御神体の奇瑞について 3
明主様御教え 「私の光に就いて」 (昭和28年12月2日発行)
「これは信者はよく知っているから、事新しく言う迄もないが、最近の御蔭話中にあった左の報告は、
霊視者が子供であり然もいろいろな面に渉っての光であるから、
一つの参考にもなると思い、この文を添えたのである。
そうしてこの霊視は正確である事も付言するが、
これを読んで自分もそういう能力を得たいと思う人もあるであろうが、それは無駄である。
というのは人間にはその人特有の能力を与えられているもので、万事は神様次第である。
そうして、私の光は日に月に強くなりつつある事で、何れはいろいろな形で見える人も増えると共に、
それに準じて病気の治り方も顕著となり、奇蹟もその通りになる。
従って一般にも分かりが早くなり救われる人も増える訳で、段々面白くなって来るのである。
この様に私が有っている光こそ、人類肇って以来一人もないので、
それが為人類は病貧争の悩みはどうする事も出来なかったのである。
従って公平に言って、昔からの如何なる宗教の開祖でも聖者でも、私から見れば力が弱く、弟子位に当たるのであって、これというのも全く時が来たからである。
体験談 (大分県 N・N)
「お守り(お光のこと)から光が出る」ということは、
御浄霊を受けると身に霊感を感ずることや、
御浄霊により病気が治る事実から、
帰納的に信じて絶対に疑う余地はありませんが、
お光そのものを視せられたことはありませんでした。
勿論御神体から薄いお光の出ることは、私はじめ家族一同常に視せられていますが、
御守りや明主様の御写真からお光が出ることは未だかつて視せられたことがありませんでした。
然るに本年春頃より、私の長男(9歳)がお光を霊視する能力をいただいて只々有難く、勿体なく感謝で一杯でございます。
実は本年春頃からSが、「お守りから光が出るのが見える」と時々申しましたが、子供のいうこととて気にも止めませんでした。
併し度々申しますので「それでは御神体や明主様の御写真からはどうか」と尋ねますと
「御神体からは御守りよりも強いお光が出て、(明主様の)御写真からは尚一層強いお光が出ます」と申します。
「それでは御写真のどこからお光が出るか」と問いましたところ
「明主様の御体全体からお光が出るが、特にお腹から一番強いお光が出ます」との答、
ここに初めてお光を霊視することが出来るのではないかと、吃驚させられたのであります。
それ以来いろいろと試してみました結果、全くお光を霊視する能力を戴いているものと思われます。
当支部の信徒や、中教会に参拝して信徒特に資格者、M中教会長先生など何十人も見せましたが、光り輝く金色のお光が出ると申します。
御浄霊をしている人を見ると、
その人の御守りからお光が出てその掌から金色のお光が何百何千という程沢山出るとのことです。
そしてそのお光の太さ、強さが一人一人違います。
小さきはミシン糸よりも小から、ミシン糸、木綿糸、お箸、火箸、小指、中指、親指の大きさというように、各人皆違います。
明主様の御教えに「御浄霊のお光の強さはその人の信仰の程度と、御守りの取り扱いによる」との事を如実に知らされました。
又同じ人でも御浄霊する時の心構えについて光の強さ太さが余程違います。
御浄霊に心を集中している時と、わき見しながら、或は話しながら御浄霊する時とはお光の強さに大変な違いがあります。
又正座してするときと膝をこわしてする時も違います。
又 掌を御浄霊する個所に正面させたときと斜めにした時とも違います。
額と掌と浄霊箇所の三者が一直線になるようにし、
光を送る想念を強くはたらかせると最も強いお光が出るようです。
特に手の力を抜いて浄霊する時と、力を入れている時とは大変な違いです。
まったく明主様の御教え通りです。
こうした事を詳さに具体的に知らされて、私は固より信徒ないし御浄霊の時の心構えなど、大いに反省させられています。
次にお光は凡ゆる物を透して、然も極めて遠くまで行くものだと知らされました。
掌から出るお光は如何なる障害物をも透して、太陽の光の如く先拡がりに進んで行き、その中心が特にお光が強いとのことです。
なお大光明如来様の御神体から出るお光は、御守りから出るお光の何倍という大きさ、
明主様の御写真から出るお光は、御神体から出るお光の何倍という大きさである事も知らされ、
御神体や御尊影を御奉斎させていただいている光栄!
有難さを沁々痛感させられています。
普通人には視る事の出来ないお光を、愚息に霊視させていただいて、
信仰上反省させられ、裨益される事の極めて大きい事を中心より御礼申し上げます。
明主様、洵に有難うございます。
謹んで御礼申し上げます。
なお今後も御神業の御用の一層恙なくさせて頂けますよう御許しくださいませ。御願い申し上げます。 」
体験談 御守様を戴いてからの二カ年 (昭和28年8月19日)
三重県 中京教会 HS
「又娘の長男Yは二十六年の夏休みに当時小学校五年生でございましたが、
私宅にて毎日御浄霊を戴かせておりますと、
私の翳します手を見つめますので「何か見えるか」と申しますと
「お祖父ちゃんの手から白いような、何とも言えぬ清々しい光が出る」と申しますので、
Tが色々と試してみますと壁や板等は勿論、鉛の板でも何等妨げにならず、透き通って進む事を確めました。
この御光は御神体からは、先が判らぬ程遠くまでも照されておりますそうで、
御著書栄光新聞からも厚薄の度はありますが御光が出ておりますそうでございます。
昨年夏同人と同伴 箱根日光殿に御参拝いたしました際、
明主様が御出ましになられますと、御神殿中が金色の御光に充ちますとの事でございます。
又各人の霊衣も明らかに判るそうでございまして、
信仰なき人のは実に貧弱なもので、御守様を戴いた人格者のは物凄いと申します。
かような現象も祖先の霊が明主様の御神格を知らしめんとの意図かと考えられます。」
体験談 偽らざるの記 お光をこの眼で見たり (昭和28年9月10日発行)
東京都 晴風中教会 KK
入 信
「私は満州から三年前に引揚げて参りましたが、満州以来長い間 頭が痛く、ひどく悩んでおりましたので、
医者にかかり、ホルモン注射をして貰い、又買薬「ノーシン」許り用いておりましたが、効果は少しもありませんでした。
昨年秋、M様のお家に御世話になることになりまして、
色々と世界メシヤ教のお話を承りましたが、従来信心気の無い私でありましたので、
半信半疑で中々信じられませんでしたが、お勧め頂くままに、
昨年十二月六日から八日までH教会でA先生から教修をお受け致しました。
教修のお話は一応は分りましたが、未だ私にはピッタリと来ず御講話として承った程度でありました。
三日目にお守(註 お光のこと)を頂いても、誠に申訳無い事でありますが、
正直なところこれで御力が出るのかと、あまり信じも出来ず、
いい加減な考えでハッキリ分らぬまま、ただ、お守をかけておりました。
お光を見る
本年一月十三日午後三時頃、M様のお孫さんのJさん(九歳)が、一両日風邪で頭が痛んで臥床しておられましたので、
何の気なしに初めて御浄霊を致しました。
御浄霊をしながら、フト気付くと私の右手の指から白い光のようなものが出て
蒲団(ふとん)の中のお孫さんの頸筋から、ズッと背中の方に長く入っているのが見えました。
ピックリして不思議で仕方がないのでよく見ると、
雲間から洩れる太陽の光のような、
又 自動車のヘッドライトの光の様なものが流れ出て居ます。
五本の指から出ているので、試みに四本にすると四流の光が出ています。
一本にすれば一本の光が流れ出ています。
あまり不思議なので、罰が当ると恐ろしいとは思いつつも、
何か目の錯覚か精神的現象かと疑いつつ、ソッとお守(註 お光のこと)を外して手を翳して見ますと、
初めちょっと光が出ましたが、直ぐスーッと消えてしまって何も見えなくなってしまいました。
これは大変なことをしたと思って再びお守をかけて浄霊しますと、
又 前のように強い、スゴイ光が流れ出ました。
その時はホントに有難いやら嬉しいやら、何とも申し上げようもありません程の感動でした。
これは決して作りごとでもなく、迎合して申し上げるのでは絶対にありません。
その内お母様が外から帰られましたので、直ぐこの事を申し上げて見て頂きましたが、
何も見えぬとの事で、全く私だけが見えるので再び錯覚かと色々試して見ましたが、明らかに見えます。
この頃は前よりももっと強く、ハッキリと見えるようになりました。
M様のお手からも光がでます。
この光は、昼間の太陽のカンカン当っている部屋でも見えます。
光の全然無い真暗な所では見えません。
手の甲からも出ます。
浄霊をしていると相手の方にも、又自分の方にも出ます。
この事は他人を浄霊すれば自分自身も浄霊頂ける訳かと思います。
光の色は白いようでしたが、金色であることが判りました。
又御神体の御文字は光が強くてパッパッと金色の御文字があちこち飛び廻るように見え、
その光は御文字の裏から発する様に見えます。
この手から出るお光は着物も立派に通り、先の方に出ています。
試すということは悪い事かと思いましたが、
色々と試させて頂き、東京都の部厚い電話帳も通すかと試してみましたがこれも難なく通って先の方に強い光が出ております。
種々の角度からお光を見せて頂いたのであります。
なお、力を入れて浄霊致しますとお光が弱く、力を抜いて浄霊致しますと反って強いことを発見致しました。
結 び
私は入信後今までただお守をかけただけで、神様の御光が出る等ということを伺っても半信半疑でいましたが、
このお光を見せて頂いて以来は疑う余地等本当に無くなりました。
錯覚だとか、精神的現象だとか、色々思い返して見ても現実に見えるのです。
この事実は寸分も疑う事は出来ません。
M様も見えないとおっしゃるので、どうしてこれが見えないのか、私には何か動物霊でも憑いているのか等と思ってもみましたが、
過日 明主様がM様に「光が出るのだから見えるのは当り前ですよ」と言われたと承り安心致しました。
ともかく御浄霊の場合に、お光が流れて当るのは誠に頼もしくも又張り合いのある事と感激に浸っております。
近頃はお蔭様にて長い間の頭の痛みも治して頂き、
血色も誠によくなり元気で働かせて頂く事が出来るようになりまして、深い御恩寵を心から感謝致しております。
明主様有難うございました。謹んで御礼申し上げ御報告させて頂きます。
追 記 (M)
以上はK女史の言でありますが、このお光を見て以来あの疑い深き女史が全く参ってしまいました。
教修後何も私達は申しませんでした。
十二月二十三日明主様から浄霊の新しい方法を御示し下さった時、
力を抜き、自意識を取ると一層よい効果があると言われました事は女史は全然伺いもせず、知りもせぬ事でしたが、
最後の項にこの事実を記していますことは注目すべき事であります。」
体験談 御神体、御書の奇蹟 吾子の眼に映ずる神の御姿 (昭和27年4月9日発行)
神奈川県 明成中教会 MA(33・女性)
「この度、御神体並びに御書の御文字の中に、神様のお姿が拝されるという御恵を吾子を通じ頂きました事につき、謹みて御報告をさせて頂きます。
昨年十一月三日、二、三日前より次男K(六歳、(昭和二十四年八月御守様拝受)が下痢の御浄化を頂いており「今日は僕寝てようかな」と申しますので、
御浄霊をさせて頂きましたところ、御神体に「のんのんさんがみてる、のんのんさんが見てる」と申します。
私はびっくりしました。ああ、お姿が拝めるのだと直感し「だって御神体は御文字だけでしょう」と申しますと、
じっと御神体を見て「お母ちゃんほらこっちを、ちゃんと僕の方見てるだろう、僕の方見てるだろう」と繰返して申します。
「どこにいらっしゃるの」と聞き返しますと、大光明如来様の「明」の御文字の所を指差して「ここにちゃんといるじゃないか」と申します。
子供の言葉はそのまま私にも本当に尊い響きをもって感じられ、思わず合掌致しました。
同月二日の御参拝日に、御本部にて教師会の折、会長先生様に申し上げまして、御本部の御神体を拝ませて頂きました。
光一は背のびするようにして、「明」と「如」の所を指差し「二人いる二人いる」と申します。
今度は御書体につき拝ませて頂きました。明成の御額は「成」に、日月は「日」、円通自在は「円」、地上天国は「地」、
天地開明は「開」、大経綸は「大」、経の御書、大神力は「力」、散花結実は「結」、両手で高く抱き上げて子供の指差す御文字を皆一斉に見守るのでした。
御色紙、御短冊は御落款の「主印」、会長先生の資格証は、明主様の「主」の御文字でございました。
又、支部及び自宅の御神体は「明」、地上天国は「地」、御色紙等は前と同じでございました。
その後、二十一日御神苑御参拝の折、建設の御額を拝し、私は気付かずにおりましたところ「建」の御文字を指して、
「お母ちゃんここにも、のんのさんいますね」と申します。
その間子供の状態は別に普段と変りなく、御浄化も軽く済ませて頂いておりましたので特に御浄霊も頂かずに過させて頂いておりました。
その後は別に聞きもせずにおりましたが、一月になって再び聞いてみましたが「もう、のんのちゃんいない」と申しました。
六歳の子供の事ゆえ、どんなお姿? と申しましてもはっきりした表現が出来ず、
ただ両足を組んでその足をなめているような恰好を致します。
御本部のお姿は支部や自宅の御神体のお姿とは違うと申します。
勿論字などわからぬまま、指差した御文字を指で形を示して見せます。
今まで、お光の見えるおかげ話を種々拝読させて頂きましたが、私も吾子の口からそうした奇蹟をみせて頂き、ただただ有難さと驚きとに胸一ぱいの気持でした。
川柳に、負うた子に浅瀬を教えられて渡るという意味の句がありましたが、
この度の御恵も、神様が無心なる子供を通じて私達に神の実在をお知らせ下され、お救い下さる大愛の御恵であると存じます。
再びかような奇蹟を頂ける事はないと思うと、勿体ないと思われる許りで日々御神前に額ずきますごとに、
そのことが脳裡に甦り、一層お道に精進させて頂けますよう御祈念申し上げさせて頂いております。
御神体はもとより、御書体のすべてに尊き大御霊魂を戴き、御守護を賜わっていることを思うと、
神様の御用をさせて頂く身の幸福に、ただただ感涙に咽ぶばかりでございます。
微力ではございますが、一層お道のため御奉仕の誠をいたさせて頂き、
この尊いお道を世の多くの人々に伝えさせて頂けますよう念願しております。
明主様誠に有難うございました。」
体験談 御神体の奇蹟 (昭和26年5月9日発行)
福岡県 光宝大教会 MS(36・男性)
「私達親子は妻の実家の二階を借りて暮しています。
従来御神体を御奉斎しています床の裏壁が腐って不完全なため、修理せねばと思いながら費用その他の関係でそのままに致していました。
ところが昨年秋のキジア台風で、電灯は消え、二階はゆらゆら、寝ることはおろかじっと坐っている事も出来ない位で、
善言讃詞を奉唱しながら明主様に懸命にお縋りしていましたらちょうどその時にパッと電灯が点きましたので、
思わず頭を上げて御神体を拝しますとアッ、何と申訳ない事でしょう。
今まで種々有難い御蔭を戴いておりながら、壁の間から流れ出る泥水ですっかり汚れ濡らしてしまった、のでございます。
私と妻は台風も家の揺れるのも忘れて御神体を早速巻いて納め、階下へ子供や夜具を運び子供はやっと寝かしつけ、
御神体をしっかと握り締め階下へ降り、ただただ御詫びするばかりでした。
外はまだ物凄い凪が吹き荒れています。
その中にも電灯は又消えましたのでじっと坐り込んでいる私を気の毒に思ったのか母が
「濡れたまま巻込んでは反って悪いから掛けて乾かした方がよかろう」と言いますので、
思い切って真暗闇の中に手さぐりして壁に掛けて夜具の中にもぐり込み、何か恐ろしい気持で御神体の方を見る事も出来ませんでした。
私の家は昨年夏から支部にお使い戴いていますのでA先生を毎日御迎えして近所の信者さん達が御参りに来られる時、
何と報告したらよいかと信仰の足りない私は世間体を気にして本当に逃げ出したい気持でその一夜を明かしました。
夜明けと共に風も凪ぎ、早々寝床より起き御神体をちょっと見ました時、私は再びアッと叫び自分の眼を疑いながら妻を呼びました。
世の中にこんな奇蹟があるものでしょうか、昨夜あれ程汚れ濡れた御神体が何の異常もなく、綺麗にして濡れた形跡すらないのでございます。
私は夢中になって御礼拝を繰り返すのでした。早速元気付いて二階にかけ上りますと床の壁土は落ち床柱も畳も泥水で荒され、足の踏み場もない状態でした。
再び階下に降りて沁々と拝みました。全く夢でしかも事実で何とした奇蹟でしょう。
何も分らない母や弟は「あれ程荒された床の間に掛かっていたとは思えぬ」と頭を捻って不思議がっています。
私達も今まで数々の御利益は戴いていますが、これ程大きな力を身に受けて感泣の外ありませんでした。
その翌日はA先生も信者さんも見えませんので、応急手当をして二階の床の間に御掛け申し上げました。
その翌日A先生にその由を申し上げさして戴きましたら、益々御神業に励むように申されました。有難い事でございます。
今年六十五歳の母も種々奇蹟を見聞し又自分の不治の病、心臓病も御浄霊を戴いて急激に浄化を戴き目に見えて快方に向いましたのでこの御道の偉大さに感激して、
長年の○○教信仰をやめて十一月末に入信さして戴き、三十年来あったこともない下痢の浄化を戴くなど大変に体の調子も良くなって来たと感謝しております。
台風で荒された床の間の壁も間もなく意外な所から意外な金が這入りましたので、
弟と二人して素人修理致しましたが意外な出来ばえに綺麗になり、
ただ今は雨漏りもなく愉快な日を過さして戴いています。
今までは私達親子と母弟は別世帯で暮していましたが、炊事も一世帯となり明るい和やかな生活となりました。
弟はまだ○○教青年幹部をしていますが私達と同信になる日を待っています。
この御蔭、この御恵みに感謝しつつ微力ながら一人でも多く御道に誘い地上天国の幸福さに生活し得るよう念願致しております。
明主様、誠に有難うございました。」
体験談 御神体より御光 (昭和28年9月10日発行)
東京都 生和中教会 YT(21・男性)
「生来病弱であった私はふとした事から足立支部の中島先生に御浄霊を頂き、ただ今では見違える位に健康になり引続き生和中教会本部にお世話になり、微力ながらも御神業に励んでおります。
私の家では全部御教修も頂き、この夏は大光明如来様をお祀りさせて頂きました。
数日前私用にて家に帰って見ますと母が驚いた面持にて私に申しますにはー
四、五日前、御神前に善言讃詞を奉唱致しましておもむろに面を上げますと、
大光明如来様の御文字より星のような何とも言えない光がパッパッと飛び出て見えますので、
早速その事を家中の者に話しますと、私の甥(十歳、教修を頂いております)が「それなら少し以前に三回ばかり見た」と申しますのでどういうのかとききますと、
ある夜、大光明如来様にお上げした品物をお下げに参りましたところ、お軸全体から星が降って来るように見え、
二度目は大光明如来様の「光明」の御文字が金色に光って見え、御軸の周囲を雀位の大きさの綺麗な小鳥が飛び廻っていたとの事、
三度目は矢張りお供えしたものを下げに行きましてフトお軸の上を見ましたら、
大光明如来様の「大」の御文字の所に一尺位の大きさの御姿をはっきり拝する事が出来たと申します。
お姿の事は子供の事とて充分説明が出来ませんようなので、
母が「奇蹟物語」の最初にお写りになっておられる千手観音様を見せましたところ、ちょうど同じお姿との事で、
しかも蓮華台は金色に光り輝いており、その廻り全体がまぶしい許りのお光が一杯で、余りの事に恐ろしくなって皆居る所へ逃げて来たと申すのでございます。
私の家にこの様な有難い奇蹟のありました事を聞きまして私はただ胸が一杯になるような感激を覚えました。
明主様が日頃申されます事が一々間違いのない事実である事を、今更ながらに分らせて頂きました。
ともすれば弱り勝ちな私達を励まして下さるこのような奇蹟の数々に私はいよいよお道への信念を強く持ち、
光明世界建設への一途な努力を致さねばならないものと痛感致す次第でございます。」
体験談 大光明如来様の御神体 五尺離れた人体を透過して写真に写る (昭和26年2月14日発行)
新潟県 光陽中教会 IT(33・男性)
「御神力、御霊光、御神徳、奇蹟、何と表現してよいか、一般人間の常識では考えられない御神力をまざまざと写真上に見せて戴き、感激の涙に咽びながらの、信者の報告がありましたので発表させて頂きます。
撮影場所 新潟県中蒲原郡N町
報告者 US
撮影者 近所の理髪店の若者(素人写真家)
撮影月日 昭和二十五年十月十七日
大光明如来様奉斎 昭和二十五年五月十七日
写真の子供 UH(五歳、正四郎三女)
十月十七日午後、ブラリと素人写真家である近所の理髪店の若者が、カメラを持って遊びに来たので、
家の内外で家族と共に様々のポーズで写して頂き、最後に午後三時頃大光明如来様の御前で
二女T(六歳)三女H(五歳)が二人並んで撮り、家族全員フィルムのある限り写して頂きました。
二、三日して早朝に全部出来上ったと申し、理髪店の若者が持って来ました。
生憎その朝は多忙のためによく見ず、夜になって電灯の下で一枚一枚丹念に見ておりました妻が初めて発見して驚きの声を上げた。
それは最後に大光明如来様の御前で撮った一枚が、何と言う奇蹟!
大光明如来様の「来」の字の経の棒の下部は、前に坐っている子供の頭の蔭になっており写らないのが当り前でありますが、
それが五尺も離れて坐っている文代の頭部を透過して写真にはっきりと写っている。
しかも頭髪より一段と濃くなっているのです。
何しろ名刺版の半分より小さいと思われる写真機の版なので、良く見ないと判りません。
早速引伸しを依頼し、出来上った写真を見ますと素人ながら相当良く出来、小型の版よりは一段とハッキリ撮れております。
まざまざと見させて戴きましたこの御神力、昭和二十年入信以来、数え上げる事も出来ない程の数々の御神徳を戴き、
現在家族は亡兄の遺児を含めて二十二名、時々御浄化も戴きますが御浄霊のお力により、病気の心配は全然なく勿論医療費は一銭も必要無く、
風吹けば風を楽しみ雨降れば雨を楽しむ、満ち足りた安心立命の生活を毎日送らせて戴いております。
見えざる物は信ずべからずを信条として、説けど耳を傾けようとせず、浄霊の効果には目を蔽い、
信じようとするより何とか信じまいと努力する頑迷固陋(ころう)の村人達、吾が近親、友人達も常識で考えられないこの事実、この現実には驚きの眼をみはり、
漸次頑固な唯物思想も融けつつあり、御神書、「栄光」新聞等求める人も多くなりつつあります。
雪に明け雪に暮れる越路の冬、頑なに凍る人の心暖い春の陽光に積り積りし越路の雪の融けるが如くに唯物思想にコチコチ凍る人の心の融けるまで、
この広大無辺な神の大愛に全人類が目覚めるまで、光明輝く地上天国御建設のその日まで、
救われたこの絶大なる御神徳と喜びを一人でも多くお知らせしたいと頑張っております。
以上(US談)
十一月三日当三条支部の定例常会の時、Uさんよりこの御神徳写真の報告がありましたのですが、
Uさんが大光明如来様を奉斎させて戴きましたのが五月十七日であり、
月は違いますが、写真撮りましたのが十月十七日であり、因縁と申しますか同じ十七日です。
しかも、写真に写りおります子供さんは、八月十九日に日本脳炎というよりは、脳炎、脳膜炎、疫痢の合併症状のような猛烈な全身浄化を戴き、
正に九死に一生と申しますか、死の一歩手前、最後の一厘のところで浄霊によりお救い戴いているのです。
八月十九日当三条支部へUさんより電話あり、「子供がお浄化戴き様子が変なので浄霊は続けておりますが、だんだん悪くなるので今度だけは自分では自信が無いから直ぐお願いします」との依頼なので、早速汽車で出張しました。
三条駅と新津駅の間約十里、汽車にて一時間、新津駅よりUさん宅まで、越後平野の真只中一直線の田圃道を一里、
午後五時とは言えどサマータイムの焼けつくような真夏の炎天下、自慢の健脚に物を言わせて二十七、八分で到着、
早速大光明如来様御奉斎せる神の間に苦しむ病人の様子を家族に尋ねると
「前日より頭と腹が痛いと言い出し高熱が出て中々下らない。
ちょうど多忙の時期なので浄霊も充分に出来なかったのですが急に悪くなったので電話でお願いしたのです」との事、
私が到着する前に数回引きつけを起し毒素は脳へ流れております。
全身火のような熱で体温計で計って見ますと、四十二度三分、特に後頭部に大変熱があり延髄付近はコチコチに固く棒のようです。
腹部の熱も物凄く、全身浄化です。本人は既に意識なく時々うわ言を言っております。
早速大光明如来様に御守護御願い申し上げ、午後六時頃より浄霊を始めました。
頸部、延髄付近は浄霊を暫く続けますと柔かになりますが、他の部分を浄霊しておりますと又直ぐ固くなる。
又溶かす、又固まる。同じ事を繰返す事何十度浄霊の手を休めると脈は衰える、唇の色は悪くなる、
熱は一時下っても直ぐ又出る、益々浄化は強くなる、全然手を休める事は出来ない。
今まで数多くの脳炎、疫痢、脳膜炎、肺炎、ジフテリヤ等浄霊させて戴いたがこんな猛烈なのは初めてだ。
今までどんな病気にも絶対自信もあり、又大抵の熱なれば二、三十分から一時間位の浄霊で下るのだが既に三、四時間経過しているが全然下らない。
ふと大浄化の様を想像して慄然とする。
不断の浄霊が肝要なる事を沁々味わいさせて戴いた。
いよいよこうなれば治るまで徹宵浄霊の覚悟を決め、御守護をお念じつつ襲い来る蚊軍と戦いながら脳へ侵入して来る毒素を溶かす、集る、溶かす、集る、を繰返しながら夜も二時を廻る。
家人は前夜の看護に疲れてグッスリ寝入っている。依然熱は下らないどころか段々悪化する。
午前三時頃突然痙攣と引きつけを起す。不断なれば高熱には引きつけは付物なので、驚きもしないが、
余りにも猛烈な全身浄化なのでいよいよ駄目か! と最悪の場面がチラリと頭を掠める。急いで家人を起して家内総掛りで浄霊だ。
脈は衰え、唇は紫色に変り口よりは桃色様の汚物を吐いている。
正に死相だ、最後の五分間だ、ここが頑張りどころと家人を励まし明主様に御守護御願い申し上げ懸命に浄霊する。
脈は衰えたがまだ絶えぬ。生か死か? 約一時間。四時頃より目脂が少し出て来た。
それと前後して脈も活気付いて来た。もう大丈夫だ!
緊張に血走った眼と眼を見合わせ緊張の表情も安堵の吐息と共に無言の笑が洩れた。
救われたのだ。絶大の御神力、人間全生涯の中にこれ以上の喜びがあるであろうか。
魂に染入るような喜びをこの御道に生きる者のみが知る幸福を又味わわせて戴きました。
地平線上に昇る太陽を血走ったドロンとした眼で眺めた時、毎日眺めている太陽ではありますが「よく出て来てくれました」と暗夜に光明を仰ぐ気持でした。
その後も浄霊は連続し、熱もそれを峠に下り始め正午過ぎる頃には意識も恢復して口も喋れるようになり
連続十八時間ブッ通しの浄霊に死を覚悟した大浄化も、
私が午後一時頃帰る頃にはほとんど心配ないようになり御神徳戴き一厘の差で助けて戴きました。
現在では浄化前より頭も明晰となり、人一倍元気で毎日過させて戴き感謝の日を送っております。
それから二カ月、記念にと思い大光明如来様の御前で撮りましたる写真が、
御守護により救われましたる子供を通じて見えざる物は信ずべからずの人達も
信じざるを得ないこの事実のお力を写真上にありありと見させて戴き、
信者達も今更ながら知る絶大なる御力により一段と信仰を深めさせて戴いております。
レントゲン写真の逆の理が常識を超越して行われ、これから進み行く霊写真科学部面の一ヒントとなるのではないかとも想像されます。
毎日数多くの御神徳戴いております中より特に今回の写真はメシヤ教信徒又一般の人達にもお知らせ致したいと、ここに御報告申し上げる次第です。」
体験談 明主様御真筆の観音像御姿変る 四年間毎朝この眼に拝す (昭和26年8月15日発行)
東京都 晴風中教会 AT(46・男性)
霊の実在
「本教入信者にして、霊の実在という問題については、今更疑念を抱いている人は、恐らくいないことと信じます。
しかしながら、今日の最高度に発達した? といわれる学問によって、培われて来たところの観念世界は、強力な潜在意識となって、
せっかく神の大愛に救われ、又今後も、益々その恩恵を享受さるるべき資格を与えられながら、
折に触れ時により、根強い旧観念の台頭に、戸惑いを感ずるごとき立場に置かれる時はないでしょうか。
未入信者にして、一応の神棚や仏壇は設けられていながら、邪教の神や、夜の仏陀に後生を念じつつ、
今生の病貧争に悩まされている人々や、はなはだしきは、神仏は封建の遺物と心得、無神論を標傍することにより、一人優越を感じて、
自己の現代人たるを立証するものと錯覚している、いわゆるインテリ階級のいかに多いことでしょうか。
かかる方々に対し、私のここ数年来の体験を御伝えすることによって、いささかでも、前者には本教に対する覚醒を促し、
又後者には、御教えの一端を窺知するよすがとでもなればと、非才をも顧みず、あえて絵筆をペンに代えて拙文を草した次第であります。」
連日の奇蹟
「観音像の御姿を、四年間、今日でも毎朝この眼に拝し得らるるという、この大いなる奇蹟は私共親子三人、入信させて戴きましてより、
三年三カ月を経過しました(昭和二十三年一月に始まります。(入信は(昭和十九年十一月)
その日の朝も、一家揃って御神前に額ずき祝詞を奏上、三拍手、一拝を終って席を退がろうとした時、御姿の上部に、忽然として金色の丸い光を拝したのです。
余りにその輝きが強く眼を閉じたのですが光輪は消えもやらず、その内、その円光を背にして、黄金色もまばゆい立像(斜左向)の観音像が出現せられたのであります。
実に思いもよらぬ驚異の奇蹟でした。ついで御姿に向って右方より左上にかけて、ほのぼのと七彩も鮮やかに虹が立昇ったのです。
その時の驚きは全く筆舌に尽くし難く、翌朝も又そのあくる朝もという風に、爾後今日まで、毎朝祝詞奏上の際顕現されるのです。
そして去る六月十五日までに、前後三回御姿に変化を示されましたが、この次第は「地上天国第十三号」誌上に、明主様より御鄭重な、御開示を戴いておりますので、御参照願いたいと思います。
それまでのお変り方は、その都度徐々に、二、三カ月にわたっての、極めて緩慢な御反転でしたので、幽玄な不思議さの中にも、画業に身を置く私には、
神々しい御肢体の動きの中に、壮厳麗妙な美を識らしめられ毎朝の礼拝が楽しく、待遠しくさえ思われる程でありました。」
嗚呼六月十六日
「ところが六月十六日に至り、忽然として、急激な、四度目の大変化を現出されたではありませんか。
これより先、同月八日、強羅別院において明主様に特別御面会の折「君の拝する御像に、次の変化が来るとすればこの十五日以後になる」との御垂示を戴きましたので、
いかなる御神秘のお示しがあるかと、少なからず期待をもって同日の朝を迎えましたところ、
全く予想もしていなかった景観を呈されまして愕然たる衝撃は、最近(七月上旬)まで身体に異常を感ずる程のものでありました。
前記「地上天国」の御伺事項と重複しますが、今回の御変化との対照の便に備えて、左に前三回の御情景の、主な点を列挙して見ましょう。
御 姿 御頭部 御持物 その他
23年1月 全身立像 ベールを 両手で巻物 虹が出る
(斜左向) 纏わる
23年5月 七分身像 同右 左手に蓮華 同右
(斜右向) 右手に玉
24年12月 全身坐像 ベールを脱がれ 左手に蓮華 虹次第に薄くなる
(斜左向) 王冠を頂く 右手に巻物
まず、今回の御変化について、特筆大書すべきことは、御尊体上部の背面に、突如、燦然たる金色の大十字が現われたことであります。
古今の仏画等には、全く見掛けぬ奇現象でありまして、同時に、光輪も非常に大きくなり、従来のは御顔を中心に、肩から上部に円を描いていたのですが、
実に奇想天外というか、坐像の御腰の辺りから、御頭上二尺位までの直径ですから、
ほとんど全身が、御光の中に嵌入(かんにゅう)せられ、しかもその放射光は、一段と強烈さが加わりましたので、御姿は強い逆光線の中に拝されます。
そして、更に驚くべきことは、御聖体は第三回のと同じ御坐像ながら、四年目をもって、厳然と正面を向かれたのであります。
又、右手の御持物たる蓮華は、御像の外部に出ておりますのでそれと判りますが、
御身辺周囲の、燃ゆるがごときハレーションのために、シルエットになっている御腹部の、前に置かれた左手の御持物は定かではありませんでした
(昨今眼が馴れるに従い、左手には何も持っておられないことが拝観され同時に右手の蓮華は、最近次第に薄れつつあります)。
そして又、同日を期して、従来の虹は全く消滅してしまったのであります。
明主様以外、誰かこのような尊像の御変化を予知されたことでしょう。」
感激のスケッチ
「その瞬間、耳は聾し、口はふるえ、眼は逆となって、脈も止まるかと思わるるばかり、
四年以前初めて御姿を拝した時以上の驚愕に打たれただ御神前にひれ伏すのみでした。
全身汗ばんで五体は打震え、たちまち三十八度位の発熱と、ひどい頭痛を伴ないましたが、
この奇蹟を一刻も早く教会へ伝えたく思い取あえず半紙へ墨画をもって感激の印象を一気にスケッチし、妻に託して阿佐ヶ谷教会へ走らせたのであります。
私は急激な御浄化に、止むなく就床いたしました。
教会のO先生はいたく驚かれて、直ちに世話人に伝達され、世話人は各受持信者に連絡、即夜臨時集会を開かれました。
私も熱を押して列席の上、つぶさに報告させていただきました。
そして終会と同時に先生は、浦和の中教会へ拙画を持参され、K中教会長は翌日更にリレーして、強羅へ参上するという訳で、
遂に十八日、私の知らぬ間に明主様の御手許にまで達しました由、
私としましては深く恐縮と汗顔に耐え兼ねている次第であります。
次の強羅御参拝の折、直接御垂示を仰ぎたいと存じ、辛うじて起床の上、尺七の鳥子へ本描きを製作しましたが、
既に、概念にても明主様の御見聞に達した由を、数日後に伺いまして、絵は、更めて御覧に供するまでもないと存じ、
手許に置いて粗末にでもしてはと今回懇ろに焼却させて頂きました。
かつて、国宝曼陀羅華の模写を行った以外、仏画(実際は神画ですが)に筆を染めたのはこれが最初でした。
入信前、仏画や仏像は偶像なりと信じ、又入信後は、明主様の御入魂を願うに非ざれば、たとえ名僧知識の開眼を得るとも、その力は、やがて仏滅の期の到来すべき、寂光幽界の、微力に止まるを知ったからであります。」
明主様御垂示
「六月十六日戴いた私の御浄化は、御浄霊を頂きました翌七月六日の排便時に、多量の黒い出血となって排泄されました。
普通ですと、直ちに胃潰瘍を連想しますが、私は胃病の苦痛を、更に知らない男なのです。
同時に心身は爽快となり、翌々八日、勇躍強羅へ参拝、明主様に特別御面会を得て、種々御伺い申し上げましたところ、一々御明解御懇切な御垂示を賜わりました。
一、今回の御姿こそ、六月妄日の昼夜転換を期して、現われまされたる聖観音像なること。
一、背面の十字は、経緯結合の大御経綸を示し、同時に観音は、キリストの御働きを具えておらるること。
一、御持物の蓮華は、仏界の御救いを示され、次第に蓮華の薄れゆくは、仏滅を意味する。
やがて空手となられた時こそ、神界に還られた、本然の聖像であられること。
一、正面を向かれた事は意味がある。君に色々な御姿をお見せになり、私に色々神は御知らせになるのだとのこと(明主様お笑い)。
一、虹の消滅は、水の霊気の衰退を象徴すること。
一、霊視能力に就いて、常に視えるのは危険な人であると「教えの光」に述べてあるが、君の場合は心配なく、大いに喜ぶべき事であること。等々でありました。
実在する霊、視ゆる御像、幻影にはあらで幻覚にもあらず、毎朝私の肉体の、この両眼を充血させる程の、まばゆい御光と御姿を拝して、霊界と現界との緊密な連繋を、どうして否定することが出来るでしょう。」
入信の動機
「まことに前後しますが、私共の入信の動機について、少しく申し述べさせて頂きますと、頭書のごとく、八年前の昭和十九年十一月に遡ります。
当時私共は、薬毒の何たるかも知らず、一粒種の男児(当時二歳)が、妻の殊の外の薬好きから、
毎日あらゆる強壮剤を与えておりましたため、得体の知れぬ病魔に冒され、年々衰弱は加わり、遂に死の毒手前まで追込まれてしまいました。
各大学病院は固より、数名の医師の診断もまちまちのために、その選択に迷っておりました時、
親戚の者より当時大日本観音教という新宗教を勧められて、中野区大和町におられましたAS先生を、お訪ね申し上げたのであります。
種々御話を伺いますに、何とその御論旨の飛躍的なことよ。
しかし熱誠溢るる御言葉の節々には、心の琴線に響くある何物かを感ぜずにはおられませんでした。
そして御浄霊(当時は御治療)を戴いた子供は、日増に元気をとり戻し、約一カ月の後には、完全な健康体にして戴けたではありませんか。
私共の感激は、ただただ偉大なる、明主様に対する讃仰の念と、A先生に対する、感謝の思いで一ばいでした。直ちに三人共入信させていただきました。
矢継早な第二の奇蹟が、その入信の日に生じました。それは私の応召です。
その頃戦局は、全く挽回の道なきを、国民も悟り出した頃でした。
補充兵であった私は、鉄砲の持方も知らず、三十九歳の二等兵として、悲壮な万歳に送られ勇躍?赤坂三連隊の営門を潜ったのですが、
峻厳な身体検査も合格、混紡の冷たい軍服に着替えも終り、この上は国民として最善を尽くすのみと、
当日の朝戴いたばかりの「御守」を胸に、明主様に爾後の御守護を念じておりました時、
突然、軍医に姓名を呼ばれ、不可解にも、応召者約三百名中、即日帰郷者二十数名の中に、我身を発見したのであります???
これを奇蹟といわずして何と呼びましょうか。
一度、合格の烙印を押された私が、検査官の眼には、何と映じたことでしょうか。
申すまでもなく、早速、A先生に熱海へ御同道を戴き、N会長先生を通じ、御守護御礼の参拝をさせていただきました。」
栄光への道
「かかる御救いを戴き、今日の医学の誤謬を覚らしめられ、奇蹟の奇蹟ならざるゆえんを識らしめられ、
どうして、旧観念世界を人生の拠点として、安住することが出来るでしよう。
なおその上、救われしのみならず、救う御力まで与えられようとは・・・
爾来今日まで、医師と薬剤とは完全に絶縁し、前述の一子は満十七歳(目下l高校二年生)に発育、身長五尺六寸、足など十一文半という成長振りにて、往時を想起しては、常に感謝の念を捧げておる次第であります。
又、信者として救世運動、梅花運動に御奉仕する私共の幸福感は、何物にも替え難いものを、覚えずにはおられません。
更に又、真善美世界創造の御経綸に沿って、彩管に身を委ねる私には、一入の喜びを感ぜずにはおられないのであります。
芸術に対し、殊に御造詣深くあらせられる明主様と去る歌舞伎座のこけら落しに、ゆくりなくも、
しかも、二階の正面画廊において御拝顔、優渥なる御言葉を拝し御揃いの御令室様より、荊妻にまで御会釈を給わった時など、
私共は暫し茫然として、天国の楽土、ここに天降るかと思われるばかりでした。
皆さん、既にして、待ちに待った昼夜の転換は行われたのです。
救世の黎明は東海に輝き初めたのです。
そして、紫雲たなびく栄光への大道は、無限に展開されたのです。
さあ、しつかりと手を取合って、御光を身に、御諭しを心に、足音高く、地上天国の建設へ前進しましょう。」
体験談 鼠も御写真丈は噛まず (昭和28年11月4日発行)
三重県 中京中教会 HK(58・男性)
「私は、去る一月二十五日に入信させて頂きました者でございます。
入信直後の事でしたSA様より「栄光」新聞一八一号のB版(明主様御西下随行記掲載のもの)を頂きまして読まさせて頂き机の抽斗(ひきだし)の中に入れて置きました。
ある日再読させて頂こうと思い抽斗をあけますとそのB版が見当らないのです。
どう致した事かと心配いたしよく調べて見ましたところ、B版は鼠(ねずみ)の為にばらばらに噛み荒されておりました。
大いに驚き誠に申訳のない事を致したと恐縮に存じ良く調べて見ますと休憩室にての写真の一カ所即ち明主様の御写真だけがそのまま残っているではありませんか。
ヤア良かった、助かった、と安堵の胸を撫下し一息つきながらも、この出来事の不思議さに更に驚嘆致しました。
気持の落着くに従い、広大無辺計り知れぬ明主様の御霊徳に一入感激致しました。
この不思議を見せられました機会に乗じ、今後一層 メシヤ教の御為にお使いさせて頂きたいと思っております。」
体験談 御神体よりお光 (燦然たる黄金色) (地上天国 7号 昭和24年8月30日発行)
日本観音教天国会光明分会 SY(19・男性)
「私は昭和二十三年の春母と妹と共に有難いお光を頂かせて頂きました。
早く父を亡くしました私共は永い間暗い悩みの生活を続けて参りましたが有難いお光を頂きましてから御神徳によりなんの不安もない幸福な生活を営ませて頂いております。
その上昨年九月から親子三人本当に有難い疥癬の御浄化まで頂き感謝の外はありません。
去る三月二十五日光明如来様の御神体をお迎え申し上げお祭りをさせて頂きまして有難う御座いました。
それから三日の三日二十八日の夜の事で御座いました。
母と祖母と私と妹の四人が御神体の前で善言讃詞を奉唱致しておりました時、突然母が大声で「あっ!!おばあさん」と申しましたので、
私共はびっくりして一斉に母の方を向きましたところ母はお光が見えると御神体の方を指差し「ほらほら御字から御字の周囲に」と震えた声で申しました。
私達一同が御神体の方を拝しましたところ、ああそこにはその御字からは黄金色の光がぼうぼうと燃えるように出ておりまして
それがローソクの灯のようにつよくなったり弱くなったり黒い御字を形どるかのように大きな黄金色の光明如来の御字が表われているのでした。
一同の口からは期せずして「アッお光が!」という叫びが発せられました。
その内その黄金色の御字が黒い御字の後から抜け出して御軸の向って右の端の方へ移りました。
そしてその御字からは黄金の焔が幾つも幾つも立上って躍動しております。
ああ何んと言う不思議な事でありましょう。
余りの有難さ勿体なさに私達はただ御神体の前に声も出ず自然に頭が下るばかりで御座いましてこの時の気持を何と言い表わしたらよいやら本当にその言葉に困ってしまいます。
それからずっと毎日朝昼晩とその有難い黄金色のお光を私共親子は拝ませて頂いております。
父亡き後私達の母は女一人のかよわい力でわずかな月給で頑張っていて下さいます。
現在のインフレーションの暗黒な社会を親子三人無事に切抜けさせて頂いている事や幼い時から医師に厄介になりつづけた弱い私共兄妹を現在の如く素晴しい健康にお導き頂いた事は一重に大先生様の限りない御神徳の賜と深く深く感謝致しております。
誠に至らぬ者で御座いますが大先生様の御守護と中島先生、鬼頭先生始め諸先生の御指導を頂き、地上天国建設のためにお役に立たせて頂きたいと念願致しております。」