救いの限界について
明主様御垂示 「入信しても救われるとは限らない」 (昭和27年3月10日発行)
信者の質問
「結核信仰療法が頒布されますと、医学界からの反撃もあると思われますが、
それは邪神との闘いという言葉を使いましてもよろしいものでございましょうか。
神様の御経綸は絶対のもので、私達資格者がしっかりした覚悟を持っていなければ・・・」
明主様御垂示
「それはありませんよ。というのは、私のは真理だからね。」
信者の質問
「兵と言う・・・」
明主様御垂示
「そうです。神兵ですよ。」
信者の質問
「玉砕すると言うことも、お役に立つまでの運命と・・・」
明主様御垂示
「けれども、玉砕はないですよ。
それで、ちゃんとそういうところは、神様が準備してありますからね。
言論の自由なんて、神様が準備されたものです。
言論の自由にするには、日本を敗戦にするよりないからね。
どうしても一度は発表しなければならないんですよ。
闘おうが闘うまいが、そんなことは問題ではない。
闘うと言うが、こっちは、救うつもりですからね。
向うがふっかけてくるんだからね。
別に武器を持ってするんじゃないからね。安心なものですよ。
ああ、これはたいしたものだと、最初から軍門に下ると思って間違いないですね。
闘いですよ。私なんか霊的にも軍人ですね。毎日闘ってます。書いてあるがね。
それから、こういうことを知っておかなければならないですね。
今度、人類救済ですからね。
けれども、みんな救われるんじゃないんですよ。
救われない人もありますよ。
救われない運命の人が、祖先なりでいますが、救われない運命の者はしようがないんです。
メシヤ教信者になれば救われると思っていたらたいへんです。
大部分は救われるんですがね。」
明主様御垂示 「十人が十人全部救うことはできない」 (昭和27年1月17日)
信者の質問
「KK(昭和二十一年入信。五十七才・男性)二十六年七月、畑の草取りの最中に急に右眼に痛みを覚え、床につきました。
右半面が激しく痛み、信者さんに御浄霊をいただき、その時の状態は黒目の中央に膿結らしいものがあり、肩、頸筋、頭部にそうとうの熱があり、
しだいに黒目は全部真っ白になり排膿を始め、その後小指の頭くらいの膿結が黒目の辺りより御浄霊中に飛び出しました。
さらに目の玉の周囲がザクロのように腫れ、黒目の所が大豆くらいの大きさに突出し、二回にわたる毒血の排泄により、眼球は凹み、ザクロのような腫れもすっかり取れました。
現在は、黒目に雲がかかったようになり、電灯の明かりも判りません。
中教会にて御浄霊をいただいてより左眼もだんだん見えなくなり、両眼ともに見えない状態でございます。
御浄霊は約六カ月いただいておりますが、ただ今のところ変化はございません。
なお左眼は御浄霊をいただきつつ、多少痛みがあるのみにてだんだん見えなくなりました。
既往症としては、二十歳ごろ大腸カタルで注射一本と服薬をいたしております。
また本家は潰れ家敷となっており、本家に眼を患って亡くなった者がいるとのことでございますが、その関係がございましょうか。
御屏風観音様はお祀りさせていただいておりますが、御神体は家族の者が解らないために、まだ御奉斎いたしておりません。
なお、御浄霊の急所御垂示のほどお願い申し上げます。」
明主様御垂示
「御神体はまだ・・・やっぱり、どうもね。
御神体を祀ってその部屋に寝なければいけないですね。
これは、霊的もありますが、やっぱり霊、体と両方ですね。
こういう人は頸のまわりをみてご覧なさい。
必ず固まりがありますから、そこを溶かさなければならない。
それから肩・・・その辺に固まりがありますから、それを溶かす。
家族が反対するんだからしようがないが、それは、ゆっくりで良いです。
それから後ろ(延髄)ですね。ここに固まりがありますから、それを良く溶かす。治りますがね。そんな難しいものじゃない。
それから頭ですね。こういう所(延髄)の毒が頭に行って、そうして目に行って固まるんですよ。」
信者の発言
「最初、黒目は飛び出ておりましたが、ほとんど低くなったようでございます」
明主様御垂示
「反対に凹んだわけですか。今黒くはあるんですか。」
信者の発言
「黒くはなっておりますが、その前が膜が被ったようになっております」
明主様御垂示
「目の玉が取れる場合があるんですがね。そんなことはないですか。」
信者の発言
「取れたようではございません」
明主様御垂示
「それは取れたような気がしますね。それでなければ凹むわけはないんだ。
膿で後ろから押されて、目の玉が取れる場合があるんだ。
膿でいっぱい被ったそのまま出たんですよ。
だから、膿の固まりみたいに見える。それは目の玉ですよ。
片っ方だけですね・・・この方は望みないですね。
片っ方は治りますね・・・頭の毒を取ればね。
けれども、これはそうとう長くかかりますね。
何年もかかりますね。
ですから、反対があったりすると、ちょっと・・・それほど丹誠にして、結局「骨折り損のくたびれ儲け」になるかもしれないが・・・これは止めた方がいいかもしれないですね。
いくら人間を救うといっても、十人が十人全部救うことはできないんですよ。
十人のうちに二人や三人は救われない人ができるんですよ。致し方ないですね。
だからことごとく救おうとしても、救えない場合には、まず止めるよりないですね。
そういうのはどうしても、霊になって救うというよりしかたがないです。
肉体では救われないというわけですね。」