二度目が本当
明主様御垂示 「二度目が本当」 (昭和26年10月5日)
信者の質問
「お筆先にあります「天が六、中界が六、地が六」というのは、どういう意味でございましょうか」
明主様御垂示
「そうですね・・・つまり、夜の世界だったんですね。天も夜、地も夜というんですね。おもしろい比喩ですね。
一厘の御魂が天から降りて、天が五になり、地が七になるというのは嘘じゃないんだからね。
一厘の御魂というのはおもしろいものですね。
昔、二十年くらい前・・・大本教にいた時分にある人から古銭をもらった。
一厘銭と天保銭と金貨をもらった。金貨が明治四年なんです。
それでみると、大本教の教祖様が天保生まれですからね。
聖師様という人は、明治四年生まれなんです。
それで、金貨ですね。
私が一厘で、ちょうどその通りになったんです。
あのときは神様がお知らせになったのだなと思って大事に取っておいたがね。
お筆先に「九分九厘と一厘」と書いてありますね。
邪神のほうで九分九厘成功したんですからね。
一厘でひっくり返すんですね。
医学が九分九厘ですね。医学を信じない者は世界中にないでしょう。
それを私が、一厘でひっくり返したんですからね。
まったく、九分九厘と一厘ですね。」
信者の質問
「一厘の御魂と申しますのは、この地上が始って以来初めてでございましょうか」
明主様御垂示
「いや、そうじゃない。二度目なんです。
だから、お筆先に「二度目の天の岩戸開き」とありますね。
だから、すべて二度目の形式をとってます。なんでも二度目になりますね。
前の一厘の働きは本当じゃなかったから失敗した。
二度目が本当なんです。」
信者の質問
「大本教のほうでは、一厘の御魂は誰だと思っているのでございましょうか」
明主様御垂示
「分からないんですね。人によっていろいろありますね。
三代様と思っているのもあるだろうし、日出麿(ひでまろ)・・・と思っているのもあるでしょう。
「力のあるのは東から出るぞよ」とか「悪の隠れ場もなくなるぞよ」とある。
いまに大本教で頭を下げてきます。
それで、お筆先にちゃんとあるんです。」
信者の質問
「三代様がいらっしゃったということで・・・」
明主様御垂示
「そうですね。一歩近づいたんです。
力というのは・・・力は今まで・・・本当の神様の力は出なかったのですからね。」
信者の質問
「朝は曇っていて、帰るときは降りましたが・・・」
明主様御垂示
「あれは教祖さんの霊が憑いてますからね。
今度は本当の力が出るんです。
経と緯を結ぶと言うでしょう。結ぶ所で活動が起こる。
だから、経と緯が本当に結ぶときが本当に左進右退の動き出しです。
今までは右進左退だった。それが左進右退になる。
それではじめて邪神のほうが、手も足も出ないようになる。
今までは結んでなかった。別々だった。」
明主様御垂示 「二度目の型をとることが多い」 (昭和29年4月1日)
信者の質問
「昨年五月御垂示(註 発狂した弟が御神体を破いた事件)いただきましたSY(男性)でございますが、本人も感激して、反省し、その後御神業に努力してまいりました。
三ヵ月ほど前に兄さんのほうからお詫びして“たいへん申しわけないことをした、今までのことは許してくれ”と言ってきまして、
その後仲もよく、兄弟の努力の結果、当時より信者も倍になりました。
再び大光明如来様の御奉斎をお許しいただきたいと思います」
明主様御垂示
「よいです。もう、そうなれば・・・。そういうこともやっぱりわけがあるのです。
そういうような段取りにしなければならないわけがあるのです。
こういうことを知っておかなければならないです。
これは大本教のお筆先に「今度は二度目の天の岩戸開きであるから」ということがあるのです。
というのは、ずっと古い時代ですが、以前にもこれに似たようなことが世界にあったのです。
それで今度は私が出てから、岩戸開き、要するに昼間の世界になるということは二度目になるわけです。
すると、あらゆることが二度目になるのです。
これは信者の人にもそういうことがよくあります。
最初やったことがいけなくて、それからやり替えたりして、二度目の形をとるのです。
私などは始終そうです。
ほとんど例外はないと言ってよいくらいです。
だから今の御神体をそうするのも、二度目の型をとった(中略)
そういう人はたくさんあるに違いないです。
二度目が本当だというわけです。
だから今度できたメシヤ会館にしても、前には下の今の美術館の所に造るつもりだったのですが、あのときの大風でくずれたのです。
今美術館の、上る道路を造っている所です。
そういうようで、せっかく造ったのにくずれたので、それで上に変えたのです。
そのときも“ああ、やはり二度目だな”と思ってやったのです。
だから何事にもそういうことがあります。」
信者の質問
「二度目になるのも決まっているわけでございますか」
明主様御垂示
「決まっているということもないが、二度目の型をとることが多いのです。」
信者の質問
「型をするのはお許しがいただけるわけでございますか」
明主様御垂示
「型をすると言っても、人間のほうでするということは間違ってます。
つまりそういうことがよくあるというわけです。
一度目で済めば結構ですよ。」
明主様御垂示 「二度目が本当の人が多い」 (昭和24年7月27日)
信者の質問
「私の方では、辰年生れの娘は初婚不幸(未亡人となる)にて、再婚すれば幸福になると伝えられ、事実そのように思われます。いかなる理由で御座いましょう。」
明主様御垂示
「結局、迷信である。ただこういう事はある。
人によって物が二度目でないといけない人がある。大先生などもそうで・・・。
大本教の説では、今度は第二の岩戸開きだという。
これは実際においてそうである。結婚に限らず。
聖書にも、メシヤの前にニセメシヤが出るというが、事実こういう事はあった。
故に人によって二度目の人がある。かなり多い。」
明主様御垂示 「二度目の岩戸開き」 (昭和23年6月25日)
「物は大抵二度目になる。第二の岩戸開きである。
ズーッと太古に岩戸開きがあり、今度が本当の岩戸開きである。
あらゆる事が二度目になる。
聖書にも「真の救世主の出る前に偽救世主が出る」とあり。
大変苛めたものが、有用な役に立たす事がある。
例えば観山亭などは、宝山荘でお建てになろうとしたが、Gが止めた。
その材料が丁度間に合った訳である。」