布教について その他
明主様御垂示 「布教についても相手の心の急所をつけ」 (昭和24年12月)
信者の質問
「私は入信以来一心にこのお道を人にすすめておりますが、いま少しのところでどうもはかばかしくまいりません。これはいかなる因縁でしょうか。」
明主様御垂示
「これは焦らないことですよ。
この人はまだ入信して間がないようですから、まだまだ人を信仰に入れるだけの力がないんですよ。
だんだん年限が経ってくるとコツを覚えてくるんです。
最初のうちはむやみにやりますがそう効果はありませんよ。
ところが甲羅を経てくると狙い打ちをするようになるんです。
ちょっと話してみてその人が耳を傾けるようだったらさらに突っ込んで話をするし、先方にそれほど気がないようだったら話をやめる、
そういうふうにすると無駄がなくなり効果があるんですよ。
そして話をするにしても、先方の心が動くような話と、心が動かない話とありますからね。
経験を積むとその急所が判ってきて、ちょっと急所を衝くだけでいいようになるんです。
それから、先方が字の読める人ならこの道の本を貸して読ませるとかね、とにかく一つのコツが判ってくるんです。
そうなるとスラスラおもしろいように信者ができるんです。
この人もまだ新しいんだから、焦らずにいま言ったようなことを注意してやってくことですね。」
明主様御垂示 「布教も急所をつけ」 (昭和24年2月14日)
信者の質問
「人をなかなか導けないのは導く人の四魂の働きが鈍いためでしょうか。
それだけの因縁なのでしょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「人を導けぬのは両方である。因縁とまた導き方の悪い場合もある。(分らない場合もある)
話は下手でも、誠であれば向うへ通ずる。喋り方はまずくてもよい。
こちらの想念や気持が動かすのである。
また、相手によって違う。同じように持って行くのは違う。
菓子の好きなものには菓子を、酒の好きなものには酒をやる。
相手の気持を察するのである。
やはり智慧が働かなくてはいけない。
浄霊でも、急所を外れるようなものである。」
明主様御垂示 「布教も進歩向上を心がける」
「人により発展するのと発展しないのとある。
一番判り易い簡単な事は、商売をおやりになっている頃アメリカのやり方を研究された。
その中で鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが、人間は商売する時、一日々々前日より進んでいなくてはならぬ、と言った。フォードもそうである。
前月よりいくらか殖え、やり方が幾分でも進んでいなくてはいけない、(一月々々毎)と言った。
このやり方は良いと思った。
今日宗教になってもこれは始終頭から離れぬ。
先月よりどこか進歩していなくてはならぬ。
今迄より余計進んでいる。考えが進んでいるとか、全体を総合して進歩発展している、でなければ満足出来ぬ感じである。
先月より一人でも信者が多い、どこか進歩していなければならぬ。
その場合マイナスではいけない。これが即ち大自然の姿である。
世界の人口はいくらか殖え、世界のどこかが必ず良くなっている。文化の大清算があっても、善い物は残る。
自分の支部など、いくらか信者が殖えるとか、御神書で頭が進むとか、余計に物を識るとかしていなくてはいけない。
罪を重ねると案外大きいものになる。
何事でも進歩的でなくてはいけない。退歩も停滞もいけない。進歩向上は真理で、これだけは忘れられぬ。
これこそ、その人が偉くも幸福にもなる本で、これが処世の指針である。」
明主様御垂示 「布教発展に一番効果のある事は思う事」
「こういう事は誰しもある。どっちか決めてはいけない。
人間の力を頼り、神様を忘れがちでもいけない。
人間の力も最高度に発揮し、それ以上は神様に渡す。
少しずつでも出来るよう心掛けるのが修行である。
自分の所は発展しない。いろいろ欲求がある。
一番効果のある事は思う事である。
大きくなろうとか思う事で、思っても行ないが伴わなかったり、思い方が足りなかったりすると出来ない。
カーネギー曰く「成功とは成功せんと思う心そのものなり」と言った。
信仰も強く思う、それが一番いい。」
明主様御垂示 「御礼を高くするほど人が大勢やって来た」 (昭和24年7月23日)
信者の質問
「経済的に不遇な方が、さらに病気などの御浄化をいただいております場合、その人が一日も早く健康にさせていただけますように・・・との気持ちから、
その人には話さずに(従って御玉串もお上げすることなしに)教導師が神様に御守護をお願いいたすことはよろしいでしょうか。」
明主様御垂示
「これはね、なかなか厄介なんですよ。
できるだけ御礼をやすくしてやるとか、場合によっては貧乏人にはただでしてやるといったふうに社会事業的にするのは一応もっともなことですがね、
しかし、これはたいへんな間違いなんですよ。
いままでのたいした御利益のない宗教ならいいが、
このすばらしい神様には感謝するのがあたりまえですよ。
以前、私がやっていた時分、ある細君でとても熱心でしたが、ある人がやってもらった御礼を置いてったら多すぎるからって返した人がありましたがね、これはたいへんな間違いですよ。
いくら一生懸命でも根本が違ってますからね。
その細君は震災のとき水に溺れて死んでしまいましたがね。・・・
ですからちょっとここの考え方が難しいんですよ。
不思議なことにはね、私がしていたとき御礼を高くするほど人が大勢やって来たもんですよ。・・・
まったく、これで救われた感謝は金には替えられませんからね。
先にもね、どれくらい御礼したらいいかっていう人があるんで、ありがたいと思う気持ちだけでいい、本当に御礼するとしたらたいへんだから、(笑声)
その時分で、まあ、十万円くらいはしなけりゃならない、(笑声)
だからあんたのできるだけでいいって言ったんです。・・・
実際、価値には替えられませんからね。
いままでのは、まあ一銭上げて家内安穏、商売繁昌、無病息災、なんて願ったもんでしたがね。(笑声)
だから、そういった意味でただでやってやるのはいけません。
その人が罪をきてしまうんです。
神様から御利益をいただいてるのに御礼をしないってのは罪ですからね。
だから治ってから御礼するのは嘘で、治る前に御礼・・・お願いをするのが本当ですよ。
なぜなら、治ってから御礼をするんでは神様を雇ってることになる。
ちょうど人を雇って、これだけ働いたからこれだけ御礼するっていうのと同じですからね。
これじゃ人間のほうが上になって神様は下になってしまうんです。
だから、そのやってもらう前に誠を捧げて神様にお願いすべきなんです。
まあ、こんなことはいまの人にはちょっと納得できないかもしれませんがね。
いままでのは御礼を上げても死んでしまったことが多いんですが、
しかしこれは神様が悪いんじゃなくて、取り次ぎをする人が悪いんです。
悪意でやったんじゃなくても結果的に悪くなってしまうんですがね。
まあ、根本はこうなんですから、この根本を知ってあとは臨機応変にやったらいいんです。」
明主様御垂示 「明主様の御書をたくさんかけた布教所は発展」 (昭和23年6月28日)
信者の質問
「山口県長門三隅(萩から約一時間、古戦場)長崎県五島(墓を粗末にしている傾向あり)右二カ所は極端に霊憑りの患者が多いのですが・・・」
明主様御垂示
「ほう、そうですか。動物霊ですね。
それはそこの霊界が曇っているから動物霊が働くのです。
やはりその土地の神様の位が低く力が弱いのです。」
信者の質問
「御軸や御額をお祀りいたしたらいかがでしょう。」
明主様御垂示
「ああ勿論結構です。
以前治療所と言っていた時分、額をたくさんかけた所は発展しましたよ。
最初から一番たくさんかけたのは渋井です。
私もその発展ぶりにはびっくりしました。
御額はたたんで三宝にのせてたって駄目です。
ちゃんと展げてかけねば。」
信者の質問
「ちょっと家の事情、例えば金がなくて表装できぬという場合は・・・」
明主様御垂示
「そんなことはないですよ。
表具屋へやれば必ず金が入ってきますよ。
借金をしてもいいから表具屋へ持って行くことです。」
明主様御垂示 「強圧的な態度で布教してはならない」 (昭和24年6月28日)
信者の質問
「私は三年前入信し、布教に協力させて頂いております。
今日迄入信者も数々お導きさせて頂きましたが、未だ心から喜んで下さる方も御座居ません。
先生にお伺い致しましたら、それは治し過ぎるからだと申されました。
なお私は一旦嫁いで離婚、実家へ一度帰り、現在春陽会教導所にてお手伝いさせて頂いております。
私として現在及び今後いかにしたらよろしいでしょうか。お伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「治し過ぎる事は絶対にない。治し過ぎる人があれば大先生より上である。治し過ぎないのである。
治れば必ず入信する。
治らぬのに治ったようにお世辞を言う。
教師の方に何か間違った点がある。
教導師でしつっこいのや強圧的なのがある。
それでいい加減に断るために「よくなった」と言う事がある。
正直ありのままに言えるようにすべきである。
あんまり気をもまずお任せする方がよい。」
明主様御垂示 「布教が発展しない理由 虚言・怠慢」 (昭和23年9月26日)
布教の予定を作るのは地獄
「教導師でも嘘を吐くのは発展しない。
何にもしない事は怠けの罪になる事を知らない。
仕事が済んでの休養はよい。
頭があり、手があり、足がある以上、使う程よい。
頭を使うと健康になり、長生きする。使うほど発達する。頭のわるいのは使わない点もある。
予定を作ってその通りやらぬと恐怖感のごときものを覚える。
これは一つの地獄である。」
明主様御垂示 「一喜一憂 (神にもあり)」
信者の質問
「一喜一憂は、信心の世界にはないはずですが、発展する時は気分が浮き浮きし、発展が止まっている時は気が沈むのは、副霊の働きでしょうか。」
明主様御垂示
「一喜一憂のあるのが当り前である。ないなら木石同様である。感情のあるのが本当である。神様とて一喜一憂はある。
副霊のみではない。
良いとか悪いという訳にはゆかぬ。
私などは極端な心配はしない。
前途は長いから自分で調節する。
大きく悲しむのを、ある範囲に止めておく。」
明主様御垂示 「馬乗山観音様の協力願うことの要否」 (昭和24年10月28日)
信者の質問
「五六七教に入信まで備後国馬乗山観音様の御守護を頂いておりました。
今度備後地方の本教信者と共に前記観音様に御協力を願いに御詣りを致したいと思いますが、良い事でございましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「悪くもないが無駄である。本家が判ったのであるから、出店は不用である。」
明主様御垂示 「布教中のみの便秘」 (昭和24年6月7日)
信者の質問
「私は半年前より岡山県和気郡片上町の方へ布教に従事しておりますが、二ケ月前より、便通が岡山の方では四、五日通じず、私宅へ帰ると毎日お通じがありますが、何か訳がありましょうか。お尋ね致します。」
明主様御垂示
「良い方へ解釈すべきである。反って御守護である。
正守護神がやっている。
私など便秘しようとしている。」
明主様御垂示 「憑霊者を連れ歩くことの是非」 (昭和24年9月5日)
信者の質問
「三年前に入信いたしまして、私の家にいる婦人ですが、最近、霊が度々憑依するようになりまして、私の先祖も観音様に救われ、有難いと御礼に出て参りました。
他家へ光明如来様の御祭りに一緒に連れて行きますと、その家の先祖、無縁、今まで祭ってある神様などが憑依して、観音様を主にするようにと、その家の人達の間違いを言ったり致しますが、この後、連れて歩いて差支えないものでしょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「何か訳がある。必ず何か役に立つ事があろう。」
明主様御垂示 「家族連れの布教に戒告」 (昭和24年1月28日)
信者の質問
「去る一月二十二日、夫婦にて子供を連れ布教に行き、帰りに生後一年八カ月の子供が発熱し、電車中にて御浄霊をさせて頂きながら参りました。
子供は非常にむづかりましたが、空家の話がありましたので出掛けたついでにと見て参り、
途中にてヒキツケ、顔面が黒々となり、直に道路に下して大先生に御守護を念じつつ御浄霊させて頂き、
T先生へ早速連絡致し、支部を通じて御守護のお願いを申し上げました。
お蔭にて八時頃意識回復、帰宅致す事が出来ました。
その後軽い痙攣があり、翌二十三日支部長先生のお出でを頂いて御浄霊を頂きました。
まだ「とと」(魚のこと)「アーチャン」だけしか言えない子供が、前額部へ御浄霊を行いますと「痛い痛い、いや」と言って逃げます。
一日に尿は三回、下痢は二回位でございましたが、昨日あたりから大分回数も増えて参りました。
御守護を頂きだんだん良くして頂いておりますが、何か霊的のように思われますが、何卒宜敷く御守護の程お願い申し上げます。」
明主様御垂示
「布教は一人で行くべきものである。
祖霊が怒って戒めたものである。
妻や子供を連れるのは御用がついでになる。
用向きが主になる。」
明主様御垂示 「布教師の医師との同居の是非」
信者の質問
「去る二月十四日入信致しました内科医師SK氏(三十六歳)より、布教上同居なされてはとの話がございました。
現在私はM教会の自宅より出張させて頂いておりますが、ただ今のところ自宅方面には信者患者共になく、平塚方面より横浜方面にかけて布教させて頂いております関係上、不便を感じております。
この場合医師の申し出を受けましても宜しゅうございましょうか。御伺い申し上げます。
なお、医者の自宅は大船町でございまして、夫人(三十三歳)は約一年前より肺結核にて休んでおり、主人(医者)は殆ど全快不可能と見ており、去る二月初旬より御浄霊させて頂いております。
なお、医師は夫人及びその他の人達の御浄霊をさせて戴いております。」
明主様御垂示
「同居したいならそうすればよい。後は神様にお任せする。」
明主様御垂示 「他力本願信仰者に対する本教説明」 (昭和24年6月8日)
信者の質問
「仏教の他力本願を信仰する人は、本教に入信し現世の御利益を得る事は未来において救済されざるごとく考えていられるため、
目の前に御利益を拝しながらも右の点を懸念される人が随分あります。
布教に当りましていかに説明したら宜敷いでしょうか。御教示下さい。」
明主様御垂示
「他力本願の人は反って分る訳である。寧ろ自力の方が分り難い。
現当利益を与える力がないために利益は低級のような理論を作った。
他宗教には力がない。神仏に意気地がないのである。」
明主様御垂示 「日蓮信者の導きの是非」 (昭和23年)
信者の質問
「日蓮宗狂信者をこの御教えに導きますにはいかが致しましたらよろしゅう御座いますか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「時節を待った方がよい。ちょっと話してみて、耳を傾けるようなら話してもよい。」
明主様御垂示 「キリスト教徒の入信も差し支えない」 (昭和27年7月1日)
信者の質問
「キリスト教徒の人が御守、御神体をいただきたいと言いますが、差し支えございませんので・・・」
明主様御垂示
「良いですよ。キリストだってこっちの部下です。」
明主様御講話 「一人の人を救うとその系統の人がたくさん救われる」 (昭和26年10月1日)
「その人を救うと、その系統の人の数が、ずっと多くなって救われる。
その次に、その又一人一人が救われる。そう言う風に世界は出来ている。」
明主様御垂示 「今救われている人は何万人の代表者」 (昭和24年9月7日)
一人だけ救うのも大変な手柄
信者の質問
「私は終戦当時西部ニューギニアで祖国を偲ぶ頃、ある外人の言葉に「日本人は近日中に帰国するが三十五年経ったらまたこの地に来る。その時は世界平和時である」との言葉でしたが、何事か察する事も出来ませんでしたが、
ただ今私は教団の人となり、地上天国建設には日本人が第一人者であると思います。
私としての務めはいかに進めば理想でしょうか。お尋ね申し上げます。」
明主様御垂示
「第一人者と思うのはいいが言ってはいけない。
一人でも多く救う。
今救われている人は何万人の代表者である。
それが分れ何億か分れた種を救う。
すると枝全部が救われる事になる。
であるから一人だけ救うのも大変な手柄になる。」
明主様御垂示 「死んだ霊が霊界で働く」 (昭和24年2月18日)
信者の質問
「御浄霊していて死亡した場合、一時発展の妨げになりますが、これはいかがいたすべきでしょうか。」
明主様御垂示
「これはうっちゃらかしておけばいいんです。
死んだ霊が霊界で働いてくれますから。
自分が死んだため迷惑をかけたのを取り戻そうとして大いに働いてくれますからね。」