金銭の清濁について (汚れたお金は御神業に使われない)
明主様御講話 「不純な金銭は地上天国建設に使われない」 (昭和27年4月1日)
「それからおもしろいもので、私は前から金を損するんです。
信者さんの血や汗の金ですからね。できるだけ使わないようにするんですが、いつの間にかなくなる。
ヒョッと騙される・・・騙されるというが、ばかばかしい無駄な金を毎年使うんです。
なんだと言うと、信者さんから寄付金が来ますが、
その金の中に、だんだん洗いあげて行くと、やっぱり不純なものが・・・穢れたものができるんです。
どの金が穢れている、どの金が穢れていないと言うんじゃないんですよ。
神様は全部の金を選り分ける・・・浄化ですね。
そうすると、カスができる。
それだけはどうしても、地上天国を造る上において使うわけにはいかない。
それだけはどうしてもなる。この間の自動車・・・あれもそれなんです。
ですから、これは大乗的の説き方ですがね。
大乗から見ると、人間の判断では簡単に分からないことが良くある。
それですから、何かあった場合でも、大きな・・・全体的に大きな見地から考えてだいたい分かるわけですよ。」
明主様御垂示 「神様は穢れた金を使うことはできない」 (昭和25年2月)
信者の質問
「私の部落(三重県某村)で部落民が醵金(きょきん)して灌漑用の井戸を掘りました。
この井戸の深さは六〇〇尺で鉄管の太さは一二インチ、総重量は一五トンに及びました。
ところが最後の鉄管を入れようとする直前、あッという間に車の心棒が折れ二十四、五尺も下へ落ちてしまいました。
このため二カ月間の労力と七、八十万円の経費がまったく無駄になりはしないかと心配しております。
これは自然を無視した結果でしょうか。あるいは他になにか霊的原因がありましょうか。
明主様御垂示
「こりゃあ、霊的になにかありますね。
こんなバカバカしい話ってあったもんじゃないですからね。
あるいはなにかが邪魔してるかな。・・・
ま、この部落にそうとうな罪穢れがあるんですね。
そこで、このくらいの損をしなくちゃどうしてもいけないんですね。
結局、こうして罪がとれるんです。
つまり、これにかけた金が穢れてるんですよ。
穢れた金をある程度とらないと水を出してもらえないんですね。
だからこれはやり直せばいい。そうすりゃ今度は水が出ますよ。
損したようで結局は損じゃないんで、それである程度罪が消えるんですからね。
それが判ったら罪の消えるのをむしろ喜ぶべきですよ。
よく神社仏閣が焼けるのもこれなんですよ。
大伽藍なんてたいてい二度目、三度目ですからね。
奈良の法隆寺だってそうですからね。
つまり、建立するときの金が穢れていて浄財じゃないからですよ。
払うべき金を払わなかったり、ごまかした金で建てたり、また、そういった金で維持してゆくから、
どうしたって浄化されなくちゃならないことになるんで、そのために焼けるんですよ。
私の所でも毎年不思議に必ずまとまった金が出て、そうとうな額になるんですが、
これはたくさん入って来る中にごくひどく穢れた金があって、
神様のほうじゃそれだけはどうしても使うことができずに出さなくちゃならないんですよ。
実際へンテコなことでひょいとなくなってしまうんです。
なくなるってよりも出さなくちゃならなくなるんですがね、そういう意味ですよ。
人間の解釈ってのには、まるでアベコベのことが多いんですよ。
いままではね、喜ぶべきことを悲しんだり、悲しむべきことを喜んだりして訳の判らないことをやってきたんです。
だからますます訳が判らなくなるんですよ。
金なんかにしたって、金ってばみんな同じだと思ってますが、霊的に見ると同じ金でもたいへん違うんです。
金銭にも曇りがあるんですからね。
どうしてかって言うと、人間の想念は金に非常に入りやすいからなんです。(後半省略)」 (全文は「憎まれるなかれ 5」のページ)
明主様御垂示 「神様は汚れたお金を使えない」 (昭和24年7月18日)
信者の質問
「私の教導所に関係している信徒で、本年四十九歳にて油脂工場を経営している人ですが、三年程前まで事業は盛大で相当財を積みました。
二十一年三月教修を受けましたが、分らないでその後御守も紛失してしまいました。
事業は二年程前より左前となり、百数十万円の借金を負い、家財を処分し幾分かを返済しました。
その苦境に立って観音様の有難い事、また私の御導きに少しは分って戴き、無理算段して再教修を授かり、光明如来様もお祭りさして頂き、ひたすら神様のお力にお縋りしています。
色々御利益を頂きましたが、事業の方はいよいよ深刻化しています。
かような物質的浄化は相当続くので御座居ましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「人間の金と神様の金と違う。
人間の金は怨みとか妬みとかが多く、世の中を善くする用途よりも、悪くする用途が多い。
今の世じゃ正当に儲からぬ。罪の塊のようなものである。
光明如来様が宝をやろうとしても汚いものがあるとやれない。
それで財布の浄化をされる。
その意味と、汚れたものを蓄えておくとそれに益々利息がつく。
それで、祖先を救う場合、掃除をされる。
財物浄化の手段(として種々な事がある)であるから、この人は先へ行くと非常にいい。
損せぬうちに神様に使って頂けば非常に良いが、あまりに汚れた金は神様の方では具合が悪い。
大先生の御手許へ入った金でも、あまり汚れた金は使えない。
であるから損した金の事など歎く事はない。
与えて下さる金は奇蹟で入ってくる。」
明主様御垂示 「金銭の汚れと献金者の想念」 (昭和23年8月4日)
「古い寺、堂宇などの焼けるのは、それを建てた時の金銭が汚れている。
それで物を買ったり造ったりすると、そのものが汚れる。
上げる物が汚れている。中には盗んだ金を上げるのもある。
相場の金など、札に沢山損した人の顔がある。
それが本人の所へ霊線により繋っているから、どうしても引っ張られ、懐から出てくる。
その金で造ったものはやはり出て行ったり、家なども焼けたりする。
それは移動するもので、損したり、人にとられたり、下らない事に使う。
その結果その時口惜しかったり、悲観して苦しむ結果となるから、結局悲しみや苦しみを買うようなものでつまらぬ。
儲ける程恐い。不動のものは・・・。
汚れてる・・・火事などで焼かれてしまう。
正しくない事で得た金を神様に上げると、その人の想念によりある程度浄まるが、全然は消えない。
「儲けさして戴きたい」などの目的で差上るのはよろしい・・・というより寧ろいい。
上げた金は大体十倍になって返る。」
明主様御垂示 「御報恩の仕方 (金銭の御用)」
信者の質問
「神への感謝報恩は物質のみでは本当でないと思われます。
精神的の行ないまたは御奉仕等、いかにあるべきでしょうか。」
明主様御垂示
「物質を提供する事はすでに精神が出来てる訳である。
上げたくないのに強制的に上げるのは、浄財にならぬ。
それは金に汚れがあり、光がなく、永遠の生命はない。
感謝報恩の場合、無理してはいけない。
本来の使命逸脱せぬ事。」
明主様御垂示 「明主様の建てた家でも火災になりうる」 (昭和23年11月18日)
信者の質問
「生命保険はいかがなものでございましょうか?」
明主様御垂示
「この教団に入りある程度判ったら生命保険はいりません。
早死にしないから。
だいたい九十歳までは生きますからね。
だから八十過ぎてから保険をつければまあ少しは得でしょうがね。
しかし保険屋のほうで受けつけないでしょうね。」
信者の質問
「火災保険のほうはいかがでしょうか。」
明主様御垂示
「私のはね、家屋までは引き受けませんよ。
正しい金で作った家なら大浄化が来ても大丈夫だが汚れた金で建てたのは浄められます。
なにしろ金には霊がよく憑きますからね。
私が建てた家だって燃えてしまうことがありますよ。」
信者の質問
「そのために花柳界なんかよく焼けるのでしょうか。」
明主様御垂示
「ええそれもありますが、しかし花柳界にはもっと他にいろんな汚れがありますからね。」