拝読について 2


明主様御垂示 「御神書拝読で魂が目覚める」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「結核の革命的療法の中で、霊体の曇りは外からと中からとの二つの原因があるとありますが、

それを浄めていただきますには、浄霊で浄める場合と、御神書の拝読による場合と区別がございましょうか」

明主様御垂示
「浄霊は外からで御神書読むと、つまり魂ですね。

魂はなんでもないんだが、曇らせると、魂に影響するんです。

これは魂が眠っているとか、曇っているとか ・・・外形の影響によって、これだけがこれ(縮小)だけになる。

御神書読むと、アッと目覚める。

だから中心から曇りが取れていく。

魂というものは、心(しん)の心は絶対に清いんです。

何かの状態で、悪人でも目が覚めたり、いよいよというときに良いことをしたり、人の性・・・性善説、性悪説とあるが・・・ごく中心はそうなんです。

その周囲だけがいろいろになる。

だから、魂が大きくなったり小さくなったりする。

御魂(みたま)のふゆを、というのは、御魂が増えるということです。」


信者の質問
「人助けをさせていただきました場合はどうなりましょうか」

明主様御垂示
「人助けをすると、その人が感謝するでしょう。

感謝の想念は曇りを取るから魂はそれだけ大きくなる。魂は伸縮自在です。」


信者の質問
「月並祭に参拝する場合は、光をたくさんいただき、魂を浄めていただくでしょうか」

明主様御垂示
「神様がそうなんです。それと同じなんです。

人間が多勢上がりますね。そうすると、神様の光が強くなる。それでお蔭をいただく。

神様の光は蜘蛛の巣がかかったりしていると出ないんです。」




明主様御垂示 「御神書拝読により頭の働きが良くなる」 (昭和24年10月27日)

信者の質問
「私は本教教義普及に関して分ったようで実は色々分らぬづくめでありますが、

さて「御伺いする事はないか」と言われると、何をどういう風に御尋ねするかがまた分らず、ボーッとしてしまうのであります。

実は求めると言う事と焦ると言う事の区別がつかぬまま勝手推量をするのです。

相手が分らぬ時は未だその人に分る時期が来ぬためだとか、何とかして分らせて上げたいと思う時はまた焦りでないかとも考え、とんとピントが合いませぬ。

いかに致したらよろしいでしょうか。御教示下さい。」


明主様御垂示
「やはり焦りである。分っただけの事を話せばよい。想像で言ってはいけない。ありのまま正直に分っただけを話す。

いろんな関係があるから分りそうなら話す。

出来るだけ御本を読む。すると分ってくる。

信仰的知識を豊富にする。すると頭の働きがよくなる。

また、神様から智慧を与えられる。

御守護があるから分らぬ事もフッと教えられる。

出来るだけ本を読む、そして質問せよ。」




明主様御垂示 「御神書拝読により身魂が磨ける」 (昭和25年10月15日発行)

家族の信仰反対によって苦しむ原因は罪穢

信者の質問
「三年ほど前に入信いたしました信者で、一家入信し御神体もお祀りいたしております家でございますが、

入信当時それまでお祀りしておりましたお稲荷さんの祠(ほこら)を調べましたところ、お札がいつの間にか紛失しておりました。

近所の子供が取り出して捨てたものらしく、その後へ玩具様のものが入っていたそうでございます。

そのままにして現在祀ってないのでございますが、その後、家の中がなかなかまるく治まらず、

特に現在は入信いたしました父がひどくこのお道の反対を申し、娘さんが人の御浄霊をいたしますことさえ許しません。

他にもいろいろと曇りの多い家でございますが、この父の反対は捨てられたお稲荷さんと関係がございましょうか。

お稲荷さんの名前が分からなくなっているそうで、ございますが、改めて祭るといたしますと、どのようにしてお祀りいたしますればよろしゅうございましょうか。御教えを賜わりたくお願い申し上げます。」


明主様御垂示
「たぶん稲荷の霊だと思うが、名前も判らず、お祭りをするほどのこともないから、そのままでよろしい。

父親が反対し、家族の者が苦しむとしたら、家族の人たちも罪穢があるのだから、人助けをするのがよいが、

それも反対されるとしたら、できるだけ御神書を読むようにすることである。

それによって身魂が磨けるから、父親の反対もだんだん薄らぎ、ふたたび信仰を取り戻すことになる。焦らず時節を待つべきだ。」




明主様御垂示 「御神書を読めない文盲の場合」 (昭和24年9月29日)

信仰による智慧が出ないと救われない

信者の質問
「農村の信者の方は御本や光新聞を拝読する事が少うございます。

私はその衝に当っておりますが、いかように指導致しましたらよろしゅうございますか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「読んで聞かせればよい。信仰による智慧が出ぬと救われぬ。」




明主様御垂示 「御神書をすべて拝読するとお蔭を頂ける」 (昭和26年5月25日発行)

信者の質問
「そそっかしい慌て者の性質と、気の小さい性質はどういうわけでございましょうか。また御浄霊で治りましょうか。

治りますならばどこを御浄霊いたしましたらよろしゅうございましょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「御浄霊でも効果はあるが、それよりも御神書を全部読めば、なおお蔭がある。

それによって御神意が本当に解れば、右のような癖は、必ず治る。」




明主様御垂示 「繰り返し拝読することの重要性」 (昭和25年)

「神様は世界の大掃除をなされ、清掃作用が行われる。病気はそれである。

人間のゴミダメ・・・膿を掃除するのが病気である。

独り個人個人でなく、世界的に浄化が行われる。

浄化作用は世界的にどういう風に表われるか。

世界中、ウンとゴミが溜ってる所がある。

それも少い国もあり多い国もある。

といっても、目で見た所では東洋とかアフリカ等は汚いが、霊的にいえば立派な国、文化の発達した国が、神様からみれば案外により汚いかもしれない。それが表われる。

どう表われるか今言えないが、そこが難しい所で、それを知りたい。

銀座のような立派な所より、田舎の粗末な所の方が綺麗かもしれない。

霊と体とは違う場合が多い。

これは想像より外はない。

昔からいろんな聖者、キリストとか釈迦等によって予言してあるが、それは実は今年から来る事の予言が殆どであって、いよいよそれが実現の時が来た訳である。

観音教団とか五六七教会というのは仏名で、仏の方の働きであって、本当の力は発揮出来ない。それは過渡期のやり方である。

今年からは非常に変る。時期は節分、即ち二月四日から大いに変る。

世の中も大いに変る。急でなく徐々として変る。

従って出来るだけ信者たる者は魂を磨かなくてはいけない。


というのは、どうするかというと、水を浴びたり断食したりするような事ではない。

神様はどういうお心持か、世の中の人を救うのはどういう方法がいいか、どういう考えでやるかをよく識る事である。

それを識るには、出来るだけ出版した本を読む事である。

そして判ればいい訳で、幾度も繰返すと段々判ってくる。

最初読んだ時と五、六度目に読んだ時とは違う。

それは霊的に向上してくるからである。

そしてすっかり腹へ入ると喋れる。

人に宣伝する時も言葉が違う。

段々人に話すと、それにより魂が浄まり、清まると余計に分ってくる事となる。」




明主様御垂示 「稲荷の憑依による父の発狂」

信仰不徹底 稲荷に犯さる

信者の質問
「父は中風で御浄霊を戴き、私と弟の二人入信してますが、

父が発狂状態になり、夜一時頃から三時頃迄暴れ、不眠の状態です。

五年前より町内の白笹稲荷を預かっており、

父が白笹稲荷の御神体を指して狐が出入していると申しました。

この二、三日の状態がよくなって参ったと同時に、

長女が朝突然ひきつけ、注射を一本打ってしまいましたが、

教導所に連絡して御浄霊を頂き、大分楽になりましたが、

その夜一時頃猛烈なひきつけを起して死亡、その後、父がまた暴れ出しております。

子供の死後、白笹稲荷を一応町内へ返したのですが、これで稲荷がなおさら怒っているかとも思ってますが、今後いかようにしたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「信仰が徹底していないため、そのスキに稲荷にやられたものである。

徹底すれば、狐などにやられる事もなく、祀りかえる要もない。

出来るだけ神書を読んで徹底し、父には祝詞を奏げてやる。」




明主様御垂示 「御神書拝読と病気快癒」 (昭和24年12月18日)

信者の質問
「私は昭和十八年入信、翌年出世御尊像様御姿を御奉斎させて頂きました。

当時は二階のお床の間にお祀り申し上げておりましたが、主人の死後経済的御浄化のため二階を他人に間貸し致す事になりましたため、

現在ではお軸をお箱に納めて、階下の居間の床の間にお立てかけして御座います。

また光明界の横額は、間貸しをしております二階にただ今もお祀りさせて頂いておりますが、いかがでございましょうか。お伺い申し上げます。

なお、私は本年七月より中風状態の御浄化を頂いております。」


明主様御垂示
「御本を読むと中風もよくなる。」




明主様御垂示 「夫の不倫 夫婦の道の拝読を勧められた事例」 (昭和23年11月27日)

夫の二号が男児出産

信者の質問
「主人の外の女に男の子供が出来、そのため非常にいづらい事ばかりです。

主人と離別したらよいか、そのままおったのがよいでしょうか。」


明主様御垂示
「信仰雑話の「夫婦の道」を読ませるようにするといい。

ただ読みなさいというのではいけないから、主人の部屋に置いておく。

そして後は神様にお任せする。

夫婦は霊層界の地位があまり変らないから、主人の事を考えないで自分が徳を積むと、地位が離れてくるから段々一緒に住めないようになる。

自然が本当である。」




明主様御垂示 「御神書を未信者に見せるのは布教の種まき」 (昭和24年6月27日)

信者の質問
「最近宗教家、心理学者が本教に関して関心を寄せ、頻りに研究に参りますが、垣を隔てての問答に墜ち易くなります。

光新聞、地上天国、信仰雑話によってもなおかつ分らぬ者は、結局救い得ない事になるのでしょうか。最良の方法を御教え下さい。」


明主様御垂示
「(そんな事はない。そういうのは印刷物に限る。その人によって時期があるので)

すぐに共鳴せぬのはその人の時期が来ぬのである。

種子の生長にも遅速がある。種を播いても育ちの良い悪いの気候がある。人によって種々ある。

新聞などを見せるのは種を播くのである。

種さえ播けばよいので、その中先方から求めたら入信の時期が近寄ったのであるから早い。」




明主様御垂示 「栄光新聞の配布について」 (昭和28年2月1日)

信者の質問
「今般「アメリカを救う」が市販となりまして、一般人でメシヤ教に触れにくる人が多くなるものと思われますが、

これは準信者とみなしまして、栄光新聞をいただいて間配り、また座談会を開かせていただくなどはいかがでございましょうか」


明主様御垂示
「結構です。大いにやって下さい。

そういうのはみんな卵ですから、よく温めてやらなければなりません。」




明主様御垂示 「信仰反対者には御神書を読ませるべき」 (昭和26年2月25日発行)

信者の質問
「五年前親のいうまま結婚(養子縁組)いたしましたが、結婚生活旬日にして夫が発病、結核療養のため実家に帰り、続いて私が湿性肋膜になりました。

そんなことより両家の感情が縺(もつ)れ、離婚話も出たまま今日に及んでおります。

幸い私はお導きにより御救いをいただきましたが、無神論者の夫は未だに療養生活を続けております。

父は無信仰者でこのお道に大反対でございます。

夫の家も私のほうも分家で同じ花菱の家紋で番地まで四三〇番と同じです。

それに見合いの日の朝病弱であった私の本家の祖母が死亡し、私は顔半面に腫れものができ、見合いがすむと急に治りました。

また私の最初の喀血は本家の法要の日であったことなども、なにか、かかわりがあるようで、霊術者の話では前世の仇同士の間柄であるとのことです。

私は夫を愛情のないままに、あくまで待つべきなのでしょうか。

父は離婚を勧めますが、夫が承知しないのです。

明主様が申される時の来るまで、お道のためにもならぬままに、じっとしていて良いものでしょうか。

私のとるべき道および、実の家にまつわる因縁などを御教示くださいませ。」


明主様御垂示
「いろいろ複雑な霊的因縁があるが、そういうことは、忘れるようにして考えないほうがよい。

ただ神様にお任せするとともに、よくあなたの希望を神様に心でお願いするとともに、できるだけ支部か分所へお参りして、光明如来様にお願いするのがよいのである。

そうして反対者がある場合、御神書または新聞、雑誌などを読んでもらうようにするのが一番よいのである。

しかしこれも無理ではいけない。

よいチャンスを狙ってそうすればよい。

右のようにすれば、必ず神様があなたの希望の通りに取り計らってくれるから心配の要はない。」




明主様御垂示 「信仰反対者には教団機関誌を読ませよ」 (昭和26年4月25日発行)

信者の質問
「私は十九歳のとき、村の方の所へ嫁ぎましたが、夫はすでに梅毒を患っており、

私に染るのを恐れて一度も夫婦の交わりをいたしませず、毎日暗い日が続きましたので、

堪えられなくなって、八カ月目に夫と姑が無理に頼んで止めるのをふりきって実家へ帰り、ただいまの夫の所へ嫁ぎました。

そして昭和二十三年十月入信させていただきました。

夫はそのとき反対ではなく、また賛成でもなかったのでございますが、本家は反対でございました。

それから一年あまり毎月姉の家で例祭のありますとき、お詣りし先生のお話を聞かせていただいておりました。

去年の二月ごろから夫は、夜大きくうなされたり、悲しんだり、泣くようなことを申すようになり、

また会社で「お前の女房は観音教の先生に瞞されている」と聞いて帰り、ぶつ、けるの乱暴をいたします。

それでなくてさえ反対の本家は、もったいないことには私の御守り様を取り上げてしまい、父は焼いてやるとまでおっしゃったのでございます。

その後本家の父と兄は赤痢になって入院、父は間もなく死亡など、次々と不幸が続いております。

私の夫は固い律儀な人で、お仕事や言語には変わりございませんが、家では半気違いのようになって、自分で妄想を作り上げ、激しく責めたて、本当に人様に言えないようなこともございます。

いくら話をしましても聞き入れもしません。帰れと申しますので、子供と別れて親の家へ帰っております。

いかがいたしたら良いのでございましょうか。

私の住んでいます家は夫の叔父に当たる方の家で、二人とも死んでおられませんが、生前よく男があるとかないとか、争っておられましたそうです。

それから私が初めに嫁ぎました夫は、兄が亡くなって、兄嫁と一緒になり、男の子二人をもって幸せに暮らしています。

最近本家の兄も弟(私の主人)の日ごとに募る狂態をいろいろ心配いたし、お道の先生とも話してメシヤ教に対する認識も変えてくださったようで、

まだ御守り様は主人が嫌うので、返してもらえませんが、なんとか夫をもとのように返すにはいかがいたしたらよいでしょう。どうぞお導きくださいませ。」


明主様御垂示
「これは霊的原因が大いにあるが、ちょっとここでは言えない。

夫が帰れと言うのだから実家へ帰って、一生懸命信仰に励み、徳を積むことが最もよい。

あなたが苦しむのは、あなたに罪があるのだから、徳を積んで罪を消すことである。

消えただけは幸福になるのであるから、今後その方針で進み、後は神様にお任せすれば、必ずよくなるのである。

次に反対者にはなんとかして、「栄光」か「地上天国」を読ませるようにするのが一番よい。」




明主様御垂示 「反対家族の傍に御神書を置く」 (昭和25年1月25日)

神経衰弱の子供を治すためには家族入信が必要とされた事例

信者の質問
「YM(男性・三十歳)は中学校三年生の頃より恐怖性神経衰弱に罹り、方々の医者に診て貰いましたが一向よくならず、病性は悪化するばかりで乱暴を働くようになり、

医者をあきらめてある神に頼りましたが、動物霊ばかりがかかり、少しもよくならないのでそれを断り、次に奈良の八峯様と言う神様にお縋り致しました。

八峯様はこの子は治ることは治るが相当長びく、と言われましたが、仰せのごとく長びきました。

乱暴はしなくなりましたが、現在は口も思うようにきけず手足も不自由ですが、記憶力は普通で、殊にお経等は驚くほど良く覚えます。

母親の信仰はとても熱心で御光も受けられ、本人にも御光を受けさせ、今は人助けのために浄霊を熱心にしておられます。

父親は村長でありますが信仰には反対で、理解がありません。

本人に浄霊を致しますとしばしば御先祖様の霊がおかかりになり、お光が有難い有難いと言われるのですが、一体どうしたら御先祖様がお喜びになり、本人が一人前の体になるかをお教え下さい。」


明主様御垂示
「父が信仰に入る事である。祖先も父を入れたいのである。

それには本を読ますのが一番いい。父の側へ神様の本を置いておく。

父が入信して判るとズーッとよくなる。

幹が良くならなくては良くならぬ。」




明主様御垂示 「父弟の信仰反対 教団機関誌を置いておく」 (昭和24年9月8日)

信者の質問
「私の家は父と弟が信仰が嫌いで、私が御浄霊に行く事を反対し、親類の人は益々反対しております。

今日の御面会も抜け出て参りました。

父は「屋敷がなくなるからやめて置け」と云い、私はただ今は京都へ布教に出掛けておりますが、入信の人があまり出来ません。

家には光明如来様を御祭りしておりますが、どうしたら家庭の地上天国が出来るので御座いましょうか。

また、京都方面の布教はいかにしたら発展するでしょうか。謹みて御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「父に憑った霊が邪魔する。

これは焦るからで、もっと気長にゆっくりせよ。

あまり反対するのを強いてやると霊が邪魔するから要領よくせよ。

天理教と間違えている。

この信仰は金が儲かるとかいう風に言い、新聞等置いておく。

神様にお任せし、後要領よく、刺激を与えぬようにする。」




明主様御垂示 「父入信拒否を固持 教団機関誌を置いておく」 (昭和25年4月26日)

信者の質問
「私は昭和二十四年六月入信致しました。

その後家人にも色々御道の事を話し入信を勧めましたが一向に信用せず、また、親戚の人達もてんで相手に致しません。

また、私の家では兄弟三人が結核になり、二人死亡し、一人は戦死致しました。

また、主な親戚でも大部分二人位ずつ戦死致しております。

それに弟は五年前骨膜炎をやり手術をして足が曲らなくなりました。

また、父も二ケ月前足を捻挫し、その後再三浄霊を勧めましたが頑として受け入れる気がなく、あらゆる療法を行いましたが、未だ一人歩きが出来ません。

このような状態で私の家も相当な因縁がある事と思います。

戦死者及び父、弟の足の病等、何か霊的に原因があるのでしょうか。御伺い致します。光明如来様は本年二月御祭りさせて頂きました。」


明主様御垂示
「これも同様で、放置しておく。無理に勧めたりなどはいけない。

焦ったりなどするのを制え、穏やかにやる。争いが出来ぬから結果がいい。

新聞など置いておく、救われる時節が来たとすれば、それを読む事となる。」




明主様御垂示 「家族の信仰反対」 (昭和24年10月28日)

こっそり御神書を拝読して時節を待て

信者の質問
「私の父は観音様信仰を絶対反対致しますが、本日御参拝致すにも反対を押切って参りました。

今後は反対であれば中止して時節の来る迄待つ方が良いか、それ共反対を押切って御参拝した方が良いか、御教示下さい。」


明主様御垂示
「一概には言えぬ。信仰は自由であって、これに反対するのは自由を束縛するものである。

父の霊が嫌うのである。善の方になられると好きな事が出来ぬ。光を恐れるのである。

どっちともいえぬ。行動に表わさず、本など父に知れぬように読んで、時節を待つ。」




明主様御垂示 「親族の信仰反対 御神書を拝読し時期を待つ」 (昭和24年12月8日)

信者の質問
「私昭和十七年五月受講以来数々の御守護を頂き、主人一同受講、その上光明如来様御姿並に雲行観音様、光明様、また横額神風、神龍、地上天国、神世界、日月、真善美、光明世界様また御屏風観音様等御奉斎させて頂き、精進致しておりましたところ、

昭和二十一年五月十四日突然次女K子(当時七才)疫痢症状の浄化戴き、当時私が産後二十四日目とて御浄霊が出来ませず、その当時の先生に御願い致し一生懸命に御浄霊頂いておりましたところ、その甲斐なく四日目に死亡致しました。

爾来この件により親戚縁者の猛反対に会い、誠に残念ながら一時中止致さねばならなくなりましたところ、同年八月頃御守護により現在のT先生と結ばれ以後色々と復活に努力致しております。

現在ではその後に次々に起る子供の浄化に対して、その都度御守護を頂き、どうやら信仰を続けさせて頂いている状態でございます。

また最近ではとみに親戚の反対が激しく、昨日現在御奉斎の光明如来様御姿を、先生にお願いして雲行観音様に代えさせて頂きました。

このような状態故、私も大先生の御面会には伺われず誠に申訳なく存じています。

何卒今後の御守護を御願い申し上げます。

また私の今後の進むべきあり方について、T先生を通じて御教示下さいますようひとえに御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「出版物を出来るだけ読み、時期を待つ。

峠を越すと好転する。

罪が多いから時期がかかる。」




明主様御垂示 「研究会で御神書を拝読してよい」 (昭和28年6月1日)

信者の質問
「地上天国にいただきました御歌を御神前で奉唱することはいかがでございましょうか」

明主様御垂示
「結構です。やっぱり御讃歌と同じです。」


信者の質問
「御讃歌と同じように朝晩にお奏げすることもよろしゅうございますか」

明主様御垂示
「よいです。その場合に選択してよいです。

こういうことは非常に皆のためによいということを選んで任意にやって構いません。」


信者の質問
「研究会などをいたします際に、その前後に御讃歌を奉唱し信仰雑話を拝読させていただくということはいかがでございましょうか」

明主様御垂示
「よいです。それからまた御讃歌の意味を「こういうように思う、こういう教えだと思う」ということを話してもよいです。

それがよい働きをすればそれでよいのです。

場合によっては、そのときの問題で疑問があるというときに、

「御讃歌にこう出ている、これが多分その意味だろう」ということを言うのは非常に結構です。」




明主様御垂示 「布教が暇な時には拝読すべき」

信者の質問
「千葉県佐原町の信者HM(男性)の家に光明様を御祀りさせて頂き、

本人は会社に勤務のかたわら御浄霊させて頂いておりました当時は患者も有り、教修者も出来ましたが、

このたび会社を退き、専心御奉仕させて頂きたいと決心して三月二十三日に職を退きました。

ところがこれと時を同じゅうして患者がピッタリ、一人も来ません。

不思議に思っているある夜本人並びにその妻が夢を見ました。」


明主様御垂示
「何か暇なのは、大抵御本を読めという事である。」




明主様御垂示 「布教の不振な人は御神書を拝読すべき」 (昭和24年2月28日)

信者の質問
「一人でも多くの人を救おうと悩むことはいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「教導所などが不振なのは、なにか神様のお気に入らぬ点があるんだから、それを見つけることです。

「信仰雑話」をよく読めば判ります。

あれは標準を教えてあるんだから。

「信仰雑話」は何回でも読まなければいけません。

よくあの中に出ているようなことが質問に出ますが、これはよく読んでない証拠です。」




明主様御垂示 「布教の発展しない専従者は御神書をうんと拝読すべき」 (昭和26年11月5日)

信者の質問
「お道に入り、結構なことだから、これを専門にやって行きたいと言って、専門にやらしていただいても、なかなか・・・

二年になり三年になっても、食べて行けなくなるようなことがちょいちょいありますが、曇りが多いためでございましょうか」

明主様御垂示
「曇りが多いか、どこかに信仰がはずれているか、両方ですね。

やっぱり、軌道に乗ってないんですね。軌道に乗れば良くいく。」


信者の質問
「自分にはその資格がないのかと思うのでございます」

明主様御垂示
「そんなことはない。

人間で、資格がないということは絶対にない。はずれているんです。

うんと御神書を読むんですね。

これはだね。病気が治りさえしていれば、すがってくる人が多くて困るくらいのものですよ。

そうしてお蔭をいただけば、お礼をしなければならないしね。」




明主様御垂示 「布教が発展しないときには御神書をよく拝読して霊を向上させる」 (昭和24年6月27日)

「信仰に入れるにも順序があって、この人を入れてからこの人を入れる・・・その順序を無視してはいけない。

人間は順序をよく間違える。

人間の眼で考えては、その第三の人を入れた方がよいように思うのである。

すべて時期と順序がある。ブツかって来るものは神様が命ぜられたのだからやればよい。

その人に大勢の人を救うだけの資格がないと、いくら焦っても神様は仕事を与えられぬ。

その人相当の力が出て来ると、祖霊が神様の御許しを得、または御命を受けて働く。そこで効果があるのである。

結局は自分である。自分の力をつける事である。

開けぬ時は御本をよく読み、霊を向上さす事である。

決して相手が悪いのでない。

(金光教はそれが極端で、最初二年間位ブラブラ遊んでいて漸く一人出来たなどという。大本教はそうでもないが、天理教は引張るのが好きである)」




明主様御垂示 「布教気に向かぬ時 (焦り苦しみは反神意)」 (昭和24年7月15日)

信者の質問
「教修を受けて二ケ年になる教導師で御座いますが、開発に参っております時、一時的に成績が挙らず、自己の気持も余り開発に出る気になれない時は出ないで時期を待っていますが、精神的に種々苦しみます。

こんな時はやはり開発に努力した方がよろしいでしょうか。

またその場合いかなる心構えであるべきでしょうか。御教示下さい。」


明主様御垂示
「(気の向かぬ時は出ぬ方がよい。その人の霊的資格がないから神様が使わぬのである。それだけその人に力が出ていない)

焦ったり精神的に苦しむのは御神意に反する。

力が出来れば神様が使う。それには向上しなくてはならぬ。

それには一人でも多く浄霊して、霊力をつけ御著書を読む。

また、質疑する。誠で、智慧を磨く。

向上心は尊いものである。」




明主様御垂示 「胎教について」 (昭和23年11月18日)

「胎教とはいいことを聞くと胎児がいい子になり、

顔のきれいな子を生みたいと思ったら美人の写真を見たりするんですが、

これはたしかに働きがありますね。

胎教に「信仰雑話」(註 当時の明主様御教え集)を読むのなんか非常にいいです。

偉い人の書画を見るのもいいです。

観音様のお姿なんかいい、見ることにより霊気をうけるから。」




明主様御垂示 「胎児に御神書を聞かせると心のいい子ができる」 (昭和25年2月)

信者の質問
「子供の性質や容貌が父母のいずれかに似たり、またいずれにも似ない場合がありますのは、いかなるわけでしょうか。」


明主様御垂示
「これはやっぱりそのときによりますね。

例えば、妊娠中に母が家の中で父とよく会っているときは父の顔に似ますが、

父が外に出てたりしていないことが多いと、始終母のそばにいる人に似てくるんです。

妊娠中、美人の絵や偉い人の画像をよく掛けますが、やはり始終見てると似てくるからですね。

だから胎教で母が美人の顔をいつも見てると生まれてくる子は美しいって言うのは意味がありますよ。

妊娠中に「信仰雑話」や「地上天国」を読むのは非常にいいですね。

それが子供の魂に影響して心のいい子ができますよ。

まあ、たまには親父が「この子は自分の子のはずだが、ちっとも自分に似てない、どうも変だ」なんてこともありますがね。(爆笑)」




明主様御垂示 「愚問に対して御神書を拝読するよう御垂示された事例」 (昭和26年2月25日発行)

信者の質問
「いろいろと御教えいただきまして、現象の背後にある御神意を、少しずつ理解させていただけるようにならせていただきました。

これは宗教的なものの見方とも思われますが、信仰によって一つの人生哲学を学ばせていただいているとも思われますし、

また哲学よりも、宗教のほうが本質的なものであると御教えいただいてもおります。

現在の私たちの立場はその意味において、宗教以前の段階にあるものと理解させていただいて、よろしいものでございましょうか。

真の意味の宗教は、もっと身魂が磨けてから御教えいただくものなのではございませんでしょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「この質問の最後にチト変な所があるが、推察して答える。

とにかく、今日までの宗教ではないよりは結構だが、この世を天国化する力はなかった。

これは事実がよく示している。

ところが本教は、実をいうと宗教以上のもので、なお未だかつてなかったのである。

いよいよ時期到来して、神様は私をして地上天国の基礎を造らしむべき大任を、負わせ給うたのである。

なによりも御神書をできるだけ読むことだ。それでよく判るはずである。」




明主様御垂示 「愚問に対して御神書を拝読するよう御垂示された事例」 (昭和26年11月25日発行)

信者の質問
「私は十三年前、円導一心会と称する宗教団体によって仏に帰依し、

本年八月本教に入信まで、その説くところの「南無阿弥陀仏」で仏前回向(えこう)、日想観(太陽に向かい合掌瞑目し「南無阿弥陀仏」を十遍唱え、呼気して徐々に開眼し、太陽をみつめるとまばゆくなく、周辺一帯の空に黄金色を拝する)、水想観(日想観と大同小異)をしてまいりましたが、

天津祝詞、善言讃詞で日月を拝することは支障ありませんでしょうか、お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「拝むべき神様の祀ってない場合はそれでもいいが、本教では光明如来様をお祀りしてあるのだから、それを拝んでいればいいのである。

光明如来様は日と月の両方のお力を具えていられるからである。

だいたい、太陽を拝むのは原始人の自然崇拝のやり方であるから、今日の文化人としたら相応しないわけである。

廃(や)めたほうがいい、この人は御神書の読み方が足りないため、本教の本義が分からないからであるから、御神書をできるだけ読んで、身魂を磨くようにしなさい。」