教団にはお金が必要
明主様御垂示 「地上天国の模型を造るにはお金が必要」 (昭和24年5月30日発行)
「よく「観音教には金がある、金儲けがうまい」なんて言いますがね、いま、多くの人を救うにはどうしても金が必要ですよ。
いくらすばらしい力があり、教えがよくても、機関がなくては駄目だし、地上天国を築くのにも天国の模型がいりますしね、・・・
ま、私はその模型を作っているんですがね。なにをやるにしたって金が必要ですよ。
そのために金を集めるんなら結構じゃないですか。大きな救いにはたくさんの金がいるんですよ・・・
昔みたいに「祖師は紙衣(かみこ)の五十年」なんて、あれは親鸞でしたかね。
五十年はしなかったかもしれませんが、まあ、それくらい質素にしたってわけですね。
日蓮だって乞食坊主みたいになって法を説いたんですが、今日は時代が違うんです。
いまはそんなことをしても、世の人が相手にしませんよ。
草鞋ばきで行脚したり駕籠(かご)を使ったりした時代と、自動車や飛行機がある時代とは違うんです。
昔のように草鞋ばきで歩きまわるんでは全世界を救うことはできませんよ。
ところが、いままでの観念があって、質素倹約して乞食坊主みたいにしてなければありがたがらない人がありますがね、あれも困ったもんですよ。
つまり、信仰の根本が違うんですよ。昔の信仰、いままでの信仰っていうのはね、禁欲的な、まずい物を食って、ボロボロの着物を着て、粗末な家に住んで、それがいいこととしていたんです。
ところがあれは間違っているんですよ。
いったい、きれいな花が咲き、いい景色があるっていうのは、神様がこれを無駄に作ったのではない、人間を楽しませるために作られたんです。
おいしい物だってそうです。人間を楽しませるために作られたんです。
それを、わざわざまずいものを食い、粗末な着物を着るってのは、神様のお気持ちに対する一つの叛逆ですよ。
天国を作る、その天国ってのは、真、善、美の世界です。
その美っていうのはいったいなんですか。
きれいな家に住み、美しい着物を纏いおいしい物を食べるっていうのは美じゃないですか。
なによりの証拠はね、邪神はとても花を嫌うんです。そこの床の間にも花が生けてあるでしょう。
だから、必ず部屋には花を飾らねばいけないって、これは私が前から言ってることですがね。
仏様に花を上げるっていうのもそれなんです。
花は霊界に非常にいい影響を与えるんですよ。
私の所ではどの場所でもたいてい花をおいてあり、花のない部屋はないくらいです。」
明主様御垂示 「世界に地上天国の型を作るには百億の金が必要」 (昭和26年9月1日)
信者の質問
「美術館のことでございますが、今日の御論文で、美術館ができあがったら完成になるということでございました。
いつか、その資金には今度山から金が出るというので考えさせていただきましたがもし山から出させていただきますと・・・
われわれはふだん、そういう御奉仕をさせていただく他に、なにによって御魂磨きと申しますか・・・
磨かせていただけると考えておりますが、その方法がなくなるのでございます。
そういうことで御奉仕をさせていただくのが、一番だと考えておりますが」
明主様御垂示
「山から出ますよ。じき出ると思っているだろうが・・・必ず出ますよ。
やっぱり、いろんな準備やなにかで、そうとうかかる。
やはり熱海のときと思います。ここじゃない。ここはわずかで建築ができますから。」
信者の質問
「天国の型のときに本物が出るはずがないと思いまして」
明主様御垂示
「本物というのは世界全体です。だから、世界に型をこしらえるだけで百億の金がいる。世界の型ですよ。」
信者の質問
「やはり、できあがりますには、悪魔のほうで困るので・・・どうにもならないようになるので、いろんな妨害があると思いますが」
明主様御垂示
「そりゃあります。それがなければいまごろは日本一の宗教になっているからね。悪魔のほうではたいへんなことだからね。」
明主様御講話 「教団にはお金が必要」 (昭和26年10月1日)
「結局ね・・・計画はいろいろあるが、金なんです。金さえあれば大飛躍ができる。
インテリ階級へも思い切ってできる。だいぶインテリのほうが注目しているんです。
いま来た人の話ですが、著名文士が十名ばかりで、なにか発行したらという。
小島政次郎、里見弴(とん)、川端康成、徳川夢声、吉川英治、・・・とにかく、かれこれ十人ばかりで、なにか発行しようという話がある。
この間、川端康成が箱根にしばらく滞在していたが、もっと興味あるもの・・・一般的にね。
そういうものを編集したら良いだろうと言う。
先の光新聞社の小坂もそういった意味の新聞を出したら良いだろうと言っていた。
その人は本当のことを知らないからです。
一般向きのに、宗教の匂がするとそれに関心を持たないからね。
これは何々宗教の宣伝だと思うとね。
また信者のほうは、世間向きのことを書いてあると、そんなのはつまらないとなる。
どっちかにはっきりしてないと駄目です。
信者か、一般向きにかね。よさそうでも、事実は駄目です。そういうのが、今までにありますが、成功したのはないですね・・・駄目です。
大本教に、大正日々新聞というのがあったが、やっぱり駄目でした。
ですからなかなか難しい。算盤を取らなければ良いんですが、こっちは算盤を取らずにやるほど、まだ余裕がない。
山のほうがだいぶ確信が出て来ましたから、来年はそのほうで金が入るが、今年いっぱいは苦しい。
なにしろ、美術品を買わなければならないし、造営から美術館。美術品なんかも、二つとない・・・出ないようなものがあるから、どうしても買わなければならない。
そうかといって、金のほうが足りない。とすると・・・いまはうまく押さえているが、本当は金です。
もうだいたい山のほうは確信できるほどにしました・・・やっぱり、神様が前から準備されていて、奇跡でうまくいくんです。
水上(みなかみ)のほうで宿舎が足りなかったが、東京の人で疎開のために建てたのが、いくらででも処分したいと言うのです。
百十七坪かで、宅地が二十坪です。それで七、八万円です。七万か、七万五千に負けるだろう。
一週間ばかり手入れすれば住めるだろうと言うんです。こういうのなんか奇跡です。
熱海の建築を早くやらなければならないしね。神様は良い具合にやりますよ。
今度ケーブルができる山があるでしょう。半分くらいに低くしてケーブルの駅になるそうです。
私のほうで売らないので、庶民住宅のほうに行くらしい。
裏手のほうに行くらしい。私のほうは、値にかかわらず欲しいのです。
あそこを温泉場にして、箱根登山の客があそこに行きますからね。
私はあそこを理想的な温泉場にしたい。相の山と言う山がありますね。あそこにホテルを造る。あそこを宿屋にして・・・日本一の宿屋を造る。
そして、ごく清潔にですね・・・変な女は置かない・・・つまり、温泉天国というんですか・・・だいたい信者ですがね。
温泉は、こうこしらえるものだ。というようなものを造る。あの地形から言えば、理想的なものです。
ついこの間までは、寒くて震えていたが、こっちにくると暖かいね。
わずか一時間足らずで行ける所で、気候が違う。
実にすばらしいです。普通の所でこんなに違うというと、秋田県か青森県から四国に行かなければならない。二百里から違う。
「九州からまいりまして、かえって暖かいことがございます」 (註 茶色の文字は信者の発言)
それでは台湾くらいですね。
「寒さは山形くらいのようでございます」
山形と九州ですね。そうすると三百里くらいあるかな。
この地形というのは実に不思議ですよ。うっかりしてますがね。
「強羅におりまして、他に行ってみると、濁っているのが良く分かるようでございます」
あそこにいるとどこにも行きたくないですね。
他に行くと汚くて汚くて・・・目立って汚いからね。
熱海では、地上天国の所が一番景色が良いですからね。
私は熱海に来たときずいぶん研究したが、どうしても、伊豆山と熱海の間で・・・これが一番良い。
今度ああなってから・・・昨日行って見たら、景色が違って来ている。
「伊豆山とこっちといいますと、五(いず)と三(みず)になっているわけで・・・」
そうですね。五と三ですね。
「三月ぶりで拝見させていただきましたが、驚きました」
まだまだ変りますよ。あの奥のほうはすばらしく変ります。
そこにメシヤ会館を造る設計ですが、なかなか難しい。
ずいぶん、建築のほうは世界的にする。建築なんとかと言う雑誌があるんですが、アメリカあたりで・・・コルビュジエ式ですね。
ずいぶん奇抜なのがありますがね。会館、美術館のほうはアッと言うような物をこしらえようと思う。
アメリカあたりでは、大胆な建築がありますね。ずいぶん凹凸の激しいのがね。
あれができたらびっくりするだろうね。
熱海のほうは再来年までにこしらえる。熱海のほうができたら世界中の人が日本に見物にくるのがずいぶんあります。
日本に来たら、日光を見なくても、こっちを見なくては、と言う・・・それだけのものを造るんです。
建築も、中国や日本の古代のお寺臭いのでなく、そうかといって、現代のコルビュジエ式でもない・・・どっちでもないのを造らなければね。」
明主様御垂示 「戦争で天下を取るより宗教で世界を救うほうが金が要る」 (昭和27年4月1日)
「話は違うが、金売吉次は、金を見付けるのが名人で、頼朝が金掘吉次を無理に呼んだんです。
来なければ命を取る、くらいに言ったんですね。
ついつい鎌倉に呼んで、それから見付けさせて・・・
伊豆の大仁(おおひと)金山を見付けさせて、頼朝が天下を取ったのは金山ですよ。
天城の麓は金はあるんです。まだありますよ。
で、昔から天下を取ったのは、皆金ですよ。
秀吉もそうですね。徳川だって、佐渡の金ですからね。
佐渡の金が出なくなったので、徳川は駄目になった。
まだ佐渡に金が出ていたら、明治の御一新はなかったですよ。
で私は、いくら宗教といっても、やっぱり金だ・・・むしろ、戦争で天下を取るより、宗教で世界を救うほうが、金がいりますよ。
昔からいろんな宗教がやってますが、文化が進んでなかったためもあり、非常に金を無視したですね。
金というのは罪悪みたいになった。
それは小乗信仰のためですよ。
小乗信仰は金は罪悪と言いますがね。
金といっても、良いことに使えば良いですからね。
出版をするにも、旅行をするにも、皆金ですからね。
だから、金は大いに必要なんです。」
明主様御講話 「地上天国建設には何十億円いるか判らない」 (昭和27年4月6日)
「ちょうど夏あたりから会館の建築にかかったり、それからまた箱根の本山ですね。
光明殿と言うんですが、光明殿に来年はぜひかかりたいと思っているんです。
ちょうど金のいる時に金が入るようになるわけですね。
それから去年も私がここで言った通り、「金のいる時には神様の方で、どこからか入ってくる」と言いましたが、あの時は私は、そんなに山(註 明主様の御経営される鉱山)が良くなるとは思わなかったんですが、なにか入るとは思っていたんです。
今考えると、これかと思うんですね。
この間のお祭りの時に、これからのいろいろな経綸のことをお話しましたが、そんな具合で、今教団で・・・やはりなんと言っても、金が一番入り用なんです。
ですからいよいよ山が始まるようになると、また発展は目覚ましいものがあるだろうと思いますね。
いつかも話した通り、京都にも地上天国を造らなければならないんですよ。
ですから京都は、熱海、箱根よりかもっと大きな規模になるだろうと思ってますがね。
いろいろの・・・そういう経費が何億いるか、何十億いるか分からないですからね。
やっぱりそれが手に入るようになりますからね。それは心配ないですがね。
お祭りの時にその話をしたのは四日目と五日目でした。
ですから、最初の三日間というのは、その話をしなかった。ただこれからの経綸の話をしたんです。
だから信者に向かって説くのに、資格者としては、こんなに金がたいへんだ。われわれはどうしようかと心配した人もあるらしいが、なるたけ得心の行くように、今日は話したのです。そうかと言ってあまり安心しても困る。
まだ二、三カ月、出るまでは金がいりますからね。
それともう一つは、みんな・・・信者の人なんかというのは霊的の借金がうんとあるんですよ。
これは自分ばかりでない、祖先以来ですからね。要するにそれが罪穢・・・メグリですね。
それを、病気・・・いろんな苦しみによって、借金を減らしているんですがね。
だから、大本教のお筆先に「皆メグリは沢山あるから、一日も早く借金なしにして下されよ」というのがあるんですよ。
そんなわけで、金の御用をするというのは、それだけ罪を減らすんですから、無理をしない限り・・・できるだけたくさんした方が、早くメグリが取れるわけですね。
そうすれば、それだけ苦しみが減るのと、あべこべに徳が多くなるですね。
私は今まであまり言わなかったですが、神様に上げた金は何倍にもなって帰るんですよ。目覚ましいものです。
これは、経験すると分かりますよ。支部で財政が苦しいというのを、よく聞きますが、それは金の御用をしなかったからと、よく言います。
他の宗教みたいに・・・天理教みたいにスッカラカンになって苦しむということは絶対にないですね。
そんな気の利かない神様だったら、信仰止めた方が良い。
ですから、今教団の方で金がいらなくなると・・・今のうちに御用をした方が良いということになります。
そうすると、なんだかうまく言って、金を出させようと、そういうふうにとられると困るんです。
私は正直だから、ありのままを言うんです。今に、あべこべにこっちの方で、「支部の家がない」「よしきた」と、こしらえてやるようになります。
これも嘘言ったらたいへんですからね。どうしても嘘は言えない。
将来は地上天国が方々にできるんですよ。
今は箱根、熱海ですが、いずれは京都に造るし、それから九州に造るし、北海道に造るし、それから小さい天国ですね。
それには各町村、小さい州にですね。
やっぱり大中小になるんです。それにはやはり本部の方にうんと金ができなければね。
信者さんの方だけでは、できないことはないが、手早くできないです。
そういうことを、大いに楽しみにしていてもらいたいと思いますね。
鉱山の話もいろいろありますが、あまり信仰とは関係がなくなりますから、今日はこのくらいにしておきます。」
明主様御垂示 「メシヤ教の設備機関を大きくするには金はいくらでも要る」 (昭和28年4月1日)
「メシヤ教ならメシヤ教は金が非常に集るというのは、何か金儲けのように誤解する人がありますが・・・
美術館ができてからよほど違いましたが・・・
けれども、一人でも多くの人を救うには、やっぱりそれだけの設備機関が大きくなくては、それだけの人は救えないから、そういう意味において金はいくらでも要ります。
大いに欲張るというので、それでいいわけです。
それで金というものを非常に軽蔑するのは・・・特に日本人はそうですが・・・それは悪い所に使うからです。
金そのものが穢れているからです。
しかし良いことに使えば、これほど便利な力のあるものはありません。
ですから私は鉱山もやっているし、金儲けにはなかなか抜け目はありません。
しかしその金は、多くの人を救うという意味において、そのほうが一人でも多く救えます。
たとえてみれば誰が見ても、立派な殿堂があり、立派な庭園がある、それでは立派なものに違いない、値打があるものに違いない、と思って入って来れば、その人は救われます。
ですから昔のように乞食坊主のようでは、その人が死んでから何年もたってからなら良いでしょうが、人類を早く救うにはそれではいけないのです。
それが小乗的考えと大乗的考えの違いです。
今までは小乗的考えが多かったのです。
今まで日本は経ですから、非常に階級があって小乗的だったのです。
その点アメリカは大乗的ですから、何でも金を賭ければ良いというので、ああいうように発展したのです。
だからその調和はどっちも必要なのです。
経も必要なら緯も必要なのです。
それをうまく調和させるのが本当です。
その調和させるのがメシヤ教です。」
明主様御対談 「ある日の対談」 (昭和25年1月21日発行)
「最近のことであるが、客は宗教関係の責任の地位にある人である。
客 世間では、観音教団はずいぶん金が儲かると言われるが、これはどういうわけであるか、この点を伺いたい。
私 よくそういう話を聞くのであるが、宗教も金がなくては思うように人を救うことはできない。
一殿堂を造るにも今日は莫大な費用を要する。
本山の造営、分所支部、出版など、発展するに従って金はいくらでもいる。
しかし、私のほうは搾取はぜんぜんやらない。
信者の自由意志の献金ですべてを賄(まかな)ってゆく。
ところが本教は御利益がすばらしい。
死の宣告を受けた重難病が治る、つまり一つよりない生命をいただいたその感激が献金となるので、お義理やお付き合いでやるより多額であるのは当然である。
そんなわけで、集まった金をドシドシ造営費や宣伝費に費消する。
しかし、新聞雑誌で言うような、あんなベラ棒な金額はぜんぜんデマであって、ジャーナリストも大きな罪を作っているわけである。
客 ナルホド、判りました。」