教会建設について


明主様御講話 「布教所を広げると信者も広がる」 (昭和26年6月2日)

「人間の力と場所ですね。家ですね。これは非常に重要なものです。

例えてみると、これだけの家を、これだけひろげますね。

すると信者がそれだけひろがる。熱海の会館もできると、あれだけ信者が増える。霊界の型ですね。

大きくなると、多くなる。ということになる。」




明主様御講話 「支部を広げれば御神業も発展」 (昭和28年10月15日)

「メシヤ会館がだんだんできるに従って、その影響が世界的に現われるわけです。

一番著しいのはメシヤ教の発展ですが、これが体的ですから目についてくるわけです。

そして神様のことはすべて型でゆくのですから、たとえてみれば、どこか拡がるとかできるというと、やはり御神業のほうもそれだけ増え、拡がってゆくわけです。

つまり小さい型を拡げれば、大きいものも拡がるということになるわけです。

ですから建て増しとか地所を拡げるということは非常によいのです。

支部などもそうで、拡げれば拡がっただけは必ず御神業の方も発展します。

これが型です。

昔の宗教が小さな所に楯籠(たてこも)って、ごく地味にやっているああいったやり方とはぜんぜん違います。

昔とても立派な堂宇(どうう)や伽藍(がらん)を作るには作ったが、それはかなり成功してからのことで、

最初はまことに、そういったことにはあまり関心を持たなかったのです。

ところがメシヤ教の行き方はそれとは違うのです。

今までは一切衆生を救うという建前でしたが、メシヤ教の方は地上天国を造るという建設が主になってますから、

やっぱりこっちの根本がそういったようになってますから、体的にも建設をしてゆかなければならないのです。」




明主様御講話 「支部の建物を少し拡張すると教線も拡がる」 (昭和28年12月27日)

「秋には会館と展望台の上の水晶殿ができあがりますから、また大いに世間の注目を引くとともに、教団も発展するわけです。

いつも言うとおり、箱根は霊で熱海は体ですから、熱海ができあがるということは体的に大きくなるというわけです。

御神業というものは、すべて型でやってゆくのですから本元ができ、また形が大きくなるということは、全体的にそうなるわけです。

熱海は体的ですから、会館ができるということは、ちょうどやはり建築のような具合に、御神業の方もしっかりした様相になって、大きさも目立つように大きくなるわけです。

こういうわけになるのです。

支部などでも、建物を少し拡張すると、それだけ教線が拡がるものです。

だから形も、支部の建築などを相談されることがよくありますが、

つまり家相は、四角なら四角のものでも、ちょっとでも凹むものがあるといけないのです。

凹む形がいけないのです。その反対に少しでも出る形があると拡がるわけです。

家相や土地というものも、運命に非常に影響するのです。

だからして、やっぱり理屈に合うということもそういうわけで、

すべてが順序とか形とか理屈に合うということが、小さいような問題でいて、あんがい結果は大きいのです。」




明主様御垂示 「発展の家相」 (昭和24年9月25日)

信者の質問
「家屋の屋根を改造する場合、草葺を瓦葺屋根にするのに、改造前より改造後の屋根棟が低くなると家相上良くないと云い伝えられております。

これは家相によるものか、または祖霊の御意に叶わぬ事にでもなるのでしょうか。

なお鬼門に庇を出したいと思いますが、鬼門に触れる事は昔から絶対に禁じられた不文律になっております。

この場合、大光明如来様に御願いして作業に着きましたら、鬼門の「たたり」はありませんか、御教示下さい。」


明主様御垂示
「家相はすべて殖える事はいい。ヘッ込ますのはいけない。出すのはいいので、全然迷信ではない。

あらゆるものは、発展拡充の意味はよい。

教会も出来るだけ殖やすと、信者が殖える意味になる。

これは相応の理である。

屋根など低くなるのは、上の方が低くなる事である。

鬼門を汚すのはいけない。後は差つかえない。」




明主様御講話 「支部建設も順序と相応ということを忘れるな」 (昭和28年8月26日)

「私はいろんな大きな計画などをしますが、決して出し抜けに、アッと言わせるようなことはやらないように注意しているわけです。

さっき読んだとおり、これからアメリカに布教するのですが、随分突飛なようですが、

しかし神様からいただいた力と、アメリカの状態ということを照らし合わしてみて、相応しているわけです。

決して食い違ってはいないからして、うまくゆくに決まってます。

そこで、やるにもパッとやってはいけないので、樋口さんがたった一人で行って、さっき言ったとおり一カ所で、そこからコツコツやり始めるのです。

こういうのは失敗がありません。後戻りがないから順調に行きます。

ですから私がやるこの地上天国のことなどもみんな見てびっくりするようなことをやっても、

細心の注意を払って順序と相応ということを忘れずにやっているのです。

ですからこの方が非常に順調に行って、後戻りがないから早いです。


ですから支部をこしらえるにも、パッと大きな計画をしたりしないで、だんだん順序を踏んで相応してやって行けば、うまく行くわけです。

大きくしようとすると大きくならないので、大きくしようと思わないで、小さくならないようにと思えばよいのです。

だから私は商売などを始める人によく言うのですが、儲けようと思ってはいけない、損をしないようにと思えば決して間違いないと言うのです。

というのは、成功したことを考えないで、失敗しないことを考えるのです。

これは少し苦労した人はよくそういうことを言います。

うまくやろうとか、成功しようということは思ってもよいが、それはごく軽く思って、

本当に強く思うことは、失敗しないように、後戻りしないようにということを思っていれば決して失敗はありません。

これはちょっとしたことのようではあるが、根本的なものです。

だから損したらどうする、どう逃げる、ということを考えていなければならないのです。


私なども若い時分には随分金儲けをやりましたが、その時分にそういうことを考えてやっていれば随分儲けたが、その時分には儲けることしか考えなかったのです。

日本の戦争でも、負けたらどうするかということを考えていたらよかったが、そういうことはぜんぜんなく、ただ勝つ一方のことしか夢見ていなかったから、ああいう悲惨な目に遭ったわけです。

そういうわけで、相応の理ということと、失敗してうまく行かなかったらどういうように逃げるかということを考えてやると、かえって成功することにもなり、順調に行くことにもなるというわけで、これは宗教でもあり哲学でもあるわけです。

ですから結果は、逆結果になるわけです。

ですから私は最初に始める時分には、なるだけ世間に知れないように、目立たないように目立たないようにしろと言ったところが、一番世間に知れてしまったわけです。

そういうようで、ちょっとしたことですが、結果において将来においてたいへんな違いになるわけです。

相応の理ということは、人間、相応者にならなければなりません。

なにごとも相応しないことはいけないのだから、なにごとも相応するように心掛けるということがもっとも肝腎なことです。」




明主様御垂示 「すべて物事は漸次進んでゆくことが良い」 (昭和24年10月25日発行)

「すべて物事は漸次進んでゆくことがよくそれが順序である。

突然に変わるのは本当でない。

例えば新しく教導所を開く場合、最初はできるだけ小さくする。

人間が赤ん坊から育ち一人前になるごとく、また草木の種子がだんだん二葉から大きく育つ。

それなら根が張り枯れたりなどしない。

これが大自然の実相だ。

私などこの仕事は六畳一間から始めた。

信仰も最初は種蒔きであるから話すだけにしておく。

それが育つに従い先方が耳を傾ける程度になったら雑誌新聞を見せる。

そのうちに教修を受けたくなり教修を受けさす。

そのうち病気が治ったりなどして光明如来様をお祭りする。

このようなやり方で入ったのは信仰に動揺がない。

急いで入信したのはいわゆる根が固まっていないから動きやすい。

これはいかなることでもそうである。


おもしろいもので最近新興宗教というと本教が一番目指されるが、決して一番になろうと思ったわけではない。

これも最初は目立たぬようできるだけ大きく見せないようにした。

この点世間とアベコベでその結果一番拡がったようだ。」




明主様御垂示 「布教所の度々の移転も結構」 (昭和26年10月5日)

信者の質問
「教導所で家が転々として変わるというのは、浄まりが足らないのでございましょうか」

明主様御垂示
「結構じゃないですか。

大いに変わったほうが良い。

変えなくっちゃいけない、と言うなら、それで良い。

だいたい、本部だってずいぶん変わりますよ。これからも変わる。」


信者の質問
「一部の人は、あんまり曇りがあるから落ち着けないのだ、というのでございますが」

明主様御垂示
「そうですよ。曇りを取るために変わるんです。だいたい、曇りがない人なんて、いないです。」


信者の質問
「信仰するその人にでございましょうか」

明主様御垂示
「信仰する人も、信仰しない人も、先生も、その家も、みんな曇りがある。」


信者の質問
「やっぱり良くないと、世間で評判されるのでございますが」

明主様御垂示
「かまいません。神様がそうされるんですからね。

新聞も、最初「光」それから「救世」それから「栄光」と、こんなに題名が変わるのなんか他にありませんよ。

神様がされるんだから、しょうがない。それは、こういうわけです。

今までの宗教とぜんぜん違うということは、今までのは夜の世界だから長くやっていたが、今度は千年くらいかかっていたのを、私は十年くらいでやろうと思っている。

神様がやられるんですが・・・と言ったほうが良い。」


信者の質問
「変わらずに続けてやったほうが良いでしょうか」

明主様御垂示
「神様にお任せすると良い。

というのは、変わったほうが良くいく「心配しなくて良い」と言う好条件の場合は変わっても良い。

神様にお任せするというのは、そういう意味なんです。

私なんかも、よくそういうことがある。

なにかにつかえて、こちらに来たほうが良いという場合があると、これは神様が・・・と、こっちに行っちゃう。

そういう場合に、馬鹿にゆっくりしているようで、馬鹿に早い。」




明主様御垂示 「本部は動かせぬ」 (昭和25年5月25日)

信者の質問
「分会中心を「北条」に置いておりましたが、開拓指導上「西条」という都市に適当な家を見つけて先月主力を移動致しました。

「西条」は「北条」より艮の方向で、十四、五里離れておりますが、「西条市」を開拓以来数ケ月の間に、肺結核のみ次々死亡し、先日、五日に六人目のしかも熱心な協力者が再浄化で溶けました。

この状態で責任者もやや失望し、周囲にも少なからず悪影響を及ぼし、私等も御用の至らざるを痛く愧じ入りおります。

本日、当地方面指導者全部御浄めを戴くべく御参りさせて戴いておりますが、「北条」と「西条」に何か因縁が御座居ましょうか。

また、地方の開拓を一時見合すべきで御座居ましょうか。御教示願います。」


明主様御垂示
「支部として開拓すればよい。本部は絶対に動かしてはいけない。

順序が違う。西条支部にせよ。」




明主様御垂示 「明主様の御書をたくさんかけた布教所は発展」 (昭和23年6月28日)

信者の質問
「山口県長門三隅(萩から約一時間、古戦場)長崎県五島(墓を粗末にしている傾向あり)右二カ所は極端に霊憑りの患者が多いのですが・・・」

明主様御垂示
「ほう、そうですか。動物霊ですね。

それはそこの霊界が曇っているから動物霊が働くのです。

やはりその土地の神様の位が低く力が弱いのです。」


信者の質問
「御軸や御額をお祀りいたしたらいかがでしょう。」

明主様御垂示
「ああ勿論結構です。

以前治療所と言っていた時分、額をたくさんかけた所は発展しましたよ。

最初から一番たくさんかけたのは渋井です。

私もその発展ぶりにはびっくりしました。

御額はたたんで三宝にのせてたって駄目です。

ちゃんと展げてかけねば。」


信者の質問
「ちょっと家の事情、例えば金がなくて表装できぬという場合は・・・」

明主様御垂示
「そんなことはないですよ。

表具屋へやれば必ず金が入ってきますよ。

借金をしてもいいから表具屋へ持って行くことです。」




明主様御垂示 「教導所新築の場合の地鎮祭」 (昭和23年11月18日)

信者の質問
「教導所新築の場合の地鎮祭について・・・」


明主様御垂示
「大工が知ってますから大工に任せたらいいです。」




明主様御垂示 「教導所の間取りについて」 (昭和24年7月)

信者の質問
「教導所として三間くらいの家を建築する場合、畳数および間取りについてお伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「畳数は十八畳なんていいですね。五畳、六畳、七畳もいいです。

玄関が三畳次が六畳次が十八畳なんてのもいいですね。

それから十畳に六畳に二畳もいいし、十畳、五畳、三畳もいいですね。
 
それから間取りは便所や勝手だけ鬼門を避ければ他はどこでもいいですよ。

勝手なんかのように水を多く使う所は裏鬼門がいいですね。

玄関は東と南の間、辰巳が一番いいですね。

神山荘も辰巳だし、宝山荘も辰巳だし、私の行く所はみんなそうなってますよ。」




明主様御垂示 「布教所の看板の大きさ」 (昭和26年7月8日)

信者の質問
「教会、布教所、支部などでかかげる看板の大きさについてお伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「ちょうどいいのがよい。(爆笑)」




明主様御垂示 「お寺の境内内の自宅を明主様信仰の教会にしてもよいとされた事例」 (昭和25年2月28日)

信者の質問
「私の家は寺でございますが、自宅を教会にしてもよろしいでしょうか。

なお、寺の宗旨は曹洞宗で御本尊は十一面観音で、明主様の御開眼をいただいております。」


明主様御垂示
「差し支えありませんがね、・・・結構ですけどね、

しかしいつかは違う所へ行くようになるかもしれませんよ。それだけ承知してておやんなさい。」




明主様御垂示 「教会新設お伺い」

信者の質問
「昨年の地震により教導所が被害を受けましたが、信者一同無事御守護頂き厚く御礼申し上げます。

以来教導所復旧意のごとくならず、本教布教に種々不便を感じておりましたが、

信者の内から新築材料寄進の申し出あり、適地を求めておりましたところ、

福井市松本中町二七ノ五番地に百八十坪の敷地貸与者がありますが、

この地に教導所を建築致してよろしゅう御座いますか。御教示御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「早く取り掛った方がよい。神様が見付けてくれるのである。」




参考 明主様御垂示 「中教会名の使用について」 (昭和24年2月8日)

信者の質問
「支部にいただいた会名はどの程度に使わせていただいたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「時と場合によったらいいんです。その分会の信者の間では使ったらいいし、そうでなく他の分会に対する場合には大成会としたらいいでしょう。」