布教について 7 (地上天国建設を目標とせよ)


明主様御垂示 「布教も世界人類救済を目標とする」

信者の質問
「教導所の発展するのとしないのとの根本原因と、大いに発展して御奉仕の出来る道を御諭し下さい。」


明主様御垂示
「これはいろいろあるが、根本としては極く簡単なんで、その人の目的というか、心の持ち方というか、それが大きい方が発展する。

以前、冠句で「泡くって持ってるものを探してる」というのがあったが、正にそうである。

皆それぞれ持ってる心に原因がある。

治療時代に、私は、治療士(今の教導師)には治療屋と治療士とあって、治療をして安楽に食っていればいいというのは治療屋であり、大いに多くの人を助けなくてはならぬという愛の気持で従事するものを治療士といった。

世界人類を救わなくてはならぬという考えでやってる人は、その人の教導所はドンドン発展してゆくし、小成に安んずる人はいい加減な所で発展が止っている。

要するに世界人類を救うという気持の薄い人は発展が鈍い訳となる。

中にはそんな事は到底出来ないと思ってる人もある。

しかし、この教団は世界人類を救う力を持っているのである。

そして五六七の世は造らねばならぬし、また造り得る時期になっているし、また明主様(私)はそれを造るべき力を与えられている。

だから決してこれを危うんだり、心配する必要はないのである。

真理というものは、世界人類がみんな救われるものでなくては本当のものではないのである。

日本は忠君愛国思想のごときものを真理と思っていた時があったが、それは国家的利己主義で日本さえ良ければ他国はどうなってもよいという思想で、これじゃ神様が許される筈はない。

そういうやり方は一時的のものであって、永久的のものではない。小乗的である。

世界中の人が全部救われるというものでなくてはいけない。

でないと、虐げられた国民は皆怨む。世界的大きいものでなくてはいけない。」




明主様御垂示 「布教も地上天国建設を目標とすべき」 (昭和24年5月)

信者の質問
「立派な先生方が、他分会にて教修を戴かれた信徒さんが浄霊を受けに行くと自分の所で再教修を受けるように奨め、

また、あるいは再教修受けぬ者には浄霊をして戴けぬとか、

またどこどこの会にて教修を受けたお光様はお光が弱いとか申します由、

右のような事を言う方があるとすれば、本教布教の上に大変悪影響を及ぼしめはせぬもので御座いましょうか。

お互いに近くの教導所を紹介する位の心持を持つ事が宗教家として大切なことでは御座いませんでしょうか。」


明主様御垂示
「これは無論間違っている。

神様の方で好い具合にやられるから、心配する事はない。

ある時期へ行くと止めるか、やめさす。

原則としては嘘だが、こういう事もある。

ある教導所で教修を受けたのと、他の教導所で教修を受けた人と信仰が違う。

発展する位の教導所で受けた者は働きがあり、発展せぬ教導所で受けた者はそうでない。

しかしこれは本当は嘘である。

最初受けた教導所は因縁があるから続けなければならぬ。

そこの教導所で受けた人は、皆働きがあるように先生が考える。

自ら判るのはいいが、再講習しなくてはならぬ・・・というのは間違っている。

立派な教修生を作るようにする。

それには信仰を深める。熱心に種々な事を知る事で、それには出来るだけ御文章を読む事である。

「地獄のような世の中を天国にしなくてはならぬ」という熄(や)むに熄まれぬ熱が、大きくなくてはいけない。

それを痛切に意(おも)う。日本中を救う・・・位に思う。

小成に安んずるのが一番発展力がない。

「本当の誠」とは己を捨てても人を救う事で、「自分に力がない」と思う事が一番いけない。

大先生も、昔思えば、何にもない中から「人類を救おう」という気だった。

優越欲が強くなくてはいけない。

冠句でも三代目朝寝坊・・・となられた。何かやると一番になろうと思う。人のやらぬ事をやる。」




明主様御講話 「最後の目的は大光明世界」 (昭和10年10月11日)

「観音様をお祭りすると、どうしても病人がなくなる。

病人がなくなるから、病がなくなるわけであります。

で、医療士の方は、観音様をお祭りさせることが一番肝腎なんで、

も一つの意味は、本来観音力で病気を治すのは、病気を治すのが目的でない。

信者を増やすうえにおいてするので、病気の治ることを知らすのみでなく、観音力の偉大さを知らすんであります。

そして、観音信者を作ることが観音運動を拡げて行く、その最後の目的は大光明世界の建設で、そのための病気治しであります。

そういう目的ですれば、いくらでも病人が来る。

観音様が連れて来られる。

病気治しが主となると、病気も思うように治せず、病人も来なくなる。

大光明世界建設のために信者を作る。

そのために観音様を祭らす、祭らすうえにおいて観音力を知らす、観音力を知らすために病気を治すので、

それが病気治しが本位になると病気は治らなくなり、収入が少なくなる。

収入を得ることを本位とすると収入がなくなる。

そういうような大きな目的でなければならぬ。

観音様をお祭りして順調にゆくべきものが、ゆかなくなるのはどっか間違ったことをしているのですから、

よく考えると、必ずその点がありますから、そこを改良するとまたうまくゆく。

その故障のことも大きな見地からみればよく判る。

それがはっきりと気がついて判るようになった人が、身魂の磨けた人であります。」