御神体の意義について


明主様御講話 「御神体は明主様の出張所」 (昭和27年11月16日)

「それからよく祈願をするのに「大光明如来様」「明主様」と両方呼ぶ人がありますが、それは必要がありません。

「明主様」だけで良いのです。

大光明如来様は私の代理なのです。

それを逆に考えている人がある。

第一、字を書くのは私で、私が生むので、元は私にある。

しかし、大光明如来様に御祈願するのは、出張所にすべてやってもらうということであたりまえです。

それで出張所の方で、どうもうまくいかんという場合には本元の製造元に、というそういうように考えれば良いわけです。」




明主様御講話 「御神体は明主様の代理」 (昭和27年11月17日)

「それからよく祈願する場合に「光明如来様」と「明主様」と両方にお願いしたり御挨拶しますが、

あれは「明主様」だけで良いのですから、そういった場合はそういうふうにすると良いです。

これは本当のことを言ってなかったから無理はないのですが、つまり光明如来様は私の代理をやっているのです。

一々私が信者の所に行っていてはたいへんですから、

それで光明如来様を私の代理として、派遣すると言ってはおかしいが、祀らせてあるのです。

そのつもりで・・・。

ですからふつうは光明如来にお願いすれば良いのです。

それで場合によっては、酷い苦しみとか危急の場合は、それは明主様にじかにお願いするとそれで良いのです。

私の方はつまり製造元ですから、製造元に直接言ってもらうという意味と思えば一番分かりやすいです。」




明主様御垂示 「大光明如来が明主様の仕事をしている」 (昭和26年11月1日)

信者の質問
「宗教迷信と申しますか、よく大光明如来様と申しますが、私などは、それよりも何事によらず明主様と申しますと、楽になります」


明主様御垂示
「大光明如来様が私の仕事をしているんだからね。仏に化けてね。」




明主様御講話 「御尊影が御神体より上」 (昭和28年9月6日)

「この間もあったことですが、私の写真を支部長と信者と両方でいただいて帰ったのですが、

いただいた写真が同じものだと思って、両方で間違えて持って帰ったのです。

そうすると信者の方の写真に皺(しわ)みたいなものができてしまって、

とても掛けておけないような見苦しさでそれがはっきり分かるのです。

それでどういうわけかという質問があったので、とにかくこっちに持ってきて見せろと言って調べたのです。

それは同じ写真だからよいと思って交換したのでしょうが、それはいけないのです。

それで神様がそれを知らせるためにそういう皺ができてしまったわけです。

そうしてそれでお知らせになったわけです。

そういうようで、いただいたものを、同じものだからといって替えるということは、たいへん間違ったことです。

それをいただいたということは、その瞬間にその人の護り神なのですから、人が違えばぜんぜん意味がなくなり、結局無駄になるわけです。

それも、チャンといただいた以上は自分の将来を御守護してくださると思えば、そういうことはできないわけです。

つまりそこに心に隙があるか、あるいは軽く見ているわけです。

それでウッカリとそういうことをしてしまうのです。


ですからこの間も言ったとおり、チャンと理屈があるのですから、ちょっとでも理屈に外れたことはいけないのです。

ですから信者さんのいろいろなことを見ていると、つまらない、どうでもよいことに非常に重きをおいて、

ちょっとしたことが御無礼になったのではないかと心配して質問してくることがあります。

それで非常に重要なことを割合に軽く見ているのです。

その区別を割合に知らないのです。

ですから重要なことと、そうでないこととの差別をよく知らなければならないのです。


今の私の写真というのは一番重要なのです。

「光明如来」とお掛軸を書きますが、あれは私が書くのですから、光明如来様よりか私が上なのです。

ところが人によると光明如来様の方を上にして、写真の方を下にするのがありますが、これはたいへんな間違いです。

ですからそういうように理屈を考えるとすぐ分かるのです。

ところが昔からのいろいろな宗教はそれがなかったからなのです。

しかし昔でも、仏体とかそういう場合には管長なり教祖が魂を入れるということになってますが、

やはりそういったのは、形とか彫物とか絵というものは坊さんにはできないので、魂だけは開祖なら開祖が入れることになってますが、

やはりそれと同じようで、私が書くということは、それが最高のものとして見なければいけないのです。

ですからそういうような理屈に合わなければいけないということを、よく心得ておかなければいけません。」

(サイト管理人の説明・・・ここでいう「今の私の写真」が作られたのは昭和25,6年頃である。これ以前に、当時のご神前に奉られていた明主様の御写真(ネクタイにスーツ姿の明主様。いわゆる「悪魔調伏のお写真」には、この明主様の御教えは妥当しない。)




明主様御垂示 「御尊影が御神体より上」 (昭和28年10月1日)

「私の写真と御神体との扱い方は違います。

どう違うかと言うと写真のほうが上だから、写真は少しも融通ということはできません。

それでこの間のことはやかましく言ったのです。

それはそうでしょう、御神体は私が書くのですから、書くほうが上です。」




側近者寄稿 「明主様が観音様の本家、御神体は明主様の出張所」 (昭和28年10月25日発行)

「この頃は非常に明主様の御体より放射されている御霊光を拝見させて戴きます信者が多くありました。

昭和十年一月二十二日東光社ーこれは雑誌新聞等の発行所の事ですが

ここの御祭りに共産党員でK某という人が御浄霊によって転向信者となり、

初めて参拝して明主様のお話を熱心に聞いている御霊光が明主様の御体から非常なる強い紅の色でしたが

御体から出ては御観音様の御軸へ行っては消えるのを四回拝見したと非常なる感動で、

今後は明主様の御言葉を外国語に訳して外国に大いに宣伝すると言明されましたが、

この人はある事故の為来なくなりました。

この御霊光の御話を明主様は私の体から霊光が出て御軸へ行って消える事は、

私が観音様の本家であって御軸は私の出張所だから、

私から霊光が出て出張所である御軸へ行くのであって、

これこそ本当なんだと御教え下さいましたが、

まだ信者さんの中には御軸こそ本当の神様であると思われてる方々もある事と思いますが、

お軸様は出張所であられて、明主様こそ本当の御本尊様であらせられる事をよく認識して戴きたいのであります。」