転会について
明主様御垂示 「所属替えについて」 (昭和23年12月8日)
信者の質問
「礼節と順序を重んずることがこのお道の精神と存じますが、会員や資格者が簡単にその所属を変えることはいかがいたすべきでしょうか。」
明主様御垂示
「所属のことは今度はっきりしますが、あの先生は気に入ったからつくとか、あの先生は気に入らないから離れるとかいうことはたいへんな間違いで、神様から見れば怪しからぬ事です。
私はいままでそういうことを言ってくる人には黙って許していましたが・・・で、今度は地域的に所属をきめることにしました。
これは本部と三カ所の分所があり、分所に分会が所属し、分会には支部が所属するのです。
支部長は教導師であり、教導師は信者を百人以上作った人か、三万円以上献金した人か、または支部長の推薦によることとし、教導所を十以上有するものを分会とし、分会十以上を分所とすることにしました。
やはり功労のある人が上に行くのが本当ですから。」
明主様御垂示 「先生を変える事 (想う事と実行)」 (昭和24年9月17日)
信者の質問
「先日、大光明如来様及び大の御守を戴いている観音教団の教導師の人から「今の先生についていたのでは発展がうまく行かないから、色々協力させて貰いたい」と指示を求め、熱心に申し込んで参りましたが、いかが致したらよろしいでしょうか。御教示をお願いします。」
明主様御垂示
「こういう考え方は信仰の考え方が浅い。
すべて神様がやっておられる事だから、最善を尽せばよい。
先生が悪ければ神様の方で更迭される。
私などもよくそう思う事がある。
こうするとよい・・・と想う事は結構だが、積極的にそうする事はいけない。」
明主様御垂示 「無能な教会に入信するのも因縁」 (昭和24年5月)
信者の質問
「立派な先生方が、他分会にて教修を戴かれた信徒さんが浄霊を受けに行くと自分の所で再教修を受けるように奨め、
また、あるいは再教修受けぬ者には浄霊をして戴けぬとか、
またどこどこの会にて教修を受けたお光様はお光が弱いとか申します由、
右のような事を言う方があるとすれば、本教布教の上に大変悪影響を及ぼしめはせぬもので御座いましょうか。
お互いに近くの教導所を紹介する位の心持を持つ事が宗教家として大切なことでは御座いませんでしょうか。」
明主様御垂示
「これは無論間違っている。
神様の方で好い具合にやられるから、心配する事はない。
ある時期へ行くと止めるか、やめさす。
原則としては嘘だが、こういう事もある。
ある教導所で教修を受けたのと、他の教導所で教修を受けた人と信仰が違う。
発展する位の教導所で受けた者は働きがあり、発展せぬ教導所で受けた者はそうでない。
しかしこれは本当は嘘である。
最初受けた教導所は因縁があるから続けなければならぬ。
そこの教導所で受けた人は、皆働きがあるように先生が考える。
自ら判るのはいいが、再講習しなくてはならぬ・・・というのは間違っている。
立派な教修生を作るようにする。
それには信仰を深める。熱心に種々な事を知る事で、それには出来るだけ御文章を読む事である。
「地獄のような世の中を天国にしなくてはならぬ」という熄(や)むに熄まれぬ熱が、大きくなくてはいけない。
それを痛切に意(おも)う。日本中を救う・・・位に思う。
小成に安んずるのが一番発展力がない。
「本当の誠」とは己を捨てても人を救う事で、「自分に力がない」と思う事が一番いけない。
大先生も、昔思えば、何にもない中から「人類を救おう」という気だった。
優越欲が強くなくてはいけない。
冠句でも三代目朝寝坊・・・となられた。何かやると一番になろうと思う。人のやらぬ事をやる。」
明主様御垂示 「先生は先生として立てて行くべき」 (昭和24年4月4日)
信者の質問
「自己の師事している先生の、お道に対する精進が足りないように感じられて尊敬の心が起きなくなったり、
あるいは、より以上の立派な先生について、もっとお道のことを深く研究したい・・・という気持ちになったりした場合、
そのお弟子、会員にとっては一応重大なことと存ぜられますが、
かかる際お弟子、会員としてはどのような心構えを持ち、どのように進退いたすべきでしょうか。
明主様御垂示
「これは困るんですね。これは信仰のない人の考えですね。
とにかく神様がそうさせたんだからどうすることもできませんよ。
その先生についたっていうのはそれだけの因縁があってきたんだから、
それを人間的にのみ見るからそんな考えになるんです。
先生がいいから選ぶなんてのはとんでもないことですよ。
そりゃあ先生がよければいいことがぜんぜんないわけじゃないけど、そんなに影響ありませんよ。
偉い画かきだってそうじゃありませんか。
その先生よりずっと立派になってるんです。
「出藍(しゅつらん)の誉れ」って言うでしょう、「藍より出でて藍より青し」ってね。
だから、先生は第二、第三の問題ですよ。
それよりも自分がどうなんですか、それが第一ですよ。
かと言って先生を尊敬しないってのはいけない。
やっぱり先生は先生として、立てて行くべきですよ。
尊敬できないからっていい加減にあしらうというんでは道に外れますよ。
そして、この先生はなんだからあっちの先生につく、なんていうのはぜんぜん信仰のない人のすることで、まったく神様を無視してますよ。
それよりもむしろ、先生がどうもおもしろくないというなら、その先生をよくしてやろう・・・と念願するのが本当ですよ。
先生が気に入らないから変えるなんていうことをしてたら、いまにストライキでもやるようになりますよ。」
信者の質問
「そういう人がだいぶあります。」
明主様御垂示
「ええ、ずいぶんあるんですよ、そんなのがね。
こっちの先生についたかと思うと、またあっちの先生に変えるなんて、いったい、なにをやってるんだか判りませんよ。(笑声)
結局、自分が社会の人、多くの人を助けなくちゃいけないんですよ。
そしてもしその先生に判らないことがあったら、お伺い事項に出したらいい。
そのためにこういう質問の道を開いてあるんだから、決して間違うことはないんです。」
明主様御垂示 「極悪人の教会長は神様によって裁かれる」 (昭和26年10月5日)
信者の質問
「資格者の中で、所属する中教会長が気に入らないというので、みんなを勧誘して替っていくという人がおりますが、どういうものでございましょうか」
明主様御垂示
「それは嘘ですね。それはまだ信仰に入っていない人ですね。
神様ということを信じていないからです。
万事神様がやっているんですからね。
もし会長が悪いとしても付かなければならない因縁があるんですからね。
もし会長がいけないとしたら、つまみ出されるか、直されるかする。
人間が、ぜんぜんいけないというのは、神様の領分を犯している。
人間には善悪は分からないと書いてあるでしょう。
会長がいけないと言うのは信仰が分からないのです。」
信者の質問
「受け入れた会長も分かっていないということになりますのでしょうか」
明主様御垂示
「それは分からない・・・神様ではないからね。
あの会長はいけないとか言う・・・その人が分からないのです。
私などは、部下が間違っていても、間違っていると言ったことはないですよ。
神様に任せているから、もし間違っていたら出されるか、ひねりつぶされる。
人間の目には間違ったようでも、神様のほうからは、なにか必要があるんです。
○○という人が、そのようなことがあり、まあまあ神様がやっているからと言っていたが、
とうとう体が悪くなって病院に入って死んじゃいました。
そのくらいのことを、神様に力がなかったら信じないほうが良いです。
いま○○○にいる・・・あれを出さなければならないと言うが、
神様がやっているので、必要があれば神様がひょっとつまんでしまう。
まだ必要があるから、あのままなんです。
死んだというその人はたいへんな手柄をした。良いことをしました。私は今でも感謝してます。
良いことをしたが、これからは悪いことをするから止められた。
一時必要があった。神様は深いんだから、人間の目で良いとか悪いとか分かるようでは・・・そんな神様ではね。
どんな悪い奴でも、どんな馬鹿な奴でもそのときは必要があって使われるんです。
たいてい、時が経つと分かります。
三千世界の大芝居で、悪役もあるし良い役もあるし、いろいろお役がある。
ですから、いろんな悪役もありますが、悪役もなければ芝居にならない。
善人ばかりじゃね。だから、なんだかんだいいながら発展していけば良いんです。どうせ悪の世ですからね。
それからまた、邪神ですね。
邪神だって教団の中に入り込む。信者全部を邪神が狙っています。油断も隙もできないです。
それで、邪神のためにひどいことになる人がありますが、それは浄化作用です。
邪神にやられなければ浄くはならないですね。」
信者の質問
「発展の順調なころと現在の状態とは、たいへん邪神に乗ぜられているという感じがしますが、浄化で浮いてくるという感じでしょうか。浄化の一歩前でしょうか」
明主様御垂示
「浄化されてるんですね・・・邪神のためにね。
以前にパッといったのは、花が咲くんですからね。
ああいう風にはいきませんよ・・・実が成るんですからね。
堅実に着々といきます。なにしろ、神様のやり口は深いんだからね。
それも私がちょいちょい言ってますが、この次の論文かに、医者がメシヤ教を発展させているんだと書いてますが、医学が間違っているから、我々が発展するんですからね。
医学が間違っていなければ、我々のほうに来ません。
医学が間違っているからメシヤ教が発展するんです。」
明主様御垂示 「先生を変える事 (智慧揮え)」 (昭和24年11月26日)
信者の質問
「いかなる理由があろうとも御指導の先生を変えさしていただけないでしょうか。」
明主様御垂示
「これはデリケートである。
感情を悪くするのも悪い。
自然に巧く智慧を揮うか、お任せする。または質問を出す。」
明主様御垂示 「他教会に指導受くる事と霊線 (地域と霊線)」
信者の質問
「疎開先でお光を頂き、旧住所に戻って来た場合、今迄お世話になった先生は遠くなりましたので近くの教導所の先生の御指導を願いたいと考えますが、霊線の関係から云々言われますがいかがでありましょうか。
また、霊線が違うからと言って他所の教導所へ行くのを嫌う事や、あるいはお願いしても御浄霊をして頂けない事もあるそうですがいかがでしょうか。
私共は同じ観音様だからと思い、分会が違うからというような事を考えず御浄霊をさせて頂いておりますがいけないのでしょうか。
私共には霊線と言う意味がよく判らないのですが、正しい霊線という事を判り易く御説明下さい。」
明主様御垂示
「地域的に指導して頂く先生を決めるのが本当である。
引越して来た近くの教導師に厄介になればいい。
霊線は自分で繋ぐのではなく神様が繋いで下さるものである。
最初に繋がれたのは因縁で、その先生に霊線が繋がるのである。
こちらへ来ればこっちの先生に繋がる。
よく先生が気に入らなくて替える人があるがこれは間違っている。
また霊線が違うとて寄せつけないのも誤まっている。
惟神の道即ち自然である。
地域的にしないと霊線が混乱する。
元の神は一つであるから近き教導所へ変っても同じ。
近づけば太くなり、疎遠なれば細くなる。」
参考 明主様御垂示 「自教会よしとする」 (昭和25年3月3日)
信者の質問
「甲中教会の教師より浄霊を受け、お守も受けている丙の所へ、乙中教会の教師が自分の教会の方が良いのだと言って何度も通い、丙を乙中教会の所属にして、今度はその丙を甲中教会の邪魔になるように使う場合は、お道にある者はどのような心得を持っておれば宜しいのでしょうか。」
明主様御垂示
「自分の教会がいいというのは、その心そのものが悪であるから悪い。
大抵アベコベである。これは弁明の要はない。言い訳を言わなくても必ず判る。」