布教の成績が上がらない場合について


明主様御垂示 「布教緒につかず」

「焦らぬ事。未だ未だ信仰へ入れるだけの力がない。段々コツを覚える。」




明主様御垂示 「なかなか入信せしめ得ず」 (昭和24年5月16日)

信者の質問
「私は今回(四月九日)大光明如来をお受けさせていただきました。

その後専念観音様の事を人に話して入信を勧めておりますが、今少しのところで思うにまかせず、はかばかしく入信致しません。

どう致したら宜しいでしょうか。」


明主様御垂示
「焦らぬ事である。まだまだ信仰へ入れるだけの力がない。段々コツを覚える。」




明主様御垂示 「布教が暇な時には拝読すべき」

信者の質問
「千葉県佐原町の信者HM(男性)の家に光明様を御祀りさせて頂き、

本人は会社に勤務のかたわら御浄霊させて頂いておりました当時は患者も有り、教修者も出来ましたが、

このたび会社を退き、専心御奉仕させて頂きたいと決心して三月二十三日に職を退きました。

ところがこれと時を同じゅうして患者がピッタリ、一人も来ません。

不思議に思っているある夜本人並びにその妻が夢を見ました。」


明主様御垂示
「何か暇なのは、大抵御本を読めという事である。」




明主様御垂示 「布教の不振な人は御神書を拝読すべき」 (昭和24年2月28日)

信者の質問
「一人でも多くの人を救おうと悩むことはいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「教導所などが不振なのは、なにか神様のお気に入らぬ点があるんだから、それを見つけることです。

「信仰雑話」をよく読めば判ります。

あれは標準を教えてあるんだから。

「信仰雑話」は何回でも読まなければいけません。

よくあの中に出ているようなことが質問に出ますが、これはよく読んでない証拠です。」




明主様御垂示 「布教の発展しない専従者は御神書をうんと拝読すべき」 (昭和26年11月5日)

信者の質問
「お道に入り、結構なことだから、これを専門にやって行きたいと言って、専門にやらしていただいても、なかなか・・・

二年になり三年になっても、食べて行けなくなるようなことがちょいちょいありますが、曇りが多いためでございましょうか」

明主様御垂示
「曇りが多いか、どこかに信仰がはずれているか、両方ですね。

やっぱり、軌道に乗ってないんですね。軌道に乗れば良くいく。」


信者の質問
「自分にはその資格がないのかと思うのでございます」

明主様御垂示
「そんなことはない。

人間で、資格がないということは絶対にない。はずれているんです。

うんと御神書を読むんですね。

これはだね。病気が治りさえしていれば、すがってくる人が多くて困るくらいのものですよ。

そうしてお蔭をいただけば、お礼をしなければならないしね。」




明主様御垂示 「布教が発展しないときには御神書をよく拝読して霊を向上させる」 (昭和24年6月27日)

「信仰に入れるにも順序があって、この人を入れてからこの人を入れる・・・その順序を無視してはいけない。

人間は順序をよく間違える。

人間の眼で考えては、その第三の人を入れた方がよいように思うのである。

すべて時期と順序がある。ブツかって来るものは神様が命ぜられたのだからやればよい。

その人に大勢の人を救うだけの資格がないと、いくら焦っても神様は仕事を与えられぬ。

その人相当の力が出て来ると、祖霊が神様の御許しを得、または御命を受けて働く。そこで効果があるのである。

結局は自分である。自分の力をつける事である。

開けぬ時は御本をよく読み、霊を向上さす事である。

決して相手が悪いのでない。

(金光教はそれが極端で、最初二年間位ブラブラ遊んでいて漸く一人出来たなどという。大本教はそうでもないが、天理教は引張るのが好きである)」




明主様御垂示 「布教気に向かぬ時 (焦り苦しみは反神意)」 (昭和24年7月15日)

信者の質問
「教修を受けて二ケ年になる教導師で御座いますが、開発に参っております時、一時的に成績が挙らず、自己の気持も余り開発に出る気になれない時は出ないで時期を待っていますが、精神的に種々苦しみます。

こんな時はやはり開発に努力した方がよろしいでしょうか。

またその場合いかなる心構えであるべきでしょうか。御教示下さい。」


明主様御垂示
「(気の向かぬ時は出ぬ方がよい。その人の霊的資格がないから神様が使わぬのである。それだけその人に力が出ていない)

焦ったり精神的に苦しむのは御神意に反する。

力が出来れば神様が使う。それには向上しなくてはならぬ。

それには一人でも多く浄霊して、霊力をつけ御著書を読む。

また、質疑する。誠で、智慧を磨く。

向上心は尊いものである。」