布教について 6 (信仰の押し売りの禁止 2 家族の場合)
明主様御垂示 「入信希望なき者は放ったらかしておけ」 (昭和24年8月17日)
信者の質問
「私は昭和二十三年一月二十七日入信致しました。なお私の妻もその後入信させて頂きましたが、最近は一向に信仰心なく常に病苦に悩まされております。
私もいつでも御浄霊をさせて頂きたいと考えておりますが、本人が余りにも希望がないため、いかが致しましたらよいでしょうか。」
明主様御垂示
「希望がなければ放ったらかしておけばよい。
押さえつけると神様を冒涜する事になる。
こういうのは神様に背こうとする霊が憑いている。」
明主様御垂示 「無理な入信の勧めは神様を冒涜」 (昭和25年4月6日)
信者の質問
「私は昨年八月入信、私が熱心になるにつれ兄H(二十五歳)は私に物も言わなくなり、毎夜のごとく何物かにおびやかされているようです。
過日私宅の光明如来様の御霊魂祭にも、どうしても参拝してくれません。
兄との関係上父親も入信を迷いましたが、この度浄光を戴きます。
今後いかにすれば兄のひねくれたのが治りましょうか。」
明主様御垂示
「何にもせぬ方がよい。無理に勧めたりすると神を冒涜する事になる。奨めても応じないのは罰あたりである。」
明主様御垂示 「入信の押しつけは神様への冒涜」 (昭和26年11月11日)
明主様御垂示
「最初、講習ですか、した時に・・・無理に奨めたんでしょう。」
信者の発言
「A子(註 患者の娘)さんがお道にたずさわっており、いただけば良いということで・・・」
明主様御垂示
「本人の気持ちでないでしょう。無理は決していけないですね。
無理に押しつけたりするのは、なぜいけないかと言うと、神様を冒涜することになる。
神様は ・・・人間が、どうかお助けくださいというのが、本当で、それは神様の扱いですが、とにかく神様を侮辱することになる。
だからたいへんな御無礼になる。
これはA子さんが、よくお詫びするんです。
それで、もうできちゃったのはしようがないから、お詫びして、今後そういうことはないように。」
明主様御垂示 「無理に入信させるのは神様に対し非常な御無礼」 (昭和28年1月25日発行)
信者の質問
「私ども夫婦は、二十年より信仰に入れていただき、二十三年八月に光明如来様を御奉斎させていただき、
愚息(本年二十五歳)にも無理に入信させましたためか信仰心なく、私どもの意にも添わなくて困っておりました。
昨年十一月二十六日夜、金銭の問題から口論となり、あげくの果てに、恐れ多くも御神体に手を掛け、引き裂いてしまいました。
私どもの不行き届きから、かかる不祥事を引き起こしまして、まことに申し訳なく、なんとお詫び申し上げましたらよろしいものか、途方に暮れております。
謹みてここにお詫びとお許しをお願い申し上げ、破損しました光明如来様の御書はいかがいたしましたらよろしゅうございましょうか、伏してお詫びとともに御教示をお願い申し上げます。
なお一日も早くお詫びがかなって、再度御神体をお迎えさせていただけます日の、一日も早からんことを御祈願申上げます。」
明主様御垂示
「これはたいへんな間違いをしたのである。
というのは、御子息を無理に入信させたためである。
信仰心の湧かない者を無理に入信させるのは、尊い神様に対し非常な御無礼になるので、
神様は覚らせるために、御子息の手を通じて破られたのである。
いつも言う通り信仰には無理がもっともいけないのである。
しかしできたことは致し方ないから、よくお詫びをして焼き、新規にお受けすればそれでよろしいから、
あまり悔んだりしないで、今後注意すれば神様はお赦しになるので、あまり心配しないようになさい。」
明主様御垂示 「無理に教修を受けさせるのは神様に対する大変な御無礼」 (昭和25年4月23日)
信者の質問
「私は昭和二十三年七月入信、十二月御神体をいただきましたがいずれも妻の諒解を得ずにいたしました。
約十月ほど遅れて妻も入信いたしましたが翌日御守りを外し、間もなく私が本部に泊めていただいたことに腹を立て翌日御守りに御無礼いたしました。
私は驚いて、大先生様の御写真、御神体にお詫び申し上げました。これは私の罪でございます。どうぞお許しくださいませ。」
明主様御垂示
「これはお詫びですね。」
信者の説明
「それが、御光りを破いてしまったのでございます。」
明主様御垂示
「破いた? だれが? この細君がですか。」
信者の説明
「さようでございます。御光りを破いて丸め、焚付けにしようとしたそうでございます。」
明主様御垂示
「ほう・・・なにか他の信者なんですか。」
信者の説明
「以前他の宗教をやったことがあるようでございます。」
明主様御垂示
「御光りに御無礼したってのはそういうことですね。」
信者の発言
「さようでございます。」
明主様御垂示
「で、奥さんが教修受けてからですね。」
信者の説明
「はい、前の晩主人が外に泊まったので嫉妬もあったようでございます。どうもその細君には狐霊がついているようでした。」
明主様御垂示
「その御亭主は前になにか信仰してたんですか。」
信者の説明
「なにか稲荷を信仰しておったようでした。」
明主様御垂示
「ま、神懸りじゃしかたがない。しかし、改心しなけりゃいけませんね。
けど、こういうのは細君がよく判らないうちに無理に教修を受けさせたんじゃないですか?」
信者の説明
「そうらしゅうございます。」
明主様御垂示
「そうでしょう、それがいけない。
破いて丸めるのはあたりまえだ、むしろ丸めるほうが本当ですよ。
決して無理に教修を受けさせちゃいけない、命令的に信仰させるのは絶対いけない。
いくら妻でも子供でも押しつけるのは絶対にいけません。
信仰ってものはその人自身の心に湧き起ったものであるべきなんです。
どうしても教修受けたい、やむにやまれず御光りをいただきたいっていうんでなけりゃ、受けさせてはいけません。
お義理や命令で教修を受けるのは、神様に対してたいへんな御無礼ですよ。
そういう人が御守りをかけると御守りが穢れますよ。
そんなのは御守りを非常に安ッポク扱ってるんです。
神様を安ッポクしてますよ。御無礼もはなはだしい。
そういう者に御守りを与えるなんてとんでもないことです。
まあ、これはこのままにしといて、この細君がたいへん悪いことをしたと心から覚って、
どうしても信仰に入れていただきたいと気がつくまではそのままにしといていいです。・・・
これは重大なことですからね、ちょっとした考え方で非常に違ってきますから、ここんとこによく気をつけなくちゃいけません。
間違った考え方と言えば、この間もある人が火事に向かって浄霊したら、風向きが変わって大難が小難ですんでしまった。
ところがその人は「これは焼くべきものを焼かずにすましてしまうんだから悪いんじゃないか」って言ってましたが、そうじゃない、非常にいいことなんです。
つまり、それが神の慈悲なんですよ。悪人も助けなくちゃいけないんです。
火事が起ったっていうのはそこが穢れているからそれを浄化するために焼かれるんですが、浄霊すれば曇りが消えて難を小さくしていただけるんです。
不仕合せはこの浄霊によって消滅するんです。
なにごとでも、人間の苦しみを減らすことは神の慈悲なんですから、
よけいなことはなにも考えないで、無意識に、ただかわいそうだからやってやる、それでいい。
無意識でいいんです。それがやむにやまれぬ慈悲なんですよ。
そして、そうすることがまた、神様の御旨にかなうんですよ。」
明主様御垂示 「家族の入信は神様にお任せすべき」 (昭和23年夏)
信者の質問
「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世の因縁について・・・」
明主様御垂示
「これは昔封建時代、家来を殿様なり大将のため生命を捨てて働かす目的の下に非常に縁の深いような道徳を造った。
夫婦は二世というのは本当である。親子一世も本当で、厳密にいえば親子も二世である。
夫婦にしても、五人も六人も妻のある人もあるが、原則として最初のが本当である。因縁により、夫婦であったものは夫婦になる。
世が乱れ、邪神が活動するために、本当の夫婦でない事も種々ある。男女間の事は非常に神秘である。これは大乗で説かぬと分らぬ。
霊層界であまり遠いと夫婦になれぬ。夫婦同じ霊層界という事は、ミロクの世までは絶無とはいえぬが極く少ない。
今は大抵高さの相違がある。
分らぬ妻を、信仰の橋渡しするのは人間でいいが、信仰に入れるのは神様に任すべきで、努力すると反って逆効果になる。
無理や焦りはいけない。」
明主様御垂示 「家族の入信は神様にお任せすべき」 (昭和24年2月10日)
宗旨霊の妨害
信者の質問
「十人兄弟で、私は男七人女三人の七男で御座いますが、現在は男四人女一人になりました。
兄弟皆別に世帯を持ち、長兄を除き大光明如来または光明如来様をそれぞれお迎え致して御利益を戴いておりますが長兄は先祖の霊をお祭り致しております。
他の四人は両親の霊をそれぞれお祭り致しておりますが、長兄に観音様の有難味を話し色々と勧めておりますがどうしても分りません。
長兄が観音様の信者になった方が仏は大きく救われるのではないでしょうか。
それ共現在の状態にて仏の救われるのに変り御座いませんか。
また仏は兄弟の家を自由に往き来しておりましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「これは長兄が入信すべきであるが・・・した方が本当だからよいが、入信は時期があるから、一緒に思うように信仰に入る訳にはゆかぬ点があるから、観音様にお任せして、心配せぬ方がよい。
ある宗旨を継いでいる場合、その宗旨の神や仏に執着があっては具合がわるいんで、一生懸命改宗しないようにする。
急に改宗さすのも可哀相なので時を待つがよい。
また、宗旨の霊界における信徒も、霊的に長兄に憑ったりなどして、改宗させないようにする場合もある。
そういうのを無理に奨めたりするのはまずい。
時を待つ態度でいればよい。
仏になった親の霊は、兄弟の家を廻っている。
だから世間で長男さえ祀っていればよいというのは誤りで、子供は全部祀らなくてはいけない。これは現界と同様である。」
明主様御垂示 「話す程信仰を避ける家族の対処」 (昭和24年7月27日)
信者の質問
「家族七名中六名迄は入信、微力ながらも御用をつとめさせて頂いておりますが、
長女の婿養子(三十一歳)だけがどうしても知らうとせず、協力をしてくれません。
御利益を知っており、家でも御参りは共にいたしますが、話せば話す程反動的に釣に熱をあげる始末で御座います。
どうすれば良いでしょうか。御教示下さい。」
明主様御垂示
「これも腹中の客がやるのである。腹の底が悪い。
その家の霊界が浄まってくると邪霊は萎縮し、間違った考えはもてなくなる。
すると同化しなくてはおれなくなり改心する。
時期の問題で、無理に話したりなどせぬ方がよい。
話すと邪神がいろいろ思わすから、反って反対に出る。」
明主様御垂示 「頼まれないのに浄霊するな」 (昭和25年8月15日発行)
信者の質問
「私は今年五月二十六日入信させていただきました。
末の弟が入隊して間もない昭和十九年十一月、突然喀血し医者の療養五年、病は一進一退のところをこのお道によりお救いいただき、御守護のありがたさに感謝のほかございません。
そのような御利益をいただきながら、父が心臓弁膜症と腎臓萎縮で昭和二十一年七月死去いたしましたためか、兄が感謝がないのみか、かえって反対であります。
浄霊は勿論一度もいただきませんし、お話を伺おうともいたしません。
永い間家を離れて暮らしたためか、親弟妹とも溶け合って親しく話すことができず、なんとなく心の底に溝があるように感じられます。
いかにいたしたらこのお道のことを解っていただけましょうか。
無理にも御守りをいただくようにしたなればよろしいでしょうか、それとも黙って時期を待つほうがよろしゅうございましょうか。」
明主様御垂示
「無論時期を待つのがよい。
決して無理に判らそうとしたり、本人の自由意志を押えつけたりしてはいけない。
信仰はある程度霊の曇りが除れぬと入れぬものである。
浄霊は、特に先方から頼まぬ以上決してすべきではない。」