夫婦の道について


明主様御教え 「夫婦の道」 (昭和23年9月5日発行)

「近来、見合結婚が良いか、恋愛結婚が良いかは相当やかましく論じられている。

しかしながら、これを霊的に解釈をする時は、どういう訳になるかを説いてみよう。

わが国は、都会はもとよりいかなる山間僻地といえども、必ず鎮守様、すなわち産土の神様が鎮まりいます産土神社、または氏神様がある。

これはちょうど現界における区役所のようなもので、

人間社会における冠婚葬祭はもとより、出産等に至るまで、産土の神様が担任されておらるるのである。

昔から子が産まれるや、必ずお宮詣りに行く習慣があるが、これは子供を授けて下さった神様にお礼詣りをするのである。

これと同様結婚においても産土神が男女を結合させるので、その際恋愛による場合と、見合いによる場合と、いずれも産土神の思召によるのである。

しかし、それを知らない人間は、人為的に成立するものと思うため、

世間に沢山ある夫婦喧嘩の末「貴様出て行け」などと言うのは、いかに間違っているかという事である。

せっかく神様の思召によって結ばれた妻であり、夫であるものを、人間が勝手にどうこういう事は、神様に対してはなはだしい無礼となるではないか。

いかに気にいらぬ夫でも、気にいらぬ妻でも、縁があって神様が決めてくださった以上、

おろそかに思う事は申しわけない訳で、有難く感謝すべきである。

故にその事を知って、感謝の心を持って見直したならば、よい妻であり、よい夫であると思えるようになる事は請けあ合いである。


今一つ重要な事があるが、それは子供の死であって、その原因たるや夫の不品行にもとづくのである。

例えば妻以外の女との関係がそれで、この罪は重大であって、ほとんど死に価する程のものである。

しかも世の中には妾を二人も三人も中には十数人に及ぶものさえあるという事を聞くが、実に恐ろしい事である。

これらの罪を霊界における祖霊は非常に怒るばかりか、子孫繁栄の妨げとなり、罪の重さによっては一家断絶の不幸に陥る事さえあるので、

祖霊は極力止めようとしてあらゆる手段をつくすが、なかなか目覚めないものである。

しかも、罪はますます増大する以上、早くその罪を贖(あがな)わなければならない。

それには主人たるべきものが責任を負うべきであるが、そうなると、家族の生活や将来に悪影響を及ぼす事になるから、

祖霊は主人の身代りとして子供を犠牲に供するのである。

このような事は、世間にあまりに多いものであるから、読者諸士は注意を払われたい。

必ず思いあたる事があるはずである。


そうして夫婦喧嘩の主なる原因は、第一が妻君の嫉妬、第二は生活難であろう。

故に、前述のごとき霊的事情を主人が認識するとしたら、嫉妬の原因はなくなる訳で、

夫婦は神様の御意志で結ばれた事や、妻以外の婦人関係は重罪にあたる事を認識したならば、

良き夫となり、良き妻となり、夫婦円満にならざるを得ないであろう。

これは、決して夫婦円満にするための作り話ではない。

事実長年にわたり幾多の経験とあいまって、神様から教えられたものである以上、一点の嘘もない事を断言する。

聖書の中から右に関した教えを左に記してみよう。

○神の合わせたるものを、人たるもの離すべからず。

○人はその妻に合い、二人の者一体となるべし。

○汝の妻をもて足れりとせよ。

私は、この一文を世の既婚者諸君に呈するものである。」




明主様御教え 「善を楽しむ」 (昭和23年9月5日発行)

「私はつくづく世の中を観ると、多くの人間の楽しみとしているところのものは、

善か悪かに分けてみると、情ないかな、どうも悪の楽しみのほうがズッと多いようである。

いな楽しみは悪でなくてはならないように思っている人も少なくないらしい。


まず一家の主人公であるが、生活に余裕ができると花柳の巷へ行きたがり、二号などを囲いたがる。

しかも、それがための金銭は正当でない手段によって得るほうが多いようであるが、もちろんそれは悪に属する行為である。

それがため、危ない橋を渡り、国家社会に損失を与えたり、自分自身としても家庭の円満を欠き、不安な生活を送ることになろう。

しかも、成功と享楽が人生最後の目的であるかのごとくし思惟(しい)し、しらずしらずのうちに現世的地獄に転落するのであって、そういう人士は中流以上に多いことであると共に、

それら成功者を見る大衆は、外面の様相のみに眩惑され、人生これなるかなと羨望しそのまねをしたがるから、いつになっても良い社会とはならないのである。

また正直者は馬鹿をみるという言葉もあり、まじめに世渡りをしている者は下積みになり、危ない綱渡りをする者が出世をして、豪奢な生活をするという現状である。

そのほか官吏の役得、会社員の不正利得、政治家の闇収入等々、全く俯仰(ふぎょう)天地に恥じない人は今日何人ありやといいたい程である。


ここにおいて、私は善を楽しむことを教えたいのである。

すなわち、相当社会に頭角を顕すようになっても、柳暗花明の巷に出入りすることはできるだけ避け、

余財あれば社会公共のために費し、困窮者を助け善徳を施し、神仏に帰依し、ときどきは家族を引きつれ映画、演劇、旅行等を娯しむのである。

こういうようなやり方であれば、一家は団欒し、妻は夫を尊敬し感謝するようになり、子女のごときも、まず不良になる心配はないであろう。

従って、経済不安もなく、不摂生もなく、健康にも恵まれ、長寿も保ち得らるる訳で、日々を楽しみ、心は常に洋々たるものがある。

明治の富豪として有名な大倉喜八郎氏はおもしろい事を言った。

「人間長生きをしたければ借金をしないことである」と、それは借金ほど精神的苦痛はないからである。

私も二十年間借金で苦しんだ経験があるので、よく判る気がする。

しかるに現代人の中には、暴露すれば法にふれたり、涜職罪になったりするような事をなし、

暗闇の取引を好み、妻君に知れたら大騷動が起こるような秘密を作り、高利の借金をし常に戦々兢々として不安の日を送っており、その苦痛を酒によって紛らそうとする。

酒が何程高くなっても売れるのは、そういう訳もあろう。

したがって健康を害し、短命となるのは言うまでもないと共に、こういう泥沼生活にはいったものは、なかなか抜け出ることができないのが通例である。

まず抜けでる唯一の方法としては宗教に入る事で、それ以外に方法はないであろう。


私は、以上のごとき善悪二筋道を書いてみた。悪を楽しむ人と善を楽しむ人とである。

読者諸士よ、卿らはいずれを選ぶや、熟慮を望むのである。」




明主様御垂示 「夫婦の霊層界」 (昭和23年夏)

信者の質問
「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世の因縁について・・・」


明主様御垂示
「これは昔封建時代、家来を殿様なり大将のため生命を捨てて働かす目的の下に非常に縁の深いような道徳を造った。

夫婦は二世というのは本当である。親子一世も本当で、厳密にいえば親子も二世である。

夫婦にしても、五人も六人も妻のある人もあるが、原則として最初のが本当である。

因縁により、夫婦であったものは夫婦になる。

世が乱れ、邪神が活動するために、本当の夫婦でない事も種々ある。男女間の事は非常に神秘である。これは大乗で説かぬと分らぬ。

霊層界であまり遠いと夫婦になれぬ。夫婦同じ霊層界という事は、ミロクの世までは絶無とはいえぬが極く少ない。

今は大抵高さの相違がある。

分らぬ妻を、信仰の橋渡しするのは人間でいいが、信仰に入れるのは神様に任すべきで、努力すると反って逆効果になる。

無理や焦りはいけない。」




明主様御垂示 「夫婦喧嘩はなかなか無くならない」 (昭和23年10月28日)

信者の質問
「御浄霊により肉体的に救われても、精神的に更生される方が少ないのはなぜでございましょうか。」

明主様御垂示
「精神的に更生できないというのはどういうわけですか?」


信者の質問
「例えばいつまでも夫婦喧嘩を続け、いっこう更生したように見えない方がよくございますが・・・」

明主様御垂示
「ところがなかなかそうは変わりませんよ。

夫婦喧嘩をしなくなるまで二、三十年はかかりますよ。

急激にぼんぼん変わればたいしたものです。・・・


それよりも他人ではない自分です。

自分がそう簡単に治るかどうかを考えたらよい。

五年かそこらで自分の心が治せたらたいしたものですよ。


それから時期ということもありますしね。

順序や段階もある。

以前私が大本教に入っていたころ、いい宗教だと思っていたがちょっとおもしろくないこともあり、五年くらい止めて離れていたことがありました。

ところがある人からもう一度研究してみるようにと言われたので、またやり直したらやや判り、それから熱心になった。

結局私は大本教から別れたがその間はずいぶん熱心にやりました。

そのときに得たところは非常に多く、いまでも感謝しています。


こういうふうだからただ表面から見ていいとか悪いとかは言えないんですよ。

この道に入っても、初め熱心でそれから不熱心になる人もあり、またその逆の人もある。

働きのありそうな人でも結果の出ない人もあり千差万別です。

また時機によってその人の本当の働きになったりするのです。


だから私はたいていのことはなにも言わずにやらせる。

そうするとうまく行くのです。

間違ったことをすればいずれ行き詰まり、自分でビックリして改心することもあります。

人間は執着をとることも必要なんだから、ほおっておいたほうがよい。

行き詰まるところまで行かせたほうがよい。

坂を転がり落ちる石を途中で止めようとしても無理で、落ちるところまで落ちてしまってから止めたらよい。

それと同じで行き詰まったときに話をしてやることが効果があるのですよ。」




明主様御垂示 「父母不仲の解決」 (昭和24年2月27日)

信者の質問
「小生の父母は夫婦仲がよくありません。

俗に言うクサレ縁と言うものでしょうが、よく争って困ります。(両名共本年一月入信)

父は頭が少し具合が悪く、母も以前に病気をした事があります。

この頃は母を離縁する等と申します。クサレ縁解消の方法を教えて下さい。」


明主様御垂示
「両方罪穢が多いから浄化が起る。

息子が人助けして徳を積むと仲よくなる。

夫婦は火水で、性格は反対である。」




明主様御垂示 「結婚で苦しむのも霊的地位の低さが原因」 (昭和24年8月3日)

信者の質問
「夫婦が互いに憎しみ合うような間柄を子供が知って、その親達をも憎む・・・という生活をしている人もあり、これは宿命とは存じますが、

神様が人間にそのような組み合わせをお与えになるのはなにかを教えてくださるものと解すべきでしょうか。」


明主様御垂示
「教えるとか教えぬとかいうんじゃなくて、その人がそういう霊的な地位なんですよ。

霊的の地位がそれだけの者は、やはりそれと同じくらいの地位の配偶者ができるんですよ。

いまの人はだいたいみんな地獄にいるようなもんだから、みんな苦しむんですよ。

だからこの地位は宿命じゃなくて運命ですね。

だから、霊的に向上すればね、よくなるんですよ。」




明主様御垂示 「妻が気に食わないのも浄化作用」

信者の質問
「夫婦不和について。

私達夫婦は嫌々ながら親戚の者に無理やりに一緒にさせられました。

両方共気が合わず、私は妻の顔さえ見ると腹が立ちます。

仕事から帰って家の表迄来ると腹が立ちますが、家に入って顔を見るとなお腹が立つと言う始末です。

昨年五月御光を戴き、父の神経痛や妻の婦人病も御蔭様で大分よくなりました。

妻も御光を戴きましたが、最近御光を首からはずしてしまいます。

私は益々腹立がひどくなるばかりですが、兄達は私のみ辛抱を要求しますので、二人の子供を残して家出しようか等と思い詰めております。(妻は父の後妻の連子です)

妻は相当な強情もので、誰も意見する人もなし弱っております。その原因と解決法を御教示願います。」


明主様御垂示
「同情する。よくある事である。

主人公が奥さんをこうしようとか、こんな人間にしようとか思う事をやめる。

独身者の気持で、妻君に関係なく人を救う。

すると霊界の位置が主人は上ってくる。

妻君がついて行かず反対すると、どうしても別れる。

死別か生別かいずれかになる。

妻君が改心すれば段々合って行く。

妻君がおもしろくないのは、主人にも罪はある。

妻が気に入らぬのも浄化作用であるから、自分が向上する外ない。

これが根本である。結局良くなるからお任せする。」




明主様御垂示 「頑固冷淡な妻に苦しむのも夫の曇りが原因」 (昭和23年11月17日)

信者の質問
「愚妻は結婚後二十年以来今日迄自分の過失を謝罪した事なく、実母や夫に対しても他人同様の冷淡さで、一般の人々との交際は全然出来ません。

妻は三ケ月前自転車より落ち、左足かかとを痛めまだ歩く事は出来ません。因縁を御伺い致します。」


明主様御垂示
「霊が憑っている。妻が浄霊を嫌うというのも、自分にも罪がある。苦しむべき自分に曇がある。

まず自分の曇を除って行けば、先方は苦しめる事が出来ないから、相手が治ってゆく。

徳を積む、人を助けるのである。

よく人に騙されてひどい目に遇ったという人があるが、それは自分に騙される資格があるからである。

心の鏡を人間はブラ下げている。こちらに曇りがなければすぐ判る。曇っていると写らぬ。判らぬから本当にするのである。

夫婦は多少、霊の線と線が違う事はあるが、そんなに離れてはいない。」




明主様御垂示 「夫の不倫も浄化作用」 (昭和27年10月25日発行)

信者の質問
「昨年七月耳鳴りが激しく、いろいろと御守護をいただき入信さしていただいた者でございますが、

本年九月主人より、女ができた店をもたせてやりたいという意味のことを打ち明けられましたが、

現在生活にそれほどの余裕もないのに驚くほかはございませんでした。

現在主人(MK四〇歳)は、広島○○会社A工場製造○○課長をいたしております。

家庭は二人のみで私ども夫婦は結婚後十五年になりますが子供がなく、

従って夫婦の仲もあまり思わしくなく、と言って、これということもなく過ごしてまいりました。

私がお道に入信させていただきましても主人は特別反対はいたしませんでしたが、関心ももたず、

ただ御神体、御屏風観音様の御奉斎はどうしても許しませんでした。

従来も夜帰ってこないこともございましたが、会社の会合とかいろいろ申しますので信じておりましたが、

このたびの話で、すべてが明らかになったしだいでございます。

相手の女と申しますのは未亡人で、ある料亭の仲居をいたしております。

すべては私の不徳のいたすところ、信仰浅きゆえと、教会にお詣りしてお願い申し上げ、努力さしていただいておりますが、

打ち明けられた日からはすべてが極端で、同じ部屋でやすむことも嫌い、

口ぐせのように別れよう別れようと申し、ほとんど帰ってまいりません。

三好家は現在稲荷信者でございます。

いまから三代前事業に失敗し、稲荷信者になったとのことでございます(それ以前は真宗)祭神は熊崎稲荷大明神と熊代稲荷大明神でございます。

また最近ときどき蛇の夢に驚かされます。

主人の乱行と右のいろいろの事柄と関係がございましょうか。

なにとぞ御垂示のほどお願い申し上げます。

なおこのような場合、いかなる心がまえでいればよろしいのでございましょうか。御教えのほどお願い申し上げます。」


明主様御垂示
「この原因はあなたに霊的罪穢があるからで、それの浄化作用である。

従って夫を怨まず、ひたすら神様の御用をし、人助けをすることである。

それによって罪穢はだんだん減るから苦しみは軽くなり、幸福な境遇になるのである。」




明主様御垂示 「夫の不倫も浄化作用」

信者の質問
「主人は他に女が出来まして九月から帰りません。

丁度その頃から十一才になる男の子の手癖が悪くなり困っております。いかにしたらよろしゅう御座いますか。」


明主様御垂示
「主人だけ悪く思われるが、奥さんにも罪穢がある。

主人のために心配するのは、浄化が行われている。

信仰へ入り主人の事を忘れ、人を助け徳を積むと浄化が促進されて霊的に浄まるから、主人と別れるか、主人が不純な事をやめて帰るかどっちかである。

しかし気持として許されぬという事になるが、それはどうしようもない。

苦しむのは皆浄化作用であるから、どうしても自覚して人を助ける。

するとその方へ興味が出て、忘れる事が出来る。」




明主様御垂示 「夫の酒乱も浄化作用」 (昭和24年2月16日)

信者の質問
「主人は毎晩酒を飲み、度が越して来ると一ケ月に三回程は人間が変ったように、私を殺してやると言って刃物を持っていどみ掛ります。

昭和二十一年入信し、浄霊致しております。

霊が憑依したようになると浄霊も出来ない程狂暴になります。

一度信仰より遠ざかった事もありますが、その当時は三ケ月に一度、半期に一度位の発作でした。

先般祖先の御守護御願も致しましたが、発作がひどくなったように想われます。

憑依せる霊が何者か、またどうすれば良いのか御指示下さい。」


明主様御垂示
「本人のみでなく妻にも罪がある。

一生懸命主人が暴れて浄化してる理屈である。

罪が減ると暴れる事が出来ぬ事となる。

出来るだけ人助けして徳を積む。

すると自分の霊が浄まるから、主人が暴行出来なくなる。

気長に徳を積み、光明如来様にお願いする。

酒乱の憑霊である。」




明主様御垂示 「夫の酒乱も浄化作用」

信者の質問
「私の夫(TS五十六才)は非常に酒呑みです。一升時には二升位呑み続けます。酒を呑むと私始め家中の者に乱暴を致します。

勿論諸道具なども手あたり次第に乱暴致しますが、娘(M十六才)にはそれ程ではありません。

時々一緒に酒を呑む位です。

なお娘は非常な不良で、お金等を持出す始末ですが、夫は娘を非常に可愛がります。

いかなる因縁で御座いましょうか。浄霊はあまり好みませんがどうしたら良くなるでしょうか。御伺い致します。」


明主様御垂示
「罪穢が沢山あるからで、乱暴して家人を困らすのは一の浄化作用である。

時を待つうち段々良くなる。

出来るだけ人助けをする。

自分の霊が浄まれば、霊線によって亭主の霊も浄まり、酒も飲めなくなる。」




明主様御垂示 「夫婦別居すべきとした事例」 (昭和24年12月20日発行)

信者の質問
「私の主人は昭和十八年、御光りをいただき三カ年ほどは熱心な信者でありましたが、その後気が変わりまったく信仰を捨ててしまい、最近まで私と子供は別居生活をいたし布教に専心しておりました。

今度縁者の勧めにより、ふたたび一緒になるべく子供とともに夫の家に入ることになりました。

ところが現在夫の職業は手術台製造工場を経営いたしており、本教とはまったく相反した仕事で、私といたしてはその矛盾に悩んでおります。

また私が浄霊することを非常に嫌い、子供の浄霊をすることさえ拒みます。

私は教導師としてお仕事を続けて行きたいと思いますが、現在の所にいてはとうてい望みがありません。

子供を夫に託し家を出ようと思っておりますが、いかがいたしたならばよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「これは一緒にいてもどうすることもできぬ、別居したほうがよかろう。

そして一生懸命信仰し、いっさいを神に任せて時期を待つのである。

ある時期へゆくと、御主人も判るようになる、祖霊が判らすようにする。」




明主様御垂示 「三婚の妻の霊的解決」 (昭和24年8月29日)

信者の質問
「私は今月十日教修をいただきました。私の現在の妻(四十三才)は肋膜が悪く、少し仕事を致しますと大変身体が疲れます。

今月初めより御浄霊を頂き、大変楽にさせて頂いております。

私は現在の妻が二度目ですが、妻は私が三度目の夫になり、最初の夫は狂人にて、また二度目の夫は肺病にて死亡。

二度目の夫の子供二人を連れて私許へ嫁ぎ現在に至っております。

昨年より種々の病気を致しておりますが、何か霊的に関係がございましょうか。」


明主様御垂示
「霊を一々に解決するのは面倒であるから、信仰を一生懸命して犯されぬ状態にする事である。」




明主様御垂示 「妻に子供ができないくても他の女に生ませてはならない」 (昭和26年11月8日)

信者の質問
「夫婦で、子供が欲しくても、子供がないために、人工妊娠というのは。もちろんいけないことで・・・」

明主様御垂示
「いけないですね。」


信者の質問
「夫婦が了解のもとに、他の女に手をつけるという場合には、神様のほうでは、どういうことに・・・」

明主様御垂示
「神様のほうから言えばいけない。けれども、こういうことがある。

今までの世の中が、本当の世の中でない・・・乱れきった世の中だから、ちょうど保険の制度があるようなもので、

本当に良くなれば保険はいらない・・・普通の災難はない。

子供ができないというのは、何かの障りがある。

それで、一種の便宜法として、養子をもらうとか、養女するとかいうことがあるが。

霊的にはそこの霊統なんです。

祖先のほうで、子孫を絶えさせないために、子孫に子供を産ませようとする場合、罪があって産めない場合には、近い系統にと言う・・・そういうことがあります。

それを、もう一層手っ取り早くするのが、今の質問のようなのです。

明治天皇が、それをやって大正天皇ができた。

そういう間違ったことをしたので、ああいうことになったんでしょうがね。

系統が絶えないようにと言うが、それはいけないですね。」


信者の質問
「祖先はどちらが喜びましょうか」

明主様御垂示
「祖先は、絶えないほうが喜びます。

しかし、祖先が本当のことは解らないんです。

メシヤ教が出ない間は、仏教や何かで、本当のものでないものに教育されているからね。

だから、日本の天皇も、よくあれだけ続いたものですよ。

けれども、夜の世界だったからね。

昼の世界が近づいては・・・そういった物質ですね。

形に促われて、霊を無視しているのは、霊的には本当じゃないからね。

もし許されるとしたら、金持ちで子供がないのは、威張って二号三号をつくる。

やっぱり、世の中が乱れるからね。」




明主様御垂示 「結婚の前の過ちを告白すべきか」 (昭和27年3月10日発行)

信者の質問
「柔らかいことで一つお伺いいたします。

結婚前に女に過ちがあり、それを非常に気にいたしておりますが、夫に打明けるべきでございましょうか。

どちらが正しいのでございましょうか」


明主様御垂示
「それは、夫の性質が、許しそうな性質だったら良いし、どうも危なかったら、一生秘密にしておいたが良い。」






死後の夫婦の道


明主様御教え 「我と執着」より (昭和23年9月5日発行)

「(一部のみ引用) 霊界における修行の最大目標は執着をとる事で、執着の除れるに従い地位が向上する事になっている。

それについてこういう事がある。

霊界においては夫婦同棲する事は、普通はほとんどないのである。

それは夫と妻との霊的地位がちがっているからで、夫婦同棲は天国か極楽人とならなければ許されない。

しかしながら、ある程度修行の出来た者は許されるが、それも一時の間である。

その場合、その界の監督神に願って許されるのであるが、許されて夫婦相逢うや、懐かしさのあまり相擁するような事は決して許されない。

いささかの邪念を起こすや、身体が硬直し、自由にならなくなる。

そのくらい執着がいけないのである。

故に霊界の修行によって執着心が除去されるに従って地位は向上し、向上されるに従って夫婦の邂逅も容易になるので、現界と如何に違うかが想像されるであろう。

そうしてさきに述べたごとく、執着の権化は蛇霊となるのであるから恐るべきである。

人霊が蛇霊となる際は、足部から漸次上方へ向かって、相当の年月を経て蛇霊化するもので、

私は以前首が人間で身体が蛇という患者を取り扱った事があるが、これは半蛇霊となったものである。」




明主様御垂示 「霊位と居場所」

信者の質問
「結婚すると霊界は主人の側に属すと申しますが、霊統が違ったり霊位が違っても同じ霊界に入るのでしょうか。

この場合、霊界とは場所の意味でしょうか、位の意味でしょうか。右、御教示御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「位の意味である。位により場所が違う。」




明主様御垂示 「親子、夫婦、主従一世」 (昭和24年7月1日)

信者の質問
「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世といわれておりますが、いかなる意味で御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「本当からいえば全部一世である。

夫婦、親子でも、霊層界が違えば、アノ世へ行けば別々になる。

しかし同じ位なら、同じような所へ行く。」




明主様御垂示 「夫婦の霊位」 (昭和23年4月8日)

明主様御垂示
「この世で夫婦でも霊界ではたいてい別々な所へ行ってしまうんです。

会いたいとて、ちょっくら会えない。

修行が出来ると神様の許しを受けて会いに行けます。

ある階級の者は夫婦生活ができる。

だから、現界で一生懸命、人助けして修行しておけばできるんです。

死んでから、一緒になると言いますが、心中なんかしたら体がくっついてて離れない。

やがて許されて、別々な所へ行ってしまいます。

この修行とは執着をとることです。

たとえ、神の許しを頂いて会えたところで、キス1つできないです。

キスなんかしようとすれば体が硬直してしまう。

これは執着があるからです。」


信者の質問
「霊界で新しく夫婦になれますか。」


明主様御垂示
「そんな出鱈目はできない。

しかし、想念が一致するほうに近くなることはできる。

それが第三天国以上だと神格ができますから、夫婦生活もできます。

霊界は秩序整然たるものです。

この世の親子だって霊界ではいる場所が違います。

子のほうが親より上の人もいますよ。」




明主様御垂示 「霊界での夫婦邂逅」 (昭和24年10月16日)

信者の質問
「妻と死別し後妻を迎えた者が後日霊界に行きたる場合、霊界人としての三者間の関係はいかになりましょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「霊界へ行くと直ちに夫婦生活が始まるごとく考えるが、決してそうではない。

霊的階級が違うから死ねば別々の所へ行く。

そして容易に遇う事は出来ぬ。

両方救われ、第三天国へ行くと初めて遇える。

それまでは、神の許しを得て偶に遇う事が出来る。

後妻か先妻かどっちか早い方が救われる。」




明主様御垂示 「霊界での夫婦の邂逅」

「土地、家相、姓名の善悪等非常にある。誰でも良を望むが、根本は・・・。

ある家に引越すのも偶然でなく、相応の理により、霊状態の良い時には善い所へ行く。

霊層界の八衢以上にある場合、悪い事はない。第一、第二と霊の段階の通りの所へ住む。

結婚もまた、霊層界と極度に違う事はない。

向上すると・・・霊が浄化されると上ってくる。すると前の家では相応せず、良い所へ越す事となる。

霊が変ると、体が引ずられる。

従って、良い所へ行っても、霊が伴わなければすぐ出てゆく事になる。

黙っていても霊さえよければ、良い所へゆく。

夫婦の場合一方が向上し、一方がそのままの場合、どうしても一方が苦しみ、一緒に生活出来ぬか、でなければ霊界へゆく。

霊界はすべて執着をとる所である。

夫婦など愛し合う度の濃い程一緒におれない。

抱擁しようとしても身体が硬直してしまう。

その執着がなくなると一緒におれる。

霊界では、神様のお許しを得て一緒に遇えるが、そうでないとなかなか遇えぬ。

身魂の階級で違ってくる。」




明主様御垂示 「霊界での夫婦の邂逅 地獄の場合」 (昭和26年7月8日)

信者の質問
「夫婦は霊界で、第三天国以上に住せぬと一緒になれぬ、とうけたまわっておりますが、仏壇内の御夫婦の位牌は、どうなるのでしょうか。」


明主様御垂示
「この場合だけ一緒であるが、片方が地獄に落ちていると仏壇までも来られず、お盆のとき顔を合わせることしかでき得ないものもある。」




明主様御垂示 「死別・再婚の夫婦の霊線と霊界の結婚」 (昭和25年2月20日発行)

信者の質問
「結婚後、死亡した霊と生き残っている片方の霊とは、霊界においては、やはり結婚しているのでしょうか。

また、再婚した場合、死んだ者の霊はどのようになるのでしょうか。

その霊はまた他の霊と霊界において、結婚するというようなことになるのでしょうか。

また、霊界のみの結婚ということはあるものでしょうか。

もし、あるとすれば、いかなる形であるのでしょうか。

また、結婚は生まれる前から霊界においてお互いに結びついているものでしょうか、

あるいは、生まれた後に決めるものなのでしょうか。」


明主様の御垂示
「再婚せず、一人でいる場合は、結婚していてもいなくても霊線が繋がっている。

一方が愛し、一方が嫌がっている場合は半分位、

両方嫌っていればごく細く霊線は繋がっており、

両方が愛し合っている場合は夫婦関係、極めて太くなっている。


再婚すると、切れたと同様、細くなる。

再婚する位だから死者に対し、執着はない訳であるから、霊線は切れたも同様であり、新配偶者との太い霊線が出来る。


霊界では八衢(やちまた)以下では結婚できない。

天国ではできる。

非常に愛し合った同士が天国へ行けば、天国で結婚できる。

もちろん、天国で結婚するのも全然 因縁がなくては出来ない、

霊界でも生殖作用が行われるが現界と余程違う。

また、生まれる前から結ばれている場合もあり、一旦切れてから、また結びつく場合もある。」




明主様御垂示 「死んだ配偶者のことは忘れるべき」 (昭和23年)

信者の質問
「一、夫婦死別した場合の霊的関係をお教え下さい。

(イ)、夫が死せる時、(ロ)、妻が死せる時。

二、夫婦死別して残れる一方が再婚した場合に、死せる者との霊的関係をお教え下さい。」


明主様御垂示
「霊的関係はあるともないともいえる。

想い合うのは霊線によって交流するので、一方が死んでからは早く忘れる方がよい。

いつまでも執着するとそれで引張られる。

悲しいとか慕はしいというのは百ケ日位まではよいが、それを過ぎればなるべく忘れる。

一ケ年位経つと全く忘れた方がよい。霊にとってはよい。

再婚の場合、死んで一年以内はいけない。一年経てばいい。霊界の規則としてはよい。

故に霊の障りがあるとしても大した事ない。

霊的関係は執着に因るのであるから、執着を早く除る方がよい。

嫉妬などよくある。最近もある婦人の教導師で、亭主が亡くなった。

そして霊界でヤキモチを焼いている・・・男が助手になっている事を妬いている。

それで男の助手を帰らした事があった。」




明主様御垂示 「亡夫のことは忘れるべき」

信者の質問
「亡くなった夫がしばしば夢に出て私をかばってくれますが、夫の霊は救われてるんでしょうか。実によく夢に出て参ります。」


明主様御垂示
「これは夫の方で妻に対する執着があるので、種々守護したりなどするが、本当はいけないのである。

こちらでも想い、向うでも思い、両方で想うのはよくない。霊は早く行く所へ行かなくてはいけない。

早く現体の方で愛着を絶てば早くいい所へ行く事となる。

死後普通は五十日間その家にいる事になっている。

但し極悪の霊はすぐ地獄へ行くが、極善もすぐ天国へ行く。

仏教は四十九日間、霊はその家にいるという。

八衢で修行する場合、生きてる人も死んだ人も想うのはいけない。それは執着であるからだ。

霊界は執着を除る所である。霊界で向上するという事は、執着の除れるという事である。

故人を夢に見るというのは、どちらかで想っているんで、これは良くない。

霊で、執着除れねばよくない。夫婦で一緒におれるのは天国だけである。

心中の霊などは実に悲惨だ。これも子孫が充分供養すると、それだけ早く楽になる。

夫婦の邂逅も天国では、神の許可を得て日時を決めてお許しがある。両方で接近すると硬直してしまう。

夫婦二世、親子三世などという事は、その時代に権力者に都合のよいように道徳を作ったもので、全然嘘である。

主従三世などといっても霊界へ行くと家来がズッと上の場合もある。

要するに男女、金銭関係などは早く忘れ、執着を除る方がよい。

夫婦でも五十日、百日、一ケ年位思い出す程度でいい。

よく霊が言う事だが、「自分は引張られていていい所へ行けない」と。

つまり、生きてる人が執着で引張っている。

だから出来るだけ忘れた方がよい。」




明主様御垂示 「亡夫の写真の祀りの是非」 (昭和24年10月26日)

遺族の執着が故人の霊界への安住を阻害

信者の質問
「私の義姉は、先般夢で私の亡夫の霊に襲われ、その都度「突込んでいる、突込んでいる」と繰り返して言われ、

「お前が写真を出して祀らないからだ」と言われました。

私は早速亡夫の写真を額にして掲げましたが、このような事があるものでしょうか。

またそうする(写真を掲げる)事はいかがなものでしょうか。」


明主様御垂示
「そうする事はある。

特に写真に憑って拝んでもらいたいというのがある。

写真は死んでから一年位かけぬ方がよく、一ケ年以後かけた方がよい。

執着があるから、かけるのは喜ぶが、あまり執着して行く所へ行けぬのも困る。」