布教と時期について


明主様御講話 「布教の発展も時期を待て」 (昭和26年10月5日)

「それから、良い考えが浮んで来ないときは、決してやってはいけない。

時期が来ないからね。

その代わり良い考えが出たら、神様がしろと言うんだから、やると良い。

そこのところは、ちょっと言うに言われないおもしろいところですね。

だから、ゆっくりするような、非常に急ぐような、ちょっとー普通の世間的のやり方と、非常に違います。

私などは、非常に仕事が早いですね。

用はいくらでもありますが、そうかと言って、少しもせかせかしないですね。

ずいぶんゆっくりしていることもありますからね。


だから、自分なら自分、中教会なら中教会で、予定のようにいかなかったり、思うようにいかなかったりするときは、決して悲観しないで、

時期の関係で、神様の考えだからね。

そうかと言うと、どんどん発展する。

この分では、どんなになるだろうと思っていると、ぱっと止まる。

それで良いんです。

それで、一年前、二年前に較べるとウンと発展している。

それでも、発展しないと言うのは、横道に入っている。軌道に乗っていない。

神様にお願いして、それに気がつくと良い。

暇なときにーこういうときは本を読めということに違いないと、御神書を読むんです。

これはなんとも言えないところですね。」




明主様御垂示 「布教所の不振の一番の理由は時期の未到来」 (昭和23年8月28日)

信者の質問
「「果報は寝て待て」とのありがたいお言葉をいただいておりますが、難関にぶつかったときいかに考えたらよいでしょうか。

(イ)最善の努力が払われなかったか。(ロ)神様が止め給うたのか。(ハ)邪神が邪魔しているのか。(ニ)時期でないのか。」

明主様御垂示
「「果報は寝て待て」とは寝て待つほどにゆったりすることです。

果報を追いかけてはいけない、来るのを待つということです。この(イ)から(ニ)まではみんな合ってますが、最善の努力とはどの程度か分からない。

これは智慧です。だから智慧の足らなかったことが多いのです。」


信者の質問
「例えば弟子の教導所が不振であるというふうなことは・・・」

明主様御垂示
「私だって昔はそうだったんです。いくら待ってもお客さんが来ない。

いろいろ考えたが一番は時機が来ないこと、それから誠、智慧が足らないことなどいろいろあります。

これは自分で悟ることです。私は人にあまり言わずほおっておく。それでその人は本当に悟るんです。・・・

邪神の邪魔は始終あります。それは隙があるから邪神が打ち込んでくるんです。

その他あるいはなにか原因・・・罪があるからです。

人に騙されたとよく言うがそれはその人に騙されるだけの資格があるからです。

だから人を怨まず自分のことをよく考え反省することです。

いま世の中には強盗や不良が多いが、それは人民全部が腐っているからです。

物が腐ればウジが湧くのと同様です。

みんなが正しい心になれば悪い気分が起らなくなる。

いっさいは相応の理であって、すべて相応するのです。

いままではいっぽうばかり見て批判していた。

共産主義者は自分が怠けていて食えないくせに社会が悪いから食えないなどという。

一生懸命やって、食えないとか困ることなんかはないんです。

いつの世でも中には他人が成功するとその頭を抑えることばかりする人もあります。」




明主様御垂示 「布教も時期が来ないと結果が出ない」

信者の質問
「観音様の有難い事を知らせる最も良い方法・・・」


明主様御垂示
「皆やっている事でいい。

早く知らせようと焦るのはいけない。

浄霊、宣伝は観音様が道具に使っているのであるから、道具という観念を持っていなくてはならぬ。

智慧も磨き・・・。

自分がやるような気持に偏るのはいけない。

ただ「最善を尽す」べきで、結果を顧慮する要はない。

資格がない時、時期の来ない時は観音様は捨てておく。

だから、「出来るだけ努力してお任せする」のがいい。

結果はすぐに表われない。

経路を経て表われる事がある。

随分無駄したようで、無駄でない。

必ず芽の出る事がある。種播いて早い遅いはある。あまり気をもまぬ方がよい。」




明主様御垂示 「布教も時期を掴め」 (昭和24年6月27日)

信者の質問
「時期を待てと教えて戴きましたが、自己の経験上の事だけならそれと知り得ましても、特に布教に関した事になりますと、時期いかんが判りません。

勿論その人その人によって相違のあることは申す迄もありませんが、結局は浄まり方いかんが時期を知る、知らぬということになりましょうか。

夜昼転換の重大時に際会して、知ると、知らざる結果はその人の運命に迄及ぼすとしたら、疎かに出来ない問題であります。

神の仕組とのみ解して、平然たり得ないという事も考えられます。

この問題に付きまして具体的に御教示下さい。」


明主様御垂示
「この人の考え方は時期を待たぬからである。機が熟していない。

すべての事情はそういう風になっている。

例えば、去年税金問題で本教は急に世の中へ知れた。そして世は注目し始めた。

それで税金以外の運動など書きたてた。

そこでこちらは今迄考えていた事をドシドシ始めた。

即ち新聞、雑誌、単行本を出し、表面的に宣伝を始めた次第である。

それが風雲に乗るとか時期を掴むとかいう事になるのである。


個人としても、入信させようとしたり、また自分の仕事をやめ大いに救いの道一方にしようかと思って迷う。

その中時期が来るとあらゆる事情がそうしなければならぬ事になる。

(そこで転進すればよい)

(私など、先に実業をやったが、無理にすると面白くない・・・うまくゆかぬ。

その時分から時期を待つ事を知っていた。

その中俗世界を捨てて神業一方にせざるを得なくなったのである)

無理をしてはいけない。

反対などあっても、時期さえ待てば神様が良い具合にして下さる。

何かやろうとして故障が起る。するとよしてしまう。

(この土地を手に入れる時など、欲しくて仕様がなかったが先方は売らなかった。二、三年待っていたら先方から売りたいと言って来た)


信仰に入れるにも順序があって、この人を入れてからこの人を入れる・・・その順序を無視してはいけない。

人間は順序をよく間違える。

人間の眼で考えては、その第三の人を入れた方がよいように思うのである。

すべて時期と順序がある。ブツかって来るものは神様が命ぜられたのだからやればよい。

その人に大勢の人を救うだけの資格がないと、いくら焦っても神様は仕事を与えられぬ。

その人相当の力が出て来ると、祖霊が神様の御許しを得、または御命を受けて働く。そこで効果があるのである。

結局は自分である。自分の力をつける事である。

開けぬ時は御本をよく読み、霊を向上さす事である。

決して相手が悪いのでない。

(金光教はそれが極端で、最初二年間位ブラブラ遊んでいて漸く一人出来たなどという。大本教はそうでもないが、天理教は引張るのが好きである)」




明主様御垂示 「布教の発展と時期」 (昭和24年5月23日)

信者の質問
「教導所の近隣の人達は、個人的には親密さと尊敬を以て私達に応接しておりますが、

御道に入信してくる人が殆どないのは何か原因がありましょうか。」


明主様御垂示
「時期が至らないからである。」




明主様御垂示 「布教の発展と時期」 (昭和23年7月8日)

信者の質問
「伊東の町は漁師が大半を占め、いろいろな信仰をしておりますが、このお道はなかなか信じません。いかがいたしたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「これは神様にお任せしたらよろしい。ある時期が来れば開けてきますよ。」




明主様御垂示 「布教の発展と時期」 (昭和24年7月16日)

信者の質問
「教導所を中心としてある程度布教されますと、大体入信者と反対者とに別れてそれ以上あまり発展出来ない場合が度々見受けられますが、このような時にはいかにしたら宜しいでしょうか。」


明主様御垂示
「時期が早い土地へ種を蒔いたのであるから、気長に放ったらかせばよい。

ある時期へ行くと燃え上る。」




明主様御垂示 「布教の時期が早すぎたため信者に信仰が根付かなかった事例」 (昭和27年3月10日発行)

信者の質問
「木曽川の上流の犬川に、海軍出の者で以前御用をさせていただいたことがあり、今は解らなくなった者がおります。

父親は六十くらいですが、家に蛇を飼ってあり、二十数年前から、屋敷の青大将に肉を与え、その人が声をかけると出てき、毎日二百匁くらいの生肉を与えております。

留守のときには、ここに置いておけと教えてやって置きますと、その肉がなくなっております。

蛇はそうとうに長いのではないかと思われます。

そのじいさんの言うことは蛇はいろんなことを聞き別けます。

その附近にイカルカ池というのがあり、その附近の信徒は全部中絶しております。

また、キフネのカガミガ原のオカスの池というのがあり、その附近の信徒もほとんどおかしくなっております。

そういう池に龍神の伝説か・・・メシヤ教の信仰する人の邪魔するのは、何かあるのではないかと思われますが、祝詞を奏上させていただきまして・・・」

明主様御垂示
「そんな必要はないですよ。時期が早いんですよ。つまり早過ぎたんです・・・開いたのがね。」


信者の質問
「池には、そういうことがございますのでしょうか」

明主様御垂示
「ありますよ。」




明主様御垂示 「準備がないのにドシドシ入信させても仕様がない」 (昭和23年)

信者の質問
「御観音様の有難い御話が判りにくいのは、魂が新しいためと邪霊による時とが御座いましょうか。その見分け方につきまして御垂示を御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「これは分り難い事はないと思う。いろんな理由がある。そう信じては困る。

こっちに準備がなくてはドシドシ入信させても仕様がない。

宣伝しなくてもドシドシ殖えるのに、宣伝したら大変である。

観音様は好い具合にしておられる。

殖えるのと収容力とを睨み合せて観音様がやっている。

どうせ篩(ふるい)にかけるので篩の目から漏れるものは沢山ある。

その人に種を蒔くようなもので、一時判らなくても後で気のつく人もある。

人により、時期の来ぬ人や後れている人もある。

それは飛びつくように入ったり、急速に判ってくるという具合である。

焦ってはいけず怠けてもいけない。

また、その人に対し候補者を向ける時も、その人に資格がないとその人を信仰に導く事は出来ない。

信仰として形態をなしたのは今年からである。

諸子とてもどんな質問にも明快な答の出来るのは無理である。それ等が段々調ってくる。

あらゆる方面に意外な所から話がある。

今いろんな話があるが、止めるようにしている。

しっかりと固めつつ行かなくてはならぬ。

パッと拡げるだけではいけない。今迄の宗教のように・・・。」




明主様御垂示 「インテリを受け入れる準備はまだできていない」 (昭和26年10月5日)

信者の質問
「重要な人間が入ったら拡がるかと思っていると、そういきませんですね」


明主様御垂示
「そうはいきません。天理教で言っている、学者、金持ち後まわしというが、ああいうことはあります。

いずれインテリの信者がたくさんできますが、時期がありますからね。

霊界の中で浄化が強くなるから、つまり、理屈だけで、インテリは押していきますからね。

ところが浄化が強くなると、理屈では押していけなくなる。

実際的に悪くなるとね。

今までは医者が注射すると、たいていちょっとは良いが、いずれは注射するとすぐ死んじゃうというのがたくさんできてくる。

医者自身が、方法を講ずるのに怖くなってきますね。

それで、何とか方法はないかというような時代になってきます。それは楽なものです。

そうなるということは、こっちがそれだけの組織や準備がすっかりできていなければならない。

考えてみると、今、どんどんと救われたいという人ができたところで、受けきれないから駄目です。


だから私なんかでもずいぶんぼかしてますが、本当にメシヤ・・・キリストと言うと、世界中の人が寄ってきて仕事ができない。

「文明の創造」なんか書けない。だから、ちょうど良いように神様がやっている。

この次はこうなる。その次はこうなる・・・ということは、ちゃんと知らせますから、ちゃんと分かっている。

神様は、それはうまくやってます。

私はいまに世界的の論文を書いて、私はメシヤではない。

さらに、私の仕事を見て、世界を救うというメシヤだけの、実際の効果を見て・・・そうしたらメシヤにしても良いと書くつもりです。

メシヤだけの働きをすれば、メシヤと言っても良いが、最初から、俺はなんだかんだ。

と言ったところでしょうがないですからね。

和光同塵(わこうどうじん)といってね。うまいことをいったものです。大分近寄ってきたですね。

来年あたりから、かなり目覚ましいことになりますね。」