布教について 5 (信仰の押し売りの禁止 1)


明主様御教え 「粘りに就て」

「世の中には何かの目的を達しようとする場合、粘(ねば)ることを良いと思う人がよくあるが、実は本当ではないのである。

というのは、粘ることは根気によって無理を通そうとする、つまり根気で相手を負かすのである。

故に仮にこちらの意志が通ったとしても、相手は心から納得したのではない。

うるさいとかやり切れないとかいう、その苦痛を免れるための一時的便法で、腹の底から兜(かぶと)を脱いたのではないから、いずれは必ず反対の結果となる。


この理によって、つくづく世の中を見ると、粘り主義の失敗は余りに多く見るのである。

これは宗教宣伝にもいえる。

よく粘り宣伝をやる人があるが、宗教などは特に悪いのである。

何となれば、本教など最高神の尊い救いである以上、粘る必要などないのである。

卑近な例だが、ダイヤモンドを硝子(ガラス)の価で売るのだから、本当からいえば、ちょっと見ただけで先方が飛びつくのが当りまえである。

値打のない物を高く売ろうとするから、根気よく勧める必要があるのである。

従って、極めてあっさり勧めて、先方が応じなければ、縁なき衆生か、または、時期到らないためとして一応はやめるべきである。」




明主様御教え 「我と執着」より (昭和23年9月5日発行)

「(一部のみ引用) そうしてさきに述べたごとく、執着の権化は蛇霊となるのであるから恐るべきである。

人霊が蛇霊となる際は、足部から漸次上方へ向かって、相当の年月を経て蛇霊化するもので、

私は以前首が人間で身体が蛇という患者を取り扱った事があるが、これは半蛇霊となったものである。

従って信仰を勧める上においても、執念深く説得する事は熱心のようではあるが、結果は良くない。

これは信仰の押し売りとなり、神仏を冒涜する事となるからである。

すべて信仰を勧める場合、ちょっと話して相手が乗気になるようなれば話を続けるもよいが、

先方にその気のない場合は、話を続けるのを差し控え、機の到るを待つべきである。」 (全文は「我と執着」のページ)




明主様御垂示 「信仰を押し売りしてはならない」 (昭和24年9・10月)

信者の質問
「御利益で治った方に新しい人を紹介するようにと話すことはいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「そんなこと言っちゃいけませんよ、安ッぽくなってしまう。

そんな気があるのはまだ信仰が本当の線に入ってないんです。

決して無理にすすめたり、押し売りしたりしちゃいけません。

それから、発展しないのは、人間が見ていいようでも神様に対してピッタリしない点があるんです。

ピッタリしてれば、神様がこの人ならという教導師の所へ信者を持って来てくれるんです。

神様が霊界でその人の守護神を働かせて連れて来てくださるんです。

思うように信者が来ないってのは神様の気に入らない点があるんです。

人間が気を揉んだりすると、神様のほうでは「あれは俺を信じてないから、いい加減にしてやろう」ってことになるし、

人間のほうで心から神様を信じてれば「そんなに俺を信じるんなら、俺もそうとうにやってやろう」ということにもなるんです。

感情の点では神様だって人間と同じですよ。

喜怒哀楽は同じなんですよ。

ただ、違うのは、神様のほうはそれが大きいし、人間のほうは小さいというところが違うんです。

人間は自己愛が強いんですが、神様は非常に自然であり合理性なんですよ、理屈に合ってるんです。

それに、時期ということもあるんです。

時期ということは大切なんですが、人間はまったくこれを閑却して進むもんだから、どうしても逆結果になるんですよ。」




明主様御垂示 「信仰の押し付けは駄目」 (昭和24年7月3日)

「教修で治すってのは嘘ですよ。

病気が治ってありがたいと思って教修を受けるのが本当なんです。

教修が早過ぎると本当に治りきらないことがあるんですよ。

生命に関係ある病気の場合は殊にそうです。

第一、治ってから御守りをいただくのが順序ですよ。

なるほど治ると判り、ありがたいと思って受けるほうが腹から受けられますからね、それが本当ですよ。

そして、心からありがたいと思うと、自然に手を合わせる気持ちになるもんですよ。

そこで、光明如来様をお祀りして拝みたいという気持ちになるんです。

だからそういうふうにやってゆかなけりゃいけませんよ。


信仰ってのは、押しつけられたり、一時的だったりしたんでは駄目ですよ。

やっぱり、本当にありがたいという気持ちになり、心からやむにやまれぬ気持ちでなくちゃいけないんです。

勿論、時と場合によってはそうはゆかないこともあるから、そういうときは臨機応変にやったらいいんです。

それからまた、先方が御守りをいただいてこの道を研究したいと言って入信を希望するときには、御守りを受けさせていいですよ。

そういうときには大いにいろいろと知らせたらいい。

あるいは、悩みのある人には、光明如来様をお祀りしてお願いするように話してあげるのは結構ですね。」




明主様御垂示 「無理に入信させるのは小乗的」

信者の質問
「本人は熱心に受教入信を希望致しますが、両親が猛反対で何としても許しません。

この場合信仰は神と本人との関係で他人の介入すべからざるもの、たとえ家を追い出されても入信さすべきか、

それとも少しでも両親が分る迄待つべきか、待つ事は両親をして益々神に対する罪を重ねさす事ともなり、

またそれ迄に自分が死んでは大変だと歎いている娘がございます。

大乗的の見地からその希望通り無理にでも入信させ、そして本人さえ立派になれば、両親が分ってくれるとも思いますが、

こうした場合、教師としての指導の仕方につき・・・」


明主様御垂示
「無理に入信さすのは小乗的である。

大乗的にいえば放置しておく。

信仰には決して無理があってはいけない。

それは神に任す気がないので、本当に信仰しているのではない。

神に任す気持が一番大事である。

入信するにも霊的因縁や順序があり、これを狂わして入信さしても駄目である。

無理に入れるのは小乗大きい肚でいるのは大乗である。」




明主様御垂示 「無理に入信させるのは悪い」 (昭和26年11月1日)

信者の質問
「お道について、いろいろ話しても、すぐ入りませんが、それは神様のお許しがないので・・・」


明主様御垂示
「そうです。

分からないのを無理に入れようというのは、ごく悪い。

ほったらかして置くんです。すらすらと行って分かるのが一番良い。」




明主様御講話 「しつこい布教はいけない」 (昭和28年6月7日)

「それから、くどくしつっこいのはいけませんよ。

神様はまったくあっさりしたものなんです。

「神様に二言なし」で、一言しか言われませんよ。

私はよっぽどのときだけ神様に伺ってみるんですが、そのとき神様はたった一言ですよ。

まったく、そりゃあ簡単なもんですよ、たった一言ですからね。

人間でもそうで、天皇から勅語が下るんでも決して繰り返しやしない。

「朕(ちん)惟(おも)うになんとかなんとか」ってまったく簡単なものなんです。

しつっこいのは本当じゃないんです。

だから、この道の宣伝もあっさりやらなくちゃいけない。

あっさり言って、それで先方が判らなければ、まだ時節も来てなければ因縁もないんですよ。

時期が来れば先方から求めて来ますからね、そのときによく話せばいいんです。」




明主様御講話 「信仰を他人に勧めるなら機会を見てあっさりやれ」 (昭和10年11月11日)

「どういうことを一番気をつけなければならぬかというと、お祭りや講話会にご無沙汰することがいけない。

それをしないと決してうまくゆかない。

いざという時に間に合わないからお取り替えになるわけであります。

それで月に一回以上は本部などへ必ず参ることで、それも難しいことでない。

他の宗教などは朝の五時ごろに起きて行かなければならぬ。

一日一回は必ず行かなければならぬ。

そんな強制的なことをせぬから苦しいことはいらぬ。

そして後はできるだけ運動をして拡めればいい。

いま、会員をたくさん造らなければならぬ。

それも無理に奨めたりするなどすることはいけない。

気持ちよく話して先方から進んで信仰に入るようにしなくてはいけない。

その点も大いにいい。


要するに、観音力はどっちか極端になってはいけない。

どうしても信仰に入れぬ人は説いてはいけぬ。

また信仰に入るようすすめてはいかぬ。

機会をみてあっさりやればスラスラと入る。」




明主様御講話 「入る入らないは向こうの勝手」 (昭和28年2月1日)

信者の発言
「講演会にまいりまして「どうぞメシヤ教にはいってくれというケチなことは言わない。はいるのはそっちだから、どうぞお勝手に」というようなことを言ってまいりました」


明主様御垂示
「そうです。「はいってくれ」でなくて、「はいらしてやる」というのです。

ですからただ「こういうものだ」ということを言うのです。

はいる、はいらない、は向こうの勝手です。」




明主様御垂示 「無理やり浄霊してはならない」 (昭和27年3月1日)

信者の質問
「母親が産婆で、四つくらいの女の子が御浄霊を嫌がり、暴れますので、風邪を引いていたのを押えていたしました。

しばらくして肺炎のようになり、御浄霊は非常に嫌がります。

実家が日蓮宗でございます。

産婆さんは入信いたしておりますが、今でも日蓮宗を拝んでおります。

子供が御浄霊を嫌うのはそういう関係でございましょうか」

明主様御垂示
「そうですよ。日蓮宗の狐が憑いているんですよ。苦しいからね。だからよしたら良い。

だいたい押えつけてやるというのは嘘ですよ。

神様のほうでは、嫌がるのを、押えつけてやるのは、とんでもない間違いですよ。

よしたほうが良い。産婆さんが、信仰に入って日蓮宗を拝んでいるならよしたほうが良い。」


信者の説明
「前に子供が救われましたので・・・」

明主様御垂示
「それでも解らないんだから、やる必要はない。

かえって神様に御無礼です。

だから、それをやったメシヤ教の教師が、今まで間違ったことをして申しわけないとお詫びしなさい。

日蓮宗をよすから救ってもらいたいというのなら御浄霊してあげてよろしい。」


信者の説明
「最近手紙で解りましたので・・・」

明主様御垂示
「聞いたらすぐ、よせと言ってやると良い。」