入信の順序について


明主様御垂示 「入信にも順序がある」 (昭和28年7月1日)

信者の質問
「一般に無神論者と言われている中にも、先祖祀りということはしている所はありますが、どうもお蔭をいただけません。

そういう人達をこのお道にお導きする方法を御教えお願い申し上げます」


明主様御垂示
「別に方法というのはありません。

なぜかというと、導くということは導かれるというそういう人が機会を与えられた場合に、話を聞くとか、こっちの新聞を見ればそれでよいのです。

あとは心配しなくてもよいのです。

なぜといって人によって時期がありますから、その人が救われる時期が来ないと、いくら言っても駄目です。

その時期というのは非常に神秘なもので難しいものです。

例えば木なら木として、幹があって枝がありますが、幹が救われてから次に大枝、小枝、葉というのが順序です。

ですから幹が救われて、次に葉を救おうとしても、それは順序が違うから、そうはゆきません。

そこでメシヤ教の人は、私は根です。幹部の人は、幹の人は今はちょっと言えませんが、大枝のほうでしょう。

大枝が救われて小枝が救われて行くのです。

それを放ったらかしておいて葉を救おうとしても、それは順序が違っているから救われません。

そういう時期が来れば、喜んで話も聞くし御神書も読みます。

だから分からないのはまだ時期が来ないのです。

だからスラスラ行くのは時期が来たなと分かるし、割合に骨を折るのは時期が来ないのです。


それからこの間も書きましたが、滅びる人と救われる人とは決まっているのです。

ですから滅びる人はいくらやっても駄目です。

だからさっきの「食道が悪くて、噴門からどうとかする」というのは、もう救われない側になっているのです。

救われるのなら、そうならないうちにチャンと信仰にはいっています。

ですからそういう人を救おうとしても無駄というものです。


それは別に難しいことはないので、見分ければよいのです。

この人は救われるか、あるいはもう駄目な人かということはすぐ分かりますから、

どっちかというと、楽にスラスラと行く人は時期が来て救われる運命にある人です。

それから楽に行かないのは救われないほうです。


この間の論文に書いてありますが、救われない人がずっと多いので、救われる人は十人に一人はないくらいなものです。

最初は誰でも救われると思ってやりますが、救われない人を一生懸命にやるために、救われる人のほうが疎かになり、それがたいへんな間違いです。

そういうことを見分けるのもその人の智慧証覚が向上していれば見分けもつきます。

ですから智慧証覚を磨けばその判断力がつくのです。

それで智慧証覚の磨けた人は、人から質問を受けても正確に返事ができるから、一般の人も早く信仰にはいるというわけです。」




明主様御垂示 「信仰に入れるのにも順序がある」 (昭和24年6月27日)

信者の質問
「時期を待てと教えて戴きましたが、自己の経験上の事だけならそれと知り得ましても、特に布教に関した事になりますと、時期いかんが判りません。

勿論その人その人によって相違のあることは申す迄もありませんが、結局は浄まり方いかんが時期を知る、知らぬということになりましょうか。

夜昼転換の重大時に際会して、知ると、知らざる結果はその人の運命に迄及ぼすとしたら、疎かに出来ない問題であります。

神の仕組とのみ解して、平然たり得ないという事も考えられます。

この問題に付きまして具体的に御教示下さい。」


明主様御垂示
「この人の考え方は時期を待たぬからである。機が熟していない。

すべての事情はそういう風になっている。

例えば、去年税金問題で本教は急に世の中へ知れた。そして世は注目し始めた。

それで税金以外の運動など書きたてた。

そこでこちらは今迄考えていた事をドシドシ始めた。

即ち新聞、雑誌、単行本を出し、表面的に宣伝を始めた次第である。

それが風雲に乗るとか時期を掴むとかいう事になるのである。


個人としても、入信させようとしたり、また自分の仕事をやめ大いに救いの道一方にしようかと思って迷う。

その中時期が来るとあらゆる事情がそうしなければならぬ事になる。

(そこで転進すればよい)

(私など、先に実業をやったが、無理にすると面白くない・・・うまくゆかぬ。

その時分から時期を待つ事を知っていた。

その中俗世界を捨てて神業一方にせざるを得なくなったのである)

無理をしてはいけない。

反対などあっても、時期さえ待てば神様が良い具合にして下さる。

何かやろうとして故障が起る。するとよしてしまう。

(この土地を手に入れる時など、欲しくて仕様がなかったが先方は売らなかった。二、三年待っていたら先方から売りたいと言って来た)


信仰に入れるにも順序があって、この人を入れてからこの人を入れる・・・その順序を無視してはいけない。

人間は順序をよく間違える。

人間の眼で考えては、その第三の人を入れた方がよいように思うのである。

すべて時期と順序がある。ブツかって来るものは神様が命ぜられたのだからやればよい。

その人に大勢の人を救うだけの資格がないと、いくら焦っても神様は仕事を与えられぬ。

その人相当の力が出て来ると、祖霊が神様の御許しを得、または御命を受けて働く。そこで効果があるのである。

結局は自分である。自分の力をつける事である。

開けぬ時は御本をよく読み、霊を向上さす事である。

決して相手が悪いのでない。

(金光教はそれが極端で、最初二年間位ブラブラ遊んでいて漸く一人出来たなどという。大本教はそうでもないが、天理教は引張るのが好きである)」




明主様御垂示 「入信するのにも霊的因縁や順序がある」

信者の質問
「本人は熱心に受教入信を希望致しますが、両親が猛反対で何としても許しません。

この場合信仰は神と本人との関係で他人の介入すべからざるもの、たとえ家を追い出されても入信さすべきか、

それとも少しでも両親が分る迄待つべきか、待つ事は両親をして益々神に対する罪を重ねさす事ともなり、

またそれ迄に自分が死んでは大変だと歎いている娘がございます。

大乗的の見地からその希望通り無理にでも入信させ、そして本人さえ立派になれば、両親が分ってくれるとも思いますが、

こうした場合、教師としての指導の仕方につき・・・」


明主様御垂示
「無理に入信さすのは小乗的である。

大乗的にいえば放置しておく。

信仰には決して無理があってはいけない。

それは神に任す気がないので、本当に信仰しているのではない。

神に任す気持が一番大事である。

入信するにも霊的因縁や順序があり、これを狂わして入信さしても駄目である。

無理に入れるのは小乗大きい肚でいるのは大乗である。」




明主様御垂示 「入信は人により時期がある」

信者の質問
「本教団入会後四年になります。親はこれに無理解です。親との意見が合わないが、これは親不幸とはなりませんでしょうか。」


明主様御垂示
「入信するには人によって時期がある。時期が来れば入信する。

最後の時期はどうしても入信しなくてはならぬ時である。

人によりいろいろであるから、それは時期が来ないのであるから、それを待つ事である。


人間は人を入信さす力はない。

神様が人を入信さすのである。

人間は橋渡しをするので、手を引くのは神様である。

人間は人間を審判く事が出来ぬと同様で、それだけの権能を与えられていない。


人間が善としてやってる事で悪とみられる事もある。

悪にみえてもそれは仮のもので、批判は出来ない。

(戦犯者でも悪とは思っていない。

生命をすてて天皇のため国家のために尽したつもりであった。

それなのに絞首刑になるのはあまりにも訳が判らぬような事であるが、

神様から御覧になれば、悪だったかも知れない。

日本が戦いを起し勝ったとしても、日本はいいが、他の国の国民は、国を失い、国民の多くは死に、他国の自由にされる事になる。

神様は世界の民族を同じように見られている。

そして世界を支配されているが、皆その御分霊が支配される)

善だと思うのはいいが、それを決める事は出来ぬ。


神様の有難い話はしてもいい。

ただ無理に入信さすのは悪い。

それは神の領分を犯す事になる。

どうしても駄目だと諦めてから先方から求めてくる事がよくある。

即ち、時期が来れば入信しなければならぬよう神様が順序を立ててくれる。

また、霊界で祖霊が、沢山救われているのをみて、自分の子孫に対し入るように種々する。

であるから私の方では宣伝したり、新聞雑誌には出さない。

霊界の霊の働きが一番力がある。」




明主様御垂示 「入信の時期 種子生長の遅速」 (昭和24年6月27日)

信者の質問
「最近宗教家、心理学者が本教に関して関心を寄せ、頻りに研究に参りますが、垣を隔てての問答に墜ち易くなります。

光新聞、地上天国、信仰雑話によってもなおかつ分らぬ者は、結局救い得ない事になるのでしょうか。最良の方法を御教え下さい。」


明主様御垂示
「(そんな事はない。そういうのは印刷物に限る。その人によって時期があるので)

すぐに共鳴せぬのはその人の時期が来ぬのである。

種子の生長にも遅速がある。種を播いても育ちの良い悪いの気候がある。人によって種々ある。

新聞などを見せるのは種を播くのである。

種さえ播けばよいので、その中先方から求めたら入信の時期が近寄ったのであるから早い。」




明主様御垂示 「入信の勧めを受けつけない未信者に対する対応」 (昭和24年8月27日)

信者の質問
「三十二歳の男子、本教の信者ではありませんが、近頃危険な所を奇蹟的に救われていることが多々あります。

また、夢を見ると、夢通りの事が起るのです。

その人は独学をしていまして、本教の話をして信仰を勧めても全く受付けません。

いかにしましたらその人をお導き出来ましょうか。御垂示お願い致します。」


明主様御垂示
「一遍か二遍話をして後は捨てておく。

本人の守護霊があるから、いずれそれが信仰に入る。

未だ時期が来ないのである。」




明主様御垂示 「信仰を理解できない人は説明を受けるほど更に理解できなくなる」

信者の質問
「親、兄弟は未だ反対していますけれども、どうすれば一番早く分って頂けるでしょうか。

何か霊的に因縁があるものでしょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「時期が来ぬのである。分らぬものは話すほど分らなくなるものである。」