結婚式について
明主様御垂示 「結婚式の日取り」 (昭和24年9・10月)
信者の質問
「結婚その他の日取りを決めます場合、十一、十八、二十三などの数の日が特別に悪い日でない限り、そう決めてよろしいでしょうか。」
明主様御垂示
「いいですね、みんないいです。
とにかく結婚には十、二十が基本になってればいい、陰陽が結ばれるんですからね。
二十一なんかもいいですよ、「二人が結んで始まる」んですから。」
信者の質問
「そういたしますと、十日前より十日後のほうがよろしいでしょうか。」
明主様御垂示
「ええ、そう。・・・八日はいけませんね。
この中でいいのは十一日、二十一日、ま、十八日もいいでしょうね。」
明主様御垂示 「婚礼の吉日」 (昭和23年9月28日)
「婚礼の吉日はあります。
数というのはなかなか神秘ですから。
結婚は陰陽結ぶんだから、結ぶ日七、十、十一はごくいい、二十一は「二人が結んで始まる」という意味で非常によい。
始めるときは八がよく五は「いづ」で出ることでいいです。
伊豆は「いづ」で伊豆半島は重要です。」
明主様御垂示 「神前結婚の方式」 (昭和24年1月28日)
信者の質問
「結婚式を教導所の御神前で行う場合、いかなる方法で致すべきで御座いましょうか。」
明主様御垂示
「これはよく知らぬ。
やる人があると聞いている。男と女であるから、伊都能売大神と称えてよろしい。
(臨機応変にすればよい。念入りにすれば結婚祝詞奏げる。)」
明主様御垂示 「結婚式の方式」 (昭和23年6月8日)
信者の質問
「今度、NIとNMが結婚いたす予定でございますが式の仕方は・・・」
明主様御垂示
「ふつうの方法でいいでしょう。
ただ光明如来様に上げるものをお上げしてお許しをいただくことです。
「今度縁あって某と某を結婚させたいと思いますからお許しをお願い申し上げます。
今後とも末永く御守護をお願いいたします」と言う。
勿論祝詞も上げます。それでいいです。」
明主様御垂示 「結婚式の方式」 (昭和25年2月5日)
信者の質問
「最近本教信徒同志の結婚の場合、大光明如来様の御神前で式を挙げたいと言う方がありますが御許し願えましょうか。
お許し願えましたら天津祝詞、善言讃詞、御讃歌を奏上してよろしいでしょうか。御伺い致します。」
明主様御垂示
「キリスト教ではあまりに簡単で、質素すぎる。
だから芽出度いような気がしない。
今少しく東洋的要素が入っていいと思う。」
明主様御垂示 「神前結婚の方式」 (昭和24年1月28日)
信者の質問
「神前結婚の方法についてお伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「私もよく知らないんですがね、まあ臨機応変にやったらいいでしょう。その祝詞は善言讃詞がいいですね。」
信者の質問
「拍手を打ったり神の御名をお称えすることはいかがでしょうか。」
明主様御垂示
「拍手はしてもいいですよ、この場合は。神の御名も称えて結構です。
結婚式の祝詞があるからそれをあげたらいいですね。」
信者の質問
「その場合の神様の御名はなにをお称えすべきでしょうか。」
明主様御垂示
「御神名は伊都能売大神でいいですね。伊都能売とは男と女という意味ですから。」
明主様御垂示 「結婚式に天津祝詞は不要」 (昭和23年2月8日)
明主様御垂示
「神前結婚の形式を私も考えているんですがね。いままでの神前、仏前結婚はあまり感心できません。」
信者の質問
「先日いたしましたときは祝詞と誓詞の中へ観音様と大先生の御名前を入れさせていただきました。」
明主様御垂示
「天津祝詞は結婚式にはいりません。お祀りのときは上げなさい。」
信者の質問
「善言讃詞と祝詞と両方を上げます場合、日月地大神守り給へ幸倍賜へが重複いたしますが・・・」
明主様御垂示
「重なってもかまわない・・・仏壇には拍手を三つ打つ。
神道では五十日祭までは拍手の音を立てないが、こっちでは音を立ててかまわない。
仏は現界でないから二拍手が本当かもしれませんが正式は三拍手、日月地だから三がよい。
いままでは地がなかったんですから・・・
結婚や葬式の形式も作りたいと思ってます。
身体がすっかりよくなったらそういうのを作りたい。・・・」
明主様御垂示 「結婚式の祝詞」 (昭和23年)
「結婚式の場合は光明如来様に献饌し、のりとと善言讃詞を奏上し言葉によってお許しいただく。
他は普通一般の式でよろしい。」
明主様御垂示 「神前結婚式の祝詞」 (昭和23年11月18日)
信者の質問
「神前結婚式の祝詞は天津祝詞でしょうか、善言讃詞でしょうか。」
明主様御垂示
「これは善言讃詞が本当です。
天津祝詞は浄めであり、善言讃詞は浄められた後にいい世界ができるということですから。勿論両方でもいいですよ。
献饌(けんせん)、玉串奉奠(ほうてん)してから祝詞を奏上したらいい。
玉串は榊か松ですが松がいいでしょう。
玉串は左手に幹右手に葉のほうを持ち神様には幹のほうを向こうにして差し上げます。
左に幹が来て「一」の字になるのです。」
明主様御垂示 「結婚式の御讃歌について」 (昭和26年8月8日)
信者の質問
「今度いただきました新しい御讃歌集でございますが、救霊というのは」
明主様御垂示
「つまりお祭りのとき、結婚のとき、亡くなったとき、それぞれに。」
信者の質問
「その救霊でございますが、亡くなった当初のときでございますか」
明主様御垂示
「そうです。四十九日までの期日はいいが、あんまり長く離れてはおかしい。だいたいは告別式ですね。」
信者の質問
「結婚のときには」
明主様御垂示
「結婚の日に奏げる。」
御讃歌集 改訂版より (昭和26年5月28日)
結 婚
汝(なれ)と吾と 結びし今日の嬉しさよ 神の定めし縁(えにし)にありせば
今日よりは 力を協(あわ)せひたむきに 世の為道の為に尽くさん
御恵に 結ばれたりし縁(えにし)なれば 末の末迄添ひ遂げんとぞ誓ふ
大神(おおかみ)の 深き御恵み畏(かしこ)みて 友白髪まで添ひ遂げむかも
何事も 神の御むねに委ねつつ 心安(やす)らに共進まなむ
神を背に 誠を杖に手を連(つら)ね 進む行手になどさやりあらめや
如何ならむ 悩みに遭ふも心を合わせ 道守りなばなど恐れめや
相共(あいとも)に 神の正道(まさみち)守りつつ 生くれば楽しき此世(このよ)なりけり
尊きは 夫婦の仲も睦(むつま)じく 幾千代(いくちよ)かけて変らぬにあり
曲神(まがかみ)は 夫婦の道を乱さんと 狙ひつめをり心せよかし
男女(おのこおみな) 固く結べば如何ならむ 事にも耐へて安くゆくめり
明主様御垂示 「三々九度について」
信者の質問
「三三九度の盃の意味・・・。」
明主様御垂示
「根本はミロク・・・三六九から来てるので、大変結構である。
昔から極ってる事で、支那から来た、三拝九拝というのは最高の礼拝をいう。」
明主様御垂示 「四十九日が終わるまで結婚式等はしてはならない」 (昭和28年5月1日)
信者の発言
「大阪方面では、不幸があった家では四十九日が終るまでは結婚式とか、そういうことは絶対にしてはいけないことになっていますが」
明主様御垂示
「それはそうですよ。」
信者の質問
「信者ですが、そういうことがありまして、結婚の日が決まっていたが四十九日間は結婚をできないということになりますが、
四十九日を一週間を五日ずつにするということはいけないのでしょうか」
明主様御垂示
「それはいけません。四十九日くらい待っても、何でもないではありませんか。それは待つのが本当です。」
信者の発言
「それでは待つほうがよいでしょう、と申します」
明主様御垂示
「よいでしょう、ではないので、待たなければならないのです。
一週間を五日にするということは絶対にできません。
太陽が出ることを止めるようなことです。」
信者の質問
「四十九日が終らなければいけないというのは、謂(いわれ)があるのでしょうか」
明主様御垂示
「あります。霊というものは、亡くなったら五十日の間はそこから離れることはできないので、そこにいるのです。
そうすると死んだ人に対する生きている人間が哀悼の意を表しなければならないので、それが当たり前です。
それで結婚式というのはめでたいことで、そういう哀悼とか悲しみということはぜんぜん忘れてしまうことになりますから、はなはだ面白くないことになります。
まだ霊がそこにいるのですから・・・重病人がうんと苦しんでいるときに、そこで歌をうたったりするようなものです。」
明主様御垂示 「結婚の報告は墓前にもすべき」 (昭和24年3月8日)
信者の質問
「結婚の報告は墓前にもいたすべきでしょうか。」
明主様御垂示
「勿論ですね。
祖先にはぜひ報告すべきです。
報告しなくたって先祖は知ってますが、報告することは義務ですね。
報告をちゃんとすれば御守護はいただけるが、しないときは内縁みたいなものです。」
信者の質問
「人々に披露しないことはいかがでしょう。」
明主様御垂示
「それはしなくてもいいです。
神様のほうにはなんともない。・・・
しかし近所の人にはしたほうがいいでしょう。
「あすこには変な女がいるがいったいあれはなんだ」ということになると、その人の信用にもかかわることですから。(笑声)」
明主様御垂示 「墓前に結婚の報告をすべき」 (昭和24年8月30日発行)
信者の質問
「結婚の報告は墓前にもいたすべきでしょうか、
また正式に手続きしないことは冒涜になるものでしょうか。
明主様御垂示
「祖先には報告すべきが義務である。
また祖先も子孫が報告すれば御守護しなくてはならぬ義務が生ずる。
ただし内縁関係は披露しなくとも神様はご存じである。」
参考 明主様御垂示 「仲人について」 (昭和24年5月3日)
信者の質問
「仲人をいたします場合、結婚する二人に対し責任を持てないことがありますが、かかる際にはどのようにいたすべきでしょうか。
明主様御垂示
「常識的にやればいいですよ。十分に責任を持てないようだったらよせばいいし、責任を持てそうだったらやればいいでしょう。」
信者の質問
「昔から、仲人をするようにならねばいけないと申しますが、私自身どうも仲人がつとまらぬものですから、身が至らぬためかと存じますが・・・」
明主様御垂示
「そんなことないですね。身が至ってても仲人をやらない人はありますよ。・・・私はしませんね。
なぜって、この青年とこの娘なら大丈夫だっていうような人がないんでね。(笑声)
だからほとんどやってないんです。
頼まれたんで二、三度はやりましたがね。
それも頼まれたからやったので、こっちから積極的にやったんじゃないんです。
それが良心的じゃないんですかね。
私の役目はね仲人やる役目じゃない、もっと一遍に多くの人を仕合せにするのが役目なんですからね、仲人をやらなくたってなんとも思いませんよ。
だから、あんたも責任を持てないようだったら手を出さないことにして、それよりも信仰によって一人でも多く救うようにするんです。
そのほうが大きいですよ。
仲人なんてことをやっても知れたもんです。
そんなことは信仰のない、世間の人にやらせとけばいいんですよ。」