人を助けたい、というのでお祀りするんです。
お祀りしたら早く治るという考え方は本当じゃない。
御神体を治療機械みたいに思ってはね。
だからお祀りするのは慎重にしなければならない。
と言うんで、神様が焼かしたんです。
焼く人が正当なんです。だから、礼に行って良い。」
信者の発言
「診断書は滞りなく取れました」
明主様御垂示
「それで良かったんです。こういうことになるんですね。
神様をお祀りまでして、助かるかと思ったら死んじゃった。
神様はいい加減なものだと、信用をキズつける。
そうすると、結局御神業のお邪魔になる。
たまには、早くお祀りしてお蔭をいただくことがあるが、それはこういうふうに考える。
命にかかわりのない病気なら早くても良いが、命にかかわるのは絶対に早くしてはいけない。
先にもよく話したがね。そういうことなんです。実はそういうものなんです。
だから命にかかわる病気なら、治ってこれなら安心というときにお祀りする。
そうすると、親類でも賛成して邪魔しないんですね。
もし邪魔するとしたら、先が悪いから、それは神様に、それだけの成敗をされる。」
信者の発言
「親戚に親子の仲の悪いところがあり、このお救いを話し、御神体奉斎し、その後御参拝に来ませんで、子供が御神体を破いたことがありました。三年ほど前でございます」
信者の質問
「親父は信仰に入っているんですか。」
信者の発言
「さようでございます」
明主様御垂示
「どういうわけで信仰に入ったんですか。」
信者の質問
「家庭が仲良くなかったので、それをなくするために勧めましたが、
子供がいたずらした後、お迎えするようにお話しましたら、いただきたいと言うのですが、
そのとき家が納まらなかったので、私のほうで奉斎しております。
向うからくるのを待つべきでしょうか」
明主様御垂示
「無論です。最初から無理してお祀りしたんですからね。
いま言ったように神様を仲直りの道具に使った。
本人が信仰に入って、御神書を読んで立派な信仰だ。ぜひお祀りさせて下さい。
というのなら良いが、本当に分からないうちに押しつけるようにして祀らせたのでは、神様に対して御無礼になる。
ありがたい、ぜひ自分もそういう神様を拝みたいという切なる気持ちでお祀りしてこそ、はじめて神様は・・・人間と同じですよ・・・気持ちが良いです。
人間だって、あの人にぜひ来ていただきたい、助けていただきたいという気持の所に行ったほうが良いでしょう。
それを、その気持ちがないのに、押売り的に行っても、先が心から歓迎しないからね、心からでないと、光が強く出ない。お祀りして、人間が本当に敬まって崇(あが)めると、光が強くなる。
だから、一家揃って、一番浄い所にお祀りすると、光が違う。
それを、人間以下に・・・人間が上に住んでいたりしては、光が出ないんです。そういうわけなんです。」
明主様御垂示 「重症患者は御神体を奉斎してはならない」 (昭和24年11月26日)
信者の質問
「喉頭癌の人で五十七歳(男)、教修も受け光明如来の御霊鎮もしていただきましたが、
楽にならないので御守護願いを致しましたが、あまり変化がありませんが、いかがいたしたらよいでしょうか。」
明主様御垂示
「喉頭癌は声出ず、食少い。固形物とれぬ。
レントゲン放射しなければ治る。
患部と後ろに塊がある。指で溶かす。
霊力が強くないと溶けない。
ラジウムまたはレントゲンで固めたのは駄目である。絶対に溶けぬ。ラジウムは組織を破壊する。
生命にかかわる病人は教修を受けたり光明如来様をお迎えしてはいけない。
急所を外れ、見当違いすると苦痛をよけい増す。」
明主様御垂示 「重病患者であっても回復前に御神体奉斎が許される場合」 (昭和26年12月6日)
信者の質問
「肺結核で、発声不能の者ですが、小銀M(男性)と申しますが・・・」
明主様御垂示
「変った名前だね。元両替屋か何かしたのかな・・・」
信者の質問
「夢を見ましたのでございますが、私が明主様のご案内をしてお着きになられヘチマの種を下さり、腕をお出しになられて、小銀にお見せになりましたそうで、
お腕に皮膚がないところが三四寸ほどあり、肉が見えているようで、ここを撫でてごらんと仰せられ、撫でさせていただきましたところ一、二寸に縮んだそうです。
そして、ワシも人間だから、ここまでしかできないんだ。
しかしこれからは神になるんで、これからは良いんだ。
と仰せられ、そこで目が覚めました。またお腹が空いたから中食を食べさせてくれ、
とのことで、天井裏のようなところに用意してあったので、
それをお出し申し上げますと、それを召し上がられて、非常にお喜びになられ、そこで目が覚めました。
また車のような物があって、それをまわしてごらんとのことに、まわしておりますと疲れて来、ワシを手の上に乗せてごらんと仰せられますので、お乗せいたしますと、楽にまわるようになりました。
すると、パッと蓮の花が出て、明主様のお姿が観音様のお姿になられましたそうです。
なお、主人が夢を見ていた頃に、奥さんも夢を見ましたそうです。
それは、主人が死んで棺の中に入れているところだそうでございます。
光明如来様をお迎えさせていただきたいということでございますので、
お祀りをするしないは、明主様にお伺い申し上げてから決めるといってまいりましたが・・・
本人はこのことにより、非常に感激し、熱心になっております」
明主様御垂示
「するしないというのは、おかしいじゃないか。
一刻も早くしなければならない。
そんなことは私に聞くなんておかしい。」
信者の質問
「重病の場合に、早くいただいては・・・」
明主様御垂示
「本人の希望なら良い。
霊界で救われるからね。
唯、重病でいけないというのは、奉斎すると治るという、治るために奉斎するというのは、いけないんです。
今の場合は本人が、信仰に対する理解ができているから、霊を救うという意味で、早くやったほうが良いです。病気のほうは・・・」
信者の質問
「衰弱が加わっており、脈拍が早いのに・・・」
明主様御垂示
「霊です。夢は、私の今までの経路です。それに、その人の関係があるので大したものではない。」