邪神は順序を乱す


明主様御講話 「御面会日には明主様の座蒲団を敷くのが一番大事」 (昭和26年6月2日)

「今、遅くなったのは、こういうわけです。

これは邪神がやるんです。

私の座蒲団を敷くのが一番大事なことです。

肝腎なことを邪神は邪魔するんです。

一番肝腎なことを、チョイチョイとする。

実に、邪神が憑っている。

邪神は何人も憑る。

だからですね、肝心なことをボーッとしちゃう。

そういうときに私が黙っていると邪神に負けちゃう。

だから小言を言った。そういうものです。

だから、信者でも、重要な役割をする人には、邪神がすぐ憑く。

たいてい気がつかないんですが、気がついたらたいへんです。

一番肝腎なことは、私の座蒲団を敷くことですね。これを敷いてない。」




明主様御講話 「邪神が順序を壊そうと始終やっている」 (昭和28年9月5日)

「それからこれは参考になるからちょっと話しておきますが、

この間ある支部で、一生懸命に働いていた人が、ちょっと理屈に合わない変なことがあったのです。

その事情は言えませんが、それで私は変だと思って、その支部を監督している中教会長とその変な人もチャンと良くなって一緒に来ましたので聞いてみると、

そこは出張所になっていたのです。・・・

中教会は地方にあって、東京に出張所をやっていたのです・・・。

出張所をおくということは別に悪くないが、そこの支部長がいないのです。

支部長がなくて出張所があったのです。

それは嘘であって、それを知らせるために神様がなさったのです。

ですから支部は結構ですが、支部長がいなければならないのです。

支部長がいなければ、もしかそこの信者が病気とかいろんなことがあった場合に、中教会は地方にあるのですから、

支部長という責任者がなかったら、カラッポのようなものですから嘘なのです。

支部と名のつく以上は必ず支部長がいなければならないのです。

それで「それは閉鎖しろ、支部長ができたらやるように」と言ってやりました。

ですから理屈に合わないときには必ずお知らせがあります。

ちょっとでも変なことがあると、それをすっかり調べてみると必ずなにか間違ったことがあります。

ですからそういう理屈に合わないことや、なにかおかしなことがあると思ったら、

そこを考えて、どこかに間違ったことがあると考えると必ずなにかあります。


それもこれもやっぱり智慧証覚がないとそれを発見することができないのです。

ですから急所を発見することと、それから順序を間違えないことです。

この順序を違えるということはよくあります。

違えるということは、気がつかないのです。

それから知らないことがあります。

例えばこれを先にやり、こっちを後からやるという区別が分からなかったり気がつかないことがよくあります。

そういうことはちょっと面倒なようですが、それを知ってしまうと無意識で順序を正しくします。

霊界は霊主体従であるとともに、それから体主霊従のこともたくさんあるのです。

しかし結局は霊主体従になりますが、一時的には体主霊従のことがあるのです。


というのは最近のことで、この間放送局で録音をとりに来たのです。・・・

その放送の予定は明日の午前十一時半ですが、これは私と、立正佼成会の会長の庭野という人、PL教団の御木徳近、もう一人、日之教とかいうそこの教主と、

四人が出る予定ですが・・・最初十日くらい前に来たときにしゃべったところが、どうも思ったようにしゃべれないのです。

なんだか圧迫感があるようなのです。

それで私は気に入らなくてしようがないのです。

だからテストしてみて具合が悪いと思ったらもう一度やるから、遠慮なく来てもらいたいと言ったところが、

先方でもそう思ったせいか間もなく来て、今度は私は無事にやれたのです。

それで前にやった時にはどうして思うようにゆかないかというと、坐る位置が違っていたのです。

先方が上座でこっちが下座になっていたのです。

ですから仮に坂なら、先方が上でこっちが下です。

その時には気がつかなかったのですが、後でさっきはどうも変だったなと思ったら、順序が違っていたなと思ったのです。

それは上座でなければならなかったのです。

このことは無理にしなくてもよいが、肝腎な時にはその位置が非常に影響するということがよく分かります。

ですから浄霊の場合にも上座に坐ると効きがたいへん違います。

上座から下座に向かってやると効きがたいへんな違いです。

しかし急な時にはそうはゆかないことがあります。

怪我をして出血が多いというときにはすぐにやらなければならないが、

やっぱり臨機応変にやらなければならないのです。

こういうことも急所なのです。


前に信仰雑話にも書いてあったと思いますが、「順序」というものがいかに影響があるかということです。

今の人は順序ということにはぜんぜんかまわないのですが、

今一番いけないことは、建築をする時にたいていな所は子供の部屋を二階にとるのです。

これがたいへんな間違いです。それで親不幸が出るのです。

それでふだんいるということより寝る所がたいへんなのですが、

親よりも上に寝るということは、形では分からないが、霊界ではそういうようになるのです。

霊界はでたらめではないので、実に厳格になってますから、

霊主体従の法則によって、順序が違っているとそれだけ影響がきますから、

苦しかったり思うようにゆかなかったり、なんだか気持ちが悪いものです。

ですから、私がこうして高い所でしゃべるから、しゃべりよいし、またあなた方も聞きよいのですが、これが逆になったら変なものです。

ですから「神は順序なり」で、神様は非常に順序がやかましいのです。

仏様を拝むたびに祖霊がたくさん来ますが、それは実に順序がキチンとしています。

大先祖は上段にいて、それからだんだん新しい先祖ほど下にゆき、親子兄弟、親戚と、その順序は正確に並んでいるわけです。

だから家庭でもいろんな場合は、親子兄弟の順序をでたらめにしないようにするのです。

そうするといつも気持ちよく平和にゆくのです。

争いや言い合いがあったりいろいろしますが、そういう時には坐ることとかいろんなことでみんな順序が違っているのです。

それで親が坐る所、長男、次男の坐る所と、決まっているのです。

それで食事の時に順序がチャンとしていると気持ちよくゆくのです。

それが順序が違っていると食事中に喧嘩したり気持ちが悪いことがあるのです。

そういうことは些細なことのようであって、大きなことです。


ところが霊界にはいろんな邪神もいるし、反対派の方の霊がいて、それが順序を壊そうと始終やっているのです。

それが体に写っていろんなことがあります。

それで私を邪神は始終狙っています。

しかし光が怖いから側には来れないが、遠まきにやっているのです。

なにかあると、これは邪神がやっているなとすぐに分かりますが、それでとんでもなく順序を変えるのです。

詳しく言うとこんなことで影響するかと思いますが、私を下にしようとするのです。

といっても目に見えるようにではないので、それは実に微妙なものですが、そうすると私の光がちょっと跡切れるのです。

それで跡切れるほど邪神の寿命が延びるのです。

それはどうせ自分たちはもう長くないということは分かっているのですが、

やはり邪神としての権力を持ってますから、その権力を一日でも長くさせたいのです。

そこで私の光を妨げるのです。

今までのいろんな事件もみんなそれです。

それによって一時延びるのです。

しかし私の方がだんだん強くなって、しまいには先が往生します。

それからがミロクの世になるのです。」




明主様御垂示 「邪神は明主様の光が薄くなるよう画策している」 (昭和26年12月6日)

「昨日なんか・・・静岡で公判があってね。

あそこの邪神の活躍というのはたいへんなものです。

安田屋という・・・あそこに行くと一人も迎えに出ないんです。

おかしいなと思って入って行くと、一人玄関に出て来てびっくりしたような顔をしてた。

二階に新しい座敷を拵えてあるが・・・二度ばかり入ったが、そこに入った。

泡食って雨戸を開けてない。

おかしいなと思ってね。

いつも、稲葉さんと信者の娘さんと、あと水取(もんどり)さんなんかが、必ず出迎えたんです。

それが、蔭も形も見えないでね。

とにかく、これはただことではない、とこう思った。

ちょうど、不意のお客が宿屋に飛込んだようなものです。

それで、聞いて見ると、汽車に事故があって、熱海発が遅れたんですね。

それで、来られなかった。

それからして、雨戸を閉めてあったのは、女中が気を利かして、床の間に日が当たるので日を避けるために戸を閉めたと言うが、ちょっと変ですね。

床の間は、三十分や一時間日に当たっても、大したことはない。

私よりも床の間が大事ということになる。

女中の頭ではそんなものですね。

そうして、そんな具合で分かったんですがね。

というのは、邪神は始終そういうことをしたりして・・・汽車を止めたのも邪神がやったと見なければならないんだね。

というのは、そうして私を・・・要するに、たてまつったり、良くするようにしないようにする。

というのは、霊界ではそうすると、私の光なら光がそれだけ薄くなる。それを狙っている。

ちょうど、神様の・・・御神体と同じで、一人か二人拝むより、十人拝むと光が違っちゃう。

邪神は、それを非常に狙っている。

本当と思えないことが良くあるんですよ。

私に関係したいろいろな・・・周囲の者は、邪神が腕によりをかけて、多勢狙っている。

信じられないようなことがよくありますよ。

一番・・・邪神は光が怖いんだからね。

だから、光の・・・要するに、電灯ならキロワットをね・・・少なくしようしようという、それが邪神が最も狙っているんですね。

光が強くなれば、救われる人が多くなるからね。

救われる人が多くなると。

自分のほうが・・・ 敵が力を出すんだからね。

だから、私の光を薄くするということを努力しているんですね。

まだいろんなことがあったね・・・昨日は。


だから、邪神といっても、邪神というと未信者に憑くように思うけれども、あべこべなんです。

連中が一番憑きやすい・・・憑きやすいというより、狙っている。

そうでなければ、邪神の力の強い奴は狙うんです。

大本教のお筆先に「いつも抜身の中にいるような気持ちでないと危ないぞよ」

「悪神(わるがみ)が狙いつめているからちょっとの油断がありても・・・」そういうのがありますね。

それが、邪神が悪いことを言うんなら、それは分かりますがね。

良いと思って悪いことをやられるんだから怖いんです。

これが良いと思って・・・ご本人は一生懸命やるから、それが大きなお邪魔になったり・・・それが怖いんです。

そういうのは、邪神でも高級の・・・知能的な邪神です。


これは、信者でなくジャーナリストに憑るので、知能的な邪神ですね。

メシヤ教というのがいけないから、大いに攻撃してやれとか、やっつけてやれとか、始終しごくんです。

それで、奴さんがその気になって、口惜しそうになって書くんです。

どうして、あんなに口惜しがるかと思うくらいにね。

この間の山彦学校もそうです。

考えてみると、邪神も情けないんですよ。

もう間がないんだからね・・・奴さんたちが往生するのはね。」