運命断片集


明主様御垂示 「運命の限度を知るべき」 (昭和23年12月1日発行)

信者の質問
「自由主義の本義について。」


明主様御垂示
「自由主義といっても無軌道な自由主義ではいけない。

自由主義には有限自由主義と無限自由主義とがある。

無限自由とはなんでもかでも自分の自由にするという悪性的のものであり、有限自由はある範囲があって、その枠を越えないことでこれが本当の正しい自由主義である。

故に無限自由主義によって破滅した人は古来その例に乏しくない。

そうして自由と運命とはよく似ている。

例えば秀吉は日本で関白になるのが運命の限度であった。

朝鮮出兵をしたのはその限度を破ったことになる。

ヒトラーでもドイツだけ治めていればよかった。

ドイツの統治が彼の運命の限度であった。

これもその運命を突き破って滅びた。

大本教の出口王仁三郎氏のごときもやはり運命を突き破ろうとしたために失敗したが、それがなければ今はすばらしいものになっていたであろう。

ナポレオンのごときも「わが辞書に不可能の文字なし」などとうぬぼれの極、大失敗した。

徳川家康などはその分をよく知っていたから長く続いたのである。

人は自分をよく見究めなくてはならない。

人間は調子よくゆくと慢心する結果、運命を破るのである。

日本も軍閥時代は個人の有限自由までも圧迫した。

それがアメリカの手により開放されたしだいである。

故に真の自由主義とは、他人の自由を尊重し合うことである。」




明主様御講話 「運命と健康の連動性」 (昭和28年11月17日)

「今書いていますが、その前に、気のつきそうなことで、ちょっと気のつかないことがあるのです。

それは、つまり運が良いとか悪いとか言いますが、すべて順調に行く時にはなんでも順調だし、

これが、悪い時になると泣き面に蜂で、悪いことばかりが重なってくるものです。

それは健康とピッタリと関係しているものです。

これは私の経験でもそうです。

私は薬毒がウンとあります。

どこか体が悪い時には必ず悪いことが来るのです。

疥癬をだいぶ長くやりましたが・・・私の疥癬は今年で九年目になります・・・まだすっかりとはゆきません。

耳が痒いので始終こうやって掻いてますが、これも疥癬が耳に来ているのです。

それから腰のまわりから足が痒いとか、いまでも蒲団に入って暖まったりすると幾分痒いです。

それで、一番最初に玉川警察署に十一日間留置されたことがありますが、その時には疥癬が一番酷かったのです。

それから静岡事件のときには足にまだ残っていました。

一昨昨年・・・二十五年ですが、この時には疥癬がいやに悪かったのです。

それで警察に行って、そのことを知らした方がよいと思って、足を掻いたところ血が出たら、「ああ君はまだ悪いね」

それで朝になったら、「自分の足が痒いが、君のが染ったのではないか」と言ってました。

それから私は疥癬のほかに歯が始終痛んだり、頭が痛んだり、始終いろいろありますが、

そういう時にはなにかしら、つまり苦しむことがあるのです。


これは誰でもそうなので、その理屈なのです。

というのは、そういった悪いということは、毒素に対する浄化が起こっているのですが、

浄化というものが人間の体ばかりではないのです。

浄化というものは、あらゆるものに相応してくるのです。

だから体のどこかが悪いということは、やはりその人の運命に苦しみがあるわけです。

毒素があるとその部が曇っている。

そうすると体全体が曇っていると、毒素は肉体的苦痛によって除ってゆき、

それから運命はいろいろな災いで除ってゆく、というわけですから、

たとえてみれば、人を苦しめずになにかやっていて発展する・・・われわれの方でも宗教が発展して信者ができますが、それでこのメグリが来るのです。


それはなにかというと、他の宗教が影響を受けるのです。

仏教とか、そういうものの方で非常に信者が減るとか、おとろえるとか、また維持に苦しむとか金が足りなくなるという場合に、

どうもこのごろ新宗教がだいぶ勃興してきたので、その影響を受けるのだ、

特にメシヤ教というのが一番活動して、あんな立派な美術館を造ったりしている、

シャクに障る、羨ましい、といった想念が、やはり曇りになってこっちにぶつかってくるのです。


ですから善いことをしておれば、なにもないかと思うと、決してそうではないのです。

かえって善いことをすると悪の方で怨むのです。

また たとえてみれば、泥坊とか人殺しをして、警察に引っ張られて酷い目に遭って調べられたりすると、

自分がその因の種をまいていても、やっぱり警察官を怨むのです。

昔、首斬朝右衛門という、今の死刑係で首を切る役人ですが、

首を切ることは朝右衛門が役でやるのですからなんでもないことですが、やはり朝右衛門を怨むのです。

そのために朝右衛門はいろんな災いがあるので、

まったく自分が首斬りをしたためだということが分かって、止めてしまって、

子孫代々首斬りをしてはならないという遺言を残したそうですが、

そういうようで、良いことをしても怨みがあるのです。

しかし他でその良いことのために助かって喜んでゆく人がありますから、その人からは良い光を受けますから、

さのみではないので、非常に少ないわけです。」




明主様御垂示 「人間の性質と運命の関連について」 (昭和25年12月25日発行)

信者の質問
「人の性質と、運命との間には関連があるように思われますが、先天的、後天的に亘って性質のよってくるところを御教示ください。」


明主様御垂示
「これは簡単には話せない。

なぜなれば、いろいろの原因が総合されて一つの性格を形づくるからである。

例えば前世の因縁、環境、血統などであるが、その中の前世の因縁は信仰雑話に詳しく書いてあるから読めば判るが、環境の善し悪しも右の原因が大いにある。

また血統は祖先以来、上中下に宿命的に決まっているもので、それが性格にも影響するというわけで、細かに話せばきりがないのである。」




明主様御垂示 「姓名の言葉、文字、想念は運命に大いに影響」 (昭和23年7月8日)

信者の質問
「姓名は運命にいかに影響するのでしょうか。」

明主様御垂示
「字の働きについては今度出す本に詳しく書きますが、姓名の言葉、文字、想念はね、運命に大いに影響しますよ。

人が名前を呼んでも言霊が働き、また思っても働きます。

それが運命に影響するのです。

で、姓名でも文字と言霊の両方から言霊は霊、文字は体となって働くのです。

だからいい名をつけなければいけません。

が、姓名は生まれながら運命通りつくのです。

これは産土の神が人間の手を通してつけられるのです。

ふつうの人は名前は人間が勝手につけるように考えているが、実際はそうなのです。

だからその人の御魂相応につけられるのです。

私の名前は私が生まれたとき、たくさんいろいろの名前を書いて神様にお願いしてから赤ん坊の私に取らせた、そのとき茂吉というのをとったのだそうです。」


信者の質問
「姓名学なんかでやってもらうのはいかがでしょう。」

明主様御垂示
「これは上手下手があり改名してかえって悪くなるのもある。

また悪いからよくしようとしても神様が許さなくては駄目です。

以前坂井に名前を頼まれたが、五、六年経ってもできなかった。

それは私が書こうとすると嫌になってしまう。

これにも時期があり、やたらにつけられない。

姓名学のほうでもこんなことがあるらしく、大阪のその道の大家の人も以前そう言ってました。

この人は「ある人の名前を見ればその人が何歳のときに改名するかということも判る」と言ってました。

私の名前を見て、私の姓名は表面へ立ってはいけない、つまり裏にいて人を使えばうまく行くと言っていました。

私も始終思ってるんですが、金のかけ合いなんかも私が行くと駄目なんです。

私にはそういう運命があるらしいですね。

「大先生は表面へ出られたら・・・」とはよく聞くのですが、これは駄目なんです。」


信者の質問
「今後生まれた子供にはどんな名前をつけるべきでしょうか。」

明主様御垂示
「ですからね、あらかじめ基本だけは教えて上げますよ。」




明主様御垂示 「名前は人間の性質、運命に影響」 (昭和24年4月8日発行)

信者の質問
「姓名の意義またはつけ方について。」


明主様御垂示
「その人の名前の働きによって性質まで違ってくる。

従って運命にまで影響する。

人から名を呼ばれ、自分で名を想うことによって言霊が働くのである。

いずれ言霊学の本を著すからそれをみれば判る。

言霊とは言葉の霊で、「聖書」の冒頭に「始めにコトバあり万物これによって造らる」ということがあるが、

これは真理で言葉は言霊界に響くと活動が起り、種々の物質まで変化する。」




明主様御垂示 「生年月日が人間の運勢・性格に関係のある理由」 (昭和24年5月10日発行)

信者の質問
「生まれ年、生まれ月日が人間の運勢、性格に影響があると言われるゆえんについて御説明くださいませ。」


明主様御垂示
「人間には気がつかぬがあらゆるものに変化がある。

気候にも春夏秋冬あり、月にも雨の多い月、旱魃(かんばつ)の月がある。

その年、月、日の霊気を受ける影響もあり、また生まれ月日の数の言霊の関係もある。

例えば私は一二月二三日生まれだが、二二日は冬至で日が一番短く、二三日は春分で昔はこの一二月二三日を正月元日として暦を作ろうとしたが

種々の関係で一週延ばしたとも言われ、二三日生まれの人は、春に向かう運勢があるわけである。

しかしそれがすべてでなくある程度は当たるが、こだわる必要はない。」




明主様御垂示 「生年月日が人間の運勢・性格に関係のある理由」 (昭和24年5月30日発行)

信者の質問
「生まれ年、生まれ月がその人の運勢、性格に関係あるのはなぜでしょうか。」


明主様御垂示
「人間には気がつきませんがね、あらゆるものには波みたいに変化があるんで、その年ならその年の「気」を受けるということになるんです。

一年の気候にも春夏秋冬があり、月にしても雨の多い月、少ない月があるし、また日によっても違いますからね。

これと同じように波があって、霊的にその時の霊気を受けるという関係もあるんです。

それから数の関係もありますね。

私は十二月二十三日に生まれたんですが、二十二日が冬至ですからね、春分に変化し始めるのは二十三日が本当なんで、

最初暦を作るときに二十三日を元旦にするはずだったそうですが、なにかで一週間延びたんだっていう説がありますが、これなんかおもしろいですね。

二十二日は日が一番短いんでね、二十三日に生まれたっていうのは、これから春になるっていうそこに働きがあるわけです。

まあ、皇太子様も同じですよ。けれども、これはきっちり決まってるというものでもないんです。

ある程度の影響を受けると言った程度でしょう。

太閤秀吉は一月一日に生まれたから出世したって言われてますが、一月一日に生まれた人はほかにもたくさんあるんですからね。

で、私は午の年の午の月の一日に生まれたんですが、この人は将来必ず人の頭に立つ人だって言われたもんですが、なるほどこれは当たってると思っているんですよ。


ちょっとおもしろい話があるんですがね。昭和五年の五月五日、この日は午の年で午の月で午の日になるんです。

五は火で午ですからね。五、五、五でまた午、午、午となった日はないらしいんです。

そこに私の霊的意味もたいへんあるんですが・・・その昭和五年五月五日の正午に私がおもしろい格好で撮した写真がありますから見せて上げましょう(一同右の御写真を拝見、筒っぽのお帽子をお召しになられたお姿)。」




明主様御講話 「家相や土地は運命に非常に影響する」 (昭和28年12月27日)

「いよいよ今年ももうおしまいですが、ちょうど去年の暮れの二十四日に裁判が片づいて、それから明るくなったわけで、

今年に入ってからハワイ、アメリカにクワを入れたわけです。

それに箱根の地上天国も完成したし、熱海のメシヤ会館もとにかく形だけはできましたし、今年は発展の基がだいぶできたような形になってます。

割合に収穫のあった年とでも言えるわけです。

ちょうど、散花結実とすれば、実が少し大きくなったわけです。

来年はこれがまた育ちますから・・・。

しかも秋には会館と展望台の上の水晶殿ができあがりますから、また大いに世間の注目を引くとともに、教団も発展するわけです。

いつも言うとおり、箱根は霊で熱海は体ですから、熱海ができあがるということは体的に大きくなるというわけです。

御神業というものは、すべて型でやってゆくのですから本元ができ、また形が大きくなるということは、全体的にそうなるわけです。

熱海は体的ですから、会館ができるということは、ちょうどやはり建築のような具合に、御神業の方もしっかりした様相になって、大きさも目立つように大きくなるわけです。

こういうわけになるのです。


支部などでも、建物を少し拡張すると、それだけ教線が拡がるものです。

だから形も、支部の建築などを相談されることがよくありますが、

つまり家相は、四角なら四角のものでも、ちょっとでも凹むものがあるといけないのです。

凹む形がいけないのです。

その反対に少しでも出る形があると拡がるわけです。

家相や土地というものも、運命に非常に影響するのです。

だからして、やっぱり理屈に合うということもそういうわけで、

すべてが順序とか形とか理屈に合うということが、

小さいような問題でいて、あんがい結果は大きいのです。」




明主様御垂示 「印相・墓相は運命に相当関係する」 (昭和23年9月28日)

信者の質問
「「印相」ということを申しますが、印鑑の相は運命に関係ありましょうか。」


明主様御垂示
「ありますよ。墓相もそうですが、印鑑でもそうとう関係があります。

印はその人の信用、取引の約束など人間の生活上の働きのある部分を代表するものですから、その字や形が運命に影響するのは当然です。

人間の働きの霊界方面は非常に微妙です。・・・

ところが相のことでも信仰に入ると違ってくる。

おもしろいのは人相見などに見てもらっても、信仰に入ると結果が逆になる。

私も「赤竜子」に見てもらったことがあるが、反対にするとよく当たったのです。

これはいままでの「相」が体的にばかり研究されたためです。

姓名判断なんかもそうです。

信仰に入ると体的ではなく霊的に支配されるから反対に当たるわけです。

よく引っ越しの方位を気にする人がありますが、これはありません。

婚礼の吉日はあります。

数というのはなかなか神秘ですから。

結婚は陰陽結ぶんだから、結ぶ日七、十、十一はごくいい、二十一は「二人が結んで始まる」という意味で非常によい。

始めるときは八がよく五は「いづ」で出ることでいいです。

伊豆は「いづ」で伊豆半島は重要です。」




明主様御垂示 「墓石は運命にまで影響する」 (昭和24年4月20日発行)

信者の質問
「印形や墓相によって人間の運命が左右されると聞きますが事実でしょうか。」


明主様御垂示
「印形とか墓相とかいうものはそうとうあたるものである。

印を見るとその人の性格がよく表われている。

従ってその性格通りの世渡りをするから、運命もそれに伴う道理である。

墓石は違う。

墓石は祖先と子孫を繋ぐもので、言わば霊界と現界の楔(くさび)のようなものであるから重要なもので、

墓石は墓石としての法則がある以上、それに外れ、法にかなわないときは、運命にまで影響するのである。」




明主様御垂示 「印相について」 (昭和27年10月1日)

信者の質問
「信徒の人で新しく実印を作りたいと申しておりますが、印材、形などは・・・」


明主様御垂示
「印相と言って、印の材料は象牙は何とか、形はどうとかいろいろあります。

あれはなかなか当たるのです。

それから形によって、こういう形は借金で首がまわらないとか言うが、そういうこともあることはあります。

ないことはないが、メシヤ教信者ならこんなことは問題でないです。

小さなことです。こんなことを意に止める必要はありません。」




明主様御垂示 「耳・口・目・鼻の形は運命に関係がある」 (昭和25年1月20日発行)

信者の質問
「耳の形状は、幸不幸にも関係すると言われていますが、なにか意味がありましょうか。」


明主様御垂示
「無論幸不幸に関係がある。

耳だけではなく、口でも目でも鼻でもそうである。

耳は特徴があるから、いちばん形で判りやすい。

研究すると運命に関係があることが判る。

耳朶(みみたぶ)の大きいのは金持ちになると言われている。

私は大きいので大いに金持ちになると言われたが、ずいぶん貧乏と借金で苦しんだ。

しかしいまは公的だが金に不自由はない。

マア当たったんだろう。

仏像なども耳輪をされているが、耳朶(じだ)の垂れているのがいいからである。」




明主様御垂示 「ホクロ、イボは運命の印」 (昭和23年11月18日)

信者の質問
「アザ、イボ、ホクロなどはなぜできるのでしょうか。」


明主様御垂示
「アザには黒と赤の二種類ありますが、黒は怨みの霊で、それが霊に染みついて霊界の浄化でも取りきれないうちに生まれた場合です。

例えば肩を切られて死んだ場合、その怨みが向こうの肩へ行くんです。

赤のアザのほうは自分が斬られたり槍で突かれたりした場合、やはり霊界で不浄化のまま再生したのですよ。

ほくろは運命のしるしです。

口のはたのほくろは「食いぼくろ」と言って食うに困らない。

私は二つありますよ。

首すじのは「着ぼくろ」と言って着物に困らず、目の縁のは「泣きぼくろ」と言いますね。

いぼもとれるのと、とれないのとあります。

やはりその人の運命のしるしですね。」




明主様御垂示 「指紋は運命、性格の印」

信者の質問
「指紋には何か意味が御座居ますか、御尋ね致します。」


明主様御垂示
「すべて人間の身体は皆意味がある。

運命、性格等のしるしになっている。特に指紋には意味がある。出口氏は皆流紋である。

人間の肉体はどれでも研究すればある程度まで運命、性格等が判る。疣(イボ)、ホクロ等によっても判る。

信仰によれば人相等も影響しなくなる。

信仰の深い人は人相見と殆ど逆のように変ってしまう。

人相は入信すると逆になる。故に人相を覚える要はない。

天源術など割合い判る。


一番人間の性格の判るのは言葉と態度・・・話の仕方・・・である。

正直にいえば、どっか破綻のない・・・、一番分るのは嘘である。

人を見ると共に自分が要領よく話する癖をつけるを要する。

着物の柄でもネクタイの柄などでも性格が分る。失敗するか成功するかも判る。

話がしつっこくて要領を得ぬ人もあり、簡単に喋って物の真相に当る人とある。

大本信者の時分、出口師の子が「お父さん火事だ」と言った。

すると師は「遠いから行ってみる要はない」と言った。

「どうして判るか」と聞くと「近い火事ならお父さんという事は言わぬ」と言った。成程理屈だ、と言った事がある。

言葉の節々に注意すればある程度判る。

初対面の挨拶などでも智と不智を知る。法に叶うか叶わぬかである。

自分も急所を言うようにする。

日本人はそういう点一番下手である。

日本人は封建性が長く続いたから、嘘吐くようになっている。

圧迫されているから、物を捻じ曲げて話す。

日本人はよく笑うという、そういう習慣が日本人に着いている。

曲げたり、色つけたりするんで、本当の事が判らぬ点がある。


信者は世の中の俗界と掛離れる傾向がある。

新時代に合ってゆかなくてはならぬ。

出来るだけ新聞雑誌を読む、ラジオを聞く、映画をみる。

時代の空気と掛離れぬようにしなくてはならぬ。

今迄の宗教は世の中と掛離れる事をいいとした。あれでは現代人を救う事は出来ぬ。宗教臭くない事である。」




明主様御垂示 「潮の満ち引きと人間の運命」 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「引潮のときに生まれた子供は育たないということを言いますが」

明主様御垂示
「絶対にそういうことはありません。

多くの満潮のときに子供が生まれるのですが、運命にはそう変わりません。

ぜんぜんないとは言えませんが、ある時期まではいくらか影響しますが、それを過ぎれば同じです。」


信者の質問
「亡くなるときにもそういうことを言われてますが」

明主様御垂示
「引潮のときに亡くなります。

だからいくらか影響するのです。」




明主様御垂示 「元旦のことは一年の運命に関係がある」 (昭和24年6月13日)

信者の質問
「私の土地では今年の元旦に雨とそうとうの雷鳴がありましたが、元旦にさようなことは数十年来経験しなかったことです。

もし一年の計が元旦にありますならば、このことはなにを暗示しているのでしょうか。」


明主様御垂示
「やっぱり、元旦のことは一年の運命に関係がありますからね。

今年はなにかあるんでしょうね、ええ。(笑声)・・・」




明主様御垂示 「因縁について」 (昭和26年10月1日)

信者の質問
「因縁というのは、宿命的なものと、運命的なものとありますが・・・」


明主様御垂示
「それは本に書いてあります。根本は宿命です。

それが運命を起こしますね。それは第二の意味になる。

因縁という言葉は良くできていますね。」