御神体奉斎にあたっての想念のあり方


明主様御垂示 「病気治しを目的に御神体を奉斎するな」 (昭和26年7月8日)

信者の質問
「御神体をお祀りいたす想念はどうあるべきか。」


明主様御垂示
「病気治しに利用するとよくない。」




明主様御垂示 「御神体奉斎にあたっての想念のあり方」 (昭和26年10月8日)

「原則としては病気が治ってありがたい。

だから、今後病気にならないように、また人を助けたい、というのでお祀りするんです。

お祀りしたら早く治るという考え方は本当じゃない。

御神体を治療機械みたいに思ってはね。

だからお祀りするのは慎重にしなければならない。」




明主様御垂示 「御神体奉斎にあたっての想念のあり方」 (昭和26年10月8日)

信者の質問
「親戚に親子の仲の悪いところがあり、このお救いを話し御神体奉斎し、その後御参拝に来ませんで、子供が御神体を破いたことがありました。三年ほど前でございます」

明主様御垂示
「親父は信仰に入っているんですか。」


信者の質問
「さようでございます」

明主様御垂示
「どういうわけで信仰に入ったんですか。」


信者の質問

「家庭が仲良くなかったので、それをなくするために勧めましたが、

子供がいたずらした後、お迎えするようにお話しましたら、いただきたいと言うのですが、

そのとき家が納まらなかったので、私のほうで奉斎しております。

向うからくるのを待つべきでしょうか」

明主様御垂示
「無論です。最初から無理してお祀りしたんですからね。

いま言ったように神様を仲直りの道具に使った。

本人が信仰に入って、御神書を読んで立派な信仰だ。ぜひお祀りさせて下さい。

というのなら良いが、本当に分からないうちに押しつけるようにして祀らせたのでは、神様に対して御無礼になる。

ありがたい、ぜひ自分もそういう神様を拝みたいという切なる気持ちでお祀りしてこそ、はじめて神様は・・・人間と同じですよ・・・気持ちが良いです。

人間だって、あの人にぜひ来ていただきたい、助けていただきたいという気持の所に行ったほうが良いでしょう。

それを、その気持ちがないのに、押売り的に行っても、先が心から歓迎しないからね、心からでないと、光が強く出ない。

お祀りして、人間が本当に敬まって崇(あが)めると、光が強くなる。

だから、一家揃って、一番浄い所にお祀りすると、光が違う。

それを、人間以下に・・・人間が上に住んでいたりしては、光が出ないんです。そういうわけなんです。」




明主様御垂示 「神様を利用する想念は間違い」 (昭和24年7月23日)

信者の質問
「大光明如来様をいただきましたが、場所がありませんのでそのまましまってございます。それでも御守護をいただけましょうか。」

明主様御垂示
「しまっておいたんじゃ、御守護はごくわずかしかいただけませんね。

が、場所もないのにいただくなんて本当じゃありませんね。」


信者の説明
「戦災で焼けましたため、ただいまはバラックでございますので・・・」

明主様御垂示
「その前は。」


信者の説明
「いただいておりませんでした。」

明主様御垂示
「だから、本当じゃない。ちゃんとお祀りすべき場所を作ってからお迎えするのが本当なんです。

お客さんを迎えるのだってそうでしょ、席を作ってから迎えるべき、で、

迎えたけど場所がないから物置の隅にでもしゃがんでてくれっていうんじゃいけない。(爆笑)」


信者の説明
「その主人は御神体をお祀りすれば、いい家でも授かるかと存じまして・・・」

明主様御垂示
「神様を利用するんですね、もってのほかですよ。

そんな便利に利用できたらたいしたもんですよ、すばらしいことです。・・・

これは根本的に違ってますよ。」


信者の説明
「床の間がございませんので・・・」

明主様御垂示
「だから、やめたらいいんです。

やめるという気持ちになればかえって床の間を授かるかもしれませんよ。(笑声)

その人の心が変わってくるとね。・・・

あんたも一緒にお詫びをしなけりゃいけない。

そんなことをすると・・・そういうね、神様を利用するってのは根本から間違いです。

だから、これはいったん返しなさい、そしてよくお詫びをするんです。

そうすれば床の間を授かるでしょう。

床の間を授かるまで御神体は本部に預けておきなさい。」