お詫びについて 1
明主様御垂示 「主人の不倫で子供が病気になった事例」 (昭和27年3月16日)
信者の質問
「SH子(十六歳・女子)小学校に入学の時身体検査で心臓弁膜症と言われ、
運動を避けるように言われ、体操などは休んでおりましたが、通学には差し支えございませんでした。
一年の時先天性心臓弁膜症にて治療方法も薬もぜんぜんないから、安静を保つようにと言われ、その通りにいたしましたが変化はございませんでした。
昭和二十三年お道を知り、私(母)とH子が入信させていただきました。
翌月にわかに高熱が出、頭痛、腹痛があり、御浄霊させていただき、熱は下がり痛みも楽になり、平らな道は歩けるようになりましたが、
少しの坂道でも息切れが激しく、歩行困難となり、顔、唇は紫色に変わります。
最近特に激しく、平らな道でも右様になります。
本年二月十一日にわかに全身が浮腫み、息切れ激しく、胸部より下腹部にかけて膨満はなはだしく、心臓背部に卵大の固結がございます。
食欲はあまりなく、一日に茶碗二杯くらいでございます。
小便は一日に四、五回ございますが、量は少ないようでございます。
両頬、唇は紫色になり、手足は常に冷えております。
私は後妻でございますが、先妻は心臓病で苦しみ、大正十三年三十三歳にて、産後二十二日目に死亡しております。
子供は四人ございましたが、最初の子は生後三日目に、二番目は二十日目に他界し、三人目が現在御浄化をいただいております、H子でございます。
四人目は生後三カ月目に急性肺炎で死亡いたしております。
主人は反対はいたしませんが、入信する気持ちはなく、女道楽にて妾があるようでございます。
H子の妊娠中医師より、先の子供が二人とも生後間もなく死亡しておりますので、サルバルサンを射つように言われ、六本射っております。
この御浄化は霊的でございましょうか。
御浄霊の急所につき御教示のほどお願い申し上げます。
なお、光明如来様を御奉斎申し上ぐべくお願いいたしております。」
明主様御垂示
「これは、信仰雑話に書いてあるでしょう。
不純な男女の罪は、子供の命に来るということは、信仰雑話にあるでしょう。その通りです。
だから、婦人に対する不純関係ですね。
その罪は子供に来るんだから、やっぱり、どうしても死にますよ、御主人が改心しなければね。
そこで、現在のH子というのも、やはりそれが関係してますから、浄霊しても治りが悪いんですよ。
これは、光明如来様をお祀りして良くお願いするんです。
そういった、いろんなややこしい罪穢をお許しを願って、そうして一家が天国になるように・・・そういうことをお願いする。
そうして、H子という人の病気は、大体背中の固まりですね。
これを溶かす。誰が浄霊しているんですか。」
信者の発言
「本人の母がいたしております」
明主様御垂示
「そうしたら、力を入れないようにね。力を入れちゃ駄目ですよ。
力をうんと抜けば、固まりが溶けますよ。
これが溶ければ・・・これが因だから・・・大丈夫です。」
明主様御講話 「人工中絶の事例」 (昭和28年5月25日)
「それから最近こういうことがありました。ちょっと気のつかないことで重大な間違いがあります。それを読ませます。
(御論文「信仰の合理性について」発表)
これは栄光に出すから個人的秘密ということは書いてありませんが、個人的の間違いというものも、たいへん悪いのです。
それは二人子供があって、三人目を妊娠した時に医者に行って人工中絶をしたのです。
それはどういう理由かというと、まだ子供にお乳を飲ましている時に後の子供ができては、お乳を飲ましている子供に非常に悪影響が行く、
だから出してしまった方がよいと誰かに言われたのを信じてやったのです。
信者として、そんなでたらめなことをしたということは、なってないです。
その罪もあるのです。一つの罪ですから、よほどお詫びしなければなりません。
なんの罪かというと、子殺しの殺人の罪です。そのことは言ってやりました。」
明主様御講話 「人工中絶の事例」 (昭和28年5月26日)
(御論文「信仰の合理性について」を拝読後)
「個人的間違いは秘しておくと書いてありますが、これがまたたいへんなことなのです。
二番目の子供を産んで、七カ月くらいたった時にまた妊娠したのですが、
そのくらいで妊娠すると前の子供が育たないということを人から聞いて、それを信じて堕胎したのです。
今は妊娠中絶という体裁のよい言葉がついてますが、実は堕胎をしたのです。
ですから母親に言ったのです。
堕胎というのは殺人だ。
わが子を殺すという子殺しの罪になるから、それも子供の病気に関係しているのだと言ってやりました。
今朝か昨夜聞いたところによると、肺炎の子供は死んだそうです。
ですからそれも大いに原因しているわけです。
というのは、神様の方では、せっかく与えた子供を殺すということは、
それではお前には子はいらないのだろうから、そういうのに与えた子供は、やはり召し上げるという理屈になるわけです。
理屈に合わないことをすれば理屈に合わない結果になってしまいます。
少なくとも信仰にはいっていながら堕胎などをするということは、とんでもない罪を犯したのです。
それも、あとのやり方が理屈にあっていて、
そうして非常に悔悟して、自分はとんでもない間違ったことをしたと言ってお詫びをすれば、あるいは助かったかもしれないが、
そういうことも支部長はあんまり言わなかったらしいので、私がそう言ったらびっくりしてました。」
明主様御垂示 「人工中絶の事例」 (昭和23年11月21日)
信者の質問
「二、三ケ月で人工流産をしました子供を御祀りした方がよろしゅう御座いましょうか。
祀る時は男女の別も判りませんが、どのようにして祀りましたら宜敷う御座いましょうか。
御教えを御願い申し上げます。」
明主様の御垂示
「人工流産の霊は、寧ろ祀るよりお詫びした方がよい。
五ケ月以後は祀らなくてはならぬ。
稀には五ケ月以前のが祟る事がある。
これは祟った時―知らす時祀ればよい。
五ケ月以後は戒名をもらい、仏事に祀る。(内輪に)堕胎は殺人である。」
明主様御垂示 「体を傷つける罪は重い」 (昭和26年10月15日)
魚の目にメスを入れた事例
信者の質問
「HR(五十二才・男性)、昭和二十五年三月入信いたしました者でございます。
長男K(十二歳)が九月十五日ごろ左足踵(かかと)の魚の目をメスにて疵(きず)をつけました。
そのため二十日より急に発熱し、左足の大腿部がだいぶ腫れ、非常な激痛を感じ、脊柱はそりぎみになり、身体は硬直し痛みが強く、御浄霊後は小量の排尿がございました。
脊柱のそりは一週間くらいにして治りましたが、熱は四十度くらい約二週間続き、食欲も皆無の状態にて非常に衰弱いたしましたが、お蔭様にて、最近十日ほど食欲はだいぶ旺盛となりましたが、その割に体力がつきません。
最近は時々高熱を発し、特に両足(大腿部)に卵大の「しこり」があり、ちょっと触れても非常に痛がり、右足は曲げており、徐々に伸ばせば、伸びる程度でございます。
一週間ほど前より咳の御浄化をいただき、激しい折は血痰も出ます。
御浄霊をいただくたびに楽にさせていただいております。
なお、八月中旬お墓におりました縞蛇を殺して食べたこともございます。
また次女は八年前、脳脊髄膜炎にて死亡しておりますが、なにか霊的にも関係しているのでございましょうか。
また御浄霊の箇所につき御教えのほどお願い申し上げます。
御屏風観音様は今回奉斎させていただきました。」
明主様御垂示
「魚の目をメスにて疵をつけたというのは、切ろうとした。
それで膿でも出そうとした。このためです。
私は、針一本でも疵つけてはいけないと書いてあるでしょう。
だから神様のお咎めです。
お詫びが一番良い。他にはなにもないんです。
それを覚るように正守護神がひどく叱ったんです。
お詫びすれば治ります。
つまり、神様のいうことを守らなかったからです。
それを心から悔い改めて、お詫びして、それで治っていきます。
そうして、あとは悪い所ですね。熱の高い所とか、悪い所から、出るんだから、
固まりを・・・つまりこれだけの毒があるんだから、魚の目を浄霊していれば・・・気長にやっていれば、苦痛なく治るんです。
こういうことをしたために苦痛が出るので、悪いことではないが、腫れた所とか、熱の出た所は分かりますから、そこを浄霊する。
体力がつかないのは、今まで食事をしなかったので、急にはいきません。
それと、熱があるからで、あと気長にやれば良い。
霊的のことはありません。蛇を食べたこともなんでもありません。
脳脊髄膜炎も別になんでもありません。
神様は身体に疵をつけるということは非常に厳しい。
ちょっと悪い時に切るとか、突くとかいうのは、霊を信じないことになる。
体的を信ずることになる。
食い違ってくる。御守護していたのが、パッと切れちゃう。
そこにもっていって正守護神が怒りますからね。
これは良い教えです。」
明主様御垂示 「明主様の御教えを守らなかった場合にはお詫びすべき」 (昭和27年2月27日)
産後無理をした事例
信者の質問
「TR(三年前入信。三十七歳。女性)。昨年十二月四人目の出産をいたし、御守護により安産でありましたのと、従来の習慣にて、その日より便所に通いました。
翌日の御教えに産後の御注意をいただきましたので、さっそくお伝えいたしましたが、たいして気にも止めない様子でございました。
四日目に頭部に激痛を覚え、頭が割れるようで十日間続き軽くなりました。
産後にもかかわらず腹部が膨脹し尿量も少なく、ついに全身に浮腫みを生じ、血痰を激しく吐き呼吸困難を起すようになりました。
二回目の呼吸困難があり、御浄霊いただき楽になりましたが、全身的浮腫は取れません。
三回目に及び、全身浮腫は以前よりはなはだしく、特に腹部はパンパンに膨れさがりました。
一月末大光明如来様を御奉斎させていただきました。三カ月に及びますが、変化がございませんのは、御浄霊の急所が違っているのでございましょうか。
また霊的に関係がございましょうか。なお、姑が入信後亡夫(金光教と禅宗の両方で祀っております)の慰霊のために、金光教会にお参りいたしましても差し支えございませんでしょうか。」
明主様御垂示
「これはいけないな。こんな習慣なんてありゃしないですよ。これは、この人の習慣ですよ。
もっとも、ひとのみちの信者はやりますが、これは嘘ですよ。
こういうことは以前から言ってありますがね。
書いてありますがね。
一週間は絶対便所に行ってはいけませんよ。
頭が割れるよう・・・言うことを聞かないからだ。
金光教会に・・・差し支えありませんよ。
亡夫は信者だったんだからね。
あるいは、まだ金光教に執着があるかもしれないからね。
お詣りしても良し、しなくても良し、任意で良いですがね。これは霊的じゃない。
たいして気に止めない・・・これは、その通りやらなかったんですか。」
信者の説明
「いたしておりませんようでございます。前三回が非常に楽なお産をいたしておりますために。」
明主様御垂示
「そのためです。そのお詫びですよ。
それを本人が心からお詫びすれば、それで治りますよ。
浄霊は結構だけれども、そのお咎めですよ。
信者になった以上・・・じゃない、メシヤ教の浄霊で救ってもらった以上・・・
つまり私のやり方を言って、その通りやらなかったら救われっこないですね。
だから、そのお詫びをするんです。
頭に激痛・・・これは、祖霊さんが戒告したんです。
それでも気がつかないんでお腹が膨脹したりしたんです。
それで治るわけですがね。
本人が心からお詫びしなければ駄目ですね。」
明主様御垂示 「明主様御言葉を忠実に守らなかった場合にはお詫びすべき」 (昭和27年3月1日)
龍の墨絵の処分方法について
信者の質問
「十年ほど前より神経麻痺の方で、御浄霊でたいへん楽にはさせていただきました。
龍の墨絵の軸がございますが、先日お伺させていただきまして、関係があるかも知れないので、
御神前に置くようにと御教えいただいておりましたので、
それをお伝えしましたが一週間ほどで、気にすることもないと箱にしまったそうでございます。
先日見てくれと申しますので、見ましたところ、妖気を受けるようで、
まだまだ御言葉通りにしたほうが良いと言い、祝詞を奏上いたしますと、
風もないのに御神体だけが五寸から七寸くらい離れまして、非常に揺れまして、十五分くらい続きました」
明主様御垂示
「最初、龍神は光明如来様の前に置けと言ったでしょう。
そうですね。それから一週間経ってから箱に入れたんですか。
それがたいへんな間違いです。
それは、あなたがその人にお詫びさせなければならない。
私の言うことを・・・私が一週間だけで良いと言ったのなら良いが、私はそうは言わないでしょう。
ただ置いておけと言ったでしょう。
そうしたら、半年なら半年、一年なら一年経ってから、私に聞くのが本当でしょう。
それを、あなたが聞かないというのは間違っている。
それを気がついて言うのが本当です。
私が、こう言ったのを、勝手に人間のほうでやると、お咎(とが)めがありますよ。
ですから、御神前に置けと言った以上、置いておけば良い。
それで、そむいたことを本人に良く言って、光明如来様にお詫びするように言うことがあなたの務めです。
当分ですが、巻くときは私に聞いて巻くのが本当です。」
信者の質問
「巻いたままでよろしゅうございましょうか」
明主様御垂示
「巻いたままで良いです。何か台をしてね。」
明主様御垂示 「強制入信させた者はお詫びしなければならない」 (昭和26年11月11日)
明主様御垂示
「最初、講習ですか、した時に・・・無理に奨めたんでしょう。」
信者の発言
「A子(註 患者の娘)さんがお道にたずさわっており、いただけば良いということで・・・」
明主様御垂示
「本人の気持ちでないでしょう。無理は決していけないですね。
無理に押しつけたりするのは、なぜいけないかと言うと、神様を冒涜することになる。
神様は ・・・人間が、どうかお助けくださいというのが、本当で、それは神様の扱いですが、とにかく神様を侮辱することになる。
だからたいへんな御無礼になる。
これはA子さんが、よくお詫びするんです。
それで、もうできちゃったのはしようがないから、お詫びして、今後そういうことはないように。」
明主様御垂示 「無理に入信させた息子が御神体を破いた事例」 (昭和28年1月25日発行)
信者の質問
「私ども夫婦は、二十年より信仰に入れていただき、二十三年八月に光明如来様を御奉斎させていただき、
愚息(本年二十五歳)にも無理に入信させましたためか信仰心なく、私どもの意にも添わなくて困っておりました。
昨年十一月二十六日夜、金銭の問題から口論となり、あげくの果てに、恐れ多くも御神体に手を掛け、引き裂いてしまいました。
私どもの不行き届きから、かかる不祥事を引き起こしまして、まことに申し訳なく、なんとお詫び申し上げましたらよろしいものか、途方に暮れております。
謹みてここにお詫びとお許しをお願い申し上げ、破損しました光明如来様の御書はいかがいたしましたらよろしゅうございましょうか、伏してお詫びとともに御教示をお願い申し上げます。
なお一日も早くお詫びがかなって、再度御神体をお迎えさせていただけます日の、一日も早からんことを御祈願申上げます。」
明主様御垂示
「これはたいへんな間違いをしたのである。
というのは、御子息を無理に入信させたためである。
信仰心の湧かない者を無理に入信させるのは、尊い神様に対し非常な御無礼になるので、神様は覚らせるために、御子息の手を通じて破られたのである。
いつも言う通り信仰には無理がもっともいけないのである。
しかしできたことは致し方ないから、よくお詫びをして焼き、新規にお受けすればそれでよろしいから、あまり悔んだりしないで、
今後注意すれば神様はお赦しになるので、あまり心配しないようになさい。」
明主様御講話 「御浄霊お取次の順序を乱した場合にはお詫びすべき」 (昭和28年5月25日)
子供の病気は家族の浄霊で対処すべき
「病気の時に、一々支部長を煩わせるということがたいへんな間違いだということを知らしたのです。
大体自分の家族は自分が浄霊する以上、他人を浄霊して信者にするということが本当ですから、
小児麻痺というようなのなら、支部長とか古い幹部に頼むということもありますが、
肺炎くらいは方っておいてもなおるくらいのものです。
それを支部長を煩わせるということは、一度か二度ならまだしも、今年の二月から五カ月も支部長が行くということは、支部長もどうかしているし、
片方も信者になってから二年くらいたっているのですが、どうかしてます。
これではしようがないので、うまくなおるはずがありません。
だから浄霊者も、風邪引きとか腹下しくらいはなんでもないが、少しグズグズしてなおらないということは、必ずなにかがあるのですから、それを発見してお詫びをするのです。
お詫びをすると、それだけで浄霊しなくてもなおってしまいます。
そういうことで、でたらめなことがあんがい多いのです。
それでこういう注意を書いたのです。
そういうことに気がつくということも、その人の智慧証覚が進んでいればすぐ気がつきます。
つまり智慧証覚でそういう急所を発見しないと無駄なことをし、骨折って結果が悪いということになります。
そういう場合、ちょっとしたことでも、それが非常に影響するのです。」
明主様御垂示 「御神体奉斎の順序を間違えた場合にはお詫びすべき」 (昭和28年12月1日)
新入信者は大光明如来様を奉斎すべきではない
信者の質問
「以前に入信した人で、最近信仰が落ちている家庭を調べると、
最初から大光明如来様を奉斎し、それも間半(まなか)の床とか、立派でない床というのが非常に多いようです。
これが、順序として光明如来様を奉斎して現在にいたる家庭は、信仰も落ちず、順調に進んでおります。
そういうことがございましたが、これは順序が間違っているわけでございましょうか」
明主様御垂示
「そうです。それはよいことです。
そこなのですが、つまりいつも言うとおり順序があるのだから、最初の信仰が熟しないときとか、
いわばその人の霊的位ができなければ大光明如来様を祀ることはできないのです。
それからその家の床の間も相応しなければならないので、家があんまり粗末なときに大光明如来様は、かえって御無礼になるから、そういうのは光明如来様でなければならないのです。
それから信仰に入りたては光明如来様が本当で、入りたてから大光明如来様というのは嘘なのです。
ただ良くさえあればよいというのは嘘なのです。
私がいつも言うとおり、名前を変えてやる場合にも、名前が良過ぎて悪い場合が非常に多いのです。
私が最初言霊ということが分かったときに、なんでも良い名前をつければよいと思って、良い名前をつけましたが、それが悪いのです。
それでおかしいなと思っていたが、神様から教えられた。
それは良過ぎるからです。
ですからその人に始終接してみて、その人の値打ちはこのくらいということが分かって、それに合うくらいの名前をつければ大丈夫です。
ところがこの人なら良い名前をつけるという人はほとんどないのです。
みんな一番ヘッポコな名前をつけたほうがちょうど良いのです。
ですから私はそれからはあんまり良い名前はつけないのです。
間半の床というのは何ですか。」
信者の質問
「三尺とか四尺の小さい床のことでございます。そういう床はそのままで大光明如来様を御奉斎してよろしいのでございましょうか」
明主様御垂示
「あんまり結構ではないのです。
本当は光明如来様にしなければいけないが、しかしそこの事情があるから、よくお詫びして事情が許す限りは・・・
そうかと言ってそれを取り替えるということはまずいから、お詫びをするのです。
お詫びをするということは、つまり順序をはき違えたというその間違いをお許し願いたいと言って、そのままにしておくよりしようがないです。
そうしてこれからそういう間違いがないように注意するということでよいです。」
明主様御垂示 「御神体奉斎の決め事を破った場合にはお詫びすべき」 (昭和28年11月25日発行)
支部に特別大光明如来様をお祀りするのは間違い
信者の質問
「私の家は孫M子(一歳)のほか全員七名入信さしていただき、特別大光明如来様、千手観音様を御奉斎さしていただき、
現在支部として御用さしていただいております。
長男K(旧名N)は昭和二十二年五月入信いたし、中教師の御資格をいただき鹿児島県鹿屋市鹿屋出張所にて御用をさしていただいておりましたが、
昭和二十七年春季大祭の御参拝より帰りまして、四月十五日より胃潰瘍の御浄化をいただき八月十一日に帰幽いたしております。
今度四男H(九歳)が三月二十日ごろより風邪の御浄化をいただき、咳がひどく、
四月の初め中教会長先生より御浄霊をいただき咳も止まりましたが、
食欲があまりなく呼吸が苦しくなってまいりましたので、四月二十日より休学いたしました。
五月五日御面会に参拝さしていただき御守護いただきまして、だいぶ楽になりましたので、十一日、十二日と通学いたしましたが、
また苦しくなりましたので休学いたしました。
六月二日より浄化が強く寝込むようになりました。
咳がひどく熱も三十八、九度くらいで全身に汗が出ておりましたが、七月七日、会長先生の御浄霊にて咳と熱は同じでしたが、汗が首から上だけ出るようになりました。
呼吸の苦しみは続きました。
現在食欲が少なく、一食茶碗で軽く一杯三食食べておりますが、たいへん衰弱いたしておりますが、
気分のよいときは床を離れて家の中で坐って遊んでおります。
御浄霊は一日三回(一回三、四十分くらい)、主に肩、延髄、頭、耳下腺付近を入念に腰部も御浄霊いたしますが、
時折(一日三回くらい)下腹部の痛みも浄霊いたします。
腎臓部には親指の先くらいの固結があります。
肩が固く耳下腺付近にも固結があり、御浄霊いたしますと咳が酷くなり、唾液の中に寒天のような痰をそうとう出します。
この子供はちょっと他の子供と違っておりまして、六月の浄化のひどいときに曾祖父(養子)の実家と祖父(養子)の実家、私(養子)の実家に御屏風観音様の御奉斎をさしていただきました。
また二十七年三月の御浄化をいただきましたときは、特別大光明如来様の御奉斎をすすめて、私が承知いたしますと治まりました。
また私に使う言葉も「お前がああしようこうしよう」と御用のことは子供と思えぬ徹底したことを言います。
家内一同お任せし、ひたすらおすがりしております。
子供の浄化は霊的関係がございましょうか、また御浄霊の箇所はいまの所でよろしゅうございましょうか、御垂示賜りたく右謹んでお伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「あなたは間違っていることをしていた。
それは支部に特別大光明如来様をお祀りするのは間違っている。
特別大光明如来様は中教会以上でなければ理屈に合わないからである。
従ってさっそくお詫びをして、大光明如来様と替えればいい。
そうして特別大光明如来様のお軸は、時期の来るまでお粗末のないよう大事にしまっておけばいいのである。
今一つは浄霊にできるだけ力の入らないようにすることと、急所をはずれないようにすることである。」
明主様御垂示 「神様を利用する想念は間違い」 (昭和24年7月23日)
御神体を新居探しの道具に利用するのは間違い
信者の質問
「大光明如来様をいただきましたが、場所がありませんのでそのまましまってございます。それでも御守護をいただけましょうか。」
明主様御垂示
「しまっておいたんじゃ、御守護はごくわずかしかいただけませんね。が、場所もないのにいただくなんて本当じゃありませんね。」
信者の説明
「戦災で焼けましたため、ただいまはバラックでございますので・・・」
明主様御垂示
「その前は。」
信者の説明
「いただいておりませんでした。」
明主様御垂示
「だから、本当じゃない。ちゃんとお祀りすべき場所を作ってからお迎えするのが本当なんです。
お客さんを迎えるのだってそうでしょ、席を作ってから迎えるべき、で、迎えたけど場所がないから物置の隅にでもしゃがんでてくれっていうんじゃいけない。(爆笑)」
信者の説明
「その主人は御神体をお祀りすれば、いい家でも授かるかと存じまして・・・」
明主様御垂示
「神様を利用するんですね、もってのほかですよ。
そんな便利に利用できたらたいしたもんですよ、すばらしいことです。・・・
これは根本的に違ってますよ。」
信者の説明
「床の間がございませんので・・・」
明主様御垂示
「だから、やめたらいいんです。
やめるという気持ちになればかえって床の間を授かるかもしれませんよ。(笑声)
その人の心が変わってくるとね。・・・
あんたも一緒にお詫びをしなけりゃいけない。
そんなことをすると・・・そういうね、神様を利用するってのは根本から間違いです。
だから、これはいったん返しなさい、そしてよくお詫びをするんです。
そうすれば床の間を授かるでしょう。
床の間を授かるまで御神体は本部に預けておきなさい。」
明主様御垂示 「危篤の祖母を慰めるために御神体を奉斎した事例」 (昭和26年11月8日)
信者の質問
「大光明如来様の信者の質問「大」の字に雨漏りがして・・・」
明主様御垂示
「それはいけないですね。」
信者の質問
「染み抜きを頼みますと、薬品を使いますが、よろしいので・・・」
明主様御垂示
「染み抜きもいけません。
文字に関係しない・・・紙なら、経師屋でも良いが、文字に関係したらもういけないです。
取り替えなければいけない。」
信者の質問
「あとはどのように・・・」
明主様御垂示
「しまっておきなさい。
いや、焼いたほうが良いですね。
よくお詫びしてね。
やっぱり、何か間違った点があるんです。」
信者の質問
「祖母が亡くなった日に、結婚式と大光明如来様の御魂祀りをさせていただき、それを見なければ死なれないと言うので・・・」
明主様御垂示
「それだね。間違っているからね。」
ですから、お詫びして焼けば良い。」
明主様御垂示 「無理に入信させた妻がお光を破いた事例」 (昭和25年4月23日)
信者の質問
「私は昭和二十三年七月入信、十二月御神体をいただきましたがいずれも妻の諒解を得ずにいたしました。
約十月ほど遅れて妻も入信いたしましたが翌日御守りを外し、間もなく私が本部に泊めていただいたことに腹を立て翌日御守りに御無礼いたしました。
私は驚いて、大先生様の御写真、御神体にお詫び申し上げました。これは私の罪でございます。どうぞお許しくださいませ。」
明主様御垂示
「これはお詫びですね。」
信者の説明
「それが、御光りを破いてしまったのでございます。」
明主様御垂示
「破いた? だれが? この細君がですか。」
信者の説明
「さようでございます。御光りを破いて丸め、焚付けにしようとしたそうでございます。」
明主様御垂示
「ほう・・・なにか他の信者なんですか。」
信者の説明
「以前他の宗教をやったことがあるようでございます。」
明主様御垂示
「御光りに御無礼したってのはそういうことですね。」
信者の発言
「さようでございます。」
明主様御垂示
「で、奥さんが教修受けてからですね。」
信者の説明
「はい、前の晩主人が外に泊まったので嫉妬もあったようでございます。どうもその細君には狐霊がついているようでした。」
明主様御垂示
「その御亭主は前になにか信仰してたんですか。」
信者の説明
「なにか稲荷を信仰しておったようでした。」
明主様御垂示
「ま、神懸りじゃしかたがない。しかし、改心しなけりゃいけませんね。
けど、こういうのは細君がよく判らないうちに無理に教修を受けさせたんじゃないですか?」
信者の説明
「そうらしゅうございます。」
明主様御垂示
「そうでしょう、それがいけない。
破いて丸めるのはあたりまえだ、むしろ丸めるほうが本当ですよ。
決して無理に教修を受けさせちゃいけない、命令的に信仰させるのは絶対いけない。
いくら妻でも子供でも押しつけるのは絶対にいけません。
信仰ってものはその人自身の心に湧き起ったものであるべきなんです。
どうしても教修受けたい、やむにやまれず御光りをいただきたいっていうんでなけりゃ、受けさせてはいけません。
お義理や命令で教修を受けるのは、神様に対してたいへんな御無礼ですよ。
そういう人が御守りをかけると御守りが穢れますよ。
そんなのは御守りを非常に安ッポク扱ってるんです。
神様を安ッポクしてますよ。御無礼もはなはだしい。
そういう者に御守りを与えるなんてとんでもないことです。
まあ、これはこのままにしといて、この細君がたいへん悪いことをしたと心から覚って、
どうしても信仰に入れていただきたいと気がつくまではそのままにしといていいです。・・・
これは重大なことですからね、ちょっとした考え方で非常に違ってきますから、ここんとこによく気をつけなくちゃいけません。
間違った考え方と言えば、この間もある人が火事に向かって浄霊したら、風向きが変わって大難が小難ですんでしまった。
ところがその人は「これは焼くべきものを焼かずにすましてしまうんだから悪いんじゃないか」って言ってましたが、そうじゃない、非常にいいことなんです。
つまり、それが神の慈悲なんですよ。悪人も助けなくちゃいけないんです。
火事が起ったっていうのはそこが穢れているからそれを浄化するために焼かれるんですが、浄霊すれば曇りが消えて難を小さくしていただけるんです。
不仕合せはこの浄霊によって消滅するんです。
なにごとでも、人間の苦しみを減らすことは神の慈悲なんですから、
よけいなことはなにも考えないで、無意識に、ただかわいそうだからやってやる、それでいい。
無意識でいいんです。それがやむにやまれぬ慈悲なんですよ。
そして、そうすることがまた、神様の御旨にかなうんですよ。」
明主様御垂示 「お光の粗相に対するお咎め」 (昭和26年3月25日発行)
信者の質問
「本年一月七日、私の教会の新年祭をさせていただきましたが、
この日の午後二時ごろ隣村の信者IM氏(酒造業)宅で非常にこげ臭いので、あちこち探しましたところ、
次男が階下の衣桁へ御守りのかけてあるその上へ重ねてオーバーを掛けて二階へ上っていたのですが、
こげ臭いのはそのオーバーが燃えているためだったのでございます。
その衣桁の付近にはなんら火の気はなく、家族の者は非常に不思議がっていますが、
次男の申しますにはオーバーのポケットヘセルロイドのパス入れがあったが、
そこへ消したつもりで煙草の吸い残りを入れたのに、まだ火がついていてセルロイドへ引火したのではないかと思う、と言っていますが、
これも確実に記憶してはいない単なる推理にすぎないのであります。
あるいは右の出来事は尊い御守りの上へ、不敬にもオーバーを掛けてあったので、そのお咎めでしょうか、なにとぞ御垂示のほどお願い申し上げます。
なおオーバーは半分以上も焼けていたそうですが、「御守り」の袋はこげてもいず、大事に至らなかった点を非常に感謝申し上げています。」
明主様御垂示
「右は勿論お咎めであるから、よくお詫びして悔い改めないとふたたびお知らせがあるものである。
本教の御守りは生きているのであるから、大いに注意すべきである。
御守りばかりでなく、私の書いた文字の上へなにかを載せると必ずお知らせがある。
また御神書や本教の新聞雑誌などでもその上へふつうの印刷物など載せると、お咎めがあるものであるから、この点よく注意すべきである。」
明主様御垂示 「お光をトイレに落とした場合」 (昭和28年5月1日)
信者の質問
「御無礼な話でございますが、御守様を便所の中に落とした場合、その処置はいかがいたしましたらよろしいでしょうか」
明主様御垂示
「上げて焼くのが本当です。分かればそうすればよいが、しかし分からなくなったらしようがないからお詫びするのです。」
明主様御垂示 「お光の入ったシャツを洗濯した場合」 (昭和26年10月5日)
信者の質問
「主人がシャツに入れていたのを、奥さんが知らないで、お守が入っているまま水に入れてしまい、気が付いて申しわけないと持ってきましたが、
広げて乾かしても、乾かないのです。
いまもって・・・半年以上になるのですが、湿っぽいそうです」
明主様御垂示
「よくお詫びするんです。その人の心掛けが悪い。それをお知らせしたんです。
本当は首から掛けて洋服を着るというんです。
そうでなく、ポケットに入れていたんだから、よくお詫びして御神前に置くかすればよい。
それを、普通のものを掛けるようにしているからで、心掛けが悪い。」
明主様御垂示 「お光の余白を破いた場合」 (昭和24年11月18日)
信者の質問
「腫物にはるために御霊紙と間違えて御守様の御神体の余白の処を少し破った人がありますが、どうしたらいいでしょうか。」
明主様御垂示
「お詫びすればよい。」
明主様御垂示 「お光紛失の理由」 (昭和24年12月20日発行)
信者の質問
「首におかけしていました御守り様がときどきなくなったということを聞きますが、いかなるわけでしょうか。」
明主様御垂示
「これは不注意である。
そういうことはないとは言えぬが、御守りがなくなるとか汚すなどは心の置き所が徹底しないからである。
尊いという信念が薄いという意味もある。
良く反省してお詫びして心を入れ替えるようすべきである。
御守りは火素の塊りのようなもので、消えない火であるから水に浸しても濡れないのは不思議である。」
明主様御垂示 「お光紛失には理由がある」 (昭和25年4月17日)
信者の質問
「五歳の男の子がいつの間にか御光をなくして参りました。
本人に聞きましても知らないと申します。
誠に申し訳ない事を致しまして、深く御詫び申し上げます。
これは何かのお気付けで御座いましょうか。御教授願います。」
明主様御垂示
「お気付けとは限らぬ。外に理由のある事もある。
穿鑿(せんさく)は別として、お詫びして新規に戴く事である。」
明主様御垂示 「お光が焼ける理由」 (昭和24年8月28日)
信者の質問
「昭和二十二年に入信致しましたIN(女性・四十二歳)と云う信者で御座いますが、
(日頃あまり熱心にやっておりません)
先月外出先より帰って、御光を箪笥の横にちょっと掛けておきましたところ、風か鼠のために落ちました。
丁度その下に火鉢があって火が少々残っておりましたため、御光が焼けてしまいました。
改めて御光を受けさせて戴く考えで御座いますが、霊的に何か意味があるのでしょうか。御伺い致します。」
明主様御垂示
「大いに意味がある。大変意味がある。
御光を箪笥の横へ掛ける想念は全然判っていない。故に必要がない。
必要のないものを与える要はないというので神様が焼かれた。
御光を粗末にするとこういう事がよくある。
間違っている事をお詫びして再教修受けるか、その気持になれなければ信仰をやめるべきである。中途半端ではいけない。
信仰するならそのような行動をとるべきである。」
明主様御垂示 「原因不明のお光のシミ」 (昭和24年7月28日)
信者の質問
「三十四歳の男子、七月十三日山桃を取るため木に登りました。
その際知らぬ間に二粒程ポケットに入り、遂に御光様に染の付いたのに気がつき吃驚しました。
何か因縁があるので御座いますのでしょうか。
また、今後いかように致したら宜敷いでしょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「(御守様の内側は汚れる筈がない)
自分自身考えてみよ。何かある。こんな事はあるべき筈がない。本人が考えよ。
考えて判ったらお詫びして戴き治せばよい。」
明主様御垂示 「御守護に対して相応の報恩をしなかったことのお詫び」 (昭和28年7月25日発行)
信者の質問
「謹んでお伺い申し上げます。
私は三十四歳ごろより大酒呑みになり、アルコール中毒になりましたので、
妻が心配し、河内の石切神社に願をかけましたところ、約半年ほどの間はよほど少なくなりました。
そのころ玉光教の霊媒により、私の大酒呑みは実弟(二十四歳死亡)が昭和十年ごろ、上海より持ち帰りました支那の七賢人を、神戸で友達に分かち二体を家へ持ち帰りましてから、淋病や肋膜炎、ついには結核性脳膜炎で死亡いたしました。
その原因は「七賢人を分霊させたたたりと、そのうえまだまだ災難の続くところ、妻が助産婦の業をいたしておりますゆえ、私が大酒呑みの程度ですんでいる。
いまでは中毒になっているから今年中に命のないところ、神様へ対する誠によって命をいただいたのですよ」と言われ、
今後絶対に災難のないようにと、七賢人より彫刻した人の霊を抜いていただきました。
その後(昭和二十四年三月)救世教へ入信の光栄に浴し、ただいま大光明如来様御奉斎、大光明の御守り様も妻とともに拝受、御守護により入信後、
十カ月ほどはまったく止まっておりました酒を、二年ほど前からまた呑むようになりました。
これは、七賢人の霊の上へ遠縁の酒呑みの車夫の霊もかかっているとのことでコップ酒を好みます。
七賢人はなんとも言えぬ凄い顔をいたしておりますので、家へ置きたくないのですが売ることもできず、そのまま違い棚の上に置いてあります。
先日長男(二十二歳)が意識不明の御浄化をいただき、
先祖が出てまいりまして「七賢人は美術館に献納させてもらいなさい。すると、七体がおのずから集まってくる」と、申しましたが、いかがさせていただきましたらよろしゅうございますか。
また、七賢人の霊および作者の霊は、はたして抜けておりますでしょうか。
私の酒呑みと、七賢人および酒呑みの幸夫の霊とはいかなる関係がございましょうか。
尊き御神業の一端をまっとうさせていただきたく、右謹んでお伺い申し上げます。
なにとぞ御垂示のほどお願い申し上げ奉ります。
ちなみに七賢人は黒檀で刻まれてありますが、作者、年号とも不明でございます。」
明主様御垂示
「最初十カ月間止まった御守護に対し、相応な報恩をしないからであるから、そのことを第一にお詫びをすべきである。
そうして物質なり、信者を作るなりして、力の限りお役に立つことである。
そうすれば、酒も止み、万事都合よくなる。
次に七賢人はそのままにしておいてよろしい。」
明主様御垂示 「家族一同を御神業に専心させるために先祖が子供を病気にした事例」 (昭和26年11月5日)
信者の質問
「信者KBの長男K(一歳八カ月)は十月三十日ごろより風邪気味にて、
身体全部に赤発疹ができ、親たちは「ハシカ」ではないかと思っておりましたが、
三十一日朝ごろより、あまり泣かず、ただ口で呼吸をし、起きようともせず寝ていますので、どうしたことかと心配になり、十一月一日支部に連れてきました。
その時はそうとうに熱もあり、鼻汁が出て、お乳も飲み悪いようでありました。
浄霊をいただいて帰ってから、たいへん濃い鼻汁がたくさん出るようになりました。
翌日支部に連れてきた時は、ぜんぜん熱はなく、相変わらず言葉も出ず、泣くこともなく眠っているような状態で、
時々空(うつろ)な目で見開きする程度にて、首のまわり、後頭部、腎臓部など良く御浄霊いたしましたが、なんら変化なく、
昨日はお乳も飲みそうにもせず、ただうとうと眠っているばかりです。
一昨日ごろまでは、多少の下痢もありましたが、それもなく絶えず放屁(ほうひ)しております。
父親は二十二年二月入信いたし、光明如来様を御奉斎させていただいております。
初めのころは、教導師補の御資格をいただき、布教に努力いたしておりましたが、
父母弟妹が非常な反対なので、御用も思わしくできず、今は長男でありながら別居いたしており、ゴム裏、草履製造業を営んでおります。
母親は二十五年十一月入信いたしました。
ちょうど、昨年母親が肋膜の御浄化をいただき、御浄霊にて健康にさせていただきましたが、
その発病日と子供の発病の日と同日であったとのことです。
右は、なにか霊的の関係がございましょうか。
また御浄霊はどこを主にさせていただきましたらよろしいでしょうか。」
明主様御垂示
「やっぱり祖霊ですね。これは、祖霊が早く神様のこと・・・御神業を一生懸命にやってもらいたくてしようがない。
だから、御用も思わしくできず・・・というこれですね。
これで、祖霊が非常に困っちゃった。
母親が入信したのは結構だが、ただ入信しただけでは駄目だ。
最初母親を信仰に入れたいためにこうして、今度は父親も母親も、一生懸命に信仰させたいためのお気づけです。
よく、それを心から解ってお詫びするんです。
そうしないと、これはあるいは死ぬかもしれないですよ。
祖霊さんは、こんなことじゃ駄目だと思って、一人亡くしたらば目が醒めるだろうというようにして・・・これは危ないところです。
だからお父さんもお母さんも、一刻も早く目が醒めて、よくお詫びして、
これから一生懸命に神様のことをさせていただくからお許しをいただきたいということを、神様にお詫びして、それから祖霊さんにもそういうふうにする。
そうすると、じき治ります。
それで、早くそうしないと、霊界にいる祖霊が救われないんですからね。
だんだん最後が来るに従って、祖霊さんは気が気じゃないですよ。」
明主様御垂示 「神社跡を墓地とした過ち」 (昭和25年5月1日)
信者の質問
「二児を肺病で失い、なお、現在長女が肺病でひたすらお縋り申しております信者で御座います。
家族全部入信、光明如来様をお祀りさせて頂いております。
この家では、主人の兄とその家の両家にて神社の敷地の一部を買収致しまして墓地を作りましてから両家共不幸が続くようになり、
兄の家では九人の子供の中五人迄次々と肺病にて死亡致しております。
この度の長女の病気も右の墓地に原因があるような節が御座いますが、もしそうで御座いますならばどう致しましたら宜しゅう御座いましょうか。お伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「神社の神様にお詫びして、お許しを乞う。
神社の龍神・・・守護神か何かの龍神が怒ったのであろう。
返せる場所だけ神社へ返し、お詫びして、光明如来様にお詫びする。
大変な間違いであった。」
明主様御垂示 「艮の神様を封じた事例」 (昭和25年5月25日)
北東にトイレは絶対に駄目
信者の質問
「左記について御伺い申し上げます。
一、艮(北東)の方向に御不浄があり、家族の者に病気がありました時、
この地方の祈祷師に祈祷をして貰いましたところ、鬼門艮神のたたりがある故、
そのたたりを封じ込めばさし障りは解消するとの事で、「封じ込み」をして貰いました。
それでさし障りが解消するでしょうか。御教示下さい。
その時、鬼門艮神を御まつりせよと金紙の御幣をもらい、家の中にまつってあります。
御不浄を取除く時、そのまま取除いてよろしいのでしょうか。
その浄め方を御教示下さい。
その際まつってある御幣はそのまままつるべきでしょうか。
二、本家と離れ、艮の方向に畳表を織る仕事場の小さい別棟がありますが、家族の者に病人が絶えません。
やはりさし障りがあるのでしょうか。さし障りがあるとすれば移すべきでしょうか。御教示願います。」
明主様御垂示
「一、艮の神様を封ずる事は出来ない。そんな事をすれば飛んでもない事になる。ちょっとおじぎして焼却してしまえばよい。
便所は一時も早く取除く。埋めた後きれいに掃除して、祝詞を奏げればよい。よくお詫びせよ。
二、仕事場もあまりよくない。いくらか障る。いずれ取除いた方がよい。
艮の方から流れる清い霊気を止める訳である。」
明主様御垂示 「明主様信仰者が厄払いをするのは間違い」 (昭和24年9月25日発行)
信者の質問
「光明如来様を祭った某氏が四十二歳の厄払いのお祝いの夜、倉庫の中の衣類箪笥二棹全部盗られました。いかなるわけでしょう。」
明主様御垂示
「信仰しながら厄払いするのは間違っている。
それでは無信仰同様で神様が警告したのである。
神様を信用してないから御守護が止まる。
信仰して御守護いただけば盗賊など入られるものではない。
よくお詫びすることだ。
厄とか方角とか、信仰していればほとんど無関係で、正しいことならなにしてもよろしい。自由である。」
明主様御垂示 「明主様信仰者は狩猟をしてはならない」 (昭和26年12月11日)
信者の質問
「昨年一月入信の者でございます。
銃猟が趣味で、毎年冬の山野を歩くのを楽しみといたしております。
十二月一日、三連発の猟銃の回転が悪いので、実弾(散発三百発入り)をこめて、安全装置をして、「いろり」の側で調べておりましたが、
銃口を上にして一、二回下に突いてみましたが、具合が悪いので、銃口に左の手をあて力を入れて下に突きました瞬間、
弾が爆発して手の平をつらぬき、屋根裏をぶち抜き、飛び散りました。
傷は手の平に一寸、手の甲は二寸ほど砕けて口を開けて、白い筋のようなものが飛び出し、勿論骨は砕けたものと思われます。
御浄霊をいただきまして経過は良くさせていただいております。
今後の御浄霊につき御垂示のほどお願い申し上げます。」
明主様御垂示
「これは驚いたな。
信仰に入っていて、そんな殺生するなんてとんでもない。
だから、神様のお気づけですよ。
まあ、なんですね・・・こういう狩猟するのは、信仰止(や)めてやるか、信仰に入っている以上は、絶対にやっちゃいけないですね。
やっぱり、こういう殺生すると、必ず祟って、ろくなことはないですよ。
これは、止めろという神様がされたことだから、非常に結構ですよ。
良くお礼を言って良い。
それで、これを止めないと、今度はもういっそうひどいのになります。
これでもか、これでもかとなりますよ。
これで止めて、良くお詫びして、これからできるだけ人を助けるんですね。
そうして、その鳥を殺生した罪を、それによって償ってもらう。
そうするのが一番良いです。
それから、御浄霊は自分でやっても良いですから、あとは良くお詫びするんだ。
これからはもうしない。そういうことは絶対にしないということをお誓いするんです。
それが根本ですよ、そうしないと、またなにかありますよ、だから非常に結構です。」
明主様御講話 「お医者さんの罪もお詫びすべき」 (昭和27年9月26日)
無意識の罪はお詫びすれば許される
「罪の中でも、意識的に行なう罪と、無意識に知らず知らず行なう罪と両方ある。
それで意識的に行なう罪は非常に重いのです。
それは現界の法律と同じです。
知らず知らず行なう罪は、悔悟してお詫びをすれば許されるものです。
それで今 仏教の方の偉い人の罪は、知らず知らず良いと思ってやった罪だから非常に軽いのです。
それと同じような意味において、医学・・・お医者さんも、気持ちは善ですから・・・動機善だからして、そう深い罪ではないのです。
気がついてお詫びして、今度は別の本当の働きをすれば許されるのです。
けれども罪は罪ですから、やはりそうとうの代償がなくては許されないのです。
これは別の話ですが、お医者さんの子孫というものは、まことに不運です。
これは良く見ると分かりますが、こういうこともそういう現われです。」
専従者の寄稿 「資格者に対するお叱り 小さな過ちもすぐにお詫びすべき」
「明主様には、こわくてウソが申せません。
ある時、四十才前後の男の人(お弟子)が、明主様に何かをお詫びに来ていました。
話を聞いていらした明主様は、「それは初めてじゃないだろう」と言われます。
「いいえ、初めてです」とその男の人。
すると明主様は、「あんたは、去年の何月何日、どこで、こういうことをしたろう」とハッキリとおっしゃいました。
そして、続けて、「あんたは、資格者だ。そういう小さなことでも、その時に清算しておかないから、今日大事にぶつかったのだ。
小さなことの詫びがすんでいないからだ」と明主様は言われます。
「明主様、そういうことが、よくお判りになりますね」と私は驚いて申し上げました。
すると、明主様は、「私は、ひとりの人間を知ろうと思えば、毎日のことでも、みな判るが、一々面倒だから、必要がなければしないんだよ」とおっしゃいました。
「あんたのこともすっかり判っているんだよ」
「いえ、私のことは結構でございます」と、私は怖くなって申しました。
こういうことは神様でなければ判りっこない。
私は、ますます明主様から離れられなくなりました。」
参考 側近者の寄稿 「薬毒の恐怖」より 瓢箪 (昭和29年10月15日発行)
物事は現実的に考えるべき
「(一部のみ引用) 私が頭頸部の御浄霊を賜わるようになってから頭も大変よくして頂いた事を自覚していたが、時として物を考えようとすると思考が分裂してまとまらず、
無意味な妄想や、自分の意志と全く相反した不快極まる想念が沸いて混乱に陥ったり、ついには頭脳活動が停止したかと思う程無能力的になる。
こういう事が度々あると、次第に自己の頭脳に自信がなくなり、なすべき事も段々出来なくなる。
そういう時「これは自分の想念や行いの間違いによって曇りをつくり、その為に脳力に変調を来たしているにちがいない」と思うようになった。
そしてその事を明主様に御伺いすると、「何を言っているのだ、決してそんな事はない、みんな消毒薬の為だよ、まだまだウンと消毒薬が延髄部に固っている。よほど消毒薬を入れたものとみえる。
お前の頭には普通人の何倍もの薬毒があり、それが頭の中で渦巻いているのだ」と御垂示賜わり、私は直ちには信じられぬ程ビックリしたのである。
自分が今迄になくよくして戴いた事から頭の方の薬毒は充分減らして頂いたし、消毒薬は手術部に固結しているだけで、
ただ信仰の至らぬ為の症状とのみ思っていた私には、消毒薬がこんなにも執拗な恐ろしいものであり、延髄の固結までもそれである、とは、全く気づかなかったのである。
私はこれ程に御明示戴いた事もいつしか忘れ、この時の浄化の時も再び深刻な地獄的想念に悩んだ。
自分はなすべき御用も何一つ出来ぬ身をもって、かほどまでに大神様の御手数をかけ奉るのは何たる恐れ多く勿体ない事であろう。
常に限りない大御恵みを頂きながら当然の御用さえ出来ぬとすれば信仰している意義はなく、生きていて何の甲斐があろう。
このように何にも出来ぬのはよほど深い罪があるからに違いない。
肉体の支柱たる脊髄まで傷つけられ、その薬毒の為こうまで苦しまねばならぬのは、よほど前世において、大神様に背き奉った最大の罪を身魂に背負っており、その罪に相応する医療の被害を受ける運命になったのではあるまいか、と思い、明主様にお伺いした。
すると、「お前は一体、前世で神様に背いた覚えがあるのか」とお聞きになった。
「それは何とも判りません」とお答えすると、
「そんな不確実な事を考えるのは変ではないか、物事はもっと現実的に考えるべきである。
手術を受けさした親も病気を治してやりたい一心でやったのだし、医師とても同様善意でやった事であって、誤った医学以外には誰にも罪はない訳でほないか。
それが事実であり、最も正確な見方である。信仰者はすべて罪悪的非現実的に考えるし、無信仰者は唯物的にのみ考えるがどちらも本当ではない。
私は何れにも偏らぬ最も正しい考え方を教えるのである」と御諭し賜わった。
人類の罪を赦し給う救世主神の御眼には、人間の罪悪はあたかもお認めにならぬかのごとく、
ただ罪悪を生み不幸を作る薬毒を滅せんとの大悲の大御心しかお待ちにならぬがに私には感ぜられた。
そして又私は、常に陥りやすい既成宗教的、病的な考え方の急所をつかれ、悪夢からさめたような喜びを覚えたのである。
結局私は頭脳をよくしていただいた為に、次々起った薬毒の浄化の為に、深い罪悪感に陥ち、自ら地獄を作っていたのであった。」