専従と経済について


明主様御垂示 「生活を困らすような神なら信仰するな」 (昭和23年8月17日)

信者の質問
「従来の商売を捨てて専ら観音様の御手伝いをさせて頂いておりますが、

財力乏しく二、三ケ月後には生活に困ることと存じますが、家族の反対を押し切って進ませて頂きます。

生活の心配は御座いませんでしょうか。」


明主様御垂示
「生活に心配するような事は決してない。

ちゃんと神様の方でそんな困らすような事はしない。絶対心配ない。

以前、中島が金に困り、電車賃がなくて来れなかったという。

ちょっとその宅へ立寄ってみると、赤貧洗うがごとしであったが、それから年々良くなり、近来は素晴しい。

生活を困らすような神なら信仰する要はない。

人間でも働けばそれだけの手当をする。」




明主様御垂示 「負債に困る、御用したい時」 (昭和24年7月9日)

信者の質問
「現在私の家は六月初めより鹿沼市に布教に御出になった長生会教導師S先生を御世話させて頂いておりますが、

光明如来様を御祭りしてあり、なお、御熱心な御教導に私達夫婦及び実弟も入信させて頂きました。

私は従来自動車の修理を業としておりましたが、欠損続きで廃業し、ただ今これを整理中で御座います。

私はどうしても一家揃って有難い観音様の布教に従事させて頂き、なお、光明如来様の御軸を御祭りしたいと切に念願致しております。

しかし、負債のため苦しんでおり、現在教導所にしてある家を売る外どうする事も出来なくなりましたが、いかが致したらよいものでしょうか。」


明主様御垂示
「負債を整理出来れば一日も早く片付けた方がよい。そのため売ってよい。

神様の事で生活しなければいけない事になっているから、信仰上の仕事をするとよい。

なくなっても適当な所を与えて下さる。

前(さき)の事は心配しなくともよい。」




明主様御垂示 「熱心なほど貧乏になる原因は人間力への依存」 (昭和24年11月19日)

信者の質問
「病貧争より脱し切れなければ人を導くことは出来難いと承わりますが、熱心になればなるほど貧になり勝ちになり、人がついて来ないということは、いかなるわけでございましょうか。」


明主様御垂示
「間違った熱心だからで、人間力を頼りにする。

神様にお任せする事で、これは熱心な人に多い。

この宗教は今迄の宗教とアベコベで、今迄は努力奮闘したが、それはいけない。

楽にしなければならない。

今迄の救いは下から尻を押上げるやり方だが、教団は上から引っ張るのである。

生活を楽しみ、人を救うのが面白いのでなくては本当の救いではない。

浄霊でも一生懸命するときかぬ。

軽い気持でやると神様の光が強く行き渉る。

他力信仰と自力信仰がある。自力は人間力である。自力は知れている。

観音様の御力を自分の身を通して戴く。

治す道具にさして戴く気分なら骨折る要はない。苦心惨憺とか、苦心努力は間違っている。

楽に、面白くやらなくてはいけない。」




明主様御垂示 「貧の原因は小乗信仰」

信者の質問
「私は昭和二十二年五月入信し、二十四年三月より勤めを止めて御手伝いさして頂いておりますが、貧より抜けられません。いかなる訳でしょうか。

世間では名前によって悪くなる事があると言う人があり、迷っております。

事実で御座いましょうか。事実とすればどう致したら宜しいでしょうか。」


明主様御垂示
「貧乏になる人は多くは小乗的信仰のためである。大乗的にやる。

貧乏は経で、火の働きである。

物質は水であり、金である。

緯へ拡がる働きである。」




明主様御垂示 「家屋に困窮」 (昭和24年11月6日)

信者の質問
「私の家は現在教導所として二年余り御働きさして戴いておりますが、店では菓子商を致しており、

本年五月に種々の事情から「調停裁判」を致し、明年五月末に無条件で家を明け渡す事に決定致しましたので、

色々家を探しておりますが、良い家もなく、売りに出た家も非常に高価(五、六十万)で手を出し兼ねる現状ですが、

来年五月迄に一生懸命御用をさせて戴いていれば、何かと御守護を戴ける事と思っておりますが、いかがでしょう。」


明主様御垂示
「御守護で必ずうまくいく。そして手柄する予想以上にうまくいくから心配しなくてもいい。」