宣伝について


明主様御垂示 「街頭宣伝の可否」 (昭和24年8月15日)

信者の質問
「五六七教街頭宣教の可否及び時期を御教示下さい。

また、街頭宣教可ならば統一された宣教主旨を改めて御示し戴けましょうか。

あるいは既に御発表の御論説により宣教させて戴いて宜しいでしょうか。あわせて御教示御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「街頭宣伝は未だよい。

光新聞を人に見せる程度である。

今の所必要はない。あまりパッとやると反っていけない。

それよりか室内宣伝を出来るだけやった方がよい。」




明主様御垂示 「布教に広告は不要」 (昭和26年10月5日)

信者の質問
「教導所を作った場合に、一般に知らせるのに広告などはいかがでしょうか」


明主様御垂示
「広告はいりません。そんなことをしなくてもよい。

理由をいえば、信者を連れてくるのは・・・信者になる人が来ますね。

お客様がね。来るというのは神様なり、そこの家の先祖なりが連れてくるんです。

だから広告を見なくても来るべき人は来る。

だいたいああいうやり方は神様を冒涜することになる。

あんまを開業したとか、歯医者を開業した、というやり方と同じだ。

これは極端な話だが、金光教の信者で、広告とか、人にも宣伝しないという・・・極端ですが ・・・なんにもしない。

なんとかしたら良いでしょうと言うと、いや神様が連れてくるからという。

二年間一人も来なかったそうです。

それから一人来て、それからぼつぼつ来て、たいへんに繁昌したというんですね。

これは極端ですが、神様を信ずるという点ではおもしろいと思う。


だから、私は新聞広告だとか、宗教宣伝するという気持ちはちっともない。

ただ、いろいろなことの必要で「新しき暴力」の如き、みんなが間違っていることのために、ああいった拷問やなにかされて苦しむ人がたくさんできるから、それをやっているんです。

一番初めに信仰雑話を出したことがあるが、新聞広告はどのくらい反響があるか試したんです。

いずれ、結核の本も新聞広告をしますが、あれは、結核の人間を救いたいためです。

あんまりひどいことになっているからね。

「結核の革命的療法」として、または「結核の宗教療法」としてか、どっちかにする。

信者が病気が治って、その人が宣伝して、だんだん連れてくるんです。

その人がまた連れてくるというやり方がしっかりしている・・・強いです。

人間の目には見えないけれども、神様には分かる。

この人が救われたら、こっちの人、今度はあの人と、霊界では順序が定まっている。

だから、順序が来ていないのに、この人に知らせても入れないんです。」




明主様御講話 「目立たない布教でかえって有名に」 (昭和27年6月6日)

「だから今言った負けるが勝ち流に世の中を渡れば、必ずうまくいくんです。

結局勝つんです。

ですからあらゆるものが、世の中のことは逆が多いんです。

ですから逆の結果、逆の現われかけーそういうことをみて、それに学ばなければいけないんですね。

そうすると楽々と成功するというわけですね。

それで私がメシヤ教を始めた時分の・・・その前からですが、

できるだけ人に知れないようにしろ、宣伝的のことを決してやってはいけない。

目立たないように目立たないように、ヒッソリヒッソリするように、とみんなに言ったんですが、

よく宣伝的にもっとやった方が良いと言った人がありましたが、

私は知れないように知れないようにやった。

ところが知れちゃった。

これが逆効果です。

だから知れるように宣伝的にやった宗教というのは、あんまり知れないんですね。

しかし他のことはそうではないですよ。

売薬とか石鹸とか、ああいうものはしますが、そうではない本当の仕事ですね。

それはできるだけ地味にした方が良い。

ですから支部や分所を作っても、世間に知れるようにしたら、

かえって知れない。知れないようにした方が知れるんです。」




明主様御垂示 「明主様は露骨な宣伝がお嫌い」 (昭和23年1月18日)

(福屈秀介氏著作「神の子アヴァックの奇蹟」を井上先生朗読)

明主様御垂示
「現代的でいいですね。

いまの時代にはこういう説き方がよろしい。よくできてますよ。

講演会でもして配ったら反響があるでしょう。

最初から露骨に出さぬやり方がよい。

新しい行き方だ。

神懸り的、説教的では駄目ですよ、マタカ・・・と思われる。」


信者の発言
「大先生(註 明主様のこと)が御治療なすっておられる写真とともにアメリカのミシガン大学へ送ろうと思いますが・・・(福居氏)」

明主様御垂示
「いや、それはいけない、これだけ送ればよい。

露骨な宣伝は私は嫌いですよ。

腹の大きいのは腎臓が悪いんです。

脳膜炎はよく治りますよ。」




明主様御垂示 「医療拒否せずの貼り札」 (昭和24年9月23日)

信者の質問
「患者に向かって薬毒の事を御話し致しますと往々「観音教は医療を拒否するものである」との印象を与え、何かと世間の誤解をうける怖れがありますので、

これを避けるため、各教導所に次のような趣旨の事を書いて貼っておく事はいかがでしょうか。」

「どなたでも浄霊をうけるより医療によって治そうと御思いの方は御遠慮なく医療の方を御採り下さい」


明主様御垂示
「出してもよい。しゃべり方と相手による。」




明主様御垂示 「機関誌を掲示してよい」 (昭和24年5月3日)

信者の質問
「光新聞を教導所の外に掲示して一般の人々に宣伝のために見せてもよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「これは結構ですね、大いにやったがいいですよ。」




明主様御垂示 「米国へ御神書送る事」 (昭和24年12月3日)

信者の質問
「先日米国カリフォルニヤにいる姉よりの通信によりますと、目下彼地におきましても観音教の事が非常な話題になっている由で御座います故、

光新聞、叢書等、送付致そうと存じおりますが宜しゅう御座いましょうか。お伺い致します。」


明主様御垂示
「結構だ。これも時期である。」




明主様御垂示 「御論文切抜き配布」 (昭和24年10月6日)

信者の質問
「光新聞その他諸御論文の配布徹底に出来る限りの努力を尽くしておりますが、

更に近隣七個町村位へ一般に対する普及をと思いますが、少々負担が勝ちますので、

一方法と致しまして、諸御論文の一部を抜萃し謄写版で印刷したものを一般新聞に折込んで近隣町村に配布を致そうと思いますが、右方法の御許しが戴けるものでしょうか。」


明主様御垂示
「安っぽくなっていけない。歯医者やなどの広告みたいになる。」




明主様御垂示 「飾り窓に教団機関誌をかかげても効果はない」 (昭和26年7月8日)

信者の質問
「ショー・ウインドーに、「メシヤ教早わかり」新聞をかかげて、宣伝これつとめておりますが、効果がないのはなぜでしょうか。」


明主様御垂示
「飾り窓は商品を陳列する所で、目的が違うからである。」