邪神は信者の隙を狙う


明主様御教え 「霊憑りに就て」より (昭和26年12月5日発行)

「(一部のみ引用) ところがここに注意すべき重要事がある。

それは本教信者は自分は御守護が厚いから大丈夫だ、

邪神など容易には憑れるものではないと安心しているその油断である。

この考え方が隙を与える事になり、邪神は得たり畏(かしこ)しと憑依してしまう。

しかも小乗信仰者で熱心であればある程憑り易いから始末が悪い。

いつも私は小乗信仰を戒めているのはそういう訳だからである。

何しろ邪神が憑るや小乗善にもっともらしい理屈をつけて押し拡げ、

巧く瞞すので大抵な人はそれを善と信じ切って一生懸命になるのだが、

何しろ根本が間違っている以上、やればやる程結果がよくないから焦りが出る。

そうなると人の忠告など耳へも入らず、ますます深味に嵌(はま)ってしまい、

二進も三進もゆかなくなって失敗する人がよくあるが、

こういう人も早いうち目が醒めればいいが、そうでないと何が何だか分らなくなってしまい、

御蔭を落す事になるから小乗善のいかに恐ろしいかが分るであろう。

小乗善は大乗の悪なりと私が常にいうのは左の事である。


またこの点一番よく分るのは小乗善の人は必ず常軌を逸する事で、これが奴らの狙いどころであるから、

何事も常識眼に照らして判断すれば間違いないので、

全く邪神の苦手は常識であるから、私は常に常識を重んぜよというのである。

この例は世間に有りすぎる程有る。

よく奇矯な言動を可いとする信仰や、同様の主義思想、神憑り宗教などもその類であって、

いずれも問題を起し、世間を騒がす事などよく見聞するところである。」




明主様御垂示 「邪神は信者の隙を狙う」 (昭和26年9月21日)

信者の質問
「私は今年四月十九日入信させていただきました。

入信後、毎日のごとく下痢があり胸部、腹部、背中が張り、締められるごとくになり、常にガスが多量に発生いたし、時折胃部に丸い玉のような塊りができて動きまわり、胃を圧迫し苦しくなり、

食欲不振など間断なき御浄化のため、家業(農業)が、入信後半休の状態でございます。

私は盲腸を手術しており、その時に腸を引き出して洗っております。

盲腸の手術後に胃が悪くなり、四年になります。

私の父は金毘羅様の熱心なる信者で、総代をしており、家は禅宗であります。

その他に稲荷、龍神なども祀っております。

私は入信前は生長の家を信仰しておりました。

父は私の毎日の御浄化を見ては、金毘羅様に行って拝んでもらい、薬をいただけばすぐ治ると申し、メシヤ教には反対をしております。

私が入信と同時に御屏風観音様を御奉斎させていただきました。」


明主様御垂示
「洗っているとは蛙みたいだな。

下痢は結構です。お腹の中に薬毒がたくさんある。

玉のようなものは、これは霊です。邪霊ですね。

金毘羅さんの霊ですね。

金毘羅さんは海の神様で、漁師とか・・・そういう者を護るので、病気には関係がない。

金毘羅さんというのは、邪神がたくさん邪魔してます。

邪神が胃を圧迫してメシヤ教を止めさせようというんです。

そうして悪くして、お父さんに憑って・・・総代をしているくらいですから・・・止めさせようというんです。

これに引っかかるとたいへんです。

それですから、その金毘羅さんの霊が邪魔しますから、治りがすっといかない。

そこで、どうしたら良いかというと、この人はメシヤ教に徹底するんです。

つまり邪魔されるというのは隙があるからで、信仰に隙があるからやられる。

だからメシヤ教一本で断乎としてやり、できるだけ御神書を読むんです。

そうするとやっこさんは駄目だと諦めて出ていく。

今は、本物と贋物との闘いです。

そうするうちにお父さんが閉口するようになる。

稲荷や龍神・・・こういうのも手伝いますからね。

生長の家は、可もなければ不可もない。

金毘羅さんに行けば治るというのは・・・これはやっこさんが憑って言わせるんです。

メシヤ教に反対してという、これなんです。

正邪の闘いが起っている。

肉体のね。ここで迷ったら救われない。

断乎として心で定めちゃう。

そうすると先は来れない。

こっちに隙があるからなんです。

総代なんかに、メシヤ教に行かれたらたいへんな損害になるのでやっているので、危ないです。(中略)


まあー一生懸命に信仰して、一人でも多くの人を助けるようにすると、神様の御恵みによって・・・御守護によって早く治りますね。

そうしているうちに、いずれお父さんも金毘羅さんを止めます。祖先の方が変わるからね。」




明主様御垂示 「邪神に憑依されるのは信仰が弱いから」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「本年三十一歳になりますが、二十歳の時盲腸を手術いたしました。

昭和十六年に北支に嫁ぎました。翌十七年に肋膜にて、軍の病院に入院いたし、四十日くらいで退院し、子供もできましたが、夫が召集のため本国に帰り生家におりました。

十月に御光りをいただき御浄霊をさしていただいておりました。

去年十月より大浄化をいただき、先生方に御浄霊をお願いして、良い方に向かいましたが、咳のために声が出ません。

実は戦死しており、病床に迎えに来ると申します。

なにか霊的関係がございましょうか。

八月中旬より足が浮腫み、食物は三度の都度一膳くらいいただいておりましたが、

九月三日より浄霊を止めてほしいと言うので休ませていただきましたところ、四日より六日まで食事をいたしません。

六日夜、父が御浄霊させていただきましたら、突然食事が欲しくなり、一膳食べ、七日の朝も食べ、六日の夜は良く休みました。御浄霊の箇所を御教示お願いいたします。」


明主様御垂示
「霊的関係がないとは言いませんがね。

夫に信仰がなくて、分からないと迎えに来るんです。

しかし迎えに来ても、こっちに御守護があればなんともない。

信仰が徹底しなければならない。フラフラしていてはいけない。

この人は少しフラフラしているようだから、徹底しなければならない。

絶対に神様におすがりして・・・というのでなければ・・・そうすれば、迎えに来ても諦めて止めますよ。

邪神に憑かれるとか、霊にどうかされるとかというのは、信仰が弱いからです。

絶対の信仰なら先が諦めてしまう。

霊というのは隙を狙うんですからね。

絶対の信仰なら隙がないから、先が諦める。

だから、この人はできるだけ御神書を読むんです。

そうするとだんだん分かってきて、信仰が厚くなる。

浄霊は背中から横腹ですね。

背中を押してみて痛い所があれば、そこに固まりがあり、そこから熱が出る。

盲腸の方は、お腹から右の方の股にかけて、それから盲腸の後ろにかけて・・・そこを触ってみれば熱いから、そこをやれば治りますよ。」




明主様御垂示 「邪神は信者の迷いを狙う」 (昭和24年12月)

信者の質問
「私は数年前御守りをいただき職業(漁師)の傍ら御救いのお手伝いをさせていただいておりましたが、

最近御救いのほうが多忙になりほとんど漁師のほうはできません。

そこでお道いっぽうだけで進みたいと思いますが、家族や親類が強く反対しております。いかがいたしたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「こりゃあ、御救いいっぽうにしたがいいですよ。

家族や親類の反対はぜんぜんかまわなくていいですよ。

それにこの人は「御救いのほうが多忙だ」って言うんだから。

私がそうでしたよ。みんな反対だったんですが、私は頑としてそんなのに耳を傾けずにやってたんです。

実際、このくらい立派な、いいことはないんですからね。

魚をとって人に食わせるよりか、このほうがいいですよ。

漁師をやる人は他にたくさんあるんですしね、これで人を救ったほうがどんなにいいか判りませんよ。・・・

職業を選ぶ場合だってそうですよ。

どっちが世のためになり、多くの人が幸福になるかを考えて、こっちのほうがいいと決まったら、だれが反対しようとどんどんやってくんですよ。

私だってそれで押し通したんです。

よく、当局が調べるとか、弾圧されるとか、医師会が妨害するとかいろいろ聞きますがね、私はそんなのなんとも思いませんよ。

なぜって、私のやってることのほうがあっちでやってることよりずっといいんですからね、それを止めようとするのは悪いんです。

正しい神様がおられる以上悪が勝つなんてことは絶対にないんですからね。

それからまた、こっちが確固たる信念を持ってると反対者はなくなるもんですよ。

反対者があるとか、いろいろ妨害されるのはこっちにまだ隙があることも多いんです。

いくらかでも迷いとか弱い所なんかがあると、そこを狙って・・・やはり霊ですからね、邪神が邪魔するんです。

こっちが十が十決心して隙がなければ、邪神はどうにもできないんです。

そうなると反対する者も諦めますよ。

そしてそのうちに「あああれはなるほどいいんだな」っていうことが判ってきて、お辞儀をしてきたり、賛成したりするようになるんですから、

この人も家族や親類の反対なんかにはビクともしないでやっていいですよ。」




明主様御講話 「信仰者は抜身の中にあるような気持ちでいるべき」 (昭和26年10月15日)

「邪神は何億といるんです。それで階級が色々ある。

神界・・・神様の方と大体同じですね。

そこで、信者一人一人を引き落とそうとして狙っている。

ですから信者の人でも、ちょっと考え違いしたり、迷ったり。

良いと思って間違ったりする。

大本教のお筆先に「今は悪神がそこら中入りており、一寸の隙もないぞよ。

いつなんどき悪神に儘にされるか分からないから、気をつけるが上にも気をつけた方が良いぞよ」とある。

みんな、信仰にある者は、抜身の中にあるような気持ちで、ちょっとの油断も出来ないと言う意味で、なかなかうまい事を書いている。」




明主様御垂示 「使命と苦しみ、迷いと苦しみ」

「罪の多少による。容れ物の掃除をする。

大使命があるほど大苦があると神様は言われる。

故に使命の大なるほど苦しみは大きい。

よく磨かなくては役に立たぬのである。私などそうである。

信仰は単純な人間の理屈で考えるのが一番危い。

迷っているうちは苦しみが来る。迷いがなくなると苦しみは来ない。

迷うのは心にスキがあり、そこで邪神がゆさぶる。

絶対動かなくなると苦しみはなくなる。

病気の場合でも、生きたいと思う病人は死ぬ。諦めるのは助かる。

迷うのは固まっていない。しかし大いに迷っていい。迷い抜いて固まる。

前に麹町へ支部を出した時、風呂屋で足の悪い娘で、もう一息でよくなる所でやめた。

査べると、これがよくなると阿弥陀信仰をやめなくてはならぬ。

娘一人殺しても止められぬという人もあった。

夫婦と同じで、女に欠陥があれば、他の女と接しても疑う。

迷うのも疑うのもウンとする。中途半端で入るのは面白くない。本当に使命と因縁があれば・・・。」




明主様御垂示 「信仰を迷わすのは邪神」 (昭和24年8月10日)

信者の質問
「光明如来様を御祭りして病気がよくなったり、種々の災害から奇蹟的に救われたといって非常に喜んでいる人もあり、

また光明如来様を御祭りしてから家族の者が次々と色々な浄化の起る家がありますが、いかなる理由でしょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「その家の罪の多少による。

例えば汚れた袋はきれいにしてから良い物を入れて下さる。

大きい使命のある人程苦しみは大きい。

よく磨かなくては使えないからである。

私の苦しんだ時よく思った、信仰は単純な自分の気持で決められないと。

決心すれば苦しみはなくなる。

病気でも生を諦めると助かる。迷う中は苦しみが続く。迷わすのは邪神で、信仰をやめさせようとする。

迷う事はしかし信念を強める。故に疑うのも大いによい。

治療時代、ある男、途中で来なくなった。

聞いてみると死んだら阿弥陀の側へ行けないと言う。

絶対に信じたらいかなる宗教に入るも自由である。」




明主様御垂示 「信仰不徹底 稲荷に犯さる」

信者の質問
「父は中風で御浄霊を戴き、私と弟の二人入信してますが、

父が発狂状態になり、夜一時頃から三時頃迄暴れ、不眠の状態です。

五年前より町内の白笹稲荷を預かっており、

父が白笹稲荷の御神体を指して狐が出入していると申しました。

この二、三日の状態がよくなって参ったと同時に、

長女が朝突然ひきつけ、注射を一本打ってしまいましたが、

教導所に連絡して御浄霊を頂き、大分楽になりましたが、

その夜一時頃猛烈なひきつけを起して死亡、その後、父がまた暴れ出しております。

子供の死後、白笹稲荷を一応町内へ返したのですが、これで稲荷がなおさら怒っているかとも思ってますが、今後いかようにしたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「信仰が徹底していないため、そのスキに稲荷にやられたものである。

徹底すれば、狐などにやられる事もなく、祀りかえる要もない。

出来るだけ神書を読んで徹底し、父には祝詞を奏げてやる。」