経済観念について 5 (金儲けの心得 1)


三段構えの出資法


明主様御教え 「私の考え方」 (昭和27年6月25日発行)

「私は何事でも、非常に深く考える癖がある。

たとえばある計画を立てたとする、それが大抵の人は、なるべく早く着手しようと思ってジットしてはいられないばかりか、やり始めたらどうにかなるだろうくらいに運命に対する依頼心が強いが、

さて始めてみると仲々そんな訳にはゆかないで、大抵はイスカの嘴(はし)と喰違い失敗するのである。

というように失敗の場合を考えないで、成功の場合のみを考えるから危険千万である。

ところが私は反対で最初から失敗を予想してかかる。

もし失敗したらこういうように建直すという案をあらかじめ立てておくから、

よしんば失敗しても余り痛痒を感じない、暫く時を待つ、そうすれば致命どころではなく、容易に再起が出来るのである。


そうして金銭についてもそうである。

これを私は三段構えにしている。第一の金を遣って足りなければ、第二の金を遣い、それでも足りなければ第三の金を遣う。

というようにすれば決してボロなど出す気遣はない。

というようにすべて準備を充分調べておき、何事も念には念を入れてやるから、これを上面から見ると間怠いようだが、失敗がないから案外早く進捗する。

そのため無駄な費用も、時間も、労力も省けるから、算盤(そろばん)上予想外な利益になる。

私は皆も知る通り、随分大胆な計画を次々立て、実行するが、不安がなく、気楽な気持でスラスラゆくのである。


右のように最初から、準備万端整っても私は直ぐに掛る事はしないで、おもむろに時を待っている。

すると必ず好機会がやって来るからその時ここぞとばかり乗り出すのである。

そうして出来るだけ焦らないようにする。人間は決して焦ってはいけない。焦ると必ず無理が出る。無理が出たらもうお仕舞だ。

世間の失敗者をみると、例外なく焦りと無理が原因となっている。

それについていつも想い起すのは、彼の太平洋戦争の時である。

初めの間はトントン拍子に旨く行ったので、いい気持になり慢心が出て来たので様子が大分変って形勢が悪くなって来ても、何糞とばかり頑張り、無理に無理を重ねたので、その結果ああいう惨めな結末になったのである。

その頃私はこう焦りが出た以上もう駄目だと考えたが、その頃は人にも言えないから、我慢してしまったのである。

という訳で最初から敗戦の場合を考慮していたなら今少し何とかなったに違いないと、実に残念に思ったものである。

全く当事者の浅慮が原因であったのは言うまでもない。


右のような訳であるから、私を見たらある時はすこぶる短兵急(たんぺいきゅう)であり、また反対に悠々閑としている事もあるので、まず端倪(たんげい)すべからずであろう。

それもこれも神様の御守護の厚いためはもちろんだが、私のする事、なす事、実に迅速にはこんでゆくので、吃驚しない者はない。

本教の異例な発展の速度をみてもよく分るであろう。


次に注意したい事は、人間は精神転換をする事である。

それは無暗に一つ仕事に噛(かじ)り付いている人がよくあるが、こういう人は割合能率は上らないものである。

つまり飽きたり、嫌になったりしても我慢するからで、これがいけないのである。

むしろそういう時は遊び事でもいいから転換するに限る。

よく芸術家などで気の向かない時は、決して手を出さない話をよく聞くがなるほどと思うので、むしろある点はわがままなくらいが、反って能率が上るものである。

そのような意味で私は仕事に固着する事を嫌い、それからそれへと転換して行く、そうすると気持もよく、面白く仕事が出来るから頭脳の働きもいいのである。

とはいうもののその人の境遇によってはそうもゆかないから、右の理をよく弁えて、臨機応変に行ってゆけば、余程有利であるという事を教えたまでである。」




明主様御垂示 「商売と心中するな」 (昭和24年9・10月)

信者の質問
「消極的借金はいけないとの御教示をいただきましたが、借金しなければならず、またその仕事をやめるわけにもいきません場合、御教えをどのように考えるべきでしょうか。」


明主様御垂示
「これはね、最初出発がよければいいんですよ。出発が悪いからこうなるんです。

その仕事の出発がごく確実ならそんなことはないんです。

不確実なのに手を出すからこうなるんですよ。

だからたいていの場合は止めて出直せばいいんですよ。

それからね、人間はたいていだれでも自分の仕事が成功する場合だけしか考えないもんですが、

成功だけじゃなくて失敗した場合のことも考えに入れるべきですよ。

そういうふうにすればきっと大丈夫ですよ。

ところがふつうの人のやるのを見てると実に甘いんですよ。(笑声)・・・

まったく、みんな成功だけしか考えないんですからね。(笑声)


だから、私は三段構えってことを言うんです。

例えば借金なんかでも、「返すころにはこっちから金が入るはずだからそれをまわして返済しよう」と思っていても、

たいていは期日までに入らないもんで、そこでボロが出てしまうんですよ。

だから、返済にまわすべき金が甲から入らないときには乙から、

乙も駄目なときには丙を・・・というふうに三段構えにしておくことですよ。

だから私はいつでもきちんと期日に金を払えるんですよ。

けど、いつもあんまり金払いがいいもんだから、あすこにはいつでも金があるって思われてしまうんでねえ。(笑声)


私はよく言うんですよ、商売と心中しちゃいけないってね。

商売してても、それがいけないときにはいつでも別れられるようにしておくことですよ。

駄目ならいつでもよせるようにしとくといいんですよ。

そういうふうにしておくと、千変万化の行動がとれますからね。

商売と心中するようになると致命的ですよ、再び立つ能わずって状態になりますからね。」





お金は水のようなもの


明主様御教え 「浄財と不浄財」より (昭和10年7月25日発行)

支払うべきお金を支払わないとお金は入ってこない

「(一部のみ引用)それは、名前など一切言えませんけれどもある宗教の非常な、熱心な信者がありました。

その信者が、神様の事について、結構な御用をしたんでありますが、

その人は、家賃を何年も払わずにいるんであります。

ツマリ、払うべきを払わないで御用をしたのであります。

で、これは、どういう風に解釈するかと言いますと、

払うべき物を払わぬという事は、例えば、物を買って品物を持って来ても、金を払わぬというのと違いはありません。

家を借りる際には、最初、家賃を払う、家を貸すというので借りたんで、

例えば品物にしても、これは一円だから一円払えば品物を上げるというのと同じであります。

銭を払わないで品物を持ってくるとなると怪しからん事で犯罪になりますが、

家を借りて家賃を払わないのも、桔局同じ事であります。

どうしても、これは盗みであります。

本当から言えば、家賃なんかは一日も、遅らせるべきものではないのでありまして、

一日遅れれば一日、それだけの盗みの罪が構成される事になります。

そんな金で、御用をしても真の神様なら、そんな不浄の金は御使いになるはずがないのであります。

でありますから地代とか家賃とか約束した仕払は、絶対に遅らせるべきものではないのであります。

そういう払うべきものを払わねば、矢張り入るべき金も入るものではありません。


金は昔から、湯水のようだとか、湧くとか言われていますが、全く水のようなもので、

払うべきものを払うとどしどし流れて来るものであります。

金を払わねば入るべき物も滞ってしまうのであります。

霊的に言うと、そうであります。

霊的が体的になるのでありますから、金に困る人とか、豊でない人はどこかにそういう間違いがあるんであります。

そういう間違った事がなければ、困るべきものではないので、それが天地の原則であります。




明主様御垂示 「金は溜めると入りが悪い」 (昭和26年12月1日)

信者の質問
「お側にまいりまして、一番最初に御教えいただきました家賃のことで、敷は敷だ。

一月分は、十二月の末か、一月一日に払うべきだ、と。

あれから、そういう気持ちでやってまいりましたが、まったくお蔭いただきました」

明主様御垂示
「そうするとかえって、経済が豊かになるんです。

だから、金に困るとか苦しいとかいうのは、そういった種を作ってやっているんです。

それが・・・種があべこべなんだからね。

金は、溜めると入りが悪いんです。

入りが悪くなったときに、災難とかがあると、ギュッと苦しくなる。

特に神様のことはそうです。

私は金のことはあまり言わないが、教団が金が苦しいというのは、御用をしないからです。

御用をするのは決まっているんだからね。

それだけの額に満たないと、お蔭に対する借金をしているんだからね。だから駄目なんです。

神様の金だから、そうすると楽になる。」


信者の質問
「実際にぶつかったときに教えますと、良く分かりますが、実に楽に行けるものでございます」

明主様御垂示
「そうですよ。」


信者の質問
「神様くらい、本当に人間をただ使いされないのは、まったく・・・」

明主様御垂示
「そうです。実に、神様は気が利いて、思いやりがあって、抜け目がない。」


信者の質問
「深川の時分に、御教え通り家賃を払ってまいりましたが、どうしても金がない・・・

すると家内がニヤニヤして貯金ガメを割ってみましょうと言い、割りましたところが・・・

家賃は十八円でございましたが、キチンと十八円入っておりました。

良かったですねと言うので、馬鹿言え、神様にお願いしないから、ホラ見ろキチンと十八円しかないじゃないか、と言いましたが、

ちゃんとすれば、ちゃんとなるということで、笑ったことがございました」

明主様御垂示
「そうですよ。

だから、逆理ですね。逆になるね。

逆理を知ることが一番肝腎だね。

人間の理屈と非常に違うことがあるのでね。

だから、人間の考えでやったことは、必ず失敗する。」


信者の質問
「そうして、苦しみます」

明主様御垂示
「そうです。」


信者の質問
「お任せするとは、口で言いながら、実際はお任せしてなく、自力を引いております」

明主様御垂示
「そうなんです。だから、物事は楽にすることは結果は良い。

苦しんですることにろくなことはない。

それから、私がちょっと言ったことが、何でもなく思っていることがある・・・あれがたいへんなものです。

私がちょっと言ったことを、すると、楽にいくんです。

ちょっとでも自分の・・・我を出したりしたら、たいへんなことです。

だから、何でも楽にやれることでなければ駄目ですね。

私なんか、問題があったりしても・・・ちょっと割り切れないことがあるんですよ・・・こちらを立てればあちらが立たないということがね。

そういうことがよくありますが、面倒臭い、神様に任せちゃえと言うと、するとうまくいくんです。

信仰の妙味というのはそこにあるんでね。」




明主様御教え 「霊波と霊衣 付録霊科学」より (昭和22年2月5日発行)

「(一部のみ引用) 人間のあらゆる思想行為を分析する時、善悪いずれかに属する事は今更いうまでもないが、霊衣の厚薄も善悪の量に比例するのである。

すなわち善を思い善を行なう場合、内面的には良心の満足感が起こるので、その想念は光となり、これが霊体に加わって光を増す事になり、その反対である場合、悪は曇りとなって霊体に曇りが増す。

また外面的には、人に善を行なう時は相手の人の感謝の想念が光となって、善行者に対し霊線を通じて伝達するから光が増す事になる。

その反対である場合、怨み、憎み、嫉み等の想念は曇りとなって伝達して来るから、曇りが増すのである。

これによってみても、人は善を行ない他人を喜ばすべきで、決して他人から憎み、怨み、嫉み等の想念を受けてはならないのである。

世間よく急激に出世したものや成金輩が、いつしか失敗没落するような事があるのは、右の理によるのである。

すなわち、成功の原因は自己の力量手腕、努力によるとなし、増長慢に陥り、利己的、独善的となり、贅沢三昧にふける結果、多数者から憎み、怨み、嫉み等の曇りの想念が蝟集(いしゅう)する結果、霊衣は光を失い、薄くなり、ついに没落するのである。

また何代も続いた名家や富豪などが没落するのは、元来社会的上位にある者はそれだけ国家社会から恩恵を受けている以上、それに酬いなければならない。

すなわち、大いに社会に向かって善事を行ないこれによって絶えず曇りを消すべきである。

しかるに多くは己の利欲のみを考え、利他的行為に乏しい結果曇りの方が増量し、形態は立派であっても霊の方は下賤者同様になっている。

そのため、霊主体従の法則によってついに没落する事になるのである。

私は東京の大震災の少し前、ある霊眼の利く人の話を聞いたが、それによれば大廈高楼(たいかこうろう)の町も、霊的には小さな陋屋(ろうおく)が立ち並んでいるとの事であったが、果たしてその通りになり驚いたのであった。


またこういう例がある。

それは米国の話だが、彼の有名な大富豪初代ロックフェラー氏が未だ商店の小僧であった時、人は善事を行なわなければならないとしてキリスト教会へ献金したのである。

最初は一週間に五銭であったが、収入の増すに従い十銭となり、五十銭となり、何千何万円となり、ついには彼の有名なロックフェラー研究所のごときものを創設したのである。

右の献金の額を最初手帳の裏面に記入したので、その手帳は同家の家宝となっているそうである。

また米国最大のベツレヘム製鋼所を創設した、彼のアンドリュー・カーネギー氏は、死に際会し、氏が平素から唱えた持論を決行した。

それは全財産数億ドルを社会公共のため献金し、後継者たる子息には百万ドルの資産と大学教育とを与えたに過ぎなかったとの事である。

またミュンスターベルヒは大著「米国民」で美田を買わぬアメリカ富豪の気質を絶讃している。

例えば一九○三年に大学、図書館、研究所などの寄付金だけで約一千万ドル、秘密の寄付はその数倍にのぼるという。

また前大戦の直後、カーネギー氏は「国際平和財団」に巨額を寄付した。

その一部でドイツの学者や学界はよみがえった。

リープマン教授等が完成した戦争と犯罪に関する世界最初の尨大な研究叢書の公刊も、彼の寄付金でやれた仕事だ。

この研究だけでも、世界の幸福にどれ程寄与しているか測りしれないという。

私はこれらの事実を考える時、米国繁栄のよって来たるところを知るのである。

それに引換え、日本の財閥のあまりに利己的であったことが、今日の没落を招いたであろう事を想い、決して偶然ならざるを知るのである。」





お金の使い方について

明主様御垂示 「清貧に安んずるのは大間違い」 (昭和24年11月14日)

信者の質問
「貧を清貧と称して甘んじて霊界に行った者の霊界における苦悩はどのようになっているので御座いましょうか。」


明主様御垂示
「貧乏でも金持でも第二義的のもので、善い事をしたためとか、怠けてとか、意気地がなくて、智慧が足りなかったりなどして貧乏になったのなどいろいろある。

いずれも違う。いずれにしても世の中で善い事をした人が霊界でいい。

金が不正な事をして入り、善い事をしたところが、差引き悪い事が多ければいけない。

故に正当な手段で金を儲ける。今迄は不正手段でなくては儲からぬとしている。

これは欲があって智慧のない人である。

いい手段で金を儲け、世の中のために金を使う。これが一番いい。

よく清貧に安んずるのは大いなる間違いである。アメリカにはいない。

日本にはこの精神があるから発展しない。

悪い奴が栄えているが、こういうのは働きがある。

少し悪い事があっても、他に社会を裨益してあると大いに得になる。

(悪に強いのは善にも強いから、その徳が光る)

大いに儲け、大いに善い事をする人間が殖えなくてはいけない。

アメリカはそうである。ソ連流のやり方はいけない。不正の手段である。

(日本人はソ連や英仏の真似をしてアメリカの真似をしない。これはやはり封建的の故である)

清貧に安んずる者が多いか、または金儲け一方になるかで、いずれもいけない。どっちにしても国は亡びる。

国際競争のない時代は清貧に安んずる事もあっていい。」




明主様御垂示 「金銭は使い方によって尊くなる」

信者の質問
「金銭をウミと聞いていますが、これが即肉体のウミである訳・・・」


明主様御垂示
「金銭は尊いもので、使いようによって貴い、いいものになる。

良い方へ使えば大したもので、今迄は多く悪い方へ使われた事が多かった。

そのため汚いもの、卑しいものにされたのである。

前に信仰時代よく三味線を習っていいかを聞かれたが、私は大いに習いなさいといった。

これもよくない事につかわれるため、いけないものと錯覚している。

世の中にあるものすべては人間のためにあるんで、どんな物でも大いに使うべきであるが、ただ使いようによって善にも悪にもなるのである。」




明主様御垂示 「井戸の汚水の改善法」 (昭和25年4月23日発行)

儲けたお金をよいことに使うべき

信者の質問
「私の家の井戸は村一番水質がよかったのですが、昭和一二年一二月の南海地震のため水が止まり、一昨年より水が溜まり始めましたが水質が硬水になりました。

私は昨年三月入信以来御浄霊いたしましたところ、水は澄んできましたがまだ硬水です。

早く御利益をいただくにはいかにいたしたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「これは方法がないこともありませんが、信仰が浅いと具合が悪いですね。

一番いい方法は信仰により人助けをすることです。

それから、これはちょっとなんですが、金を儲けたときにその金をできるだけいいほうへ使うんです。

そうすると水がよくなりますよ。

なぜかって言うと、水ってものは財物と共通したもんですからね。

だから湯水のように金を使うって言いますが、実際うまく言ってますね。

金を自分勝手のことに使っちゃなんにもなりませんね。

それとともに、光明如来様によくお願いして浄霊することですね。」




明主様御垂示 「宗教的に観た商法」 (昭和24年6月23日)

信者の質問
「宗教的に観た商法について御教示をお願い申し上げます。

商売をしておりますと、騒け引きをしたり商売敵ができたり、また現在の登録制では商戦のためどうしてもそうとうの怨みがくると存じますが、

この曇りを消すためには大いに社会的善事をすればよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「これはこの通りですよ。無論、ある程度の駆け引きはしかたないですよ、儲けるんですからね。そこは程々にすればかまわないんですよ。

敵ができるってことも競争だからしかたないですね。

だから、積極的に同業者を倒そうとすると罪を作るから、そういうことはしないほうがいい。・・・

例えば、私の教えが拡まって行くと他の宗教にも影響して、あるいは潰れてしまうのも出てくるかもしれない。

しかし、それはやむを得ないことであって、そう言ってたらなんにもできない。

だから私は「大善は小悪を伴う」って言うんですよ。

これはどうにもしかたのないことです。

つまり、九十万人救われて、十万人はそのために救われないっていうことはしかたがない、いいんです。

ま、いいってこともないけど、差引してよければいいんです。

そして、商売してて時間や金に余裕があったらいいことをするんですね。

一番いいことはこの信仰のためにそれを使うんですよ、そうすればいいんです。」





ぼろ儲けは許されない


明主様御教え 「霊界の構成」より (昭和22年2月5日発行)

「(一部のみ引用) こういう事も知っておかねばならない。それは現世において富者でありながら、非常に吝嗇(りんしょく)な人がある。

こういう人は現体は金持であっても霊体は貧者であるから、死後霊界に行くや貧困者となり、窮乏な境遇に陥るので大いに後悔するのである。

それに引換え、現世において中流以下の生活者でありながら常に足るを知って満足し、日々感謝の生活を送り、余裕あれば社会や他人のため善徳を施すような人は、霊界に行くや富者となって幸福な境遇を送るのである。

また富豪などが没落する原因としてこういう事がある。

それは出すべき金を出さず、払うべきものを払わないという人がある。

かくして溜めた金は盗みと同様の理になるから霊的には盗金を貯めている訳で、これに逆利子が溜まる結果、実際の財産は僅少な訳になる。

それがため霊主体従の法則によっていつしか没落する。大抵な富豪の二代目が不良か低能で財産を蕩尽(とうじん)するという例が多いが、右の理を知ればよく分かるのである。


また今度の戦争の結果、財閥解体という事になったが、その原因は右のごとくであって、従業員や労働者に当然与えるべき金額を与えないで、それを蓄積し漸次富が増えたのであるからである。

本来資本に対する利潤は、たとえば郵便貯金や銀行預金は最も安全であるから三分内外が適当であり、

安全性がやや欠除せる国債は三分五厘、信託は三分八厘、次いで幾分危険性を伴う株券は四、五分くらいが適当でありとしたら、

資本家が出資する事業資金の利潤を、右を標準として合理的に考える時、まず七、八分ないし一割くらいが適正であろう。

しかるにそれ以上の利潤をあげる場合、その余剰利潤は勤労者に分配すベきが至当であるに係わらず、多くの資本家はそのような意志はなく、自己の利欲を満足させる事のみ考え、出来るだけ多額の利潤を所得しようとするのが一般的である。

労働運動などに脅えたり、ストライキ等に手をやいたりするのもそれがためである。

したがって妥当なる所得以外の、当然勤労者に配分すべき利潤を取得するという事は、勤労者の所持金を窃取する意味になる、すなわち盗金である。

従って盗金を蓄積して財閥となり栄耀栄華に耽ったのであるから天はゆるさない。

しかも霊界では逆利子がどしどし殖えるから、ついに今日に至って盗金と逆利子の分だけ剥奪返還されなくてはならない事になったのであって、全く身から出た錆で、誰を怨む事も出来ないのである。

故に右と反対に適当な利潤を勤労者に分配し蓄積した富を社会や他人のために費し、善徳を積むとしたら社会から尊敬を受け、永久に栄える事になる訳である。」




明主様御垂示 「資本に対する利潤の適正割合」 (昭和28年12月1日)

信者の質問
「天国の福音(註 御論文「霊界の構成」)で、財閥解体に言及してある中に、個人は資本の一割内外が至当であるということでありますが、

それはあのときの時勢に応じて説かれたものでしょうか」

明主様御垂示
「忘れましたが、そうでしょう。今でもそう変りはないでしょう。あれは平均です。」 (中略)


信者の質問
「社会の利潤ということは・・・」

明主様御垂示
「公平にやればよいのです。

これだけ働けばこれだけやる。

それからこれだけ賃金をもらっておれば、それに対してこれだけは働く。

というわけで、それは常識で考えても分かるから、それでよいのです。

だから屁のようなことをわざわざ難しくして、わざわざ苦しみを作っているのですから、実に情けない、馬鹿な、困ったものです。

その馬鹿さ加減といったらないです。ところがその馬鹿げたことが分からないでまでに、人間というものは頭が悪くなっているのです。

というのは結局において、唯物教育によって、すべて物質で解釈をするというそのために間違っているのです。

唯心の、目に見えないものがあるということを無視したからです。

これは私の本に書いてあるとおり、半分しか分かってないのです。

けれどもそういう具合にしなければ物質文化は発達しないから、神様はそういう具合に分からないようにしたのです。」