師弟関係について
明主様御垂示 「師匠弟子の因縁 (霊の高下)」 (昭和23年)
「弟子の方が師より霊の高い場合がある。弟子師匠になる因縁はある。その人自身の因縁もあり、大きくも小さくもなる。」
明主様御垂示 「師匠と弟子の霊線」 (昭和23年9月8日)
信者の質問
「自分がお取り次ぎした講習生との霊線の関係はいかがでしょうか。」
明主様の御垂示
「太くなったり細くなったりしてます。
手足ですら自分ではどうにもならないことがあるのだから。・・・
ときには弟子のほうが身魂が高いこともあり、先生から離れたほうがよいこともある。
親子の関係で言えば弟子を生んだことになる。
だからいつまでも親のところにいたのでは大きくならない。
渋井は中島の弟子だったが、渋井が独立するときいろいろ心配する人があったが
「心配する必要はない。なにか意味があるのだから」と私は言ったのですが、
現在はあんなになった。勿論一度は師弟の因縁で結ばれたのです。
以前大阪でやってる先生とその弟子の仲が悪くなりついに別になって独立した。
そのとき私に「自分は先生に背いたことを悪いと思う」と言うので
「いや支部が一つふえたのだから結局いいのだ」と言った。
そして別れるとき「これからはもう喧嘩せずに仲よくしろ」と言ったんですが、
その人は離れてからも喧嘩していた。
後にその先生が来たので訊くと「あれは大先生が喧嘩してもよいとおっしゃったから」と言ったそうですが、
私は喧嘩しろとは言わない。・・・
喧嘩が悪いとも言えないし、またいつも喧嘩していいとも言えない。
もう分かれたんだからこれからは先生は弟子を賞め、弟子は先生を賞めお互いに「ほめっこ」するように・・・と話したのです。
ワサビやカラシがいいからってあればかり食っちゃいられない。
そういうものは場合によってわずかに利用すればよいのです。
喧嘩だってこれと同じことです。」
明主様御垂示 「馬鹿な上司に接する態度」 (昭和26年6月25日発行)
信者の質問
「目上の人または先生がなにか間違いをいたしている場合、それに対して知らせてやることは悪行為になりますか、
また自己の行為が良いと信じきっている先生が、こちらの話の意味を聞きとれず誤解される場合がありますが、
そのときにはいかがしたらよろしいでしょうか。御教示くださいませ。」
明主様御垂示
「それは先生の精神的状態と、忠告する人の智慧証覚によるので、簡単には言えない。
だから光明如来様に、真心をもってお願いすればよいのである、そうすれば神様のほうでよいようにしてくださるから、それでいいのである。」
明主様御垂示 「能力差のある弟子たちの処遇」 (昭和24年2月18日)
信者の質問
「お弟子を指導させていただく場合、差別と平等はどのようにいたすべきでしょうか。
例えばずっと以前からお弟子になってもたいした働きのない人と、お弟子になったのは新しくても大いに働きのある人との場合はいかがいたすべきでしょうか。」
明主様御垂示
「これはね、どっちとも決めてはいけないのです。
働きと古さとどっちに片寄ってもいけない。
古い人には古い人としての功績があり、骨董ではないが古さの味がある。(笑声)
そしてどちらを主にするかと言えば、勿論働きを主にすべきです。
そして臨機応変にちょうどよくやったらいいのです。
こういうことは世の中の人間は下手でね。また学問では駄目ですよ。・・・
差別は縦であり平等は横ですからどっちに片寄りすぎてもいけないのです。
この前、社会党が煙草の配給を男女とも同じにしたが、実際は女より男のほうが喫むのだからこれでは不公平です。
だから私は「公平は不公平で、不公平が公平だ」というのですよ。(笑声)」
明主様御垂示 「師より離れてから個性を発揮するべき」 (昭和24年1月27日)
信者の質問
「個性を生かすのが本当でしょうか。境遇を生かした方が本当でしょうか。」
明主様御垂示
「どっちとも言えない。
個性を生かすために人に迷惑を与え、不幸の元になる場合は生かさぬ方がよい。
害のある時は殺すべきである。
生かす時期が来ぬのに生かすと失敗の本となる。(決めてしまってはいけない)
この救いも貧弱な状態で大きな事をいうと誤解される。
立派な状態になってから言うべきである。
芸術なども、師に習う場合は個性を殺し、離れてから個性を発揮する。
これが利口なやり方である。」
明主様御垂示 「師に叛いた教師の死」
信者の質問
「教導師が自分の従うべき師に叛いている間に死んだような場合、霊界におけるその教導師のあり方並に師弟の最初の因縁と離れてからの因縁を御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「霊界へ行っても同じ事である。
逆っている事が正しければその方に御守護があり、逆っている事が間違っていればその方へ制裁を受ける。
逆っているといってもそれは見解の相違である。
しかし、逆っている間に死んだのであるから、その方が間違ってる訳である。
親子兄弟の霊線は喧嘩しても切れぬが、他人のは切れる。」