御神書について


明主様御垂示 「指導者は明主様の御教え」 (昭和25年5月21日)

信者の質問
「教導師として御讃歌や御論文を中心にして信仰致します上におきまして、自分の魂の曇っているため取違いを致します事が時々御座いますので、その事に関しまして御伺い申し上げます。

「人の眼に善しとし映る事とても神の御旨に適はぬ事あり」という御讃歌が御座います。

少くとも教導師は御論文を謹み畏みて拝読させて頂き、日々地上天国建設のため精進致しているものと思われます。

事実そう思われる人で一生懸命御奉仕致しましたにも拘わらず、不幸な結果に終られた人も御座いまして、取違いという事がいかに恐ろしいかという事を痛感させられます。

一方人情と致しましては、何とか神様の御心を覚り、正しい御奉仕の道を歩ませて頂きたい、折角信仰に入って大峠を越さずに霊界に戻るのは余りにも残念であるとの願望も止み難いものが御座います。

この事を解決すべき方途はないもので御座いましょうか。

また、この場合、指導者のいかんが随分とその人の辿る運命と関係あるものでは御座いませんでしょうか。御教えをお願い申し上げます。」


明主様御垂示
「解決の方途はありすぎる。

そのために雑誌や新聞に説いているのであるから、よく読む事である。

それでなければ人助けは出来ない。

指導者は、私の話と新聞、雑誌である。」




明主様御講話 「人の意見を盲信せず御神書を基準に判断すべき」 (昭和27年6月7日)

「それからもう一つは、人からいろんなことを聞きますが、

それを正面(まとも)に信ずるということが、これがまた危ないですね。

だからいろんなことを聞いても、なるほど良い、

しかしこれは神様の御趣旨に合っているかどうかということをまず考えてみて、

どうも神様の御趣旨に合わない点もあるようだという場合には、

御神書を見るんです・・・読むんです。

そうするとたいていなことはどこかにありますから、

それで判断をするということにしなければならない。

そういうことで聞違えることがよくありますからね。」




明主様御講話 「明主様の御書きになられた文章からは光が出る」 (昭和27年11月16日)

「それから御神書とか、未信者に新聞などを読ませますが、

あれはただ書いてある意味を分からせる以外に、活字から浄霊されることになるのです。

それは言霊の作用で、言霊が神意に合ってますと、その活字からやはり一種の光が出るのです。

これは微妙なもので、私が書いた文章はそれがどんな木版でも活版でも、やはりそれを通じて光が出る。

だからそれを読ませるということは、その意味を覚るばかりでなく、そういう効果があるのです。

それについて書いたのです。

(御論文「活字の浄霊」)」




明主様御講話 「栄光新聞の光で家が段々明るくなる」 (昭和26年10月11日)

「二ヶ月ばかり前に書いたのを名誉毀損の訴えをしたが、それ以来、「栄光」新聞も配っている。

それも、読んだか読まないんだか分からないが、なにしろ恐ろしくて読めないんですね。

邪神は、あれを読まれるのが怖いので、読ませないようにする。

しかし、妻君だとか読みますから、段々心が動くのと、新聞が家にあると、新聞から光が出ますから、その家が段々明るくなりますから、

それに反抗的に余計こっちに妨害しようというんです。

今度の現れもそうです。しかし、結局段々改心して頭を下げるか、結局お陀仏になって、あの世に行くか、どっちかです。

裁判官、検事、警察官等にも、半年程前から「栄光」新聞をやってますが、

これも例の邪神が抑えて放さないから、まだまだ改心するどころではない。

ますます悪を逞しくしている。

なにしろ、邪神の方では大変なんですからね。

そう言う事を今書いているが、これは非常に面白い記事ですが、この次あたりにね。」




明主様御教え 「善悪の戦い」より (昭和25年3月18日発行)

メシヤ教刊行物を見ない者は邪神憑依者

「(一部のみ引用) ここで、最も面白い事がある、それは本教刊行の印刷物である、

何しろ全部善い記事ばかりで非難の点などいささかもないから、

もし読まれると邪神の計画は頓挫してしまう以上極力見せないようにするばかりか、

邪神は非常にこれを恐れるのである、それは読むと苦しいためもある、

これは邪神憑依者が改心してからよく自白するところである、

ゆえに邪神憑依者か否かのメンタルテストにはこれが一番可い、

それは一家庭の眼に触れる所へ置いておくと、手にとって読む者は善い人間で、

見ない者は邪神憑依者と断定して誤りはないのである。


右の理によって、本教出版物をみる限り、邪霊は萎縮し、妨害心は消えるが、

みる事が出来ない間は、相変らず悪魔の僕(しもべ)となって、神に反抗するのである、

この事によってみても本教がいかに威力あるかが判るであろう。」 (全文は「邪神の妨害」のページ)




明主様御垂示 「米国へ御神書送る事」 (昭和24年12月3日)

信者の質問
「先日米国カリフォルニヤにいる姉よりの通信によりますと、目下彼地におきましても観音教の事が非常な話題になっている由で御座います故、

光新聞、叢書等、送付致そうと存じおりますが宜しゅう御座いましょうか。お伺い致します。」


明主様御垂示
「結構だ。これも時期である。」




明主様御垂示 「御論文切抜き配布」 (昭和24年10月6日)

信者の質問
「光新聞その他諸御論文の配布徹底に出来る限りの努力を尽くしておりますが、

更に近隣七個町村位へ一般に対する普及をと思いますが、少々負担が勝ちますので、

一方法と致しまして、諸御論文の一部を抜萃し謄写版で印刷したものを一般新聞に折込んで近隣町村に配布を致そうと思いますが、右方法の御許しが戴けるものでしょうか。」


明主様御垂示
「安っぽくなっていけない。歯医者やなどの広告みたいになる。」




明主様御垂示 「御神書の写しについて」 (昭和27年11月1日)

信者の質問
「御神書を写します場合に」

明主様御垂示
「どういうわけでですか。」


信者の質問
「宣伝の場合とか参考にいたします場合に写しましたときは、お光は同じ様にこもるものでしょうか」

明主様御垂示
「言っていることが良く分らないが・・・。

本に印刷したのと光は同じです。」


信者の質問
「そういたしますと、取扱いも御神書と同じに取扱わなければいけないのでございますか」

明主様御垂示
「同じに取扱って良いです。

そうでしょう、活字も人間がやったのです。鉛と油とかでやったものでしょう。

人間が書くのでも、筆に墨をつけたり、万年筆で書くのでしょう。同じことです。」




明主様御垂示 「お許しなしに御教えを印刷した事例」 (昭和23年6月28日)

信者の質問
「お許しなしでお言葉を印刷し弟子に配布いたしました・・・」


明主様の御垂示
「かまいませんよ。

ただ判らない人が見て誤解を起すことのないよう注意すれば。

私もこうして話をするのもできるだけ常識に合ったことを話して誤解のないようにしているのです。」




参考 明主様御垂示 「神の文字ある印刷物の使用」

信者の質問
「「神」とか「観世音菩薩」等の活字の入っている新聞、雑誌、その他印刷物を不浄事に使う事は罪になりますか。」


明主様御垂示
「こんな事は構わぬ。新聞は神体にする訳でない。読めば後は廃物である。」

(註 これはメシヤ教出版物以外の書籍に関する御教えであると思料される。)