経済観念について 3 (算盤と能率)
明主様御教え 「算盤を無視するな」 (昭和24年9月10日発行)
「私は、日本の政治家に最も欠けているものは経済知識であろう、経済知識といっても、詮じ詰めれば算盤(そろばん)である、
ところがひとり政治のみではない、人間万事算盤を忘れては何事も成功は不可能である、
といって金銭に関係した事だけが算盤ではない、いかなる問題でも利害得失を明確に知り得るには打算を外れては駄目である。
今日民主主義政治の理論は、より多数の民意を反映する事は判り切った話であるが、それは投票の数によるのでこの数を獲得する目安は算盤による外はない、
算盤を無視するところに発展も成功もあり得ない。
最も好い例は今次の大戦である、この敗戦の原因は種々あるであろうが、
その中の最大原因としては算盤を無視した事にある、それは算盤上からみれば最初から戦争をしない事であるが、
しかし過って一旦戦火を交えたとしたら出来るだけ早い中に戦争をやめるべきであった、
その機を逸し戦争を継続すればする程、益々算盤に合わない事になるのは、当時を振返ってみればあまりにも明らかである。
算盤はひとり今の時勢ばかりではない、昔といえどもいささかも変らない、
かの頼朝が天下に覇を称するに至ったのは、金売吉次という有名な金鉱発見に妙を得た男があって、それを起用し、黄金を集めた事が有力な原因である、
秀吉も同様で、彼が佐渡の金山から採集した金は、莫大なものがあった、
彼が聚楽第を建設し、当時の諸大名を招宴した際、土産として門から玄関までの相当長い路の両側へ金銀の小石を播き詰め、
それを持てるだけ自由に持帰らせたという有名な話は、いかに金銀を保有していたかが判るのである、
また家康にしてもそうである、彼が徳川三百年の政権を維持し得たという事も佐渡の金山のためである、
しかも全国的に探鉱せしめんと、探鉱の名人大久保石見守を起用し、伊豆大仁の金山を発見させた事も有名な話である、
ところが佐渡の方は年を経るに従い鉱脈衰え、幕末頃に至っては採集高著減したため、経済的破綻の危機を生じ、
旗本御家人の末端にまで扶持の支給が杜絶え勝となり、生活難に陥らしめた結果が幕府倒壊の因となった事は争えない事実である。
私は宗教家であるから、経済には無頓着であるように誰しも思うであろうが、なかなかそうではない、
算盤をとる事は決して人後に落ちないつもりである、というのは以前実業家であったためもあろうが、
実を言えば昔の宗教家のように、粗衣粗食茅屋に住んでいたのでは、現代人を救う事は出来ない、時代が違っている、
土地も建造物も相応しなくてはならない、また地上天国の模型を造るにも莫大な額を要する、
という訳で、資金力が教線発展の基本となる事ももちろんである、
この例として今日の宗教界で最も認められている宗教は天理教を第一としなければなるまい、
同教の強味は、昔から資金獲得に最も重点を置いている事で、これは知らぬ者はあるまい。
以上種々の例によってみても、大は国家の政治から小は個人の事業に到るまで、
算盤を疎かにしては、決してうまくゆくはずはないのである、
これについて想出されるのは彼の米国である、同国の有力な政治家はほとんど実業界出身が占めている、
大統領トルーマン氏にしても二十年以前は小間物雑貨商人であったことは有名な話である、
また有力軍人でさえ実業家出身が相当あるという事であるから米国の今日あるは、
全く指導階級が算盤に堪能なる実業家出身である事が最大原因であろう。
右に引換え、日本の指導者を一瞥してみれば、そのほとんどは大学を出るや直に役人となり、役人生活を長く続け鰻上りに地位を得た者が大部分であるから、
社会の内面など御存じないばかりか、算盤などは全然関心を持たない、全く坊ちゃんか殿様である、
何よりの証拠は官営事業をみればよく判る、国鉄にしろ、民間の電鉄会社が今日五朱ぐらいの配当を続けているにかかわらず、
毎年国鉄が数百億の赤字を出しているという事や、煙草専売にしろ、まずい煙草を驚くべき暴利で売りつけているという事等である、
全く俗にいう士族の商法以外の何物でもないといってよかろう、
ゆえにこの点に鑑(かんが)み、今後の政治家としては大いに実業家出身を歓迎すべきで、
再建日本の主要条件としてはこの方針以外にないという事を警告したいのである。」
明主様御教え 「算盤と能率」 (昭和26年12月26日発行)
「私は今日の日本人をみると、どうも算盤(そろばん)を無視する事と、能率についての余りに無関心である事で、それを今警告したいのである。
もちろん右の二つは大いに関連があるから一緒にかくのだが、
単に算盤と言っても、金銭上に関するもののみではなく、他の面にもそれが大いにあるからである。
しかもこれは案外重要なものであって、この事に注意したなら、処世上大いに益する事は言うまでもない。
この点に関しては、どうも日本人は案外無頓着であって、
時間の観念が薄く、計画性がなく、行き当りバッタリ式の人が、ほとんどといっていいくらいである。
という訳で算盤を無視する結果無駄が多く、それがまた能率にも影響するので、案外損する事が多い。
そのため仕事も面白くないから焦り勝ちになり、この不愉快がまた能率に影響するという具合で、気付かないで大きなマイナスをしている。
そこへゆくと彼のアメリカである。恐らくアメリカ人くらい算盤をとる国民はあるまい。
例えば戦争にしろ、極度に機械力を利用して、人命を損じないようにするやり方である。
今度の朝鮮戦争にしろ、敵と味方との人的損害を比べてみると驚く程で、
敵の損害百数十万に対し、味方の方は僅々(きんきん)十万に足りないという事である。
またこの間の太平洋戦争にしろ、日本人は肉弾を敵の軍艦に、飛行機諸共打っつけたり、竹槍の練習したりする等、人命を粗末にする事はなはだしいに反し、
米国の方はどうであろう。
たった数人の技師が飛行機一機を飛ばし、原子爆弾一個で、一都市を全滅するというのだからお話にならないのである。
これも全く算盤を採る採らないの異いさであるから、大いに考えるべきである。
それというのも日本人は今もって昔の武士的根性の粕が残っているとみえて、算盤を蔑視する傾向がまだ大いにあるようだ。
これが今日及び今日以後の時代に即して、いかに不利であるかは考えるまでもない。
しかも日本人中には今もって面目とか、痩我慢、御体裁などという空虚なものに囚われ過ぎる傾向がある。
これが国家及び個人にとっての不利益は、割合大きいものがあろう。
そうしてここで私の事を少しかいてみるが、私は宗教家に似合わぬ算盤を忘れない主義で、何よりも私のやり方をみればよく判るであろう。
教修にしろ、御守にしろ、色々な会費にしろ、一定額を決めるようにしている。
それで出す方も宗教にあり勝ちの思召などの面倒臭さがないから気楽であり、
ただ除外例として任意の献金は受けるが、これも強請はしない方針になっている。
このようなやり方は恐らく今までの宗教には余り見られないところであろうが、
これがいかに本教発展の有力なる要素となっているかは言うまでもない。
右のような訳としても、もちろん細かい算盤は面倒であるから、大局的に見ての利害得失を忘れないようにしている。
よく私の仕事振りをみて、アメリカ式などと言うが、私もそう思っている。
全く算盤と能率に最も重きを置いているからである。
そうして私は日常生活の上でも、その日一日の大体のプランを立てておき、
予期しない事などある場合は、次の仕事で埋合せるようにしていて、出来るだけ予定を狂わせないよう気をつけている。
そんな訳で普通の人が一日掛りでやるような仕事でも、私は一時間くらいで片付けてしまう。
私の仕事が余りに速いので手伝う部下などいつも面喰い、悲鳴を挙げている始末で、
彼らは、明主様は特別な御方だから、到底真似は出来ないと弱音を吐くが、この考え方が大いに間違っている。
もちろん私のようにはゆかないまでも、その人の心掛次第では、案外成績を挙げる事が出来るもので、
断じて行えば鬼神も避けるという意気込をもって、ウンとやるべきである。」
明主様御講話 「算盤と能率について」 (昭和26年11月21日)
「これはそろばんについては、以前に書いた事がありますが、もう一ぺん書いてみようと思って書いたんですが、どうもー信者ばかりでなく、日本人は算盤と能率ですねーこれが、いかにも気がつかない点があるんですね。
だから非常に無駄な事が多いんです。この間ー四、五日前、私が山に行ったんですが、鉱山ですね。
これは、群馬県の水上温泉の側です。それで、実地に坑道や何か見たんですが、こう言う事に対しても、急所をはずれているんですよ。
要するに、急所をはずれていると言う事は、算盤にはずれていると言う事です。
例えて見れば、山なら山全体を調べて見て、やっぱり急所があるんです。
例えて見れば、一番鉱物がある所、その次にある所、その次にある所と。
行って見ると、二と三を一生懸命やっている。一というのを後回しにしている。
こう言う事は、何にでもあるね。
いつも言う通り、浄霊でも急所があるから、そこを見破らなければならない。
という事と同じで、私が行って今度すっかりー急所をやるように言いつけもしたけれども、やっぱりーしきりにあっちに行きたかったのは、神様が行かなければならないという事でやられたんですが、そういうような具合で、算盤ですね。
そうすると能率も上がるんですよ。無駄がないからね。何事をやるのも、急所を見つけると言う事は、結局ー大局から見るんですね。大乗ですね。
これは、また違った話ですが。先に株の相場を随分やった事があるー若い時分にね。その時こう言うことを言う。
相場が上がるー下がると言うが、一番間違いないのは大局から見るんです。
ところが、目先と言って、目の前の事にとらわれるんです。
もうじき上がるとか、もうじき下がるとかーなるほど、目先と言う事があるにはあるが、結局は外れてしまう。
全て大局から見ていくと、正確な判断がつくんですね。
メシヤ教なんか。今日は大分大きくなってきましたが、小さいうちから、大局でー世界人類を救うと言うこれほど大きい事はないんですからね。
目標をそこにおいてますからね。だから間違いなく進んでいくんですね。
ところが大抵な人は、大局を忘れてーどうもー部分的にとらわれるんですよ。
それはちょっと良いようでもー結局において旨くいかないんですね。
良く、大乗と小乗と言うーさっきも読みましたがね。
やっぱり大乗ですね。大乗でいくんですね。
それを始終注意していると、楽に旨く行くんです。
私なんか、仕事をするんでも始終そうですね。
今、どれが一番早くやるべき事かと、どれを一番主にして、力を入れるべき事かと、始終考えて、それだけをやっていくんです。
そうするとそれだけで小さい事も、よく自然に解決する事もあるんですよ。
(御論文「算盤と能率」の後の御教え)
で、こう言う事について、一番思っているのは、時々裁判所に行きますが、恐らくー能率の上がらないのは日本一だと思いますね。
あるいは、世界一だろうね。何しろ、始まりが十時半だと言っているが、ところが十時半に始まる事がない。まず十一時ですね。
でも、普通は十一時半になる事もある。十時半にはじめようとすれば出来る。
そうすると、十時半にはじめると、午前中に二人くらい調べられる。
十一時半になると、一人の証人で十二時半にまでかかるから、二人の証人では出来ない事になる。
証人を三人呼び出すと、二人は出来るが一人は午後になる。
証人というのは犯罪者ではないから、一度で済ましてもらいたいですよ。一日掛かりですからね。
一日無駄されると言うのは、実にー人民を思わざるもはなはだしいですね。
そうして、調べ方も実に気の長いものですよ。裁判は ー牛車に乗っているようなー源氏物語時代ーだから全く、あそこに行くと、おかしいですよ。
今は源氏物語は流行っているから良いがーそうして、色んな事は、弁護人が証人から聞いたりするが、これがまた、実に無駄な事なんです。
事件に関係のある者はない。見ていて、十のうち一つか二つでしょう。後は雑談に近いものです。
なんとなれば関係のない事を言ったり、聞いたりしているんですからね。
この間ー名前は言いませんが、幹部の人で証人になった人がある。
弁護人が反対訊問でーこっち側の証人ですからね。
こっち側が聞いて、喋るんですが、たまには検事が言う。
ところが弁護人が質問するのも急所に触れてない。
休憩があったから「あなた、急所はここだ。ここだけ言ってやれば良いんだ」と言ってやったので、
残りの答弁の時に、私の言った通り言ったから、それで良かったんですが、
そんなような具合で、大体今の日本人くらいー何と言うかーまあ、頭が悪いんですね。
実に頭が悪いんです。急所が解らないらしいんですね。
とにかく、その時の事なんかも、先方は私が金銭に関係したかしないかと言う事の狙いですからね。
それに対して弁護人が言わせようというんですからね。
他の事は何もいらない。金銭は他の者がやっている。明主様は教線の事だけだ。と言えば良い。
それを、一生懸命に無駄な事を言っている。
だから私がー つい「寸鉄」を書きたくなるんですよ。
結局寸鉄や歌ですね。歌だと、三十一文字で、とにかく百字も二百字も言う事を現せるんですからね。
歌、俳句をやるのは非常に良いと思いますね。
歌、俳句を作ろうと思う時に、例えば季節なら季節を簡単にー俳句にしろー五七五に表現する。
と言う事は、急所ですからね。結局急所を見つける事になる。こう言う頭の癖をつけるんですね。良い事だと思いますね。
趣味のない者はしょうがないが、少しでも趣味のある者は、大いにやると良いと思う。
だから、今の裁判でさえそんなですから、他の役所と言うのは、やっぱり相当無駄があるに違いないですね。
だから、よくお役所式だとか言いますが、全く役人と言うのは、ちょっと仕事が違うんですね。
だから、官営になったのは、能率の上がるのはないですからね。
今の電力問題で、電力が足りないと言っているが、関東配電とか作ったからですね。
昔、私立会社があった時は、電力不足なんてなかったですね。
むしろ電力過剰の方が多かった。やっぱり人間は欲ですからね。
欲で動いている。営利会社にすると儲けたいから、一生懸命にー電気なら電気をーたくさん作るようになるからね。
それが、役人になると、儲けると言う事がないから、要するに首さえつなげば良いからね。仕方がないですよ。人間の弱点でね。
アメリカの発展は、第一番にキリストのため、第二番に金儲けの国ですからね。
今は戦争やっているが、昔は商人の国と言っていたからね。だから儲ければ良い。
それからアメリカには、以前の日本のように、封建的に階級が定まっていないから、腕次第と言うー豊臣時代のようなー金儲け、腕次第と言うーその根本にはキリスト教の影響があるが、そう言う点が、アメリカ発展の原因だと思いますね。
トルーマン大統領だって、元小間物雑貨商ですからね。だから、商人上がりですね。
そしてまた、アメリカの陸軍大臣にしろ、海軍大臣にしろ、軍人を用いないようにしている。
日本は、士官学校上がりのーどこまでも軍人上がりですね。
そう言うのを首脳者に置きましたが、あっちは、それを首脳者にしない不文律がありますね。
面白いですね。戦をするにもー商人上がりですから ー算盤を取っていきますからね。
だから、日本でも算盤を取ったら、こんなに惨めな事は決してないんですね。
戦争を十六年に始めてー支那、中国をやっつけて、蒋介石が危なかった時に、蒋介石が和睦を申し込んできましたが、それを入れて、中支の良い加減な所を取って、満州は日本のものですからね。
それだけで、戦争を止めてしまえば、世界の世論もそれほどひどくならないで、あれくらい仕方がないと、
あとー日本にしても、どこまでも商業的に支那を開発すると言うようにいけば、蒋介石だって喜びます。
そうして行けば良かったんですね。
ところが算盤を取らないからね。
八紘一宇で、アジアを全部日本にしようと、算盤を取らず、無茶苦茶にやったからね。
もっともこれは普通の理屈であって、神様の方から言えば、全然違うんです。
やはり日本は負けて、こうならなければならない。
今言ったのは、絶対に真理とは言えないが、そういう事も知っておかなければならないと言う事です。」
明主様御講話 「神様の方でも算盤」 (昭和29年2月15日)
「次に今騒がれているのは汚職問題ですが、これについて書いてみました。
これは無神連中とすれば、汚職問題が出るのがあたりまえです。
神様がないとすれば、できるだけずるいことをして、自分が贅沢したり出世したほうが得です。
私でも、もし神様がないと知ったらそういうふうにします。
その方が得です。ところが神様を知ったらそういうことはできないので、損です。やっぱり神様の言われるとおりやっている方が得ですから・・・。
信仰を算盤上からゆくようですが、それでも結構です。
結局人間は算盤上からゆけば一番よいのです。一番間違いないです。
日本が戦争に負けたのも、つまり算盤の失敗です。実に算盤上からいって合わないことをやったのです。
しかし、算盤と言うとたいへん卑しく聞こえますが、神様の方でも算盤です。
つまり大中小と比べて、やっぱり神様は大の方に一番力を入れるのです。
ちょうど医学や薬が悪いと言ってますが、それがために失業したりして苦しむ人よりも、病気がなくなって健康になる人がずっと多いですから、多数の人の方の利益を図った方がよいわけです。
「小の虫を殺して大の虫を助ける」というわけで、これもやっぱり算盤です。
(御論文 「汚職の母体」)」