離信について
明主様御垂示 「離信の人をいかにすべきか」 (昭和24年9月5日)
信者の質問
「浄化療法時代にお守を頂き、その当時大分熱心に努力なさったと聞きましたが、こういう人が沢山いるようです。
宗教になってから例祭の度毎に案内書を差し上げますが出て参りませんが、このままにして時期の来る迄置くべきでしょうか。
以前にお道のためにお働きなさった人なら目覚める迄こちらから積極的に近づくべきでしょうか。
どの方法を取るべきかを御教示御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「捨てておくのは勿体ない。」
明主様御垂示 「離信の人は引っ張るな」
信者の質問
「教修を受けっ放しでその後連絡を断った人は教導所の方から積極的に引張ってやった方がよろしいでしょうか。本人の意志に任せた方がよろしいでしょうか。」
明主様御垂示
「引っ張ってはいけない。
いろいろの関係や神様の御都合でそうなっているのがいる。
順序のため遅れているのである。
俳優が役でない時に出ると、芝居を壊すようなものである。
永遠に救わるべき所であるから、先で頭を下げてくるのが本当である。」
明主様御垂示 「布教の時期が早すぎたため信者に信仰が根付かなかった事例」 (昭和27年3月10日発行)
信者の質問
「木曽川の上流の犬川に、海軍出の者で以前御用をさせていただいたことがあり、今は解らなくなった者がおります。
父親は六十くらいですが、家に蛇を飼ってあり、二十数年前から、屋敷の青大将に肉を与え、その人が声をかけると出てき、毎日二百匁くらいの生肉を与えております。
留守のときには、ここに置いておけと教えてやって置きますと、その肉がなくなっております。
蛇はそうとうに長いのではないかと思われます。
そのじいさんの言うことは蛇はいろんなことを聞き別けます。
その附近にイカルカ池というのがあり、その附近の信徒は全部中絶しております。
また、キフネのカガミガ原のオカスの池というのがあり、その附近の信徒もほとんどおかしくなっております。
そういう池に龍神の伝説か・・・メシヤ教の信仰する人の邪魔するのは、何かあるのではないかと思われますが、祝詞を奏上させていただきまして・・・」
明主様御垂示
「そんな必要はないですよ。時期が早いんですよ。つまり早過ぎたんです・・・開いたのがね。」
信者の質問
「池には、そういうことがございますのでしょうか」
明主様御垂示
「ありますよ。」
明主様御垂示 「離信が多く発展しない理由」 (昭和24年11月15日)
信者の質問
「私の分会は福井市が中心になりますので、福井市を重点に分会長以下開拓に努めておりますが思うように発展致しません。
少数の入信者はありますが、初めは熱心であっても段々遠くなり「古きが消え新しきを生む」事を繰り返し、結局発展致しません。いかなる理由でしょうか。
これは私共の誠の不足からか、または土地の因縁によるのでしょうか。
先日、分会長は氏神様に参拝祝詞を奏上し、本教発展を祈りましたが、今後はいかにしたらよいでしょうか。御教示願い上げます。」
明主様御垂示
「信者を獲得出来ても離れるのは、一番の原因は土地にある。
真宗の勢いの強い所で、何百年の歴史を持ち、根強く入っているから、一朝一夕には転換出来ぬ。これでいい。
種を播くのであるから、いつか実る。
人間の眼には発展せぬ所もある時期へゆくとパッと発展する。芽が表われるのである。
であるから、そういう事は気にせずコツコツやってゆく。
神様には順序があって、種を播く所、育てる所、刈り入れる所といろいろある。気をもむ必要はない。
(新聞の妨害の事など、神様に聞くと・・・。
神様は絶対力があるとすれば、そういうのをちょっとつまむのは訳はないのに悪口などをやってるのは、発展し過ぎると外に準備が出来ぬからであると・・・)
すべて発展するものと衰えるものとある。
(昔相場を研究したが、その結果「上げる時はパッと上り、下る時はジリジリ」これは上げ相場で、「ジリジリ上りパッと下る」のは下げ相場である。
即ち上げる時には勢いがあり、下る時には上げる力がないのである。
事業でも宗教でも同じ理屈である。
本教も税金問題で暴騰した訳だ)」