月次祭について


明主様御教え 「不思議な団体」より (昭和11年御執筆)

健富和の基本条件は御神体奉斎と月次祭参拝

「我 観音会下付の観世音菩薩の御神体を奉斎して会員となり、

月に一回ないし三回本部の祭典又は講話会に出席をなし、半ケ年か一カ年を経過するにおいて、

一家より病魔が退散するというのは、実に不思議な事である。

一家に病気が無い以上、自然物質は裕かにならざるを得ない。

病人が無く、物質が豊かであるとすれば、不和や争の起りようはずがない。

ここに全く病貧争の不幸は解消する。

こうなった以上、総ては順調に向うのは当然な話である。

これにおいて、いかなる人といえども、感謝の心が湧起しない訳にはゆかない。

その結果として、報恩の心は近親へまでもその恵みを頒ち与えずには措かないという事は必然の理である。

又、その天国的家庭を見た誰もが、その事実に心を動かさずにはおられないから、ついには共鳴者たるようになるのは勿論の事である。」




明主様御講話 「月次祭をご無沙汰してはならない」 (昭和10年11月11日)

「観音様は難しい無理なことはおっしゃらぬ。

喜んで愉快にできることしかやらされぬ。

いままで世界のあらゆる大仕事など、みんな非常な苦心惨澹した。

今度の仕事はそうではない。苦心惨澹したらできない。

ボンヤリしてブラブラしていてもできぬ。

例えば、飯を食うにも茶椀と箸をとるくらいのことはしなければならぬ。

それだけの手順は尽くさなければならぬ。

病気治しにしても、御祈祷加持で汗水垂らしてやるんですが、観音力では楽にできる。

そういうわけですから、その点はたいへんにありがたい。

私も観音行を始めてから、ずいぶん苦しんだことをしたが、むしろそのときは結果が悪い。

そういうときはむしろ避けたほうがよい。楽にやればよい。


どういうことを一番気をつけなければならぬかというと、お祭りや講話会にご無沙汰することがいけない。

それをしないと決してうまくゆかない。

いざという時に間に合わないからお取り替えになるわけであります。

それで月に一回以上は本部などへ必ず参ることで、それも難しいことでない。

他の宗教などは朝の五時ごろに起きて行かなければならぬ。

一日一回は必ず行かなければならぬ。

そんな強制的なことをせぬから苦しいことはいらぬ。

そして後はできるだけ運動をして拡めればいい。

いま、会員をたくさん造らなければならぬ。

それも無理に奨めたりするなどすることはいけない。

気持ちよく話して先方から進んで信仰に入るようにしなくてはいけない。その点も大いにいい。

要するに、観音力はどっちか極端になってはいけない。

どうしても信仰に入れぬ人は説いてはいけぬ。

また信仰に入るようすすめてはいかぬ。

機会をみてあっさりやればスラスラと入る。」




明主様御垂示 「月次祭の意義」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「月並祭に参拝する場合は、光をたくさんいただき、魂を浄めていただくでしょうか」


明主様御垂示
「神様がそうなんです。それと同じなんです。

人間が多勢上がりますね。そうすると、神様の光が強くなる。

それでお蔭をいただく。

神様の光は蜘蛛の巣がかかったりしていると出ないんです。」




明主様御垂示 「祭典日の遅延は不可」 (昭和23年5月18日)

信者の質問
「毎月十八日のお観音様の日にお祀りできない場合は・・・」


明主様御垂示
「十七日にしたらよい。神仏のお祀りや法事なぞは早くするのはよいが遅れるのはいけない。」




明主様御垂示 「祭典日の遅延は不可」 (昭和23年10月17日)

信者の質問
「十月十日に私の村に徳山神社のお祭りがありましたが、

雨のため十一日に延長され、十日には本殿の扉が開きましたのですが、

十一には開こうとしても開かず明朝に至るもあかなかったのです。

何か霊的に関係があるものですか。」


明主様御垂示
「大いにある。十日のお祭りと決っているものは、雨でも風でも、今後絶対に実行しなくてはいけない。

九日にするのは構わぬ。早いのはいいが延ばすのは非常に悪い。

霊界は非常にキチンとしていて、出鱈目は許さぬ。

(人間が延ばすと神様の仕事がおくれる。人間と違い、神様の御仕事は規則正しい)

御仕事がおくれると一日の狂いが十日も遅れる事になる。

今後は絶対にせぬとお詫びすればよい。」




明主様御垂示 「月次祭は勝手に日取りを変えてはいけない」 (昭和24年8月23日)

信者の質問
「私は本年一月に教修をいただきましたが、三月に光明如来様をいただき、三月三十日に分会長先生に来ていただいて例祭をいたし、

また四月二十六日にも分会長先生に来ていただいて例祭をいたしましたが、

その際、突然御三方の上においた割れ目のないコップが割れて、中の水がこぼれてしまいました。

ところが同じ御三方の上の御屏風観音様はどうしたことか少しも濡れませんでした。

コップの割れたこと、御屏風の濡れなかったことになにか意味があるように存じますがいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「例祭って言うけど、日は決めてないんですか。」


信者の発言
「決めてございます。」

明主様御垂示
「幾日に決めてあるんですか。」


信者の発言
「三月三十日に決めていたしました。」

明主様御垂示
「いや、毎月幾日に決めてあるんですか。」


信者の発言
「はあ、それが・・・」

明主様御垂示
「いや、例祭って言うんだから、毎月何日っていうことは決めてあるんでしょ。」


信者の発言
「はあ、ございます。」

明主様御垂示
「だから幾日に決めてあるんですか。」


信者の発言
「二十八日でございます。」

明主様御垂示
「二十八日・・・ところがこれは違うじゃない、三十日なんて。

決めた日より早いのはいいけど、遅れるのは非常に悪いんです。

これは知っとかなければいけない事です。

すべて神仏の事は早くなるのならいいが、遅れるのはとてもいけない。

この遅れたのはどういうわけです。」


信者の発言
「それは、分会長先生のご都合があったものですから・・・」

明主様御垂示
「分会長の都合で神様の事を遅らすんなら、分会長のほうが神様より上になってしまう、はなはだ御無礼千万ですよ。

それから次のは四月二十六日で、これは早過ぎてる。

本当は早過ぎるのもよくないんだけど、遅れるのよりかずっといいんです。

この、早くしたのはどういうわけですか、また分会長の都合ですか。」


信者の発言
「いえ、それは書き間違いと存じます。四月は二十八日にいたしました。」

明主様御垂示
「これは書き間違いですか。・・・

なにしろ、例祭をすると決めた日を絶対に守るっていう気持ちがあれば、御守護があってちゃんと都合よく行くんです。

ところが、心にゆるみがあるといろんな差し支えが起ったりするんです。

熱海へ来るんでもそうですよ。

この次は何日に熱海に絶対にお詣りに行くと決めたら、なんの故障もなく来れるものなんです。

それを、都合がよかったらとか、そのときの都合でどうとか思ってると、きっと故障が起るんです。

邪神がいつも邪魔しようと狙ってるんですからね。

心にゆるみができると邪神に隙を与えることになるんです。

雨が降っても、槍が降ってもどんなことがあっても行くっていう心構えだったら決して邪神は邪魔できない。

固く決心すれば間違いの起ることはないんです。

それから「御三方の上の屏風観音様」とあるけども、これはどういうわけで御三方なんかに入れてあるんです。」


信者の発言
「はい、仏壇がないものですから、御三方にのせてお祀りいたしております。」

明主様御垂示
「それは間違ってる。

あれは仏壇に入れるものなんです。

他の所に祀って拝むなんて間違ってますよ。

ちゃんと仏壇の中へお祀りするように決めてあるんだからその通りにやんなさい。

その通りにしないんなら祀らないほうがいい。

神様が決めたことを人間のほうでどうするっていうのは、人間のほうが神様より上になりますよ。

コップが割れたのは、こんな間違ったことをしてるのに対する神様の戒めですよ。」




明主様御垂示 「教会、支部の月次祭の日取りの決定方法」 (昭和29年3月1日)

信者の質問
「私のほうの支部では、半数が中教会のお祭の前に、半数が後で支部の月並祭をさせていただいておりますが、

前の半数の教会のほうが、努力はしておりますが順調にゆかないような状態が最近出ております。

これは順序が違っているためでございましょうか」

明主様御垂示
「それはもちろんそうです。教会が先にやるのが本当です。それはたいへんな間違いです。」


信者の質問
「前の半数の人もかなりの成績はあげてはおりましたが・・・」

明主様御垂示
「それは駄目です。まるっきり順序が違ってます。

それはどういうわけだというと、教会のほうを先にやると、それが主になるのです。

その次にやると従になるのです。次になるのです。

だから支部が従であるべきものを、主にしてしまうからです。

これをもっと分かりやすく言うと、神様のことばかりではないのですが、一切はそうなってます。

一番先に行く所が主になるのです。

その次の所は従になるわけです。

ついでになるわけです。

だから仮に、こういうことなのです。

個々に会う、人も、事柄もそうですが、特に神様のことはそうです。

最初神様にお参りに行って、それからは何の用をしても構わないのです。

ところが他の用を先にして神様のお参りを後にすると、順序が違っているから決してうまくゆかないです。

物事も順調にゆかないです。だから主と次のこととは、はっきりしなければいけないです。そうするとうまくゆくのです。」


信者の質問
「中教会と支部の月並祭につきまして、支部のほうの順序でございますが、成績の良い悪いということで決めますと・・・」

明主様御垂示
「成績によると、良いときもあるし悪いときもあるから、年中変えなければならないことになります。

そういうのは古さによって決めればよいです。

一番古くできた所を先にすればよいです。

そうすると公平になります。」


信者の質問
「中教会長が御光をいただいた日を記念して月並祭としているのと、中教会の名前をいただいた日にいたしているのと両方あると思いますが、どちらが・・・」

明主様御垂示
「それは中教会の許可を受けた日を記念するのが本当です。

というは、中教会というのは、教会という一つの大きな組織になるでしょう。

ところが自分が御光をいただいたのは個人という意味になります。

だからそこに違いがあります。

でもそれは大した大きな問題ではないです。

だから今までそうなっていたらそれでよいです。

しかしどっちが本当かというと、支部の許可を受けた日が本当です。

それは神様が支部の許可を許した以上、支部の活動をしてよいということになるわけだからです。」


信者の発言
「月の二十五日にいただいた場合には中教会の月並祭は二十五日ということになりますが、その場合中教会のお祭を月の初めということはないので・・・」

明主様御垂示
「そうです。月の初めと決めると、月の初めというのは、みんな忙しいから、いろいろ違って来ます。」


信者の質問
「こういうお話の場合には、いつも後で、ああだこうだと質問が出るのでございます。

私達は「十八日は観音様の日だ、二十三日なら御生誕の日だ」というわけで、

中教会の月並祭をその日にいたしてまいりましたのが多いのでございます」

明主様御垂示
「少ない場合はそれでよいです。しかしたくさんになって来たら具合が悪い場合があります。」


信者の質問
「早くやったからどうこうということは考えなくてもよろしいのではないかと思います。

想念が一番でございますから、良い日にやらしていただくということでよいのではないかと思います」

明主様御垂示
「十八日というのは一番良い日ですから、それで続けてできるものならそれでよいです。

それから、それでは都合が悪い、それで支部がたくさんあると、みんな十八日ではまわりきれないから、そこのところは、支部ができた順序にすればよいです。」


信者の発言
「一日は特別御面会でありますし、また毎旬の御参拝がありますから、そこのところは合理的に考えさせていただいております」

明主様御垂示
「そうです。」


信者の発言
「支部のお祭というのは、中教会、大教会の者が主催する建前のものでございましょうか。または、今まで便宜上、離れた所は支部長に任せておりましたが」

明主様御垂示
「よいです。」


信者の発言
「支部は支部長が主催すべきものと思います。

もし支部が三十ヵ所以上になったら、一日一ヵ所としても、会長さんは一月中にまわりきれなくなります」

明主様御垂示
「そうだな・・・三十ヵ所以上になってはいけない理屈になるからな・・・。」


信者の質問
「具体的にお伺い申し上げます。

私の中教会本部のお祭は二十一日に行い、支部はできた順序により、月の二十三日の所もあり、二十五日もあり、

翌月の三日、五日、十日、十一日というようにいたしてまいりましたのでございますが、

具体的にはどう考えさせていただきましたらよろしゅうございましょうか」

明主様御垂示
「支部のほうが早い場合があることでしょう。

だから中教会というのは、みんな一日にしなければならないことになるのですが、

それは原則としては中教会を一番先にするわけです。
 
そうしたら、こういう具合にすれば一番よいです。

中教会の御祭は、十八日なら十八日にするとして、支部のはその後にずっとするから、今月お祭りすべきものを来月になるという理屈にするわけです。」


信者の発言
「ただ、名前と感じの上でゆきますので・・・私のほうは中教会を三日にさせていただいてと思います」

明主様御垂示
「それはそのほうがよいです。中教会のお祭はなるだけ早い日にしたほうがよいです。」




明主様御垂示 「明主様御生誕祭と教導所の月次祭の日取りが重なる場合の対応」 (昭和27年12月1日)

信者の質問
「十二月二十三日は御誕生祭でございますが、二十三日に月並祭をいたしております所が多いようで、今月に限り変えさせていただきまして」

明主様御垂示
「良いです。日はいつでも良いです。」


信者の質問
「御誕生祭にはお参りさせていただきますほうがよろしゅうございますから」

明主様御垂示
「決まったことはしなければいけません。それで誕生祭というのは意味が違いますから・・・」




明主様御垂示 「海外では月次祭の日取りを曜日で決めてよい」 (昭和27年5月1日)

信者の質問
「ハワイの信者よりの質問でございますが、月並祭をさせていただきますのに、向うは月の日より曜日で決めるそうでございますが、お許しをいただけますものでー」

明主様御垂示
「良いですよ。」


信者の質問
「土曜日でもよろしゅうございましょうか」

明主様御垂示
「結構ですよ。土曜日が一番良いでしょう。」


信者の質問
「金曜日はそういうことには使いませんようでございますが」

明主様御垂示
「キリストの受難日だからね。十三日の金曜日だからね。」


信者の質問
「週が四つありますが、第一土曜日というように決めなくてもー」

明主様御垂示
「決めなくても良いが、第一の方が良いです。」

何でも早い方が良いです。早い方が基本になりますからね。

それで私は、この集りを一日にした。

それから数からいうと、割り切れる数ー偶数ですね。

これが陽になる。

だから奇数偶数の事柄によって合せるということも良いんですね。」




明主様御垂示 「月次祭の日取りの変更について」 (昭和27年7月1日)

信者の質問
「中教会本部の月並祭を十日に変えさせていただきたいと思いますが、いかがでごさいましょうか」


明主様御垂示
「良いですよ。」




明主様御垂示 「悪因の日に月次祭をすると罪穢れが消える (昭和25年1月16日)

御神体奉斎後に長女が死す

信者の質問
「私は昨年三月入信、引続き妻、長女、次女、三女、四女の順に入信致し、

光明如来様、千手観音様を奉斎、先生に御願い致し毎月十一日にお祭をさせて頂いておりました。

昨年十二月上旬長女(十八才)が浄化を頂き全身に浮腫が出来、

十一日のお祭の日の十一時頃より急に容態が悪化し十二日の午後五時頃死去致しました。

その間浄霊は勿論、御守護御願い、御先祖供養等御願い申し上げました。

これは本人(長女)が日頃信仰心足りなかったためかと思われますが、いかがなものでしょうか。

なお十一日は父と叔父の命日に当りますので当日御祭りをさせて頂いておりますが、

私の家では十一日と言う日は何か不吉のような気が致しますので御祭日を変更致したいと思いますがいかなるものでしょうか、御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「信仰心が足りない。話を聞いて判らぬのは落ちるより外ない。

十一日は、家系にとって重大な事(悪い意味の日)があった。

悪因悪果のしるしが表われる訳で、十一日を出来るだけ使う方がよい。

すると十一日の汚れが除れるからいい。」




明主様御垂示 「月次祭の先達」 (昭和26年11月8日)

信者の質問
「月例祭のとき、たまたま先輩が来ております場合には、先達はどなたがするのでございましょうか」


明主様御垂示
「最初は誰がやったんです。

最初にお祀りしたときの、その人にやってもらえば良い。

もしその人が来られないときに・・・あの人が適当しているということはありますから、その人にするのです。」




明主様御垂示 「祭典の服装」 (昭和25年4月23日発行)

信者の質問
「お祀りの場合の形式、殊に服装についてお伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「形式って言ったって現在すでにほうぼうでやってるでしょ、それでいいんですよ。

私は別にお祀りの仕方をああしろ、こうしろってことは言わないんです。

もう自然にできてるはずだから。

それに、いま改めてどうこうってことはありませんよ。

お祀りのときだって、その人の身分により尊敬の態度を失しない程度にすりゃいいんです。

労働服や尻切半纏(しりきりばんてん)なんかじゃいけませんがね。

袴(はかま)だって持ってる人ははけばいいし、持ってない人ははかなくたってかまいませんよ。」




明主様御垂示 「月次祭の日は後で御浄霊すべき」 (昭和26年10月8日)

信者の質問
「一般の教会で、月並祭の場合に、その前とか後に、御浄霊してよろしいのでしょうか」


明主様御垂示
「しても良いですよ。本当は後でするんですね。たくさん浄霊にくるのはかまいませんよ。後でやるほうが良いです。」




明主様御垂示 「御玉串の一時的立て替えは差し支えない」 (昭和24年12月20日発行)

信者の質問
「御玉串として捧げる御金を一時立て替えてお納め申し上げることは差し支えないでしょうか。」


明主様御垂示
「差し支えありませんよ、返せばいいんだから。

踏み倒しちゃいけませんがね。(爆笑)」




明主様御垂示 「月次祭廻りとお供え」 (昭和24年4月21日)

信者の質問
「御神体を新しく載かれた家庭に一々教師または教導師がお祭りに行かなければならないものでございましょうか。

従来は一々致しておりましたが、会員が多くなり廻り切れない実情にございますが、どう致したらよろしゅうございましょうか。

なお月並祭の折、御神前のお供物はどの程度に致したらよろしゅうございましょうか。

また御神前に毎朝お膳をお供えしております家庭と、配給その他の関係で近年は毎日のお膳を略させて頂いて、

月一回だけ特別のお膳をお供えしております家庭とございますが、今後はどう致したらよろしゅうございましょうか。

御教えを御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「どちらでもよろしい。ただ形式だけ、教導師に聞いてする。月一回だけというのは間違っている。」